外伝 第6話 師の剣
私は昨日よりも早く部屋を出た。
王城の廊下には、まだ人の姿がほとんどない。
窓の外も薄暗く、東の空が僅かに明るくなり始めているだけだった。
修練場へ到着する。
ブラノールの姿はない。
初めて、団長よりも早く来ることができた。
壁際に置かれていた木剣を手に取り、修練場の中央で待つ。
手の中にある木剣は、昨日受け取った時と変わらず重く感じられた。
「今日は早いな」
背後から声がした。
振り返ると、いつの間にかブラノールが立っている。
今日も普段と変わらない姿。
「今日は私の方が先でした」
「ああ」
「それだけですか?」
「遅れなかった者を褒める必要があるのか」
「昨日よりも早く来ました」
「なら、明日も同じ時刻に来ればいい」
ブラノールはそれだけ言うと、壁際へ歩いていく。
どうやら褒めてもらうことはできないらしい。
ブラノールも一本の木剣を手に取り、私の前へ戻ってきた。
「始めるぞ」
「はい」
私は木剣を両手で握った。
その時、以前から気になっていたことを思い出す。
「あの、団長」
「何だ」
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「内容による」
聞いてから判断するらしい。
「団長は、ヴァルディア王国で一番強いのですか?」
ブラノールが僅かに眉を動かした。
「なぜ、そう思った」
「私が何をしても倒せなかった魔族を、団長は一振りで倒しましたから」
ヴァルゼクの魔力核を見抜き、一瞬で斬った剣。
今も、あの時の光景は目に焼きついている。
「王国騎士団長なのですから、やはり団長が一番強いのではないかと思いまして」
「自分で言うのも妙だが、世界全体で見ても上位にはいると思っている」
ブラノールは、特に誇る様子もなく答えた。
「では、やはり一番なのですね」
「いや」
予想していなかった否定だった。
「王国には、俺と同等の者も、それ以上の者もいる」
「団長と同じくらい強い方が、ほかにもいらっしゃるのですか?」
「ああ」
「騎士団の方ですか?」
「騎士だけとは限らん」
ブラノールは腰の少し上に佩いた長剣へ右手を添える。
「特に、確実に俺より強いと思っている方が一人いる」
「確実に……」
「まだ剣を交えたことはない。だが、いつか手合わせを願いたいと思っている」
ブラノールが自分より強いと認める人物。
どのような人なのだろう。
「その方のお名前を聞いてもよろしいですか?」
「今は必要ない」
「なぜですか?」
「名前を知ったところで、お前の剣が強くなるわけではないからだ」
そこで話は終わりらしい。
ブラノールは木剣を片手で持ち、私へ向けた。
「まずは、お前の剣を見せろ」
「分かりました」
私は木剣を構える。
リュミエールで父や騎士たちから教わった、一般的な騎士剣の構え。
両足を前後へ開き、剣先を正面へ向ける。
「振り下ろせ」
「はい」
木剣を頭上へ持ち上げ、正面へ振り下ろす。
風を切る音が響いた。
「次は斬り上げだ」
下げた木剣を、そのまま斜め上へ振り上げる。
「横薙ぎ」
右から左へ。
「突け」
一歩踏み込み、正面へ木剣を突き出した。
一通りの動きを終え、構えへ戻る。
ブラノールは何も言わず、私を見ていた。
「どうでしょうか」
「形だけなら悪くない」
「ありがとうございます」
「だが、すべて力を入れすぎている」
褒められたと思った直後に否定された。
「木剣を強く振るのは、いけないのでしょうか」
「強く振ることが悪いとは言っていない。必要のない時にまで力を使うなと言っている」
ブラノールが木剣を構える。
「俺へ打ち込んでこい」
「よろしいのですか?」
「極光は使うな。それ以外は自由だ」
「分かりました」
木剣を上段へ構える。
相手は、世界でも上位にいると自ら認める剣士だ。
遠慮する必要はない。
地面を蹴り、一気に間合いを詰める。
「はっ!」
頭上から木剣を振り下ろした。
ブラノールが半歩だけ右へ動く。
木剣が空を切った。
すぐに剣を戻そうとした時には、ブラノールの木剣が私の首筋へ添えられていた。
「これで死んだ」
「もう一度お願いします」
「構えろ」
二度目は横薙ぎ。
ブラノールは後方へ下がることなく、僅かに上体を引いて避けた。
振り抜いた私の両腕が伸び切る。
手首へ軽い衝撃が走り、木剣が地面へ落ちた。
「これでも死んだ」
「もう一度です」
三度目は突き。
剣先をブラノールの胸元へ向ける。
しかし、横から木剣を当てられ、軌道を逸らされた。
腕と肩が伸びたまま、身体が前へ流れる。
ブラノールの木剣が、私の胸元へ触れた。
「同じだ」
