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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第八章 帰郷、武の原点
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第101話 見抜く目

 新しい茶が運ばれてくると、祖父は湯気の立つ茶器を一つ、俺の前へ置いた。


「長旅で疲れただろう。まずは飲め」


「ありがとうございます」


 茶器を手に取り、口元へ運ぶ。

 慣れ親しんだ香りと、わずかな渋み。王都や帝国でも茶を飲む機会はあったが、家で飲んでいたものとはどこか違っていた。

 祖父も一口だけ茶を飲み、卓へ戻す。

 その目が、俺の腰元へ向けられた。


「ところで、レグルス」


「はい」


「その本には、名があるのか?」


 祖父が見ているのは、腰に提げたセレスだった。


「……セレスといいます」


「名があるのか」


 祖父の目がわずかに細くなる。


「ならば、意思もあるのだな?」


『本当に鋭い方ね』

 セレスの声が頭へ響く。

 俺が答えずにいると、祖父は小さく笑った。


「今、何かを言われたか」


「分かるのですか?」


「言葉までは聞こえん。だが、その本へ意識を向けたことくらいは分かる」


『隠しても無駄そうね』


 セレスの言うとおりだった。

 祖父は俺の顔ではなく、呼吸や視線の動きまで見ている。


「はい。セレスには意思があります。声を届ける相手も、セレス自身が選べます。普段は俺と話していますが、姉上とも直接会話したことがあります」


『そこまで説明された後で、黙っているのも不自然ね』


 それまで俺にだけ届いていたセレスの声が、静かな座敷へ広がった。


『初めまして、ラウル様。私はセレスよ』


 祖父がわずかに目を見開く。


「これは丁寧にどうも。ラウル・クレハルトだ。孫が世話になっているようだな」


『ええ。それはもう、随分と』


「おい」


『何か間違っているかしら?』


「……間違ってはいない」


 祖父は俺たちのやり取りを見て、楽しそうに笑った。


「なるほど。本当に意思を持っているのだな」


 笑みを残したまま、祖父はセレスをしばらく見つめる。


「だが、意思を持つ魔導書というだけではない。」


 祖父はしばらくセレスを見つめた後、再び俺へ視線を戻した。


「お前が座敷へ入ってきたときから、一人で立っているようには見えなかった」


「一人ではない?」


「お前の気配に、もう一つ別の意思が重なっている。魔導具を身につけているだけでは、あのような気配にはならん」


 祖父の視線から、隠し通すことはできない。

 元々、家族にまで隠し続けるつもりはなかった。ただ、どこまで話すべきか決められずにいただけだ。


「レグルス」

 祖父が静かに問いかける。


「お前は、そのセレスというものと契約を結んだのか?」


「……はい」

 俺が答えると、祖父は驚くでもなく、確かめるように頷いた。


「やはり、契約者か」


「その言葉を、祖父上はどこで?」


「昔、一度だけ似た気配を持つ者に出会ったことがある」


 祖父は茶器を手に取りながら、遠い記憶を探るように目を伏せた。


「まだ私がこの家へ戻る前だ。修行を兼ねて各地を旅していた頃、ある土地で一人の旅人と出会った」


「その人も、契約者だったのですか?」


「本人はそう言っていた。その者も、見た目は一人だった。だが、向かい合うと二つの意思に見つめられているような、妙な感覚があった」


 俺とセレスのように、契約した存在の意思が重なっていたのだろうか。


「何と契約していたのですか?」


「分からん」

 祖父は首を横に振った。


「名も、契約した相手も教えようとはしなかった。私も深く尋ねなかった。その者が自らを契約者と呼んだことと、常人では持ち得ない力を有していたことしか知らん」


「今、その人がどこにいるかは?」


「それも知らん。一度出会ったきりだ。それ以降、契約者らしき者と会うこともなかった」


 祖父が出会った人物が、どの契約者だったのかは分からない。

