第3話
「あぁ。行くやつなんて、人生諦めたジャンキーか、狂った放浪者ぐらいしかいない」
ユウナギは、義手の指先でゴーグルの縁を弾きながら、重苦しい事実を続けた。
北の街のはずれ、旧シブヤへと続く『第零セクター』。そこは単なる放棄地帯ではない。かつての戦いと、その後の環境激変によって滞留した高濃度の有毒ガスが、常時渦巻いている死の領域だ。防護装備なしで足を踏み入れれば、数分で肺が焼け爛れる。
復興本部の権限で完全立ち入り禁止となっているのも、単なるルールではなく、物理的な致死率の高さゆえだった。
『確かに……』
トオルは、ホログラムの腕を組み、険しい表情を作った。彼自身も、ネットワーク越しにそのエリアの危険性は幾度となく耳にしている。
『俺はデータだ。肉体を持たない今の俺自身は、物理的にそこへ向かうことはできない。毒ガスも瓦礫も、俺には効かないが……干渉もできない』
「だからこそ、俺たちが行って、その義体(器)を引っ張り出してくる必要があるんだろ?」
『いや、そうだけどな! だからといって、そんなあからさまに危険な場所だとわかっているのに、お前たちを行かせることはできない』
トオルはホログラムの体を前のめりにし、強い口調で反論した。
俺だって馬鹿じゃない。ミラ=コアの残存データにアクセスすることは可能だ。だが、あの第零セクターに関しては、不自然なほど情報が欠落している。完全に放棄された場所であることは間違いないが、この後さらにシステムの深層を漁ったとしても、おそらく精確な座標や間取り図程度しか出てこないだろう。
そこに何が潜んでいるのか、未知の防衛システムが生きているのかすら、わからないのだ。
「……んで。ユウナギ。アンタは、どうしたいの?」
二人の言い合いを制するように、アオイが静寂を破った。
彼女の声は、先ほどまでの驚きから一転して、ひどく落ち着いた、底冷えするような冷静さを帯びていた。それは、レジスタンス『NOVA』を率いて地獄を潜り抜けてきた、リーダーとしての顔だった。
「向かいたいさ」
ユウナギは真っ直ぐにアオイの目を見た。その声に迷いはない。
「だが、気合いだけでどうにかなる場所じゃない。技術的にな。高濃度の汚染に対応できる軍事規格の防毒マスクも、耐環境スーツも必要だ。……リーダーの許可が降りるなら、俺のツテを全部使ってすぐにでも装備の調達と準備を始める。時間をくれ」
「わかった」
アオイは、一切の逡巡を見せず、短く、冷静に返した。
「……いいのか?」
その即答ぶりに、逆にユウナギの方が半信半疑になり、思わず問い返した。トオルを止めるでもなく、計画を却下するでもない。あまりにもあっさりとした承諾だった。
「えぇ。私がここで止めたって、アンタはどうせ無駄でしょ? ……もうすでに、頭の中で準備の算段に取り掛かってるんでしょ?」
「……ははっ、バレてたか」
ユウナギは、バツが悪そうに首の後ろを掻きながら、ニヤリと笑った。確かに彼の頭の中では、裏ルートのどの業者から防毒フィルターを買い叩くか、すでに見積もりが始まっていた。
「早くしてきなさい。期限は一週間。一週間後の今日、装備と計画の完璧なプランを提出すること。そこで、この作戦の最終的な可否を私が認めるわ」
「ありがとな! リーダー! 一週間だ、最高のプランを練り上げてやるよ!」
ユウナギは勢いよく立ち上がると、義手でバシッと額に敬礼のような仕草をし、入ってきた時と同じように慌ただしい足取りで執務室から出て行った。
バタン、と重い扉が閉まる音が響く。
あとに残されたのは、マグカップから微かに湯気が立ち上る静かな執務室と、アオイ、そしてトオルのホログラムだけになった。
部屋には、先ほどの喧騒が嘘のような、奇妙な静寂が降りていた。
「……やっぱり、私たちが行くのは不安?」
アオイは、デスクに寄りかかりながら、ぽつりとトオルに問いかけた。その声は、先ほどの「リーダー」としての冷たさが抜け、少しだけ柔らかく、気遣うような響きを含んでいた。
『不安というより……嫌な予感しかしないんだ』
トオルは、苦渋に満ちた顔で答えた。
『ミラ=コアが隠していた全身義体。放棄された第零セクター。……すべてが不気味だ。俺が肉体を取り戻せるかもしれないのは確かに奇跡みたいに嬉しいが、お前たちをそんな得体の知れない危険に晒してまで……』
「作戦の可否は、ユウナギが持ってくるプランによって決めるわ。まだ、絶対に行くって決まったわけじゃないわ」
アオイはトオルの言葉を遮るように、静かに言った。
「でもね。トオルの体が……たとえそれが義体だったとしても、もう一度この世界に戻ってくる可能性が少しでもあるなら。私は、この作戦に賛成したいの」
『アオイ……』
「だから、そのためにも。トオルには今まで以上に、情報収集とバックアップをお願いしたいわ。私たちじゃ見つけられない、システムの奥底にあるリスクを洗い出して」
彼女の瞳には、強い光が宿っていた。かつて自分を救うために命を投げ出したトオルのために、今度は自分がリスクを背負う。その覚悟が決まっている目だった。
『……あぁ。そうだな』
トオルは一つ深呼吸をするようにホログラムの胸を上下させると、力強く頷いた。
『決まったわけでもないし、もし行くことになったとしても……システム側からのフォローは、すべて俺に任せてくれ。絶対に、お前たちに傷一つ負わせないよう、最高のアシストをしてやる』
「助かるわ」
アオイはふっと微笑むと、デスクから離れ、ジャケットを羽織りながら席を立った。
『どこ行くんだ?』
「少し歩いてくるわ。なんだか、無性に散歩したい気分になって。……少し出てくるわね」
そう言うと、アオイは颯爽とした足取りで、執務室から出て行った。
一人(と一つのデータ)残されたトオルは、閉まった扉をじっと見つめながら、己の演算領域のすべてを旧ミラ=コアのネットワーク深層へと向かわせた。
嫌な予感を、ただの杞憂で終わらせるために。
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前作はこちらから
SHIBUYA・Reboot
https://ncode.syosetu.com/n9982ks/
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