第五十七話 ソフィア・ローレン⑩
五年生で専門科に所属するまでに、一般科の生徒は広い分野に関して基本的なことを学習していく。
文学、数学、政治、経済、化学、魔法、その他にも、美術や音楽、さらには家庭科の授業で調理を学習する機会もある。
生徒全員がエプロンと三角巾を付け、いくつかのグループに分かれ指定された料理の食材調達から行う。
当時三年生だったソフィアたちが授業で指定されたのは、既に食堂の定番メニューにもなっているハンバーグだった。
当然、調理法を知っている人物が魔法を使用すればすぐさま完成させることができるのだが、この授業では魔法の使用が禁じられていた。
いくら魔法を使えたとしても、適切な味付けや火加減を知らなければ、おいしい料理は出来上がらない。
さらに、手料理と同等の品を魔法で調理するのは意外に難しく、正確なコントロールが必要されるため一般科の生徒の中でもごく一部の生徒しかできないことだった。
各グループ、調理室の指定されたエリアでそれぞれ作業を進めていたが、やはり主導権を握っているのは女子生徒たちだった。
普段から家庭で料理をしている生徒も多く、大雑把でいい所は男子生徒に指示を出し、細かい作業は自分たちで手際よく進めていた。
「じゃあとりあえず、ローレンさん、玉ねぎをみじん切りにしておいてくれる?」
ソフィアとは目も合わせず、リーダーの女子生徒はまな板の隣にある玉ねぎを指さした。
「それ終わらないと進められないから、早めにお願いね」
「……あ、はい」
消え入りそうなソフィアの返事は女子生徒には届いていなかったが、彼女は最初から返事を聞こうとはしていなかった。
既に、もう一人の仲のいい女子生徒と雑談を始めている。
若干の悲しさはあったが、普段からクラスメイトに冷たい対応をされているソフィアは、段々とそれに慣れてきてしまっていた。
仕方なく、目の前にある包丁を手に取り玉ねぎをまな板の上に置くと、手際よくみじん切りにしていく。
ソフィアは普段から母親の指示で料理を手伝っており、主に食材を切ることを任されていた。
そこから先のことは全部母親に任せて隣で見ているだけなので、ソフィアには切ることしかできない。
最初はそれも楽しかったが、毎回雑用のように母からそれを任されるので、流石に最近は飽きてきていた。
ちょうど玉ねぎを半分みじん切りにしたところで、同じグループの男子生徒が隣にやって来て、面白そうにまな板を眺める。
「へぇ! うまいもんだね。普段から料理してるの?」
関わったことのないクラスメイト。
どうして急に話しかけてきたのだろうと思ったが、興味津々で覗き込んでくるので適当に返事をしておく。
「家で……お母さんの手伝いを……」
「へー! いいじゃん!」
――え、と隣にいる男子生徒を見ると、自分をまっすぐに見て白い歯を見せて笑っていた。
明るく褒めてくれたからだろうか――彼の顔は、まるで太陽のように輝いて見えた。
「料理か! へー、いいじゃん!」
引き出しのずっと奥にしまわれていたあの日の記憶が急に飛び出してきて、その勢いのまま隣に座ったジョンの目を見ると、何故だかすごく救われたような気持ちになった。
あの日から、ソフィアは手作りの弁当を持参するようになった。
料理をもっとしてみたいと、心のどこかで思っていた。
彼にまた、褒められたいから。
昼休みの食堂、アルジーノの友人である彼に魔法について相談したとき、どうして気づかなかったのだろう。
――いいねぇ! 料理が上手っていうだけで、男女問わず好感度あがっちゃうよなー
あの時も彼は、きっとあの日と同じ、太陽のような笑顔を向けてくれていたのだろう。
だが俯いたソフィアが、それに気づくことはなかった。
全然上達しないのに、それでも毎日料理を作り続けた。
その理由が、今になってようやく理解できた――私は、また彼に褒められたかったのだろう。
彼だけじゃない――家族や、それ以外の人たちも、同じように笑顔にしたいと思っていたのかもしれない。
「じゃあ今度俺の分のお弁当も作ってもらおうかなー」
「え……! いや、私……好きだけど、得意ではないから……」
――あぁ、とジョンは納得したように宙を眺めた。
おそらく、食堂で見たカオスな弁当箱を思い出したのだろう――そう、料理が好きでも、ソフィアはそれが得意というわけではなかった。
みじん切りは変わらずできるのだが、その先がどうにもうまくいかない。
他人に振舞えるようなレベルになるには、もっと鍛錬が必要になりそうだ。
でも、その努力を惜しもうとは思わなかった――いつか、自分の料理をジョンに食べてもらって、また彼の太陽のような笑顔を見たいと思った。
――じゃあ得意料理ができたら、今度みんなに振舞ってよ、とジョンはまた笑顔で言った。
自分にとっての目標――たった今、それができた。
たったそれだけのことで、少しだけ勇気が湧いた気がした。
だからこそ、今自分がすべきことは――
「ごめんなさい」
ソフィアは深く頭を下げた。
得意料理を振舞ってほしいという自分の提案が却下されたと思ったジョンは、――えー、と不満そうに呟く。
顔を上げたソフィアは、ジョンの目をまっすぐ見据える――先ほどまで揺らめいていたその瞳に、もう迷いの色はなかった。
「その前に、やらなきゃいけないことがあるから……」
「そうね」
答えたのはミアだった。
先ほどまで壁を見つめていた彼女の視線は、ソフィアの瞳にまっすぐ注がれていた。
「まずは、自分の間違いを正して、ちゃんと罰を受けるべきだわ」
彼女の言葉に棘はなかったが、淡々と正論を述べるその口調は、どこかまだ冷たさを感じた。
