第四話 王の沈黙と、暴かれた王宮の罪
王都に、一通の書状が届けられた。
差出人はグランツ辺境伯。
宛先は国王その人だった。
内容は簡潔だった。
王国の国防費に重大な不正が発覚したこと。
複数の辺境伯領で同様の被害が確認されていること。
そして、その不正に王宮財務局と王妃の実家である公爵家が関与している疑いがあること。
ーー国王ローデリックは、その書状を読み終えると、しばらく沈黙した。
「……グランツ辺境伯を呼べ」
「陛下、王妃殿下にもご報告を?」
「いや。まだ知らせるな」
国王の表情は険しかった。
実のところ、国王には心当たりがあった。
数年前から軍事費の支出報告に不自然な点があることは把握していた。
しかし、王妃の実家である公爵家は王宮内で大きな影響力を持っている。
彼らを追及すれば王妃との関係が悪化する。
貴族派閥も動揺する。
だから国王は、問題を先送りにしていた。
自分が責任を負わずに済むように。
国を守るためではなく、自分の地位を守るために。
そして、その代償を払わされていたのは、国境を守る兵士たちだった。
三日後。
王宮の謁見の間には、国王、王妃、第一王子、王妃の実家である公爵家の当主、そして主要な大臣たちが集められていた。
その中央に、グランツ辺境伯アルベルトとベルベットの姿があった。
十二歳の少女が国王の前に立つ。
それだけでも異例のことだった。
「グランツ辺境伯。此度の申し出について説明せよ」
「承知いたしました、陛下」
アルベルトは一礼し、数冊の帳簿を差し出した。
「こちらは過去五年間の国防費の支出記録です。王宮から各国境地域へ割り当てられた予算と、実際に届いた物資の金額を照合いたしました」
財務大臣が帳簿を受け取る。
ページをめくるうちに、その顔色が変わっていった。
「これは……」
「記載された金額と実際の支出額に大きな差がございます」
アルベルトは淡々と説明を続けた。
「さらに、資金の流れを調査したところ、王妃殿下のご実家であるヴァルド公爵家の商会を経由して、不自然な送金が繰り返されておりました」
「馬鹿な!」
ヴァルド公爵が立ち上がった。
「そのようなもの、何かの間違いだ! 我が家が国防費を横領するなどあり得ん!」
「では、こちらをご覧ください」
アルベルトは別の書類を差し出した。
そこには、送金日、金額、受取人、そして取引に関わった商会の名前が詳細に記されていた。
「この送金先は、すべて公爵家と関係のある商会です。さらに、その資金の一部は王妃殿下の新しい宮殿の改装費用、王宮舞踏会の開催費用、そして公爵家の私有地に建設された別邸の費用に充てられております」
謁見の間がざわめいた。
「王妃殿下の宮殿ですと?」
「まさか、軍事費を舞踏会に?」
「国境の兵士たちが困窮しているという話は本当だったのか……」
王妃マルグリットは顔を赤くした。
「無礼です! わたくしがそのようなことを命じるはずがありません!」
アルベルトは静かに答えた。
「命じたかどうかは、これから調査すればよろしいかと存じます」
「辺境伯! あなた、誰に向かって口を利いているのです!」
「国王陛下にございます」
その一言で、王妃は言葉を失った。
「待て」
それまで黙っていた国王が口を開いた。
「その書類だけでは、横領の証拠として不十分ではないか?」
アルベルトは国王を見つめた。
「もちろんでございます。そこで、こちらをご用意いたしました」
彼が合図をすると、二人の騎士が謁見の間に入ってきた。
その後ろには、一人の初老の男性がいた。
「こちらは、元王宮財務局の会計監査官、オズワルド・ベネット氏です」
男性は震える手で国王に一礼した。
「陛下。私は五年前まで、王宮財務局に勤めておりました」
「何をしに来た?」
