第五十八話 ソフィア・ローレン⑪
スミスの部屋に入るなり、レオンハルトは本棚を埋め尽くした文献、そこに収まらず横積みされている書類を眺めて呆れたように眉を上げてから、二脚しかない椅子の奥側に置かれた方に腰を掛けたスミスを見据えた。
最後に部屋に入ったジョンが扉を閉める。
奥から順にスミス、ソフィア、レオンハルト、ミア、ジョンの五人が並ぶと、部屋はとても窮屈に感じられた。
特に、両手を後ろに回したレオンハルトの放つ威圧感が彼の周囲の空間を支配しており、距離を取っていないと飲み込まれてしまいそうになる――もちろん、錯覚だ。
「それで? セクハラやら破損やら、一体何の話です?」
「おや、心当たりがございませんか? このソフィア・ローレン、おそらくはその他にも、成績や家庭の事情などの弱みにつけ込んで女子生徒に対して猥褻な行為を繰り返していた件についてです。また、その証拠を掴もうとした生徒の録音機を意図的に破壊しましたね? 残念ですが、このような下劣な行為を学園は決して許さないでしょうね」
――ははは、とスミスは書類の積まれた机の向こう側で、レオンハルトをバカにしたように笑った。
「まさか、そこにいる生徒たちの言うことを信じたんですか? レオンハルト先生――あなたはもっと優秀で素晴らしい人かと思っていましたが、証拠もない生徒の妄言を信じるような人だったとは思いませんでしたよ」
「それはとんだ買いかぶりでしたね。それにその言葉、そっくりそのままお返ししますよ、スミス先生――数学の天才、世界から見ても優秀な人材であるあなたは、今後も学園のため、延いては世界のために貢献してくれる方だと思っていました。とても残念です」
――はぁ、と呆れたように大きなため息を吐いて、レオンハルトは細い黒縁の眼鏡の位置を直す。
余裕のある態度が癪に障ったのか、スミスの口調からは苛立ちが感じ取れた。
「残念なのはこちらの方ですね。レオンハルト先生、証拠もないのに、生徒と結託してセクハラをでっち上げ私を学園から追い出そうなど、一体何が目的なんです? こんな愚行、あなたの評判が落ちるだけですよ?」
「そんなに証拠がお望みですか」
鼻で笑うようにスミスを見下すと、レオンハルトは背広の胸ポケットに手を入れ、中から筒状の金属棒を取り出した――市販の録音機であることがスミスにもすぐ分かった。
レオンハルトが筒についているスイッチを押下すると、録音されている音声が再生された。
それは、先ほどソフィアがスミスの部屋を訪ねてきて以降の、二人の会話の一部始終だった。
『教員に体を触らせる代わりに成績を偽装してもらっていた、なんてバラされたら、君はただじゃ済まないぞ?』
そこまで再生されたところで、レオンハルトは再生を止めた。
スミスの顔がみるみると青ざめていく。
証拠が掴まれることはないという慢心が、彼の絶望をより深いものにしているようだった。
「なんだ……これは……!」
「聞いての通り、あなたとそこにいるローレンの会話です。部屋の外で録音させていただきました。あなた自身が女子生徒の体を触っていたと証言した、動かぬ証拠です」
「そんなはずはない! それは……市販の録音機のはずだ!」
「えぇ。学生が購入するには少し背伸びが必要な価格の品ですが、誰でも購入が可能な最も普及している録音機の一つです」
「だったら……!」
「だったら、なんです?」
スミスは思わず言葉に詰まる。
自分からボロを出しそうになっていることに気づいたのだ。
「市販の録音機なら、細工を施したこの部屋に近づいた時点で内部の針が折れてしまうから録音できるはずがない――そう言いたかったんですか?」
「な……なにを……」
「フォーバーたちから話を聞いた時は、あなたが魔法を使用して直接破壊していたのかとも思いましたが、部屋の前に来た時、種がすぐに分かったとともに少々驚きました。可能性として考えてはいましたが、まさか魔力波を使った共振によって録音機の針を破壊しているとは……あなたを少し見くびっていましたよ。やはり優秀だ。……あぁ、あれがその装置ですか。自身で作成を?」
レオンハルトは扉の方を振り向くと、その上部を見据えて言った。
彼の視線の先を見ると、なるほど確かに扉の上に箱型の金属が固定されている。
言われなければそれは建物の一部だと勘違いするだろうし、レオンハルトが指摘した今になってもそれが何なのかはジョンたちには分からなかった。
とりあえず、彼の言葉通りなら、『魔力波』というものを発する魔道具らしく、それと共鳴して針が振動し、揺れに耐えられなくなって破損するようになっていたらしい。
再びスミスに視線を戻すと、彼は口を開けたまま椅子の上で見るからに力を失っていく。
「あなたは過去にも、同じように証拠となる会話を録音されそうになったことがあったのでしょう。またいつ同じように生徒が録音しようとするか分からない。鞄の中に持ち込まれるかもしれないし、あるいは部屋の中の会話を扉の前で協力者に録音されるかもしれない。そこで、あなたは部屋の周囲で録音ができなくなる方法を考えた。おそらく、これと同じ録音機を自身でも購入し、音声の記録に不可欠な針の共振周波数を確認した。そして、あとは部屋の中にそれと同じ周波数の魔力波を発生させる魔道具を配置すれば、自動的に部屋の周囲に持ち込まれた録音機の針は破壊され、音声は記録できなくなる。もちろん、別の録音機を使用された場合には意味を成さない仕掛けですが、先ほども言ったように、現実的に生徒が手にできる録音機の中で、これが最も普及している型です。ましてや、専門的な知識を持った生徒でなければ魔力波を使った仕掛けを見破ることはできない。だから、あなたは安心して、この部屋で生徒と秘密の会話をすることができたわけだ」
