第二章 祖母の手のひら
祖母の家には、玄関に分厚い毛布が畳んで積まれていた。
子どもの頃の俺はそれが客用の布団だと思い込んでいた。客なんて来ない家だった。母方の祖父はとうに亡くなっていて、祖母は一人で住んでいた。広い土間と、油の染みた長押と、奥の座敷の桐箪笥。俺はその家のすべてを、玄関の毛布越しに思い出すことができる。
「これ、なんで玄関にあるの?」
「養生のためよ」
「ようじょう?」
「物を傷つけないための布」
祖母の手のひらは、皮膚が薄くて、指の関節だけが少し節くれていた。爪は短く整えられ、薬指の腹に小さなタコがあった。たぶんずっと毛布の隅をつまんでいたから、ついたタコだった。
その手で頭を撫でられると、髪のあいだに、桐の木屑のような乾いた匂いが残った。
「いいかい、怜」
「うん」
「引越しはね、運ぶことじゃないんだよ」
「えっ」
「傷つけないことなんだよ」
夕方の縁側だった。庭の柿の木の影が、畳の上に細く伸びていた。蚊取り線香の煙が、糸のようにまっすぐ立ち昇って、途中でふっと崩れた。祖母の声は、その煙の崩れる感じに似ていた。意味を理解する前に、耳がそれを覚えてしまった。
祖母は自分の身体のことも、養生と呼んだ。
風邪をひけば、養生する。膝を痛めれば、養生する。歳を取ったら、ぜんぶが養生になる、と笑った。
そして、いつもこう続けた。
「人はね、傷つきやすいの。だから養生してあげなきゃいけない」
子どもには意味がよくわからなかった。けれど、祖母の言うときの「人」の中に、俺自身が含まれていることは、肌でわかった。撫でる手の温度が、そう告げていた。
奥座敷の桐箪笥は、祖母の祖母から受け継いだものだという。
四段の引き出しには、季節ごとの着物と、化繊の風呂敷と、子どもの頃に俺が祖母にあげた、つたない絵が一枚しまわれていた。鉛筆で書いた「ばあちゃん」という文字が、引き出しの中で長いあいだ、何にも傷つけられずに眠っていた。
「箪笥にも、人にも、思い出が宿るんだよ」
俺はその言葉も、意味のわからないまま頷いた。
ある夏、祖母は箪笥の引き出しを、半年に一度の手入れのために、ぜんぶ畳の上に並べた。四段の引き出しが、四つ、畳の縁に沿って、整列した。祖母は、引き出しの底を、薄い布で、ゆっくり拭いた。
「ばあちゃん、毎回、こんなに拭くの」
「うん」
「どうして」
「箪笥にも、息継ぎの時間が、いるからね」
息継ぎ。
俺はその言葉を、その日の夕方の空気と一緒に、覚えた。
夕方の縁側で、祖母は、拭き終わった布を、洗濯桶のお湯で、もう一度すすいだ。お湯はぬるく、布から拭った木屑のような繊維が、桶の底に、薄い線を作って沈んだ。祖母は、その線を、しばらく見ていた。何かを読んでいる目だった。
たぶん、箪笥の中に住んでいた一年分の時間を、布が運んできた繊維から、読み取っていたのだ。
子どもだった俺には、その時間の読み方はまだできなかった。
祖母は俺が高校を出る年に、母の実家から離れた郊外の家へ越した。引越しは祖母自身の指示で進んだ。荷物の何割かは捨てた。取っておいたのは、桐箪笥と、嫁入りに持ってきた小さな茶箪笥と、台所の塩壺だった。残された家具を見て、俺はおかしな安心を覚えた。物が少ないほど、養生しやすい。子どもながらに、そんなことを思った気がする。
その祖母は、いまは介護施設のベッドに寝ている。
一年前から、俺の顔を覚えていない。
月に一度、面会に行く。施設の廊下にはアルコール消毒の匂いと、夕食の煮物の匂いがいつも混じっていた。職員の靴底がリノリウムの床を踏む音は、現場の養生シートを敷いた廊下によく似ていた。傷つけないために、世界はあちこちで音を吸わせている。
面会の部屋は、いつも同じ部屋だった。北向きの、薄暗い部屋。窓の外に、隣の市営住宅の壁が見えるだけの部屋。けれど、その薄暗さが、祖母の目には、ちょうどよかった。最近の祖母は、強い光を、嫌がるようになった。網膜の神経が、すこしずつ傷つけられないように、養生している、と看護師は言った。
養生。
看護師の口からその言葉が出たとき、俺はふっと頷いた。
看護師は、不思議そうに、こちらを見た。
「初めまして、優しい人」
祖母はそう言って、俺の手を両手で包む。
骨ばった指が、俺の手の甲を覚えるように撫でる。
彼女の指は、俺の手の甲の、いつも同じ場所を、撫でる。手首の側ではなく、指の根元の側。決まった一本の小さな血管の上を、必ずなぞる。撫でる側のばあちゃんは、なぞっているとはたぶん気づいていない。けれど、なぞられている側の俺は毎回、その場所が、温まる。
「ばあちゃん、また来るね」
俺はそう言う。祖母はにっこり笑って、もう一度初めまして、と繰り返す。
帰りの電車で、俺はいつも目を閉じる。涙は出ない。出ないことが、自分の壊れ具合を測るものさしになっている気がした。出さない方がいい、ともどこかで思っていた。引越し屋の作業着は、現場の人間にとって、それ自体がひとつの養生だ。仕事が始まれば、感情の角はすべて、毛布の下に隠れる。
俺が引越し業界に流れ着いたのは、特別な動機があったからではない。
高校を出たあと、就職にいくつか失敗した。専門学校で資格をひとつ取ったが、それを使う面接でも、面接官の前でうまく言葉が出てこなかった。俺は「すみません」を、面接の冒頭から終わりまでに七回言った。七回目で面接官の眉が動いたのを、いまでも覚えている。
その夜、求人誌を開いた。引越し作業員、未経験可、力仕事のできる方歓迎、と書いてあった。
力仕事ならできる、と思った。理由はそれだけだった。
最初の現場で養生材を渡されたとき、ふっと祖母の声が頭の奥でした。ようじょう。聞こえたとたん、俺はその場に立ち止まった。先輩格の作業員が「何やってんだよ」と急かした。俺は何も言わず、手を動かした。動かしながら、毛布の畳み方を、祖母の手の動きに合わせて調整していた。
祖母の手は、もう俺を覚えていない。けれど、俺の手は祖母を覚えていた。手のほうがしぶとく、祖母を抱えていた。
翌朝、会社に着くと、配車表に新しい現場が組まれていた。
山奥の旧家。依頼主の欄には「該当者死亡につき、遺品整理」と打ち込んであった。備考に「桐箪笥一棹あり」。
俺は配車表を二度見した。
胸ポケットの中で、昨日書いた日報のコピーが、軽く折れていた。




