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近寄りにくそうな悪役令嬢様、以外といい人っぽくないですか?

 課題は温室にある薬草の観察記録を、ペアで2種類、まとめることだった。


 危険な薬草や薬剤も置かれている温室での課題だと言うのに、クラスメイト…貴族令嬢様達は、自家の自慢話などのおしゃべりだなんて、呑気なほどだ。

 しかし、足早に進むアルヴィン嬢(以後、リリアーナと呼ぼう)の耳には、そんな騒音は関係のないように見て取れる。


 本館を離れるにつれて、クラスメイトたちのざわめきは遠ざかり、代わりに靴音だけが、乾いた石床に反響する。

 隣を歩くリリアーナは、一度もこちらを見ない。

 視線は前方に固定され、歩幅も速度も一定。誰かと歩いているというより、“同じ方向に進んでいるだけ”のような距離感だった。


 近いのに、遠い。


 触れられる距離にいるのに、最初から線が引かれている。

 そんな空気。


「ここね」


 短く告げて、彼女は温室の扉に手をかけた。

 キィ、と軋む音。

 同時に、湿り気を帯びた空気が流れ出てくる。


 温かい。

 重たい。


 土と水と、そして——どこか刺激のある匂いが、わずかに混じっていた。


(……ちょっと強い?)


 一瞬だけそう思う。

 けれど、すぐに意識から外れた。

 中へ足を踏み入れる。


 ガラス越しの光が葉を透かし、柔らかな影を床に落としている。

 整えられた植物たち。

 規則的に並んだ鉢。

 静かで、完成された空間。


 ——なのに。


(……なんか、落ち着かない)


 ほんの少しだけ。

 空気が“重い”。


「これと、これにしましょう」


 リリアーナの指先が薬草を示す。

 迷いがない。


「特徴と変化を記録しなさい。余計なことはいらないわ」

「……はい」


 しゃがみ込み、ペンを走らせる。

 その間も、無意識に彼女の動きを追ってしまう。


 無駄がない。

 躊躇もない。

 他人と関わる前提がない動き。


 真剣に課題をこなそうとするその横顔は、噂に聞いていた『我儘令嬢』とは似通いのないものだった。

 なんなら、噂を疑ってしまう程に、リリアーナは淡々と指示を告げてくれる。


(でも…だからこそ、誰も近づかないのかも)


 拒絶ではない。

 最初から“入り込む余地がない”。

 そのとき。

 ツン、と鼻を刺すような匂いが、ふっと強くなった。


(……あれ)


 顔を上げる。


 視線が、自然と温室の奥へ引かれる。

 閉じられている(と記憶にはある)はずの区画。

 その扉が、わずかに開いていた。

 その隙間から、微かに“白い靄”のようなものが見えた気がした。


(……今の、なに)


「終わったのなら次に移るわよ」


 リリアーナの声で意識が戻る。


「あ、はい」


 立ち上がる。

 その瞬間。


 ——ガタンッ!!


 奥から、大きな音が響いた。

 空気が一気に張り詰める。


「……何?」


 リリアーナが眉をわずかに寄せる。

 初めて見せた“明確な反応”だった。

 同時に、さっきの匂いが一気に強くなる。

 喉が、わずかに焼けるような感覚。


(やばい)


 理由はわからない。

 でも、確信だけがあった。


(あそこ、絶対にやばい)


 私は飛び出したい思いをこらえ、リリアーナに聞く。


「その、あちらに行ってきてもいいでしょうか?」

「無意味な行動は不要よ」


 リリアーナは、突き放すような冷たい声で、こちらを見向きもせずに言葉を放つ。


 ガタッ!


