元・グラジオラス
「さあ諸君、覚悟はいいか」
どうした秀、なんだお前のその口調は。
「ここから先は戦争だ。まずは頑張った斎をとにかく褒めること。そしてその後が重要だよ。僕たちが選んできたこのシュークリーム。これのうちどれを斎が食べたいと言うか、どれを欲するのか。斎に選ばれたシュークリーム君だけが、彼のあの可愛いお口へ運ばれる」
おい誰かツッコんでくれ。
俺はもうさっきのシュークリーム選びだけで疲れたんだ、ツッコミ役は降ろさせてくれ。
まあ誰か一人くらいはこのおかしい秀を止められ……あ、いや、ダメだ。未来以外のみんな真剣な顔で聞いてる。嘘だろ。
明らかに通常モードの未来を見ていると、視線に気付いたようで、こちらに顔を向けて秀から見えないように口をパクパクさせた。
何だ、何て言ってるんだ。
読唇術なんてできやしないのだが、なんとか頑張ってその動きを読み取ってみる。
(う、う、あ……お)
──ああ。
『秀がおかしい』
俺も同じだぞ未来。よかった、俺だけにおかしく見えてるんじゃなくて。
「ではこれより、『シュークリーム争選挙』を開催する。誰のシュークリームが選ばれても一切文句はなしだ。よろしいか」
「「「ラジャー!!」」」
秀の高々と掲げた名目に、元気よく返事をする長谷川と阿部、加藤。
お前らもどうした。
もう口に出して言う元気もない。秀を筆頭に、一列になって研究所の扉を開け歩いていく彼らの背中を見ながら、こそっと未来に問いかけた。
「なあ、秀がおかしくなったのはどこからだ」
確実にいつも通りでない秀に目をやる未来は、んーと考えてから微笑を浮かべた。
「まあでも、斎から連絡があった時点でちょっと変だったけどね。ずっと頑張ってた結果が形になったんだもん。それを見続けてきた秀には、今回のことは本当に……ああしておかしくなっちゃうくらい嬉しいことなんじゃないかな」
「……ま、そうだよな」
初めてのキューブができて、改善を強いられてほぼ九年。
生半可な覚悟でできることじゃないし、それをそばで見守って、一緒にやってきた秀が喜ぶのも当たり前か。
「隆、置いていかれちゃう」
未来の心配通り、周りが見えていない秀達一行は、動かない俺達に構うことなくもう既に中までズンズン突き進んでいた。
このまま先に行かれてしまっては、シュークリーム以外の買った菓子系統を全部持っている俺に気付かず、あたふたする秀の姿が目に浮かぶ。
急がなければと足を踏み出そうとすると、あることに気付いた。俺が研究所に来るのは、なんだかんだ初めてなのだということに。
でもなんて言うか、本部よりもこっちの方が生き生きわいわいしてる気がする。責任に追われる本部と違って、どんなにキツくとも前を見続ける場所だからだろうか。
普段来ない場所にキョロキョロしている俺とは反対に、未来は勝手知ったるって感じでいつも通りに前を向いて歩いていく。
プロジェクトの関係とかで、何度か来たことがあるのかもしれない。
とある部屋の前でようやく俺達がいないことに気が付いた秀が、早く早くと手をブンブン振った。
少し歩みを速めてみんなと合流すると、嬉しそうな顔の秀が静かに言う。
「開けるよ」
ノックを三回、コンコンコン。
知ってる、今のノックの仕方は面接とかで使う大人向けのやつだ。
研究においては斎は『偉い人』になるんだろうし、少し気を遣うのかも……
「斎ー! きたよー!」
前言撤回。なんも考えてないらしい。
秀にしては珍しい大きな声で知らせて扉を開けた時、目に飛び込んできたもの。
「秀ぅううう!! 俺、できたああ!!」
それは、満面の笑顔を携えた、とてつもなく『明るい』斎。
「わぁ!?」
体当たりでもしてきたのかと思うほどの勢いで秀に抱きついてきて、危うく秀が持ったシュークリームの袋が落ちるところだった。
「お、お疲れ様、斎」
