第2話
「はぁっ……はぁっ……!」
ドンッ、と執務室の扉を乱暴に開け放ったユウナギは、そのままふらつくような足取りで部屋の中央まで進むと、近くにあった来客用のソファにドサリとへたり込んだ。
額には大粒の汗が浮かび、肩で大きく息をしている。常に飄々としていて、どんな危険なハッキングの最中でも涼しい顔を崩さなかった彼にしては、異常なほどの取り乱し方だった。
『ユウナギ、一回落ち着け。深呼吸だ』
ホログラムとして投影されているトオルが、両手を前に出して宥めるように言った。
先ほどの「肉体を戻せるかもしれない」という衝撃的な発言に、トオル自身も内心では激しく動揺しているはずだ。だが、彼はあえて冷静な、いつものトーンを作っていた。
『肉体が戻るって、どういうことだ? ちゃんと順を追って話してくれ』
「ほんとよ。心臓に悪いわ」
アオイも同調しつつ、自分の心を落ち着かせるように、淹れたてのコーヒーをゆっくりと一口啜った。温かい液体の香りが、部屋に充満していた緊迫感をわずかに和らげる。
「……あぁ、すまねぇ。ちょっと、いきなりすぎたな」
ユウナギは大きく「ふぅーっ」と息を吐き出すと、オレンジ色のゴーグルを額の上にずり上げ、充血した目で二人を見た。
「トオルがあの夜、ミラ=コアの中枢システムと同化しただろ? あの時、奴らのネットワークの深層から、俺の手元に莫大な量のアーカイブファイルが流れ込んできたんだ。ここ数ヶ月、裏でずっとその暗号化を解いて一つひとつ解析してたんだが……」
ユウナギはそこで言葉を区切り、義手である右手をグッと握りしめた。金属の関節が軋む小さな音が鳴る。
「ついさっき、妙なプロジェクトの隠しファイルを見つけた。『人間の身体を完全に模倣した義体』を作成していた記録だ」
「義体だと?」
トオルが怪訝そうに眉をひそめる。
「あぁ。俺たち下層の人間やNOVAの連中だって、腕や足、人によっては内臓の一部を機械化してる奴はいくらでもいる。だが、あくまで『一部』だ」
ユウナギの言う通りだった。
この時代、サイボーグ技術は普及しているが、それはあくまで生存のための補助に過ぎない。もし身体のすべてを機械化してしまえば、生体組織と機械の拒絶反応や、特殊な金属パーツから発生する微量な毒素が脳神経を侵し、遅かれ早かれ死に至る。だからこそ、どれだけ狂った機械化ジャンキーであっても、脳や脊髄、核となる臓器は生身のまま残しておくのが常識だった。
「もし仮にだ。身体のすべてを機械化できたとして、最後に残るのは『知識』や『自分自身の記憶』……つまり、己の精神だけになる」
「……」
「だが、今のトオルの状態はそれと真逆だ。お前は精神としては完全に存在しているが、肉体という『器』が存在していない」
ユウナギが言わんとしていることに気づき、アオイは息を呑んだ。
『待て待て、言いたいことはわかってる』
トオルは一つため息をつき、自らのホログラムの胸のあたりを指差した。
『現状、俺は精神をAIとしてネットワークに取り込み、こうしてホログラムで体を模倣して投影しているだけだ。だが……もし、ミラ=コアが残したその『全身義体』とやらが使えるなら、俺の精神データをそいつにダウンロードして、模倣人間として復活できる……ってことか?』
「そういうことだ。器さえあれば、お前はもう一度、物理的にこの世界に干渉できるようになる」
静かな部屋に、ユウナギの言葉が重く響いた。
肉体を取り戻す。それはトオルにとって、そして彼にもう一度触れたいと密かに願い続けていたアオイにとって、喉から手が出るほど欲しい奇跡だった。
だが、アオイは湧き上がる期待を必死に押し殺し、冷静な思考を働かせた。
「にしても……なんでミラ=コアはそんな『全身義体』なんてものを開発していたの?」
アオイの根本的な問いに、ユウナギは気まずそうに頭を掻いた。
「それがわからないんだ。データをいくら探しても、肝心な目的のプロジェクトファイルは破損しているか、意図的に消去されてやがった。もっとシステムの奥深くまで潜ればわかるかもしれないが……ただの兵器開発だったのか、それとも別の狂った実験だったのか」
ミラ=コアのやることだ。純粋な善意でそんなオーバースペックな代物を作っていたとは到底思えない。何か、おぞましい裏の目的があったはずだ。
『なるほどな……。でも、その義体は実際に完成していたのか?』
トオルが腕を組み、現実的な問題を口にした。
『設計図だけなら意味がない。それに、完成品があったとしても、俺たちがミラ=コアのタワーを崩壊させたあの時に瓦礫の下敷きになってるんじゃないか? そもそも残っているかどうかも怪しいぞ』
トオルの指摘に、部屋の空気がスッと重くなった。
確かに、ミラ=コアの本社ビルをはじめ、多くの研究施設はあの夜の戦いで崩壊している。奇跡的に一部の地下施設などが残っていたとしても、デリケートな全身義体が無傷で保管されている保証などどこにもない。
見えない壁にぶつかり、三人の間に沈黙が降りた。
その重苦しい空気を切り裂いたのは、アオイだった。
彼女はマグカップをデスクに置くと、真っ直ぐにユウナギを見据えた。
「んで、ユウナギ。アンタがわざわざ執務室のドアを蹴り破ってまで慌てて入ってきたってことは……少なくとも、その保管場所の『見当』ぐらいはついているのよね?」
「……ふっ、さすがリーダー。鋭いな」
ユウナギはニヤリと口角を上げると、ゴーグル越しに真剣な目を向けた。
「あぁ。見当はついている。だが……行くのはかなり厳しいぞ」
『どこだ?』
「北の街のはずれだ。旧ミラ=コアの、放棄された第零セクター」
その言葉を聞いた瞬間、トオルのホログラムが微かにノイズを走らせ、アオイの顔からスッと血の気が引いた。
『なんだって? あんなところに行けるやつなんて、今はいないだろ』
トオルの言う通りだった。
北の街のはずれ。そこは、復興が進む今のシブヤから完全に切り離された隔離地帯だ。かつて最も深く、もっとも腐臭のする『旧シブヤ地下街』へと繋がる唯一の道であり、現在でも高濃度の有毒ガスと汚染物質が滞留しているため、復興本部の権限で完全な立ち入り禁止区域に指定されている場所だった。
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前作はこちらから
SHIBUYA・Reboot
https://ncode.syosetu.com/n9982ks/
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