第三十九話 ライバ・ルートヴィヒ・アインホルン⑧
アルジーノに声を掛けた六つ上の兄、ウルシーノ・ローゼンベルグは、弟を覗き込むようにかけていた黒縁の眼鏡の位置を直した。
覗き込む瞳にはホワイトブロンドの髪の毛がかかり、視界の妨げになっているように見える。
ミドルヘアの髪の毛は乱れており、所々で明後日の方向に毛が跳ねている。
研究員に学園から支給される白衣についても薄汚れており、身だしなみに気を遣っている様子は全くないが、それでも痩身で背が高く、他の兄弟と同じく容姿端麗なその顔のおかげで、傍目には好青年に見受けられる男だった。
「怪我はないかい? まさか決闘場でアルに会うなんて、意外だなぁ。人が集まる場所は苦手なんだとばかり思っていたけど……。友人が決闘でもしていたのかい?」
まるで小さな子供に話しかけるかのように、ウルシーノは少し腰を屈め、弟と視線の高さを合わせてその顔を覗き込む。
「あぁ、いやその……実は、諸事情で俺自身が決闘しててさ……」
「えっ!? アルが決闘? それはさらに驚いた。騎士として戦いを? 確か魔法は使えなかったもんね?」
「あぁ、実はこれも諸事情で、最近使えるようになってさ……」
「ん? アル、今魔法を使えるの?」
「あ、あぁ……」
――まずい、とアルジーノは心の中で冷や汗をかいていた。
これまでは同級生や他の兄弟たちに対して、魔法を使えるようになった理由については深く追及されることを避けてこられたが、ウルシーノに対してだけはごまかしが効かないと思ったからだ。
昔から興味があることに対しては徹底的に探究をやめないウルシーノの性格上、アルジーノがどうして魔法を使えるようになったか興味を持ってしまった時点で、その追及を避けることは困難を極める。
昔、兄弟で唯一魔法を使えないアルジーノを不憫に思った彼が、どうして魔力を持たないアルジーノの実母――アレクシアと再婚をしたのかと、父を問い詰めていたことがあった。
他の兄弟や父からも疎まれていた当時のアルジーノにとって、弟のことを思った兄の行動はとても嬉しかったのだが、いつまでも追及を辞さない息子に対して、父が怒鳴り声を上げていたのを覚えている。
「へぇ……それは興味深いね」
ウルシーノの顔をさらに近づき、アルジーノの顔に穴を開けんとばかりに凝視してくる。
「どんな魔法が使えるの?」
「ま、まぁ、一般的なものは概ね……。まだ、使えないのもたくさんあるけど――」
「へぇ、自分で勉強したのかい?」
「あぁ、まぁ、何となく、その、感覚で?」
「へぇ……」
疑わしいものを見るように、ウルシーノが眉を上げて意味ありげな笑みを浮かべながらアルジーノの話を聞いている。
「そっか。じゃあ、これからは今までみたいに不自由な生活を送らずに済みそうじゃないか。よかったね」
「えっ、あぁ、うん、そうだね」
近づけていた顔を急に離してウルシーノが質問を終わらせたので、アルジーノは体の力が急に抜けてその場に座り込みそうになる。
――ごまかせた……のか……?