レオンハルトは証拠の音声が記録された録音機をゆっくりと左右に揺らしている――まるで、スミスに催眠術をかけているかのようだった。
それを挑発と受け取ったのか、先ほどよりもさらに苛立った様子のスミスが椅子から立ち上がる。
「だが……! あの魔道具は問題なく機能していたのに、どうして録音ができたんだ!」
スミスはもう、自分の犯行であることを隠す気すらないようだ。
「簡単なことです。同じ周波数の魔力波を私の杖から放っただけです。まぁ、位置の調整は少々面倒でしたが」
波の周期が同じなら、片方の波がちょうど山になる箇所にもう一方の波の谷をぶつければ、二つの波は相殺される。
結果、針には魔力波による共振は発生せず、問題なく録音が行えた、ということらしい――これからちゃんと学んでいけば、何となくしか理解できないこの話も、自分の中にスッと入ってくる時が来るのだろうか。
嘲るような笑いを浮かべているレオンハルトの横顔を見ながら、ジョンはそんなことを考えていた。
「さて、スミス先生――お望みの証拠を私は入手できましたが、何か反論……いや、弁明はございますか?」
拳を強く握りしめ、奥歯が割れるのではないかと思うほど食いしばっていたスミスだったが、次第に全身から力が抜けていくのが見て取れた。
やがて、空気の抜けた風船のように力なく椅子に腰かけると、彼は小さく首を振りながら乾いた笑いを浮かべていた。
「あぁそうですか……まさかこの時が来てしまうなんてね」
既に抵抗することを諦めた様子の彼は、自分自身に呆れているようだった。
ソフィアが決して自分には歯向かえないと考えていた彼の油断が、今この状況を作り出したのだ。
「素晴らしいですよ、レオンハルト先生……。完敗だ。認めますよ。証拠を掴まれてしまった以上、もう言い逃れできませんから」
「賢明ですね。やはりあなたは、無駄に足掻いて醜態を晒すような馬鹿共とは違う」
――ふっ、とスミスは笑うと、椅子から立ち上がりソフィアに向き直る。
「これまですまなかったな、ローレン。君の望んだとおり、これで終わりだ」
ジョンの位置からはソフィアがどんな表情をしているのかは見えなかったが、彼女の拳に力が入っていることから、怒りに震えていることだけは分かった。
「なにを勝手に……終わった気に、なっているんですか……?」
ソフィアの声は相変わらず小さかったが、その奥には確かな意志の強さを感じ取れた。
「まだ終わりません……! これから、あなたも私も罰を受ける……。自分たちのしてきたことの償いをする……」
「償い……? ははは! 安心しなよ、今回の件で、君はただの被害者だ」
――え、とソフィアが小さく呟く。
「当然だろう? 君は教師に脅されて自分の体を差し出した。教師はその見返りとして成績を捏造した――罪に問われるのは俺だけさ。おそらく教員免許は剥奪され、法的には数年すれば教壇に立てるだろうが、それも許されるかどうか……。君はせいぜい、成績を捏造していたことを親や他の生徒に知られることで白い目で見られるくらいさ。まぁ、それがある種の罰なのかもしれないがな」
スミスをまっすぐ見据えていたソフィアの視線は、力なく前に垂れた頭と共に下がっていく。
学園から何かしらの処罰があるかと考えていたため、拍子抜けしてしまった。
――これで、終わり……?
「生徒の三人は一旦外で待て」
項垂れたソフィアの背中に向けてレオンハルトが語り掛ける。
「ローレン以外の生徒に対する犯行についても、私から確認しておく。生徒の君たちは聞くべきじゃない」
「わかりました。ローレンさん――」
ジョンが呼び掛けると、ソフィアは我に返ったように顔を上げてジョンの方を振り返る。
ミアが納得いかなそうな表情で部屋の扉を開けると、先に出るようソフィアに視線で訴える。
――これで、終わりなの……
納得いかないままのソフィアだったが、一度スミスのことを睨むと、ゆっくりと扉の方へと歩き部屋を出る。
その後を追うようにジョンも部屋を出ると、廊下からレオンハルトに一礼した。
最後にミアが部屋を出て扉を閉めると、スミスとレオンハルトの二人だけが残された部屋には静寂が訪れる。
「さて、ローレン以外の生徒に対する犯行について、でしたっけ? ちょっと待ってくださいね。今思い出しますから――」
「いえ、結構です。興味がありませんので」
眼鏡の位置を直しているレオンハルトを、スミスは思わず訝し気に見てしまう。
「いや……今あなたが他の犯行についても話せと……」
「あれは生徒を追い出すための口実です。特にワトソンは、正義感が強いですから」
「じゃあ、一体なにを……?」
「あなたの今後についてです」
レオンハルトはゆっくりとスミスの方へと近づき、外にいる三人には決して聞かれないように小さく囁いた。
「スミス先生、あなたはこの社会に相応しくない――」
「……は?」