「攻撃するたびに、隙ができているということですか」
「一撃ごとに身体のすべてを使い切っている。避けられたあとのことを何も考えていない」
「ですが、力を込めなければ相手を倒せません」
「当たればな」
何も言い返せなかった。
「最初から最後まで、剣を強く握る必要はない。力を入れるのは、刃が届く瞬間だけだ」
「途中で力を抜けば、剣を弾かれるのではありませんか?」
「やってみろ」
木剣を拾い、両手で持つ。
先ほどまでよりも、握る力を弱めた。
手の中で木剣が不安定に揺れる。
「これでは、剣先が定まりません」
「力を抜くことと、手放すことは違う」
ブラノールが木剣の先端へ自分の木剣を当てた。
軽く押されただけで、私の剣先が下がる。
「肩に力が入っている」
今度は木剣で、私の右肩を軽く叩く。
「肘も固い。手首まで動かなくなっている」
「どこにも力を入れなければ、剣を持てません」
「必要な力だけを使え」
「それが分からないのですが」
「だから覚えるんだ」
ブラノールが私の前へ立つ。
「俺と同じように構えろ」
両足を前後へ開き、木剣を構える。
私は足の位置から真似た。
「左足をもう少し後ろへ引け」
「はい」
「腰を落とせ。剣先を上げろ」
言われたとおりに身体を動かす。
これまで私が使っていた構えよりも、重心が低い。
ブラノールと私は、身長も腕の長さも違う。
同じように構えると、僅かに窮屈さを感じた。
「あの、この足の位置では少し動きにくいのですが」
「慣れていないだけだ」
「ですが――」
「今まで身につけた癖は、一度捨てろ」
ブラノールの木剣が、私の剣先を持ち上げる。
「俺の動きを、そのまま身体へ覚えさせろ」
「団長の剣を、ですか?」
「ああ。少なくとも、今のお前の剣よりは生き残れる」
自分の剣を、世界でも上位にいる剣士のものへ変える。
それができれば、私もブラノールのように戦えるのだろうか。
「分かりました」
私は違和感を押し込め、ブラノールと同じ構えを取った。
「振り下ろす。見ていろ」
ブラノールの木剣が動く。
速い。
けれど、それ以上に無駄がなかった。
木剣を持ち上げる動きから振り下ろしまで、どこにも余分な揺れがない。
剣先は正面で止まり、そのまま横薙ぎへつながる。
さらに一歩踏み込み、突き。
後方へ下がると同時に、最初の構えへ戻った。
「やってみろ」
「はい」
思い出しながら木剣を振り下ろす。
止める。
そこから横薙ぎへつなげる。
しかし、腕へ力が入りすぎて剣先が遅れた。
無理に突きへ移ろうとしたことで、今度は足がもつれる。
「違う」
「もう一度、見せていただけますか」
「一度見せた」
「速すぎて、すべては分かりませんでした」
「なら、分かったところまでやれ」
ブラノールは、もう一度見せてはくれなかった。
私は最初の構えへ戻る。
振り下ろし。横薙ぎ。突き。後退。構え。
「違う。振り下ろした時に肩が上がっている」
もう一度。
「足が止まっている」
もう一度。
「突きで腕を伸ばし切るな」
同じ動きを、何度も繰り返した。
ブラノールは一切妥協しない。
剣先が僅かにずれただけでも、最初からやり直しになる。
《極光》を使えば、もっと速く動ける。
そう考え、身体の奥へ意識を向けた瞬間だった。
「使うな」
まだ光を出していないのに、ブラノールから止められた。
「どうして分かったのですか?」
「お前が急に力を入れたからだ」
「《極光》を使えば、団長と同じ速さで動けるかもしれません」
「形が崩れたまま速くなれば、崩れ方まで大きくなる」
「ですが――」
「まずは身体だけで覚えろ。極光を使うのは、そのあとだ」
私は極光を使うことを諦め、木剣を構え直した。
◇
それから数日間、同じ修行が続いた。
日の出前に修練場へ向かう。
走り、線の前で止まる。
木剣を構え、ブラノールから教えられた動きを繰り返す。
振り下ろし。横薙ぎ。突き。後退。構え。
最初は一つの動きを終えるたびに止まっていた。
それが少しずつ、次の動作へつながるようになった。
振り下ろした剣を、力任せに止めない。
残った勢いを横薙ぎへつなげる。
腕だけで突くのではなく、踏み込みと同時に剣先を前へ運ぶ。
一撃を外しても、すぐ次へ動く。
ブラノールと同じ形を繰り返すほど、私の剣から隙が減っていった。
窮屈に感じていた足の位置にも、少しずつ慣れていく。
ある朝、ブラノールを相手に木剣を振り下ろした。
当然のように避けられる。
けれど、そこで止まらない。
腕を返し、そのまま横薙ぎへつなげる。
ブラノールの木剣が動き、私の攻撃を弾いた。
初めて、二撃目まで受けさせることができた。