 そもそも、現在も生きているのかさえ不明だ。


「話せる範囲で構わん。お前が何と契約し、どのような力を得たのか聞かせてくれるか」


「分かりました」


 俺はセレスへ意識を向ける。


『話しても構わないわ。ここまで見抜かれたのなら、下手に隠す方が不自然でしょう』


 セレスの了承を得て、俺は契約について話し始めた。

 セレスと出会い、契約を結んだこと。

 獅子宮と呼ばれる場所が存在し、階層ごとに課された試練を越えてきたこと。

 そこで火、水、風、土の属性を得たこと。

 契約後、刀を振る、突く、叩く、弾くといった一つひとつの行為が、以前とは異なる形で自分の中へ積み重なるようになったこと。

 ただし、十二宮のすべてを知っているわけではない。ほかの契約者についても、分からないことの方が多い。

 俺が知っている範囲だけを選び、祖父へ伝えた。

 祖父は途中で口を挟まず、最後まで静かに聞いていた。


「なるほどな」


 話を終えると、祖父は短く息を吐いた。


「それで、以前とは身体も魔力も変わったということか」


「はい。契約していなければ、今の俺はありません」


「そうだろうな」

 祖父は否定しなかった。


「お前がこの家を飛び出す前のことは、よく覚えている」


 その言葉に、俺は自然と背筋を伸ばしていた。


「レオンは剣を握れば、教えられたことをすぐに形にした。アリシアは術式を一度見れば、その仕組みを理解した。二人は幼い頃から才に恵まれていた」


「はい」


「お前も頭が悪かったわけではない。何をすべきか、どう身体を動かすべきかは理解していた」


 祖父は俺の手へ視線を落とす。


「だが、頭で思い描いた動きに身体がついてこなかった。魔力との親和性も低く、強化を使えば動きが乱れた」


 何度も経験したことだった。

 理解はできる。

 どう動けばいいのかも分かる。

 それなのに、実際に刀を振ると身体が遅れる。

 力を込めれば刃筋がぶれ、速度を上げれば足元が崩れた。


「そのうえ、お前が選んだのは刀だった」

 祖父がわずかに笑う。


「騎士剣よりも扱いが難しく、誤魔化しの利かない武器だ。憧れだけで手を伸ばし、何度も刀に振り回されていた」


「……返す言葉もありません」


「責めているわけではない」

 祖父の声は穏やかだった。


「何度失敗しても、お前は刀を手放さなかった。レオンやアリシアとの差を思い知らされても、振ることだけはやめなかった」


 祖父の目が、俺の足元へ移る。


「契約がお前に力を与え、閉ざされていた道を開いた。それは間違いないだろう」


「はい」


「だが、契約を結んだだけの者が、今のお前のような立ち方をすることはない」

 祖父の言葉に、俺は顔を上げた。


「余計な力を抜き、どの方向にも動けるよう重心を置いている。誰かに言われて形だけを真似たものではない。幾度も失敗し、自分の身体で確かめた者の立ち方だ」


「祖父上……」


「契約が道を開いたとしても、その道を歩いたのはお前だ。振り、考え、鍛えることをやめなかったから、今のお前がある」


 自分が重ねてきたものを、祖父は立っている姿だけで見抜いていた。

 胸の奥が、わずかに熱くなる。


「契約の力を借り物だと卑下する必要はない」


 祖父の表情から、笑みが消える。


「お前が受け入れ、磨き、己の意思で扱っているのなら、それもまたお前の力だ」


「はい」


「だが、契約に選ばれたから自分は強いなどと思うな」


 静かな声だった。

 それでも、その言葉には刀を突きつけられたような重みがあった。


「得た力に溺れ、自らを磨くことをやめた瞬間、お前は再び刀に振り回される。今度は以前のように転ぶだけでは済まん。お前の力は、自分だけでなく周囲の者まで傷つける」


「……はい」


「契約によって得たものを活かせ。だが、頼り切るな。これまでと同じように、自らを鍛え続けろ」


「忘れません」


 祖父は俺の目をしばらく見つめた後、表情を緩めた。


「ならばいい。お前は昔から、物覚えだけは悪くなかったからな」


「身体がついてこなかっただけです」


「今はついてくるのだろう?」


