第1話
澄み渡る青空の下、重機が瓦礫を片付ける駆動音と、人々の活気ある声が響き渡る。
かつて絶望と混沌に支配されていた旧ミラ=コアの足元――シブヤの街は、今、確かな鼓動を取り戻しつつあった。
真新しいプレハブの店舗や、修復されたばかりの電子看板が立ち並ぶメインストリートを、アオイは軽やかな足取りで歩いていた。すれ違う人々は皆、泥臭くも希望に満ちた顔で汗を流し、復興作業に精を出している。
『なぁ、アオイ。例の第三ブロックの配電インフラ再建の件だけど』
不意に、脳内に直接語りかけてくるようなクリアな声が響いた。
視界の端に表示された同期サイン。肉体を持たない電子の存在となった彼――トオルの声だ。
「あの計画ってことでしょ? えぇ、それは大丈夫そうよ」
アオイは周囲に人がいないことを確認すると、インカムのスイッチに触れることもなく、頭の中の彼へと返事をした。
『そうか。……頼むから、また爆発なんて起こすなよ?』
「そ、それは、もう! うるさいっ!」
からかうようなトオルの言葉に、アオイは思わず頬を赤くして声を荒らげた。先日、アオイの不注意でデータ圧縮炉の冷却指示を見落とし、爆発事故を起こしてしまった時のことを蒸し返されたのだ。
『ははっ。まぁ、あの時はお前のおかげで死者は出なかったからいいけどな』
「次からはちゃんとアンタの計算データも確認するわよ。……まったく」
呆れたようにため息をつきながらも、アオイの口元は自然と緩んでいた。
彼の姿は目には見えない。それでも、アオイにはトオルがすぐそばで一緒に歩いてくれているような確かな温もりを感じていた。あの一件――シブヤを救うための死闘を経て、二人の関係は以前よりもずっと深く、強い絆で結ばれていたのだ。
「あ、アオイさん! 昨日は物資のルート確保、ありがとうございました!」
「アオイちゃん、後で差し入れ持っていくからね!」
通りを歩いていると、すれ違う街の人々から次々と笑顔で挨拶の声をかけられる。かつて「NOVA」というレジスタンスだった頃は日陰を歩くしかなかったが、今や彼女は復興の象徴だ。アオイは一つひとつの声に、満面の笑みで手を振り返した。
「おぉ、アオイ隊長! いや、今はリーダーか」
鉄骨を運んでいた作業着姿の男が、汗を拭いながら声をかけてきた。かつて共に戦った元NOVAの戦闘員だ。
「お疲れ様! 無理しないでね」
「へへっ、リーダーが先陣切って頑張ってんだ。俺たちも気合い入れねぇとな!」
そんなやり取りを交わしながら大通りを進むと、ひときわ香ばしい匂いを漂わせている屋台が見えてきた。修復されたネオン管で『ジャンク・ダイナー』と書かれた、復興支援の合成肉バーガーの店だ。
「おっ、アオイちゃん! いつものやつかい?」
「はい! ダブルチーズでお願いします!」
『朝からそんな重いもん食うのかよ……。少しは栄養バランス考えろよな』
(うるさいわね、このジャンクな味が私の元気の源なの!)