「今のは、どうでしたか?」
「遅い」
「ですが、二撃目まで届きました」
「届いたのではなく、受けてやっただけだ」
「少しくらい褒めていただいてもよいのでは?」
「褒められるために剣を振っているのか」
「違いますけれど……」
ブラノールは木剣を壁際へ戻した。
「明日は休め」
「まだ動けます」
「身体を休ませることも修行だ」
「本当に、それだけですか?」
「殿下から何度も頼まれている」
「アイシャさんから?」
「王都を案内する約束をしているそうだな」
確かに、王都へ来た日に約束していた。
しかし修行と検査が続き、まだ王城の外へ出ることはできていない。
「団長が許してくださったのですか?」
「俺が許さなければ、陛下へ直接頼むと言われた」
「……アイシャさんらしいですね」
「まったくだ」
ブラノールは、疲れたように息を吐いた。
◇
翌日。私はアイシャとともに、王城の裏門に立っていた。
修行を始めてから、初めて迎える休養日。
いつもの動きやすい服ではなく、王都の町中でも目立たない上衣とスカートを侍女に用意してもらった。
アイシャも王女だと分かる華美な衣装ではなく、町で暮らす少女と変わらない服を身につけている。
「これなら、誰にも気づかれませんね」
アイシャが、その場で一度回ってみせる。
「そうでしょうか」
「どこか、おかしいですか?」
「服は普通ですが、アイシャさんは立っているだけで目立つと思います」
「セフィリアさんには言われたくありません」
「私は目立たないと思います」
「金色の髪を見てから言ってください」
私は自分の髪へ触れた。
確かに、リュミエールでも髪の色で見つけられることは多かった。
「フードを被った方がよいでしょうか」
「そうしましょう。お互いに」
二人で上衣のフードを被る。
「ところで、護衛の方はいらっしゃらないのですか?」
「お父様から許可はいただいています。心配ありません」
「ですが、アイシャさんは王女なのですよね」
「今は、王都を歩く普通の少女です」
「その言い方で許されるのでしょうか」
「許していただきました」
誰に、どのように許可を取ったのかは教えてくれなかった。
それでも、国王陛下が認めたのならば問題はないのだろう。
私たちは裏門を出て、王都の大通りへ向かった。
上空から見た王都も大きかったが、実際に歩くとさらに広く感じる。
大通りの両側には、数え切れないほどの店が並んでいた。
衣服。武器。魔導具。果物。焼きたてのパン。
店先から漂う匂いに気を取られ、何度も足を止めてしまう。
「セフィリアさん、こちらです」
「すみません。見るものが多くて……」
「今日は時間があります。気になるところには、全部寄りましょう」
「全部ですか?」
「はい。まずは、あちらのお店です」
アイシャが指差したのは、大通りの角にある菓子店だった。
「以前、お部屋で食べたお菓子のお店です」
「ここで作られていたのですね」
店の前には列ができている。
私たちも最後尾へ並んだ。
王女と勇者が、町の人々に交じって菓子を買う。
そのことが少しおかしくて、自然と笑みがこぼれた。
「どうしましたか?」
「いえ。王都へ来てから、こんなふうに並ぶとは思っていませんでした」
「私も、王城では並ぶことがありません。少し楽しいです」
順番が来ると、アイシャは果実を使った焼き菓子を二つ買った。
近くの広場にある長椅子へ座り、半分ずつ食べる。
焼きたての生地は温かく、中に包まれた果実は甘酸っぱい。
「おいしいです」
「でしょう?」
アイシャが、自分で作ったわけでもないのに得意そうな顔をする。
それから私たちは、大通りを歩きながらいくつもの店を見て回った。
装飾品の店では、アイシャが髪飾りを私の頭へ次々と合わせた。
服を扱う店では、今度は私がアイシャへ似合いそうなものを選んだ。
屋台で串焼きを買い、二人で歩きながら食べる。
王城の中では見られないアイシャの表情が、そこにはあった。
私もまた、この日だけは勇者であることを忘れていた。
大通りを進んでいくと、建物の向こうにいくつもの高い尖塔が見えた。
王城とは異なり、尖塔の周囲には複雑な魔法陣が浮かんでいる。
「あちらは何ですか?」
「ノヴァ・アカデミアです」
「あれが、王都の魔術学園……」
「魔術や術式について学ぶ者が、各地から集まっています」
アイシャが学園の方角を見上げる。
「今日は時間が足りませんから、次にしましょう」
「中へ入れるのですか?」
「もちろんです。セフィリアさんへ紹介したい方もいますから」
「どのような方ですか?」
「私たちより少し年上の方です。少し変わっていますが、とても優秀な術式師です」