「以前よりは」


「ならば、これからも振り続けろ」


 短い言葉だった。

 だが、それだけで十分だった。

 祖父との話を終え、俺は自分の部屋へ向かった。

 廊下の突き当たりにある扉を開く。

 中の様子は、家を出た日とほとんど変わっていなかった。

 寝台と机。

 壁際に並ぶ本棚。

 幼い頃に使っていた木刀や、刃筋を確認するための古い稽古道具。

 机の端には、読みかけのまま置いていった本まで残されている。

 それでも埃は積もっていない。

 窓も定期的に開けられていたのか、空気が淀んだ様子もなかった。


『ずっと手入れをしてくれていたのね』


「ああ」


 腰から外したセレスを机へ置く。


『あなたのお祖父様、優しい方ね』


「昔から、俺たちには甘いところがある」


『でも、誤魔化せる相手ではなさそうだわ』


「それも昔からだ」


 祖父の前では、嘘や隠し事が長く続いたためしがない。


『あなたのことを、ずっと見ていたのね』


「祖父上だからな」


『ええ。良いお祖父様だわ』


 俺は上着を脱ぎ、部屋の中央へ腰を下ろした。


『休まないの?』


「列車に乗っていただけだ。それに、これは日課だからな」


 目を閉じ、呼吸を整える。

 普段から全身へ巡らせている少量の魔力へ意識を向ける。その流れを崩さないよう、修練に用いる魔力を少しずつ加えていった。

 中心から胸へ。

 肩を通し、腕から指先へ。

 戻した魔力を腰から両脚へ送り、足先まで行き渡らせて再び中心へ戻す。

 一巡。

 二巡。

 増やした魔力が途切れないよう、円を描く。

 力を押し出すのではなく、流れそのものを止めない。

 帝国で何度も繰り返してきた日課だった。

 慣れ親しんだ部屋で行うと、いつもより呼吸が深くなる。余計な力が抜け、魔力が身体へ馴染んでいく。


 祖父の言葉を思い出す。

 契約が開いた道を歩いたのは、自分だ。

 そして、これからも歩き続けなければならない。


『言われた直後から鍛錬を始めるのね』


「今までと同じことをしているだけだ」


『だから、あの方も認めたのでしょうね』


 セレスの声を聞きながら、さらに魔力を巡らせる。

 何度か円環を繰り返したところで、扉が軽く叩かれた。


「レグルス、夕食の用意ができたわ」


 母の声だった。


「今行きます」


 修練のために増やしていた魔力量を少しずつ絞り、普段から維持している量へ戻す。

 円環そのものは止めない。少量の魔力をいつものように全身へ巡らせたまま、ゆっくりと目を開いた。

 立ち上がって身なりを整え、セレスを腰へ戻した。


 食堂へ入ると、すでに父と祖父が席についていた。

 卓には焼いた肉や新鮮な野菜、温かなスープが並んでいる。どれも豪華というほどではないが、幼い頃から食べ慣れたものばかりだった。


「さあ、座って」


「はい、母上」


 自分の席へ腰を下ろす。

 祖母の席は空いていたが、父と母、祖父と同じ食卓を囲むのは久しぶりだった。

 食事が始まり、しばらくは料理の味や領地の近況について話した。

 やがて父が、手にしていた食器を置く。


「それで、レグルス」


「はい」


「家を出てから、何があったのか聞かせてくれるか」


 俺は一度頷き、家を飛び出した日から順に話し始めた。

 冒険者として依頼を受け、王都へ移ったこと。

 学園で過ごした日々。

 浮遊大陸へ渡り、そこで多くの人々と出会ったこと。

 戦いの中で刀を折ったこと。

 話のすべてを細かく説明すれば、夜が明けても終わらない。要点だけを選びながら話したが、それでも何度か食事の手が止まった。

 危険な魔物や死にかけた戦いについて話すたび、母の目が細くなる。


「あなた、そんなことを何度もしていたの?」


「必要な戦いでした」


「必要なら、何度死にかけてもいいわけではないでしょう」


「それについては、私も同感だ」

 父が頷く。


「あなたも昔、似たようなことをしていたでしょう?」


「……今はレグルスの話だ」


 父はそれ以上何も言わず、静かにスープへ口をつけた。

 祖父は口を挟まず、時折頷きながら俺の話を聞いている。

