疫病編
遠くから松明を持った民衆が押し寄せてくる。
不気味な月明かりは人々の顔を明るく照らし、その不安気な表情はつむぎにもハッキリと見えた。
夜故にか城門は硬く閉ざされ、人々は門を叩き、あるいは座り込み、ある者は城壁の何処かに入り口はないかと彷徨い歩いた。
つむぎは民衆を横目に揺蕩うように夜の闇に紛れ、夜空を切るように進む。
不思議なことに今、つむぎは幽体だった。
これは、とても恐ろしい夢だ。
何か、不吉なことが起こりそうな気配が充満している。
不安でいてもたってもいられず城壁にフワフワと彷徨っていると、お城の中に王子が歩いているのが見えた。
「王子!」
飛びついて窓にへばりつく。窓にへばりつくつもりが、そのままつむぎは窓をすり抜けて王子の前に転がり出た。
「王子!民衆が…。城門に押し寄せてる!」
王子はぎゃーッと悲鳴をあげる。
つむぎはびっくりして固まっている王子に縋り付くが、もちろん王子の体もすり抜けてしまった。
「なん…?え?もしかして、…ツムギなのか?」
「ごめん、びっくりさせて!でも、このままじゃ門が破られて…」
この中世の夢でこんな恐ろしい光景は初めてで、つむぎはパニック気味である。
「落ち着け、ツムギ。あいつらは助けを求めて流れてきた流民だ」
王子の方がつむぎより落ち着いている。
「え?流民?…暴動とかじゃなく…?」
若干泣きべそをかいているつむぎが王子を見上げる。
「暴動じゃない。…今はまだ、な」
王子の言い方でつむぎは、決して安心できる事態ではないと思った。
王子は円卓に向かっていた。いつぞやの会議の部屋である。
「疫病が流行ったんだ。初めは辺境で」
歩きながら王子は説明してくれる。
「お前が以前、兄上に乗り移っていた時、未来視を文官に書き付けさせたろ?…俺はそれで呼ばれたんだが、お前本人がいた方がいい」
緊張した面持ちの王子の背後に浮きながら、つむぎは指南書を思い出していた。
小説の中である時、疫病が流行る。
辺境で疫病が始まり、徐々に王都へと押し迫ってくる。
その流行病は感染力が高く次々と民衆が罹患し、とうとう王都の教会も罹患患者で溢れる事態となった。
この世界の教会はそういった罹患患者を受け入れて救済する事も奉仕の一環だった。
聖女は献身的に看病をする。それこそ寝る間もおしんで、だ。
そして、最後には聖女が流行病を愛の力で治していくという、突然のとんでもない展開だ。
なんだ?愛の力って。
もちろんつむぎは辺境で疫病発生と文官に書かせたが、愛の力で治るなどとふざけた項目は書かせていない。
とんでもないぞ。解決の糸口が愛の力って。
「だが、…ちょっと、その姿はどうにかならないのか?」
振り向いて王子が戸惑う。
「…姿?ああ、そうだよね…。お化けみたいだもんね」
半透明で物をすり抜ける幽霊のような自分。
なんて説明すれば良いか戸惑っているのだろう。つむぎだって戸惑っている。
「いや、それもあるんだけど…。それはびっくりさせるかもしれないが、納得もさせられると思うんだ。…ただ、服装がな」
王子がわかるようなよくわからないようなことを言う。
服装と言われて、つむぎは自分の格好を見下ろした。寝巻きなので、白のノースリーブに白のガウチョパンツだ。貧乏臭いかもしれないが、なかなかの機能性である。
「ダメかな?」
「………ヴィルヘイムが発狂するかもしれない…」
なんで?
「まあいい、とにかくお前は俺の後ろに隠れていろよ。あんまり顔を出すな」
王子は騎士たちが壁に立つ扉の前で止まる。特に王子が何も言わずとも、騎士が大きな声で「アンリ第二王子がお越しです」と中に声がけをして扉を開いてくれる。
その際、後ろに漂うつむぎと目があってギョッとするが、優秀な騎士たちは悲鳴を上げなかった。
部屋に入った途端、どよめきが起きる。もちろん隠れているようで全然隠れていないつむぎのせいだ。
円卓にはお馴染みの王と多分宰相と王太子、ヴィルヘイムが先に王子の席で待っていた。それと懐かしの辺境伯もいる。
ヴィルヘイムがつむぎを凝視している。
皆の動揺を無視して王子が着席した。
「まさか…、つむぎ様ですか?」
間近でヴィルヘイムがつむぎに話しかける。
「従者、疫病が流行ってるそうだね。どんな状況?」
「は…」
つむぎは尋ねたが、固まったままヴィルヘイムは動かなくなってしまった。
仕方ない。
さっき王子も悲鳴を上げてからしばらくフリーズしてたしな。
「アンリ。其方の後ろに立つ方は、もしや、…精霊か?」
麗しの王太子が尋ねてくる。兄上がロイヤルスマイルを引っ込めて驚愕の表情をしているが、…セイレイって何かな?
