第三話:硝子瓶の標本室
POV: 犬神 栞 (Inugami Shiori)
左頬の欠落した部分には、母の古い皮膚がパッチワークのように貼り付けられている。拒絶反応を防ぐための薬が、脳を痺れさせるような異臭を放っていた。
父・江戸は、私を二階の奥にある「書斎」へと招き入れた。そこは本棚ではなく、床から天井まで硝子瓶が並ぶ、肉の図書館だった。
「栞、ここにあるのは犬神家の『歴史』だ。お前もいつか、この一部になる」
父が愛おしそうに一つの瓶を撫でた。中には、ホルマリンに浸かった「指」が数本、イソギンチャクのように揺れている。
「なろう読者諸君。君たちの物語では、ポーションを飲めば失った指も生えてくるんだろう? だが、現実は残酷だ。切り離された肉は、二度と戻らない。ただ、こうして美しく『保存』されるだけだ」
棚の奥には、さらに悍ましいものが並んでいた。摘出されたばかりのように瑞々しい「眼球」、何層にも重なった「鼓膜」、そして、まだ微かに拍動しているように見える「心臓の欠片」。
「見てごらん、栞。これはお前の曾祖母の『声帯』だ。そしてこれは、去年の『朱里』の左耳だ」
父はピンセットで瓶の中から、白くふやけた「舌」を引っ張り出した。
「言葉を失った肉体ほど、饒舌なものはない。こいつは、剥がされる瞬間にどんな悲鳴を上げたと思う?」
俺は吐き気を堪え、棚の隅にある小さな瓶を見つけた。そこには、私の名前がラベルに書かれていた。
中には、昨日剥ぎ取られた私の「右腕の皮膚」が、標本として美しく飾られていた。
「先生……私は、ただの材料なの?」
私が震える声で問うと、父は私の顎を強く掴み、無理やり瓶の中の肉を見せつけた。
「材料? 違うな。お前は『スペア』だ。犬神家という永久機関を回すための、生きた部品に過ぎない」
父は別の瓶から、赤黒い液体の染み込んだ「内臓の破片」を取り出し、俺の口元に突きつけた。
「なろうの読者諸君。君たちが夢見る『ステータス画面』の裏側を見せてやろう。人間の本質は、このドロドロとしたタンパク質の塊だ。これに、名前や愛という『嘘』を上書きしているだけなんだよ」
父は俺の口をこじ開け、その冷たい肉片を押し込んだ。
「食え、栞。これはお前の前任者の『肝臓』だ。それを血肉に変えて、次の『皮』を育てるんだ」
俺は、死者の肉を噛み締めながら、自分が人間ではなく、ただの「保存食」に成り下がったことを確信した。
誰かの内臓を喉に流し込む感覚……想像できるかい? 君が今食べた夕食、本当にスーパーで売っていた肉かな? もしかしたら、犬神家から届いた『スペアの余り』かもしれないよ。……あ、今、喉の奥がヒリヒリしないかい? それ、拒絶反応の合図だよ。クソ食らえ、平和ボケした読者諸君。