 またも大きな音がした。

 今度は対して気に留めていないようで、皆薬草記録に熱中していた。

 でも、私は目前にある危険に、堪えられなかった。


 気づけば、走り出していた。


「ちょっと、あなたどこへ——」


 背後の声は、もう聞いていなかった。

 扉を押し開ける。

 きしむ音と同時に、むわっとした空気が押し寄せる。

 中は、明らかに様子が違っていた。

 棚の上で、複数のガラス容器が不安定に傾いている。

 一つはすでに倒れ、液体が床に広がっていた。


 そして。


 白い靄のようなものが、ゆっくりと広がっている。


(……これ、吸ったらダメっぽいな…)


 本能的にそう理解する。

 さらに視線を落とす。

 床板がずれている。

 踏めば崩れる位置。

 つまり。


(これ、誰かが踏んだら全部落ちる)


 そして、そのタイミングで——


(リリアーナが来たら)


 背筋が冷える。

 そして、私の危惧する状況は現実になろうとしていた。


「もう、あなた、急にどこへ行くのよ?」

「へぇあ!?」


 意識せず後ろから聞こえた声に、飛び上がるように変な声を漏らしてしまった。


(な、なんでリリアーナ、ついてきてるの)

(それよりも、まずい——!)


 考えるより先に体が動く。 


 床板を避け、踏み込む位置を変える。

 手を伸ばし、傾いた容器を押さえる。

 重い。

 滑る。

 薬剤の匂いが、さらに強くなる。


(っ……)


 喉が焼ける。

 目が、わずかに痛む。

 それでも、手は止めない。


 一つ。

 もう一つ。


 崩れかけたバランスを、無理やり戻す。

 ガラスが軋む音。

 今にも割れそうな感覚。


(落ちるな……っ)


 息を止める。

 数秒。その数秒が、何時間にも感じられた。

 やがて、揺れは収まった。

 沈黙。


(……止まった)


 その瞬間、力が抜ける。

 けれど同時に、足元で何かが滑った。


「っ——!」


 バランスを崩す。

 体が前に傾く。

 そのまま倒れれば——

 床に広がった薬剤に、触れる。


 瞬間。

 腕を強く引かれた。


「何をしているの!」


 鋭い声。

 気づけば、リリアーナに腕を掴まれていた。

 距離が、近い。

 彼女の眉がはっきりと寄っている。

 怒りとも焦りともつかない表情。


「危険でしょう」


 低く、強い声。


「……すみません」


 息が少し荒い。

 喉がひりつく。


 リリアーナは一瞬、室内を見渡す。

 白い靄。

 倒れた容器。

 そして、足元の床板。

 視線が、止まる。

 明確に、“違和感”を捉えた目だった。


「……これは」


 小さく、呟く。

 そのとき。

 外から足音が近づいてきた。


「今の音は何だ!」


 教師の声。

 複数の気配。


(これはまずい)


 反射的に視線を落とす。

 足元。

 薬剤のすぐそばに、一枚の紙が落ちていた。


 「行くわよ!」というリリアーナの声を無視し、私は薬剤の上に浮いていた紙を拾い上げる。


 そこに書かれていた名前を見た瞬間。

 背筋が凍る。


(……なんで)


 リリアーナ・フォン・アルヴィン。

 薬剤使用記録。


(これ、このままだと)


 事故。

 薬剤。

 現場にいたのは彼女。


(全部、繋がっちゃうじゃん…)


 ガタタンッ…ガタン


 扉が開かれた音が聞こえたことに焦って、紙を握り潰すようにして隠す。


「無事か!」


 教師と数人の生徒が入ってくる。

 視線が、一斉にこちらへ向く。

 リリアーナと、そして——その“現場”。

 割れかけた容器。

 広がる薬剤。

 そして、“そこに立っている彼女”。

 一瞬の静寂。

 疑念が、生まれるには十分だった。

 その空気を、私ははっきりと感じていた。


 けれど。


「……問題ありません」

「そ、そうか、ならいいが…」


 話しかけられる前に、自分から報告する。

 リリアーナの声は、驚くほど静かだった。


 動揺はない。

 言い訳もしない。


 ただ、事実だけを切り取るような声音。

 その姿が、逆に——危うかった。

 廊下に出たあと。


「あなた」


 呼ばれる。

 突然のことに慌てて後ろを振り向く。


 リリアーナが、こちらを見ていた。

 ほんの少しだけ、呼吸が浅い。

 けれど、目は揺れていない。


「さっきの」


 一拍、間を置く。


「……無意味ではなかったわね」


 静かに落ちる言葉。

 感謝ではない。

 評価でもない。

 それでも。


 “切り捨てない”という意思だけが、確かにそこにあった。


 そして。


 その視線が、ほんの一瞬だけ。

 エリシアの握った手元に向けられていたことに——私自身は、まだ気づいていなかった。

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