「そうだ、兄上。今回の疫病騒ぎに力を貸してくれる。会議の続きをしてくれ」
王子は肯定して会議の進行を促してくれる。
つむぎは知りたいことがいろいろあった。
被害はどのくらいで、どんな疫病?治った患者はいるの?死亡者数は?
隣に立つヴィルヘイムを見ると、手に何かの書類を持っていた。
近づいて手元を覗き込む。
ヴィルヘイムの肩をすり抜けた瞬間、彼の動揺がつむぎにはわかった。
「驚かせてごめん。これは…なんの資料?」
「………」
ヴィルヘイムからは返事がない。
まだ、フリーズ中である。
そんなに、びっくりする?
動かないのを良い事に、つむぎは書類をそのまま読む。
何枚かあるが、一番上の書類は被害人数だ。
自分では書類を捲れないので罹患人数と死亡者数を計算する。死亡者数、おおよそ五パーセントに届かない計算になる。
「この数字は正確?…いや、大体だとしても死亡者数は…脅威ではあるけど、罹患数にしても大流行ってまではいかないのでは?」
まだ、流民が城に詰めかけるってほどのこともないのではないだろうか?それとも中世では充分暴動が起こり得る事態なのだろうか?
「…精霊様。発言させていただいても?」
辺境伯が静かに挙手をする。今日は鎧を着ていない。
あれ?やっぱり精霊って聞こえるな…。
「本来受け入れ先である教会が病人たちの受け入れを拒否しているのです」
辺境伯が発言すると、隣の誰かわからない人物が続けて発言する。
「慈善院だけでは収容しきれず…、辺境は隔離しきれず町に感染者が溢れました」
「隔離施設を設けるべきだ」
口々に思いを述べ始め、円卓は騒がしくなった。
確か、物語では病人たちの隔離先は、教会、慈善院、施療院があったように思う。
けれど、まずは教会が手を差し伸べるはずだ。
そのために貴族や王族は教会に寄進をする。
何も信仰や孤児救済のためだけではない。
戦が起きた時、避難先救護先としても頼りにしているからだ。
そして何よりこの世界では医者はほとんど貴族のために存在し、一般の平民たちはまずは教会へと駆け込む。
その教会がまさか病人を拒否するとは。
「精霊殿」
麗しい声がざわめきを切り裂く。王太子の一声で円卓は一瞬にして静かになった。
やっぱり精霊なんだ。聞き間違いじゃなかった…。
「聖女がこの疫病を教会に持ち込ませないと宣言した。故に御神託としてこの国の全ての聖教会が門を閉じた。精霊殿の書いた未来視になかったことだ」
王太子が戸惑っているのは二つの未来視が降りたからだろう。
一方は、辺境から疫病が流行る、とだけ。
もう一方は、辺境から疫病が流行るので、教会の門を閉ざせ。
というもの。
混乱するのも頷ける。
教会が門を閉ざしてしまう事にどんな意味があるのか、発信源が聖女だけに何らかの意味を見出そうとしてしまっているだろう。
つまり神罰が下るのではないかという恐れ。
でなければ今頃、教会に協力体制を要請するなり、早々に隔離施設を設けるなり、あるいはその両方かを判断できたはずだ。
あの女…、やりやがったな。
「聖女の未来視は歪んでいる。神罰を恐れているのならそんな心配はいらないから、今すぐに隔離施設の手配をして欲しい。王宮の医師の手配も」
つむぎの言葉に周りがまたざわめく。
「それでは、しかし御神託に背く事にはならないのか?」
「教会と揉めることになる」
「王宮の医師たちが城から出たら我らはどうしたら良いのだ」
ざわざわと騒つく中に、己の身の心配をする声が混じる。
あれ?宰相(多分)、自分だけ良ければみたいなこと言った?