「真実を申し上げるためにございます」
…..彼は深く息を吸った。
「五年前、私は国防費の不正を発見いたしました。ところが、その報告書は財務局長によって握り潰されました」
「なぜだ?」
「ヴァルド公爵家から圧力を受けたためです」
公爵が怒鳴った。
「証拠はあるのか!」
「ございます」
男性は懐から一枚の古い書類を取り出した。
そこには、当時の財務局長と公爵家の家臣の署名が残されていた。
さらに、国防費の一部を王妃の実家へ移すよう指示した記録もあった。
「私はこの件を陛下に報告しようとしました。しかし、報告書は陛下の側近を通じて差し戻されました」
国王の顔が強張った。
「……何だと?」
「そのとき、私はこう告げられました。陛下はこの件をこれ以上大きくすることを望んでおられない、と」
謁見の間が静まり返った。
アルベルトは国王を見つめた。
「陛下。これはどういうことでしょうか?」
国王は答えなかった。
それこそが答えだった。
「そんなもの、でたらめですわ!」
王妃が叫んだ。
「わたくしは何も知りません! 公爵家が勝手にしたことでしょう!」
公爵もすかさず口を開く。
「そうです! 私は王妃殿下の名を利用した者たちに騙されていたのです!」
二人は互いに責任を押し付け始めた。
その様子を見ていたベルベットは、静かに一歩前へ出た。
「王妃殿下」
「何です!」
「先日、わたくしは王妃殿下にお尋ねいたしました。兵士たちに支給されるはずだった軍事費がどこへ消えたのか、ご存じでしょうかと」
「子供のあなたに何が分かるというのです!」
「分からないこともございます。ですから、調べました」
ベルベットは一冊の帳簿を取り出した。
「こちらは、グランツ辺境伯家が独自に調査した物資購入記録です。王宮から支給されたとされる防寒具は三千着。しかし実際に国境へ届いたのは千二百着でした」
「それがどうしたというのです!」
「差額の千八百着は、どこへ行ったのでしょうか?」
ベルベットは別の書類を広げた。
「調査したところ、王都の商会が同じ時期に大量の防寒具を仕入れています。その商会はヴァルド公爵家と取引があり、さらに王妃殿下のご親族が経営に関わっておりました」
王妃の顔から血の気が引いた。
「そのようなこと……」
「兵士たちは、古い外套を繕って冬を越していました」
ベルベットの声が、ほんの少しだけ低くなる。
「その一方で、王都では新しい舞踏会場が建設され、王妃殿下の別邸には高価な家具が運び込まれていたそうですね」
「黙りなさい!」
「わたくしは、王妃殿下を責めたいのではございません」
ベルベットは王妃をまっすぐに見た。
「ただ、知っていただきたいのです。王妃殿下が美しいドレスをお召しになっていたその日に、国境の兵士は凍える夜を過ごしていたということを」
誰も口を開かなかった。
「国を守る兵士たちは、王妃殿下の贅沢のために剣を握っているのではありません」
ベルベットはゆっくりと頭を下げた。
「どうか、彼らの犠牲を無駄になさらないでくださいませ」
十二歳の少女の言葉だった。
しかし、その場にいた誰よりも重く響いた。
「もうよい!」
国王が立ち上がった。
「ヴァルド公爵。王妃マルグリット。財務局長を含む関係者全員の身柄を拘束せよ。王宮監察官による正式な調査を開始する!」
「陛下!」
王妃が悲鳴を上げた。
「わたくしを疑うのですか! あなたの妻ですよ!」
「黙れ!」
国王の怒声が謁見の間に響いた。
「これ以上、王家の恥を晒すわけにはいかん!」
その言葉に、ベルベットは静かに目を伏せた。
王家の恥。
国王は、まだ分かっていない。
問題は王家の面目ではない。
兵士たちの命であり、国民の生活であり、国の未来なのだ。
そして、さらに重大な事実が明らかになる。