 浮遊大陸を離れた後、兄を訪ねて帝国へ向かったところまで話を進める。


「帝国では兄上と再会し、しばらく兄上の家に滞在しました。その後、リヴィアという人物から命脈闘法を教わることになりました」


 母の手が止まった。


「リヴィア?」


「はい。帝国で知り合った人から紹介された武術家です。命脈闘法を教わりましたが、詳しい素性までは聞いていません」


「そう。あの人らしいわね」

 母は懐かしむように目を細めた。


「リヴィアは今、帝国元老院の第四席よ」


「第四席……?」


 思わず母の顔を見返す。


「俺は、そのようなことを一度も聞いていません」


「本人も名乗らなかったのでしょう?」


「はい」


「やはり、あのリヴィアなのね」

 母の口調がわずかに柔らかくなる。


「母上は、リヴィアをご存じなのですか?」


「ええ。知っているわ」


 母は食器を卓へ置いた。


「私が帝国にいた頃、何度も手合わせしたことがあるもの」


「母上が帝国出身だとは聞いていましたが……」


「詳しい話は、したことがなかったわね」


 母は俺を真っ直ぐに見つめる。


「私の旧姓は、ディアナ・アルディネ。帝国で合気の最高峰と称される、月輪流合気術《がちりんりゅうあいきじゅつ》を継ぐ宗家の生まれよ」


 初めて聞く母の旧姓だった。


「宗家……」


「ええ。一通りの技は、帝国を離れる前に修めているわ」


「なぜ、今まで話してくれなかったのですか?」


「隠していたわけではないのよ」


 母は穏やかに笑う。


「わざわざ話す必要もないと思っていたの。今の私はアルディネ家の人間ではなく、クレハルト家のディアナだもの」


「私から話そうとしたことは、何度かあったのだが」


 父が横から口を挟む。

 母がゆっくりと父へ顔を向けた。


「そうだったかしら?」


「……いや。私の勘違いだったようだ」

 父はすぐに視線を逸らした。


『本当に、お母様には弱いのね』


 セレスの声が聞こえたが、俺は何も返さなかった。


「リヴィアとは、どのような関係だったのですか?」


「同じ帝国で武を学ぶ者として、何度も拳を交えた関係よ。あの人は昔から、自分にも相手にも厳しかったわ」


 母の視線が、俺の肩から腕へ移る。


「言葉で教えるより、身体が覚えるまで何度も繰り返させる人でしょう?」


「……はい」


「変わっていないのね」


 母は困ったように笑った。


「玄関であなたに触れたとき、身体の流れに覚えのある癖を感じたの。まさかと思ったけれど、リヴィアに教わったのなら納得だわ」


 あの一瞬で、そこまで見抜いていたのか。


「命脈闘法と魔力円環を教わりました。それに、力を一定に配分する方法も」


「魔力円環まで?」


「はい」


 母の目に、わずかな興味が浮かぶ。


「それなら、ちょうどいいわね」


「何がでしょうか?」


「明日の朝、稽古場へいらっしゃい」


「稽古場へ?」


「あなたがリヴィアから何を学び、どこまで自分のものにしたのか、この目で確かめるわ」


 母は柔らかく笑っている。

 しかし、その目は玄関で俺の肩へ触れたときと同じだった。


「母上と手合わせをする、ということですか?」


「ほかに何があるの?」


 父が俺へ同情するような視線を向けてくる。


「レグルス。もし断るつもりなら、今のうちに――」


「エドガー?」


「いや、何でもない」


 父は姿勢を正し、言葉を続けた。


「母上との手合わせは、非常に得るものが多い。謹んで受けるといい」


「急に言うことが変わりましたね、父上」


「世の中には、逆らっても結果が変わらないことがある」


「何か言ったかしら?」


「いや。明日の手合わせが楽しみだと言っただけだ」


 母は満足そうに頷いた。

 俺に断るつもりはなかった。

 帝国で命脈闘法を学んだ今だからこそ、母の合気が以前とは違って見えるはずだ。


「分かりました。よろしくお願いします、母上」


「ええ。楽しみにしているわ」


 こうして帰郷した翌朝、最初に向き合う相手は母に決まった。

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