「よーし、それじゃ観戦に来ていた生徒さんたちには申し訳ないんですが、さっきまでも出来事について少しお話を聞かせてください。研究棟に部屋を用意いたしますので、一緒についてきてください」
ウルシーノと同じ白衣を身に纏った研究員の一人が、決闘場に残っている生徒たちに声をかけた。
文句を言いながらも、渋々といった態度で生徒たちが白衣の研究員の後に続いて移動を始める。
何人かの研究員たちで手分けして事情を聞くらしく、ウルシーノもそのメンバーの一人に呼ばれ、――じゃあまた、と言ってアルジーノの前から立ち去ろうとした。
「あ、アル!」
ようやくウルシーノの問いかけから解放されると思っていたところで突然名前を呼ばれたので、アルジーノは驚き目を見開いてしまう。
ウルシーノ自体は決して嫌いなタイプではないのだが、質問攻めだけは勘弁してほしかった。
「今後、どうしても解決できない困難にぶつかった時には、僕のところへおいで。きっと、君の力になってあげられると思う」
「か、解決できない困難……?」
ウルシーノは手を振りながら決闘場を去っていく。
「その時が来たら、きっと分かるよ――」
「結局何だったんだろうな、あれ」
研究棟での事情聴取も終わり、ようやく解放あれた面々は博士の研究室へ戻ってきて大きなため息を吐いたところだった。
アルジーノは研究室に入るや否やティーポットにいつもの紅茶を入れ、いつもの席でそれを飲んでいる。
その隣に座ったジョンは、疲れ切った様子で天井を見上げている。
「さぁね……。ちゃんとした説明は後で正式な文書で学内に通知するとは言ってたけど、結局今のところ何も分からず終いね」
ミアもソファに腰かけながら大きなため息を吐いた。その隣ではエリックが頷いている。
博士に頼んでいたソファの増設がようやく叶い、いつもアルジーノが座っているソファと同じ型のものが中央のテーブルに対してL字になるように配置されていた。
ようやく全員分のソファが容易された研究室は、さらに居心地のいい空間へとグレードアップした。
「まぁとりあえず、今回は大活躍だったな、アル。いや、今回も、かな? これでまた明日には、突然現れた化け物をお前が倒したって噂が広まってるだろうな」
アルジーノはカップをソーサーに置くと――いやいや、とカップを見つめたまま唸った。
「そもそも最後に止めを刺したのはウィリアムズ先生だし。それに、悔しいけど、あの優等生なしで戦っていたとしたら、正直どうなっていたか……」
「その通りだ――」
突然背後から聞こえた声に、全員が驚き研究室の入口を振り返る。
声質とその口調から誰なのかは振り向かずとも分かっていたが、そこには疲れた表情のライバが立っており、四人のことを見下ろしていた。
「お前……わざわざ何しに来た」
「今回無効になった決闘について、話をしようと思ってな」
アルジーノはため息をつくと、ソファから立ち上がりライバの前に出る。
「決闘は仕切り直し、今度はちゃんと決着を……」
「いや、もういい。このまま、決闘はなしということにしよう」
「は……?」
「聞こえなかったのか? 決闘は終わりだ。心配するな、この場所について、誰かに話すつもりはない」
――へぇ、と呟くと、アルジーノは薄ら笑いを浮かべながらライバを見る。
「そもそもお前が吹っ掛けてきた決闘を自分からやめようってのか? ミアの隣にふさわしいのは自分だと証明するんじゃなかったのか? 俺の魔法にビビったか?」
「そうだな」
「え」
先日同じ場所で散々煽られた仕返しに今度は自分が煽り倒そうと思っていたアルジーノだが、ライバの言葉に拍子抜けしてしまう。
「そ、そうだな?」
「あぁ。認めよう、アルジーノ・ローゼンベルグ。君は強い――」
ソファに座っていた三人も、これまでとは全く違うライバの態度に驚きを隠せなかった。
「じゃ、じゃあ別に、ここにもう用はないだろ! 何しに来やがった」
「今回の決闘はなしにすると言ったが、次回は覚えていろ――それだけ言いに来た」
「次回?」
「僕はこれからも魔法の鍛錬を続け、再度君に決闘を挑む。その時は、ミアの隣なんていうちっぽけな居場所を奪い返すためじゃなく、僕の力を君に証明するためだけに戦う――互いのプライドを懸けた決闘だ」