「変わっている方なのですか?」
「会えば分かります」
アイシャは、それ以上教えてくれなかった。
◇
夕方。
私たちは一日歩き回り、王城の裏門へ戻ってきた。
両手には、途中で買った菓子や小物の入った袋を持っている。
「楽しかったです、アイシャさん」
「私もです。また一緒に行きましょう」
「はい。次は魔術学園ですね」
「約束です」
裏門を通り、人気のない中庭へ入る。
アイシャが足を止めた。
「もう出てきてもよろしいですよ、ブラノール」
「え?」
誰もいないと思っていた植え込みの向こうから、一人の男が姿を現した。
普段よりも地味な色合いのシャツとスラックス。
頭にはキャップを深く被り、目元はサングラスで隠している。
いつも腰の少し上へ斜めに佩いている長剣も、今はなかった。
「……団長?」
「なぜ疑問形なんだ」
「いえ。いつもとあまりに姿が違いましたので……」
「目立たず護衛するためだ」
声を聞けば、間違いなくブラノールだった。
しかしキャップによって赤い髪はほとんど隠れ、サングラスのため表情も読み取れない。
そのうえ、特徴的な長剣まで外している。
知らずに町ですれ違っても、私はブラノールだと気づかなかったと思う。
「いつから、ついてきていたのですか?」
「王城を出た時からだ」
「では、一日中ですか?」
「陛下から、二人の護衛を命じられていた」
初めて聞いた。
私はアイシャを見る。
「アイシャさんは、ご存じだったのですか?」
「はい」
「護衛はいないと仰っていませんでしたか?」
「心配ないとは言いましたが、いないとは言っていません」
確かに、そのとおりだった。
「最初から団長だと気づいていたのですか?」
「途中からです」
「どこで分かった」
「キャップを被っても、歩き方までは変わっていませんでしたから」
アイシャは当然のように答えた。
ブラノールが僅かに黙り込む。
「そこまで見られているとは思いませんでした」
「ブラノールとは長い付き合いですもの。服装を変えただけでは、私の目は誤魔化せません」
「次からは歩き方も変えることにします」
「次も隠れてついてくるおつもりですか?」
「殿下が普通に護衛を連れてくだされば、その必要もありません」
ブラノールが、困ったように息を吐いた。
初めて聞いた。私はアイシャを見る。
「アイシャさんは、ご存じだったのですか?」
「はい」
私は一日中、まったく気づかなかった。
「それなら、最初から一緒に来ればよかったのでは?」
「俺が隣にいれば、殿下もお前も普通には歩けん」
「団長なりに、気を遣ってくださったのですね」
「陛下の命令を守っただけだ」
ブラノールは、いつもの無表情で答えた。
けれど人混みの中で姿を見せず、私たちの時間を邪魔しないようにしてくれたことは分かる。
「ブラノール」
アイシャが、改めてブラノールへ向き直る。
「明日からの修行ですが、あまりセフィリアさんを痛めつけないでくださいね」
「痛めつけているつもりはありません」
「毎日、身体を動かせなくなって戻ってきています」
「修行とはそういうものです」
「壊してもいけません」
「壊すつもりもありません」
「泣かせてもいけません」
ブラノールが、僅かに黙った。
「それは約束できません」
「なぜですか?」
「強くなる過程で、泣くことまで止めるつもりはないからです」
「では、泣いた時には慰めてください」
「それは殿下の役目でしょう」
「師匠の役目でもあります」
「俺は剣を教えるだけです」
「でしたら、王女としてお願いします」
ブラノールが眉間へ指を当てた。
「都合のよい時だけ王女になるのはおやめください」
「王女として扱わないでほしいと言ったのは、セフィリアさんと二人でいる時だけです」
「……そうでしたか」
「はい。ですから、明日の修行は少しだけ軽くしてください」
「それは断ります」
「王女としてのお願いでも?」
「断ります」
魔族を前にしても表情を変えなかったブラノールが、アイシャを前にして困ったように息を吐いている。
その姿を見た瞬間、笑いがこぼれた。
二人が、同時に私を見る。
「す、すみません」
「何がおかしい」
「いえ。団長にも、苦手な方がいらっしゃるのだと思いまして」
「苦手ではない」
「では、明日の修行を軽くしてくださいますか?」
「それとこれとは別です、殿下」
アイシャが楽しそうに笑う。
世界でも上位にいると自ら認める剣士。
私を苦しめた魔族を、一振りで倒した王国騎士団長。
そんなブラノールにも、どう接すればよいのか迷う相手はいるらしい。
王都へ来てから初めて、私は声を出して笑った。