「神罰は下らない。聖女の御神託は神託ではなく、我が身可愛さだよ」
つむぎは机を叩いて宣言してやりたかったが、身体ごと円卓に埋もれるだけだった。
「……あの聖女らしいな」
ポツリと王子が隣で呟く。
「御神託は教会に疫病を持ち込ませない、というもの。疫病に関わるな、とは、言っていない」
王太子が皆の発言を抑える。
つむぎは月明かりに照らされた民衆の不安気な顔を思い出す。
寄る辺ない彼らはどれほど心細いだろう。
流行病は初動が大切なのに。
こんなところでモタモタと…。
「いや、元はと言えば私が聖女に情けをかけたからだね。…でも、聖女には自分のした事を償わなければならない時が必ず訪れる。聖女に従うというのなら共にその罪を被るといい」
つむぎが声を荒げたいのを我慢して言う。老害共に噛みつきたくなったが、つむぎは思い直した。
聖女には帰れる術がない。教会での地位が彼女の今後を守るのだと情けをかけたのはつむぎだ。
反省。
つむぎの発言に王太子が王と目配せする。
「精霊殿…。隔離施設を手配しよう。王宮の医師を使わそう。宰相、直ぐに取り掛かれ」
つむぎは王の声を初めて聞いた。
会議は解散となったので、つむぎは宰相について行く事にした。
どれだけの隔離施設になるかわからないが、罹患患者も死亡者数もこれから抑えるためには衛生管理と隔離体制をしっかりとするしかない。
「つむぎ様」
廊下でヴィルヘイムに呼び止められる。
そういえばずっと隣にいたはずだけど、いつもと違って全く反応がなかったので途中でいることを忘れるくらいだった。
「従者」
つむぎはヴィルヘイムに向き直る。
フリーズ、治ったんだね。
「何?宰相に話したいことがあるんだけど」
「…それは、私が伺って宰相に伝えます」
ずっとフリーズしていた従者だけれども、通常運転に戻ったようでつむぎはホッとする。
よく知らない宰相よりヴィルヘイムの方が話しやすい。
「あのさ、隔離施設をね、どんな風にするか話したいんだ」
「わかりました。廊下ではなんですから、執務室へ向かいましょう」
別に廊下でもいいんだけど、従者が周りをチラチラと伺い落ち着かない様子を見せている。
「わかった」
従者が落ち着かないのなら仕方がない。
「ところで、つむぎ様。…その、服装は何とかならないのでしょうか?」
歩きながら従者が聞いてくる。
ええー、王子と同じことを言ってくる。いやいや、確かに寝巻きだけどさ。
そこまで恥ずかしいかな?露出は、…確かにあるのだけどこの世界のドレスの方が肩とか露出してるし、何だったらこないだの聖女のワンピースとそんなに変わらないよね?
「いや、そんなに露出があるわけではないのですが、こう見てはいけないものを見ているような…」
ヴィルヘイムが言いにくそうに言ってくる。
そんな、人を歩く猥褻物かのように…。
「……次回から気をつけます」
みんなからもつむぎがそんな風に見えていたのだろうか?ちょっと恥ずかしい…。
次からはちゃんとした寝巻きで寝よう。
つむぎは目を覚ました。
目が覚めたのに、とても疲れている。
休んだとは思えないくらい身体と心が疲弊している。
あの後、衛生管理について。あるものでどれだけできるか。使い回しの危険性や、煮沸消毒。換気の大切さ。
栄養面の改善から、隔離の仕方。後、口と鼻を布で覆うとも。
一度罹患して治った者に、施設の手伝いをするようにも頼んだ。
夢だけど、確実にまた見る夢だ。
夢なのに確定している、もう一度会える確証のある夢。
つむぎはベッドの中でスマホを開いた。
とにかく今はできることを調べよう。
小説では顔にあばたができる描写や、何処か天然痘に近い書き方をされているが、とにかく
聖女は寝る間を惜しんで罹患患者の看病を続けその献身を持って疫病と闘う。
その姿をみた王子が聖女の美しさに心打たれ、疫病が終息したタイミングで聖女を王宮に招くのだ。
その際に王子の言ったセリフが「聖女は愛を持って疫病を治した」というものだが、あの王子がそんなこと言うかな?いや、…言うか?
聖女は己の危険も顧みずひたすらに看病することで病気は終息する。
特に特効薬を開発したり聖女の特殊な能力が開花したりなどもなかった。
ただ、ひたすらの献身。多分、それがあの世界でのキーだ。