「何言ってんだお前? 自分に酔いすぎ。そんな面倒に巻き込まれるくらいなら、プライドなんていくらでも捨ててやるよ」
「じゃあ研究室のことを学園に話すしかないな」
「お前……! 卑怯だぞ!」
その瞬間、ライバはアルジーノの胸倉を掴むと自身の顔を近づけ、他の面々には聞こえないような声で囁く。
「なぜこの場所を知られるのをそれほどまで拒否する……? ここには一体何がある……?」
「……」
しばらく無言で二人が睨み合っているので殴り合いを始めるのではないかと不安になったジョンが立ち上がる。
「まぁいい」
ライバがアルジーノを放すと、今度はみんなに聞こえるような声で尋ねる。
「一つだけ答えろ、ローゼンベルグ。君は、詠唱無しで魔法が使えるのか?」
「は?」
「気づいていないと思ったか? さっきの戦い、君は無詠唱で『障壁』を発動させていたな」
「無詠唱って……そんなことできるのか!?」
ジョンは信じられないと言った様子でアルジーノの隣に駆け寄ってくる。
ミアとエリックも、ソファに座ったままだがジョンと同じような表情を浮かべている。
「理論的には可能だ。そもそも魔法というのは使用者の想像を具現化する力――詠唱も杖も、その補助装置に過ぎない。前にここに来た時も、君は杖無しで魔法を発動させていたが、まさか詠唱まで省略できるとはね」
「仮にそうだったとして、何だって言うんだよ」
「無詠唱で魔法の発動が可能にも関わらず、君は僕との決闘中わざわざ詠唱して魔法を発動させていた。まさか、僕をからかっていたのか?」
アルジーノは何も答えない――自分でもどうして無詠唱で魔法が発動できたか分かりません、などとわざわざ教える必要もないし、ここでくだらない嘘をつく必要もないと考えていた。
「詠唱無しで魔法が使える人なんて……聞いたことないわ」
「まず、この国の魔法師には存在しないだろう。それを可能にするための研究も過去に進められていたが、いずれも失敗に終わっている。まぁ、僕が知る限りは、だけどね」
――はぁ、と話し終えたライバはため息を吐くと、背を向けて研究室の扉に手をかける。
「君は当然、魔法科に進むんだろう?」
「え?」
「あれだけの魔法の力、杖の未使用と詠唱の省略――君は間違いなく、人間が使う魔法を新たなステージに進める可能性を持っている人材だ。これは、決して冗談で言っているわけじゃない」
これまでの口調とは違い、ライバの言葉には一切の棘がなかった。
「買いかぶりすぎだろ」
「これは持論だが、力を持つ者は、それを世界の発展のために行使する義務がある。僕は魔法科に進んで、僕の力を世界のために使う術を探すつもりだ」
「自分は『力を持つ者』だって言いたいのか? また自惚れもいいとこだな」
「君はどうするんだ? それだけの力を持ちながら、それを私利私欲のためだけに使うのか? 自分の周りの、ちっぽけな世界を変えるだけで満足なのか?」
アルジーノは黙ったままだった。
「もしそうだとしたら、次の決闘……勝つのは僕だ――」
そう言うとライバは研究室の扉を開き、丁寧にそれを閉めて帰っていった。
研究室の中は静寂に包まれる。
「なんか、結局何しに来たのかよくわかんなかったな、あいつ」
「そ、そうね、ライバはたまにそういうとこあるから……。それより、私の隣がちっぽけな居場所だとか言ってたけど、失礼じゃない? アルも、ちょっとはあれ否定しなさいよ」
アルジーノはライバが出ていった扉を見つめながら、これまでの自分の行動を振り返っていた。
――俺のこの力は、所詮博士の発明で生まれただけの、ただのまがい物だ。俺自身の力なんかじゃない……。
――ジーグや兄さんたちに仕返しができればいいと思ってたけど、仮にそれが終わったら、俺はどうすればいい?
――そもそもなんなんだ、この力は……。俺はこの力で、本当は何をすべきなんだ……?
その日以降、アルジーノはしばらく、研究室に顔を出さなかった。
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