ミア自身、ソフィアが変わろうとしていることは理解していたが、スミスと共謀して成績を偽装したこと、両親を騙していたことの罪は償う必要があると考えているのだ。
「スミス先生とのこと……学園に、話すわ」
隣に座っていたジョンは、ソフィアの目を見てゆっくりと頷いてくれた。
――はぁ、と呆れたようなため息を吐いたミアは、ソファから立ち上がると大きく背伸びをした。
「まったく……これでようやく、この後の話をできるわけね。あなたが自分の間違いすらごまかそうとしたら、本当に軽蔑するところだった」
――水を差すようなことを言うなよ、とジョンが視線で訴えたが、ミアは一切ジョンの方を見ず、まっすぐソフィアを見つめていた。
もうソフィアもミアのことを怖がってはいないようだった。
「でも、大変なのはここからよ。証拠の入手に失敗した以上、学園にあなたが証言をしても、スミスはそれを絶対に認めないわ。被害を受けている他の生徒たちとも結託すれば、学園も流石に無視はできないでしょうけど、その人たちが名乗り出てくるかどうか……」
「失敗って、何かあったのか?」
「そっか、アルにはそもそも話してなかったよな」
ジョンはアルジーノに対して、市販の録音機を用いてスミスとソフィアの会話を録音しようとしたところ、それが壊れてしまったことを話した。
「原因は分からないんだけど、スミスのあの感じ……絶対にあいつが壊したんだ。今思い出しても腹立つぜ、あの顔」
「なるほどねぇ……」
アルジーノにも、スミスがどのようにして録音機を破壊したのかは検討がつかなかった。
だが、ジョンの話したスミスの態度が本当であるならば、彼の犯行である可能性は極めて高い――むしろ、彼は自分の犯行だとする証拠が生徒に掴めないだろうという自信があるからこそ、そのような態度をとったのだろう。
――ちょっと不本意だけど、ここは大人の力を借りるのも手か……
成績をごまかし、生徒にセクハラをする、最低な数学教員――そういった人間を、一番嫌っている大人に――
「俺に、ちょっと考えがある」
「どうぞー」
自室の扉をノックされたスミスは、机に置かれた事務書類の山を片付けながら返事をした。
「……失礼します」
「あぁ、君か」
入ってきたのはソフィア・ローレン――自分が鴨にしている生徒たちの中で、一番従順な生徒だった。
両親が国のお偉いさんらしいが、彼女の気弱な性格なら、成績をごまかそうとしたことを親に話す勇気などないし、ましてや教員にセクハラをされているなど誰かに相談できるはずもない。
来年、法律科に所属してしまうと関わる機会が減ってしまうだろうが、これまで成績をごまかしていたことを盾に取り関係を続けることは容易だ。
仮に学園に通報されたとしても、証拠が出てこなければしらばっくれることも簡単だし、同じように弱みを握られた他の生徒が名乗り出てくる心配もない。
クラスメイトのフォーバーと同級生のワトソンが正義の味方を気取って彼女と自分の関係を探っているようだが、証拠を掴ませなければ何も問題はない。
いつも通り、録音機も破壊できたことだし、もう彼らも調査を諦めている頃だろう。
壊れた録音機に絶望する彼らの顔の、なんと可笑しかったことか――
こみ上げてくる笑いを堪えようとしたが、抑えきれずついつい子供を煽るような真似をしてしまった。
さぞ彼らは悔しかったことだろう。
そして、必死に守ろうとした女子生徒の体を、私が好き勝手に弄ぶ――この背徳感は、一度体験してしまうともう戻れない。
「荷物を置いて、こちらに来なさい」
扉横の床に雑に荷物を置くと、彼女はゆっくりと私の方に近づいてくる。
ゆっくりと立ち上がり、彼女の腰に手を回す。
「先生……」
「なんだ?」
体を触る時はいつも俯いている彼女だったが、今日は珍しく私の目をまっすぐ見つめてくる。
何かいつもと様子が違うようだ。
「私……このこと、学園に話します」
「ほお?」
腰に回した掌を彼女の臀部に移そうとした時、それは力強く彼女に払われる。
「おいおい、そんなことをしていいのか? これまで成績をごまかしてきたことを、両親や学園にばらすことになるんだぞ?」
「はい……。クラスメイトたちのおかげで気づいたんです。私が間違っていました……。だから、あなたが私にしたことも……全部、話します」
「教員に体を触らせる代わりに成績を偽装してもらっていた、なんてバラされたら、君はただじゃ済まないぞ?」
「わかってます……。でも、ちゃんと罰を受けないと、私は……ずっと変われない」
まっすぐに私を見つめてくる彼女の目は、見たこともないほど強い意志が込められているように見えた。
虫唾が走る――
人形が意志を持つことほど面倒なことはない。
しばらく使えると思っていただけにがっかりだ。
「勝手にすればいいさ。だが、君がどれだけ声を上げようと、証拠がなければ何の意味もない。昨日会話を録音しようとしていたバカな生徒たちも、失敗していたようだしねぇ?」
その時、扉がノックされた。
少し声を大きくしていたので会話が聞こえてしまった可能性もあるが問題ない。
低い私の声は外まで届きづらいため、今程度の声量なら聞こえていないだろう。
「誰だ! 今取込中だ!」
大きく叫ぶと、扉は再びノックされる。
――ちっ、と舌打ちをして扉を開ける。
「失礼しますよ、スミス先生」
「あ、あなたは……」
扉の前には三人――ジョン・フォーバー、ミア・ワトソン、そして、魔法科教員である、レオンハルトが立ち塞がっていた。
「少し、お話を聞かせてください。女子生徒に対するセクハラ疑惑と、生徒所持品の破損に関して。取込中とのことですが、あなたに拒否権はありません」