インカム越しに念じながら、アオイは熱々の包み紙を受け取った。
「はい、おまけのポテト! いつも街のためにありがとね!」と恰幅の良い店主が笑う。
「ふふ、ありがとうございます!」
歩きながら、アオイはさっそくバーガーに大きくかぶりついた。ジャンクな肉の旨味が口いっぱいに広がる。
『……おい、口の端、ソースついてるぞ』
「んっ、どこ?」
思わず声に出してしまい、すれ違った市民が不思議そうな顔でアオイを振り返った。誰もいない虚空に向かって口元を拭う仕草は、傍から見れば完全に独り言をつぶやく奇妙な光景だ。
「あっ、いや、えっと……通信! 通信機で話してて!」
慌てて耳元を指さして誤魔化すアオイに、脳内のトオルが遠慮のない笑い声を響かせた。
『はははっ! お前、相変わらずマヌケだな』
「……あとでホログラムに出たら絶対に殴る」
ギリッと歯を食いしばりながら、アオイは小声で毒づいた。そんなドタバタとしたやり取りすらも、今の二人にとっては平和の証だった。
やがて、旧ミラ=コアの施設を改修して作られた《ユナイト・シェル》の復興本部へと到着する。
エントランスをくぐると、忙しそうに走り回っていたメンバーたちが一斉に顔を上げた。
「あ、リーダー! お帰りなさい!」
「お疲れ様です、アオイさん!」
活気に満ちた声に出迎えられながら、アオイは「ただいま」と短く応え、そのまま自身の執務室へと直接向かった。
ドアを閉め、防音の効いた室内に入ると、ふうっと小さく息を吐く。手慣れた動作で愛用のコーヒーメーカーのスイッチを入れ、芳醇な香りが部屋に漂い始めたその時だった。
ピュンッ、と軽い電子音が鳴り、部屋の中央の空間が青白く発光した。
『ふぅ、やっと静かなところに来たな』
光の粒子が収束し、ホログラムとなって現れたのは、見慣れたジャケット姿のトオルだった。
「うわぁっ! びっくりした……!」
突然の出現に、アオイはコーヒーのマグカップを落としそうになりながら肩を揺らした。
『なんでだよ。さっきまで外でも話してたろ』
「いや、そうだけど。まだそのホログラムで急に出てくるの、慣れないのよね……」
『まぁな。俺もまだ少し違和感がある』
苦笑いするトオル。
普段、声だけの会話は神経回路を繋げている(同期している)アオイにしか聞こえない。しかし、復興の要となるアオイとトオルの二人が、他のメンバーたちと円滑にコミュニケーションを取るためには、その状態はあまりに不便だった。
そこで、天才ハッカーであるユウナギが徹夜でシステムを組み上げ、この本部内限定でトオルの姿を模倣した立体ホログラムを投影できるようにしてくれたのだ。
『このホログラムはみんなの顔を見れるのはいいが、少しな……』
トオルはそう言いながら、ホログラムの手を握ったり開いたり、足元を軽く振ったりして見せた。そこに質量はない。
「しょうがないでしょ。今は肉体はないんだから」
アオイは少しだけ目を伏せ、つい数ヶ月前の出来事を思い出した。彼が自分を、そしてこの街を救うために、自らの肉体を代償にしてシステムと同化したあの夜のことを。
「……そういえば、ユウナギはどこいったの?」
少しだけしんみりしそうになった空気を変えるように、アオイはコーヒーを一口飲んで尋ねた。
『ユウナギなら、またどこかの旧インフラシステムをハッキングでもしてるんじゃないか?』
「何事もなければいいけど……あいつ、たまに無茶するから」
二人がそんな軽口を叩いていた、まさにその瞬間だった。
ドンッ!!
執務室の重厚な扉が、蹴り破られんばかりの勢いで乱暴に開かれた。
そこに立っていたのは、息を切らし、オレンジ色のゴーグルを額に押し上げたユウナギだった。
「「あぁ、噂をすれば」」
アオイとトオルの呆れた声が見事にハモる。
しかし、ユウナギの表情はいつもの飄々としたものではなく、尋常ではない興奮を帯びていた。彼は義手の右腕でバンッとデスクを叩き、二人の顔を交互に見た。
「ちょうどよかった……! おい、トオル!」
『なんだよ、騒々しいな』
「お前、肉体を戻せるかもしれないぞ……!」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気がピタリと止まった。
「「はぁ……!?」」
アオイとトオルの、疑問と、そして抑えきれない希望に満ちた声が、再び完璧なユニゾンで執務室に響き渡った。
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