斜陽の帝国
帝国の太陽と謳われるヴィルヘルム皇帝の苛立ちは明らかであった。
カロリング王国が帝国の領土を固有の領土として宣戦を布告。それ自体はよくある海戦理由であるが、愉快であろうはずがなく、また国内が混乱しているうちに横合いから殴り飛ばされた格好であり、他のライバル国とも手を結んでいる。同時に旧ヴィッテルス侯の臣下及び領民が反乱を起こし、そこに資金と武器提供をしている周辺国があるのは明らかだ。
そして国内では「ヴィッテルス侯と皇妃の反逆罪はカロリング王国が神から遣わされた皇后を暗殺しようとした件を擦り付けられた謀略だ」という噂が流れている。これが事実であるとすれば、皇帝は敵国に騙された馬鹿者ということになってしまう。
元より侯爵が反逆するなど信じられないと、反皇帝派といった侯爵の政敵ですら考えていたために、現実味を持って貴族たちの間に浸透してしまったのである。
皇帝にとって、私事でも面白くないことはある。
小さなことでいえば、宮廷画家が放浪したいと辞任したこと。芸術家というのは気紛れなものであるし、新たに取り立ててればいいので、それはいい。皇都の祭りを皇后に見せてやったが、花火も少なく、降り注ぐような花々も控えめで、例年に比べ、いまいち盛り上がりに欠けたことだ。これもまだいい。戦争などの問題を抱え、失業者もいるようでは、無理もないと己を納得させた。
大きなことは、野蛮な蛮族と結婚させ、さぞや不幸な結婚生活を送っているだろうと溜飲を下げていた皇妃の異母姉が、たちまちに妊娠し男児を出産という報が齎されたのだ。そして結婚した男は国内どころか周辺国まで平定し、王座についており、国内を纏めあげた。生まれた子供は蛮族の王でありながら、帝国の皇位継承権を主張できるだけの血筋を持つ子供であるといえる。しかも夫婦仲は良いらしく、夫は戦場に出かける際には妻に全権を預けることまでしており、全幅の信頼を示している。すでに次の子供を身籠っているという噂もある。
臣下たちも仮にも自国の皇族でもある女性が子供を産んだのだから、祝いの品を贈るなりしなければいけないといけないのでは、と恐る恐る進言した。
これに対し、皇帝は「反逆者の姉を母に持ち、野蛮な血を持つ子供に継承権などない」と宣言し、徹底的にその存在を軽んじた。元から気に入らない、追放も同然の女だ。その子供を祝ぐつもりなどなかった。
「ヴィル!どうして、エステルを遠くにやってしまったの!!エステルは関係ないのに!!」
「有希、そんなことを言わないでくれ。反逆者が出た以上、しょうがないんだ」
「エステルは私と仲良くしてくれたのに!」
皇族内に味方のいない皇后はどういうわけか、あの女に懐いていた。
ヴィルヘルムに言わせれば、エステルは教養や知識はあっても躁病気質の変人で、一緒にいると疲労感を覚えるほどであり、苦手意識を抱いていた。
異世界からやってきた容姿の違う有希を身分門地で差別しないというよりは、異国人だろうが大道芸人だろうが、犬猫だろうがハイテンションで話しかける女であり、珍しいものが好きなだけだ。陰気な性格で無いのは認めるが、落ち着きにも皇族らしい品位にも欠ける。クラウディアもエステルを好いていたようだが、振り回されて馬鹿を見たことがあるのではないだろうか。
その性質から芸術や祭り、新しい技術や研究が好きで金を出したり参加したりしているために、芸術家や学者、商人の評判は悪くなかったようだが、それでも有希が心を砕く価値があるとは思えない。あの軽薄さが逆に蛮族にはちょうどよかったのだろう。
元はあの女が治める公国も、未だにトナカイを狩って原始的な生活をする未開人が多く暮らしている。あの女は平気で混ざってみたり招いたりしていたようだから、元が野生児であり、野蛮なだけあり気が合うに違いない。
そこまで考えてから、ヴィルヘルムは口元を歪めた。