驚きの余りそれ以外言えない秀に、「おうっ」と短く返した斎は、すぐに俺たちがいることにも気が付いて、ぱっと更に表情を明るくさせる。
──ああ。
「おー、みんなも来てくれたのか! ありがとな」
斎だ。
いつも明るい、俺たちのムードメーカー。
本来の、谷川斎だ。
ニカッと太陽みたいに笑う彼を見るのは、いつぶりだろうか。
「おっつかれい谷川!」
「谷川君、お疲れ様。頑張ったね」
「谷川、ワシは何も言わん。じゃがな、よお頑張った!!」
「言ってるじゃない」という秀のキレのいいツッコミが、長谷川、阿部に続いて言った加藤に入る。ようやくこっちも元に戻ったらしい。
言ってやりたかった二つの言葉が先に言われてしまって、俺はなんて声を掛けようかと悩む。
すると隣にいる未来の方から、聞き慣れたカリカリ、チキチキという形容し難い音が鳴った。
目をやると、左手には展開して貼り付いたキューブと、『樹』の文字。
何をするのかと思えば、未来は両手を少し開いて一つの技名を口にした。
「【育め生命よ】」
未来の言葉に、手の間に一つの葉っぱが現れた。
それがどんどん数を増して、大きくなっていく。
ほんのわずか数秒で、未来の手にはピンク色の花をつけたスラリと長い植物の束ができあがる。さらに【パルプ】で作った綺麗な紙で、その花を丁寧に包みあげた。
「斎」
わいわい楽しそうに談笑する斎に、華やかな花束が向けられる。その存在に気付いた彼へと、微笑みを浮かべた未来の口から伝えられた言葉。
「キューブ完成、おめでとう」
(……ああ)
その瞬間、気付かされた。
きっと、俺だけじゃない。ここにいるみんながハッとしたと思う。
だってあまりにも。あまりにも、斎が頑張っていたということが目に焼き付いていて。
ずっと向き合っていたことが頭に記憶されていて。
だからこそ……その言葉を忘れていた。
一番大事な、斎へ伝えるべき大事な言葉だというのに。
「そうだな。まずは、おめでとうだよな」
自嘲気味に少し笑って、俺も斎にその言葉を贈る。
ありがとな、未来。伝えてくれて。
驚きと、感動が入り混じったような顔で静止している斎は、目の前にある花束と未来の顔を交互に見た。
そして、なんとか俺達にも聞こえるくらいの小さな声で、花の名前を呟いた。
「ピンク色の……グラジオラス。確か、花言葉は……」
そこまで言った斎は、急に、本当に急に、ボロボロと泣き始めた。
その泣いた理由がわからなくて、俺を除く全員が動揺して声を掛けた。その中には渡した本人、未来もいる。
泣きながら、花束を受け取って優しく胸に抱える斎に、どうしたのと。
でも俺にはわかるよ。
斎が泣いてしまった、その理由。
グラジオラスの花言葉。
全体としては、密会、用心、思い出、忘却、勝利。
だけど、『色別』での花言葉には、違う意味があるもの。
いつだったか、一人連想ゲームで未来が言葉にしていたのを思い出す。
白は、密会。
赤は、堅固、用心深い。
紫は、情熱的な恋。
そして、未来が斎へと贈った──ピンクのグラジオラスの花言葉は。
「……たゆまぬ努力」
頑張りを認めてくれる人がいる。
ずっと頑張り続けてきたことを知っている。
だからこそ、祝いを意味する花を使うのではなく、その『努力』を称える花を贈る。
斎にとって、これ以上ない賞賛の言葉。
「あり、がと。ありがと、相沢……っ」
泣きながら、気持ちを溢れさせながら、感謝の言葉が未来に告げられる。
その言葉で、泣く理由が分からずともどんな想いでいるのかが分かった秀は、珍しく……もらい泣きをしていた。
花束を潰さぬよう少し体をずらして斎を抱きしめ、「頑張ったもんね」と、背中をさする。
我慢の限界か、それとも我慢は必要ないと知ったのか。
二人はいっぱいいっぱいになってしまった気持ちに逆らうことなく、抱き合って、大声で泣いていた。




