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引越し作業員が異世界転生したら世界が引越し中でした  作者: もしものべりすと


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第十七章 養生、完了

神官たちが、新しい大地の中央広場で儀式を執り行った。


 広場、と呼ぶには、まだ何も建っていない、ただ平らに均された地面だった。境界の杭だけが、四隅に立っていた。


 杭の頂には、白い布が結ばれていた。布の端は風でかすかに揺れたが、結び目は固かった。誰かが、布が抜けないように、結び目を二重にしてあった。たぶん、現場の主任の誰かが、夜のうちにそうしたのだろう。彼らは、目立たない場所の養生を、決して、怠らなかった。


 大陸全土から、人が集まっていた。百八のセクターから、それぞれ代表が一人ずつ、来ていた。


 代表たちの服装は、ばらばらだった。羊毛の貫頭衣、革鎧、商人の刺繍入りの上衣、神官の白衣、農夫の作業着、子どもを背負ったままの母親の前掛け。色も布の質感もばらばらの集団が、ひとつの広場に、並んで立っていた。


 俺はその色の混ざりを、しばらく見ていた。


 ひとつの色に揃わないのが、養生の答えだ、と俺は思った。揃わないものを、揃えずに、傷つけずに、運ぶ。それが、ばあちゃんの言葉のたぶんぜんぶだった。


 神官の長が、空に向けて、短く告げた。


「大移動、完了。死者の数、史上最少」


 歓声が上がった。誰かの泣き声が混じった。子どもの笑い声も混じった。


 歓声と泣き声と笑い声は、本来、別の音のはずだった。けれど、その朝の広場では、それらが、ひとつの音にしか聞こえなかった。たぶん、それぞれの音の根に、同じものが、あったからだ。


 近くで、マルゲンが、もう声を抑えなかった。


「養生、完了ーッ!」


 その声は、伝令を通じて、各地に届いた。


 養生、完了。


 養生、完了。


 養生、完了。


 その言葉は、現代の日本で俺が日報の最後に書き続けてきた一行と、同じ言葉だった。けれど、その響きはもうまったく違う響きをしていた。


 俺の中で、その四文字がようやく本来の重さを取り戻した気がした。


 ああ、これだ、と思った。


 これが、ばあちゃんが俺に書かせ続けていた、本当の意味だった。


 ばあちゃんは、引越し屋の娘として育って、家業の代わりに、この四文字を、孫の俺に、渡したのだ。家業を継がなかった孫が、別の場所で、家業を続けられるように。


 ばあちゃんは、そういう手の人だった。


 血を継がせる人ではなく、言葉と仕草を継がせる人。


 継がせ方の中に、相手を傷つけない工夫があった。


 その工夫がたぶんばあちゃんの最大の養生だった。


 俺は儀式の場の中央へ呼ばれた。


 歩く間、左右の人々が、深く頭を下げた。頭の下げる角度は、それぞれ違った。それぞれの土地の作法だった。けれど、角度の違いの奥に、同じ温度があった。それは、現場で、お客様が、最後の挨拶をする時の温度に、似ていた。


 神官の長が、俺の前に膝をついた。


「ミサキ・レイ殿。我らの大陸を、養生してくださった方よ」


「いえ、皆さんが──」


「神々は、貴方を、選びました。貴方の名は、新しい大地の歴史に、刻まれます」


 俺は、何も言えなかった。


 頭を下げた。


 頭を下げた、というより、頭が勝手に下がった。


 その時、群衆の中から、駆け出してくる足音があった。


「養生さま!」


 エリィだった。


 黒田先輩の天幕から、別働隊の良心派兵士アグの手で救い出されていた。頬の痣は薄く残っていたが、目は、輝いていた。


 彼女は、俺に駆け寄り、抱きついた。


「無事だったんだね、養生さま」


「エリィ」


「ううん、無事じゃない。腕、まだ動かないんでしょ。目も」


「……うん」


「ばか」


 彼女は泣きながら、俺の胸を叩いた。


 力は、入っていなかった。叩いていたのは、彼女の安堵だった。


 彼女の手のひらの感触は、震えていた頃の手のひらとはもう違っていた。震えのなくなった手のひらは、ほんのわずか、温度が高かった。


 俺はそっと右腕で彼女の肩を抱いた。


 彼女の髪に、土と汗と、火の匂いが、混じっていた。けれど不思議と嫌な匂いではなかった。あの夜、彼女が震えていた時の、何にも染まっていなかった肩の冷たさを、俺は覚えている。今の彼女の肩はちゃんといろんなものに染まっていた。


 マルゲンが進み出て、深く一礼した。


「貴公の偉業を、新しい大地の議会も認めた。爵位を授与したい、と申し出ている」


「えっ」


「公爵位だ。新しい王国の中央議会の右腕として、貴公を迎えたい」


 俺は、首を、横に振った。


「いえ、俺は──」


 マルゲンの目がすこし寂しそうに見えた。


 寂しさを、俺は、そのまま受け止めた。


 彼が惜しんでくれるのは、嬉しかった。けれど、惜しまれて残るのは、俺の養生ではなかった。


「ミサキ・レイ殿、もし望むなら、姫君との婚姻も──」


 マルゲンが言いかけたところで、エリィが顔を真っ赤にし、彼の肩を叩いた。


「マルゲン卿! いま、そういう話、しないで!」


「ぐっ」


 俺は思わず笑った。


 久しぶりの、笑いだった。


 胸の奥の、ずっと吹いていた冷たい風がようやく温まったのを感じた。


 この時、俺は決めていた。


 爵位は、頂かない。


 俺は戻る。


 戻って、自分自身を、養生する。


 戻る、という決断は、論理ではなかった。けれど、論理ではない決断のほうがたぶんばあちゃんの言葉に、よく似ていた。


 ばあちゃんは、家業を孫に継がせなかった。継がせる、という形ではなく、別の形で、継がせた。


 俺もたぶんここに残る、という形ではなく、別の形で、この世界に何かを残せる気がした。


 残す、ではない。


 残らない、という残し方。


 養生は、いずれ、剥がす。


 剥がしたあとに、傷がない。


 それが、本当の養生だった。


 俺がこの世界に残るのは、剥がし忘れた養生材になることだった。


 それは、養生師としては、いちばん恥ずかしい仕事だった。


 俺は深く息を吐いた。

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