あの皇妃の身内も、忌々しい敵国も潰してやる。そして、あの辺境の公国も完全に併合してしまおう。海に広く面した国は広大でこそないが、貿易に旨みが多く、近年は陶磁器を始めとする産業も盛んだ。これから自分も子供を何人も作り、その子供の一人を公爵として治めさせればいい。
※
後の歴史学者は語る。
かの女王にして王妃の最愛の妹を侮辱し、処刑し、またよりにもよって蛮族の男と軽んじた男に嫁がせたことで若き皇帝は徹底的に己の輝かしい人生ばかりか、大陸一の大国であった帝国の未来を破壊した。もしもヴィルヘルム皇帝が未来を見通せたならば、皇妃の姉を絶対に嫁にやらず、どんな手を使ってでも殺していただろう。
かの女性と夫は、歴史上でも屈指の、最高の組み合わせであったと歴史家たちは口を揃える。
皇帝はまったく評価していなかったが、エステルは自領での治世は高く評価されており、パトロンとして芸術家や学者を支援し、息のかかった帝国騎士団もいる大富豪にして大貴族であった。
確かに、妹や皇帝に比べると賢い人ではなかったかもしれず、変人ですらあっただろう。際立った政治的、軍事的才覚もなかったが、彼女には人の才覚を評価し、自己神格化を行わず我が事のように喜び賞賛するパトロン気質の持ち主であり、有能な家臣を次々に抜擢し、成功すれば惜しみなく褒め称えた。自然豊かな辺境国で伸びやかに育てられ、皇位を継ぐことを期待されていなかったことが大きい。事実、彼女は己よりも遥かに優秀であり絶世の美少女と名高い異母妹に嫉妬したことは一度もなかったと言われる。同時代の皇帝を見れば、それがいかに得難い性質であるかよくわかる。
そんな彼女を皇帝が下に見ていたのは仕方ないことかと思われる。
ましてや辺境の蛮族の血すらその身に流れていることを軽んじていた。しかし、彼女は間違いようもなく皇族の一人であり、帝王教育や実務教育も受け、深い教養を持ちながらも、魑魅魍魎の世界で嫌味を言われ、皇族でありながら隣国の王様のような立場で白眼視されっぱなし、優秀な妹とは比較されっぱなしの苦労人でもあり、根はリアリストであり、日記や手紙には皇帝について詳細かつ皮肉を隠さない記述を残している。
またくれてやった蛮族の男が冷徹な策謀家にして大陸中に影響力を齎す『兇王』と呼ばれる強大な野心家であることに、皇帝が気が付かなかったのはやむを得ないにしても、皇帝の行動は軽率であったとしか言いようがない。
彼女はこのまま片田舎で子を産み育てる、故郷や妹を想いながら悲惨な人生を送るのか――。
だが、そうはならなかった。夫は元より彼女を望んでいたため、両手を広げて歓迎し即座に結婚式を挙げた。皇帝は野良犬に餌をくれてやるような気持で投げ与えたのだろうが、皇帝の予想に反し、年上の夫は彼女を心から愛し、また彼女も愛を返した。
夫と出会ったことで、彼女の才能は花開いた。帝国では妹に劣ると言われ、皇帝に軽視されていた彼女は政治と歴史の表舞台にのし上がるのだから、歴史というのは面白い。
夫婦二人三脚で政争と粛清の嵐を乗り越え、蛮族の辺境国を大国にまで押し上げ統一を果たす。夫である蛮族の王は血も凍るような冷徹さと狡猾さを発揮し、大陸全土に蜘蛛の巣のように策略を張り巡らせ、「日の沈まぬ国」と言われた帝国の権威と国土を削り、「太陽を堕とした王」と謳われる。
妻は国内の発展を助け、近代化を進めるなど優れた内政を行った。夫が戦場に出た際は全権を委任されたし、夫が病に倒れた際は軍服を纏い、閲兵式に出たほどである。後に己の故郷と手を握り、帝国を挟み撃ちにすることとなる。そして帝国の継承権を主張し、帝位は彼女の産んだ子供の一人に移ることとなった。
また彼女が産んだ長子こそ、まさに運命の子であり、両親を凌駕し、世界史に名を残す名君にして、王国を真の強国として世界中に影響力を持つ大帝国となる基礎を築くことになるとは、誰も予想しえないことであった。
若き皇帝が蔑んだ皇妃の異母姉と蛮族と呼んだ男の血統は繁栄し、世界に広がった。




