臣下たちの混乱
「これにより、首都に大量の失業者が流れ込み、また治安の悪化が見込まれます」
青褪めた文官の報告を聞きながら、そこかしこで溜息が零れる。
まるでドミノ倒しのような悪化に、宰相であるマクシミリアンは眉間を揉み、大臣たちは渋面を崩しもしない。最近は、潜在的な敵国との紛争も発生しており、また挑発行為も続いており、国内の動揺もある中で、経済の悪化はあまりに痛い。
ある程度予想されていたことではある。
皇妃ナディエルが皇帝と婚姻したということは、独立色が濃く、また帝国と国境を接しているとはいえ、多くを海に囲まれている公国と協調するためという目的もあった。だが、処刑により、公国の海運業者は帝国に配慮することがなくなった。つまり輸出入についての措置などがなくなり、物価があがりはじめているということだ。関係の悪化により、帝国から撤退した事業者もいる。その中には公国がインチキ錬金術師を捕まえ、「黄金が作れるならば陶器くらい作れるだろう」と言って開発させ、大陸全土で珍重される白磁も含まれている。その工場が一気に撤退しはじめたのだ。当然、雇われていた民は路頭に迷うことになる。
そして、歯止めをかけるはずのタサヴァルタ公は、皇帝に妹の助命と引き換えに野蛮人といわれている北の田舎国に利権と引き換えに売り払われるようにして、結婚することになった。帝国貴族にしてみれば、屈辱でしかなく、皇族でもある大貴族の貴賤結婚並みに驚愕の格差婚姻である。タサヴァルタはまだ君主は公女であるとし、軍備を固めているという。ただでさえ、隣国と揉めている最中であるためにそちらの相手までしていられない。
そもそも意識が違うのだ。現皇帝にしてみれば、生まれた時にはすでに公国は自分に頭を垂れた生意気な辺境国であり、自国が征服した扱いであっただろう。
だが、それまでは数百年に及び戦争を繰り広げた。小国であろうと極寒の季節と湖や沼の多い地形を利用し、帝国を迎え撃ってきたのである。先々代皇帝が皇女を嫁がせ、講和。形だけでも臣下とし、組み入れたという形であるのだ。つまり嫌いな皇妃の姉として君主としての約束すら破った女は、大貴族にしていざとなれば皇位継承可能な皇族でもあるのだ。いや、だからこそ追い払ってしまいたかったのか。
大貴族ヴィッテルス侯との婚姻も帝国に懐柔するためである。その異母妹が皇后となれば、その子供同士を縁組させ、行く行くは正式に帝国に組み込んで、という方法もあったのだ。
「タサヴァルタに使者を送りましょう。使者は、伯、頼めますか」
「確かに、わたしでしょうな。承知いたしました」
息子の嫁がタサヴァルタ人である大臣が頷く。少なくとも門前払いにはされない人選だ。とにかく事を荒立てないこと、どうにか利を見せて協力を仰ぐしかない。当然居心地は良くないだろう。
「そして、皇妃、いえ、クラウディア様が代行しておられた皇后陛下の勤めについてですが、手紙のやり取りや式典についてですが……」
言い難そうに侍従長が目を伏せる。
各大貴族や各国王族と、どれほど憎んでいても表面上は円滑な手紙のやり取りは皇族として重要なもので贈物の選定も、女官や侍従の助けがあるとはいえ行うのは皇后の重要な仕事の一つだ。拙くとも手紙を書くことが大切であり、代筆をしてもらったとしても時には自筆の手紙を書く必要がある。だが、その重要性を若い皇后は理解していない。
各国の大使との挨拶、式典、慰問、皇宮内の取り仕切り。幾ら女官が代行するとあっても限度というものがある。それを今までは皇妃の名の元にクラウディアが行なっていたのだ。
「先代皇帝陛下の妹君であらせられる公爵夫人に一部は手伝っていただきましょう。他は、女官に代筆をさせ、最後に皇后陛下のサインを」
皇后の地味な勤め、それを天真爛漫で愛らしい皇后が理解するだろうか。「神に祝福された最も可憐な皇后」と国民に持て囃されてはいるが、国務に無関心な皇后にいつまで人気が続くだろうか。
皇帝派はどうにか纏まっているが、混乱が多い。
現皇帝に問題がある、皇帝の権限を狭めるべきだという貴族たちの勢いが強くなっているが、その彼らとて担ぎ上げる神輿は見つからない。先帝の妹を妻とする公爵は皇帝側であるし皇帝が邪魔な皇族の一人であったタサヴァルタ公を追い出してしまった。むしろ反皇帝派ともいうべき派閥も、あまりの皇帝の強引さに戦々恐々としている部分もあるのだ。だが、それも国内の経済混乱が続けばどうなるものかわからない。
「皇后陛下に、御公務が務まるのでしょうか……」
そんなことわからない、と吐き捨てるように言いたくても不敬に当たるために口にするわけにもいかない。
異国の皇女や大貴族の姫君であれば、幼い頃から礼儀作法、言葉遣い、乗馬に外国語、教養、優雅さとは何か、言い回しや衣装、下の者への命令の下し方。各国で違いはあれど、長年染みついた王侯貴族としての下地がある。しかしながら、皇后にはその常識も何もないのだ。異物そのものであり、慣習も伝統も知らず、帝国風の化粧をし、礼儀作法を身につけようという素振りもなく、それを皇帝も無垢さと天真爛漫さであると受け入れている。苦言を呈していた皇妃はすでに処刑されている。
せめて知らぬのならば一から学ぼうという気概があればよいのだが、指導する女官も「お優しく気取らない皇后様」と持て囃している。しかし、皇后は政治とは無関係ではいられない。時に皇城を追われることも、幽閉されることも、暗殺されることもあり得るのだ。その程度のことを考えられないようでは、皇后が務まるはずもない。一門どころか帝国の全てを背負って男児を産み、帝位につけるために、全てを賭ける覚悟などないであろう。
クラウディア様は賢すぎ、有能過ぎた故に疎まれた。だが、皇后陛下は――。