調査が進むにつれ、軍事費の横領だけではない、王宮の深い闇が次々と浮かび上がった。
王妃の実家は、国防費だけでなく、孤児院への補助金や貧困地域への食料支援金にも手をつけていた。
本来、冬の食料不足に苦しむ村々へ届けられるはずだった穀物は、公爵家とつながりのある商人に安値で売却されていた。
その商人たちは穀物を買い占め、価格を吊り上げて民衆に売りつけていた。
さらに王宮財務局は、王妃の実家に反対する貴族たちの領地に対して、意図的に予算を減らしていた。
ーー王家に逆らえば、領地の財政を締め付けられる。
そんな恐怖政治が、長年にわたって行われていたのだ。
そして、最も衝撃的だったのは国王自身の関与だった。
国王は数年前から不正の疑いを把握していた。
それでも王妃との関係悪化を恐れ、調査を止めるよう側近に命じていたのである。
つまり、国王は知らなかったのではない。
知りながら、何もしなかったのだ。
その夜。
王宮の一室で、国王は一人、机に向かっていた。
目の前には、グランツ辺境伯家から提出された調査資料が積み重なっている。
「……私は、何をしていたのだろうな」
誰に向けた言葉でもなかった。
国王は王冠を外し、両手で顔を覆った。
そのとき、扉が開いた。
「父上」
第一王子エドワードだった。
「何を落ち込んでいるのですか? 母上が少し怒られただけでしょう?」
国王は顔を上げた。
「エドワード。お前は今日の話を聞いていたのか?」
「ええ。でも、あんなものは大げさですよ。グランツ辺境伯が大げさに騒いでいるだけです」
「国防費が横領されていたのだぞ」
「だから何です? 兵士には給料を払っているのでしょう?」
国王は言葉を失った。
「国を守る者たちが、どれほど苦しい思いをしていたか分からないのか?」
「そんなことは臣下に任せればいいでしょう。僕は王になるのですから」
その言葉を聞いた瞬間、国王は悟った。
自分は王妃を止められなかっただけではない。
息子にも、何ひとつ教えてこなかったのだ。
「……下がれ」
「父上?」
「下がれと言っている!」
エドワードは不満そうに顔をしかめ、そのまま部屋を出ていった。
国王は、閉じられた扉を見つめた。
そして、震える声で呟いた。
「私は……この国を、誰に任せようとしていたのだ」
一方、グランツ辺境伯邸。
ベルベットは窓辺に立ち、夜空を見上げていた。
「お嬢様」
家令セバスチャンが声をかけた。
「どうしました?」
「王宮から報告が届きました。王妃殿下のご実家であるヴァルド公爵家の関係者が、次々と拘束されているとのことです」
「そうですか」
「しかし、ひとつ問題がございます」
「何でしょう?」
「第一王子殿下は、ご自身の婚約者であるお嬢様が王家を裏切ったと考えておられるようです」
ベルベットは小さく息を吐いた。
「……そうですか」
「いかがなさいますか?」
ベルベットは振り返り、静かに微笑んだ。
「何もいたしません」
「何も、でございますか?」
「わたくしは王家を裏切っておりませんもの。裏切ったのは、国民を守るという王家の責務を忘れた方々です」
その言葉に、セバスチャンは深く頭を下げた。
「お嬢様のおっしゃる通りでございます」
ーーベルベットは再び窓の外を見た。
王家の闇は、ようやく表に出始めたばかり。
しかし、まだすべてが終わったわけではない。
国王は責任を認めたものの、自らが犯した罪を償う覚悟があるのか。
王妃は本当に罪を認めるのか。
そして、第一王子はこれから何をしでかすのか。
ベルベットはまだ知らない。
王妃と公爵家が追い詰められたことで、エドワードが取り返しのつかない行動を起こそうとしていることを。
王家の崩壊は、まだ始まったばかりだった。




