森へ向かう道
王女がついに森へ向かう回です。
まだ出会いは描きません。
“気配が交わる瞬間”まで。
夜明け前の港町。
潮風はまだ冷たい。
王女リシェリアは、簡素な旅装に身を包み、馬車に乗り込んだ。
名は“学徒リシェ”。
王女ではない。
今はただ、知りたい者。
同行は最小限。
侍女アナと、表向きの護衛二名。
マレアは馬車の扉を閉めながら言う。
「森は、歓迎も拒絶もしません」
リシェリアは頷く。
「知っています」
それが一番難しい。
港町を離れると、空気が変わる。
塩の匂いが薄れ、草の匂いが強くなる。
道は細くなる。
やがて、森の輪郭が見える。
高くはない。
だが、深い。
「ここから先は、急がない方がいい」
マレアの忠告。
「森は、急ぐ者を好みません」
王女は小さく笑う。
「急ぐつもりはありません」
心臓は、少し速い。
だが足取りは落ち着いている。
森の入口。
木々の間に、やわらかな光が揺れている。
精霊。
遠くからでも分かる。
恐れはない。
だが、圧もない。
ただ在る。
そのとき。
揺れが一瞬だけ変わった。
森の奥。
丘の上で、ハルが空を見上げる。
「……来るな」
風の向きが違う。
精霊の揺れが、少しだけ外へ向く。
ミナが顔を上げる。
「知らない気配」
カイが一歩下がる。
ソラが小さく「あ」と声を出す。
精霊が、ふわりと揺れる。
拒絶ではない。
確認。
入口に立つ王女。
深く息を吸う。
「ここが……」
森の匂い。
土の匂い。
水の気配。
遠くに子どもの笑い声。
報告書では伝わらない。
生の空気。
「戻りますか?」
アナが小声で問う。
リシェリアは首を振る。
「いいえ」
一歩、踏み出す。
枝葉がやわらかく揺れる。
精霊が近づき、一定の距離で止まる。
観察されている。
だが拒まれていない。
丘の上。
ハルは立ち上がる。
「客だ」
レイナがにやりと笑う。
「港町のか?」
「違う」
ハルの目が細くなる。
「もっと静かな気配だ」
王女は森の中へと歩みを進める。
急がない。
騒がない。
ただ、知るために。
精霊の森と王都の未来。
それが、いま初めて、同じ空気を吸った。
未来と未来が、いま同じ場所に立ちました。
戦いではなく、対話のはじまりです。
次は、森側から見た王女か。
それとも王女から見た森か。
―― 月灯り庵




