王子様編
このところ、ヴィルヘイムのご機嫌が良い。
アンリ王子は知っていた。
ヴィルヘイムの機嫌が良いのはつむぎが今、若い女性に入り込んでいるからだと言う事を。
ヴィルヘイムをつむぎは従者と呼んでいるが、あいつはそんなに可愛い存在ではない。
ヴィルヘイムは王弟、つまり王子の叔父だが、と平民との子供で、本来あいつは王宮には上がらない予定だった。
王子がクララベルと婚約したことにより、王位継承が浮上し急遽王子の側近として連れてこられた。
まだ、王子が十二歳。ヴィルヘイムが十六歳の頃だった。
ヴィルヘイムの実家でのヤツの扱いは本人は口にしないが、先に本妻に子供がいたために難しい立場であった事は想像に難く無い。
あいつは従兄弟とはいえ、肩書きは何も持っていないし、王宮では本妻の子と比べて吹けば飛ぶような権力しか無かったにも関わらず、いや、だからこそいつも全てを捨てられる覚悟や身軽さがあった。
故に当時は兄上と比べてなんの肩書きもない庶子を側近につけられて不貞腐れていた俺は、ヴィルヘイムに反抗的だったが、あいつはそんなことどこ吹く風で、いつでも辞める覚悟があると無礼打ちなど気にも留めずに俺の首根っこを掴んで説教を垂れた。
ヴィノヘイムは自分の才覚だけでいつのまにか伯爵位を勝ち取り、一方のあいつの兄は生まれつき母親の実家の侯爵位が転がり込んでいたので、その扱いは雲泥の差だったのだが、恵まれた兄の方が小物に見えるのは何故だろうか。
風の噂では十歳くらいまでは下町にいたヴィノヘイムは、短気で口が悪く喧嘩っぱやいと聞いている。
まあ、隠す気もないその言動は今でも言葉の端々や態度に現れるし、なんだったら血の気の多さを騎士団で鍛えることで発散しているため、王族の中では文字通り肉体的に一番強い。
正直、王子はこのしたたかで狡猾な従兄弟が本気になったのなら、王が相手であろうと下剋上を成し遂げられると思っている。
そのヴィルヘイムが、である。
ちょっと前に聖女が王宮にやってきた日、王子は信じられないものを見た。
馬車の中で片時も聖女を離そうとせず、あまつさえ手を握り見たこともないような表情でつむぎを口説き落とすヴィルヘイムを。
この国では男女の接触にはやたら厳しい風潮がある。
手を握る行為は恋人、または伴侶、家族に限定され、それ以外はふしだらとされ主に女性が不利な立場に立たされる。
女性は手を握られる行為を受け入れると恋人同士になったも同義だし、男性は口説き落とす時、必ず手を握る。
故に王子もメアリーとの接触は最低限に控えていたし、ヴィルヘイムに至っては、なんの間違いもないようにと女性を近づけもしなかった。
つむぎは勘違いしているようだが、あの馬車での行為はまさしく口説き落としていたので間違いないし、ヴィルヘイムは誰かれかまわず手を出す男でもない。
事実、馬車から降りて聖女からつむぎの気配が遠ざかった途端、いつものすましたヴィルヘイムに戻った。
聖女が猫撫で声を出そうと言い寄ろうと、完全無視の姿勢である。
そもそもヴィルヘイムだけではなく聖女は王子にも言い寄ってくる節操なしで、王子も辟易した。
兄上に声をかけていたのを目撃した時は、一周回ってもはや尊敬の念すら覚えたほど。
あんなチビでガリガリが何故、自分はモテると妄信しているのか謎である。
ただ、つむぎが聖女に憑依すると、性悪に見える痩せたガキが知性ある女性に変貌する。
凛とした姿勢と、意思のある瞳。何よりその美しさをどう表現したら良いだろうか。
流石に兄上に憑依した時に、普段から微笑みがデフォルトの兄上の困惑した顔やおずおずと許可をもらう態度が面白すぎて笑ってしまった。
ましてや自分の名前がわからなくて困惑した顔など見ものだった。
食わせ者の兄上が若干可愛く見えたことは誰にも言えない王子の秘密となった。
誰もが手をこまねいていた聖女という毒婦に、鮮やかなお手並みで王宮を去らせたつむぎに王子は人として好感を持っていた。もちろん、可愛いと思うのはメアリーみたいな女性で決して恋愛感情などではないが。
つむぎが聖女の手を取ってエスコートしたため、しばらくは兄上と聖女の恋仲も騒がれたが聖女が教会に帰ってしまったため、やがて下火となって消えてしまっていた。
「最近、わかってきたんだよ。王子」
目の前にはクララベル。円満に婚約を解消したはずの公爵令嬢がいる。
「クララベル嬢を乗っ取るとかなんの嫌がらせだよ、ツムギ」
俺の気持ちも考えてくれ、と王子はぼやいた。
クララベルは深層の公爵令嬢で、性格も大人しく学もあり、そして百キロを超える大柄な女性だった。
その巨体を王子はどうしてもどうしても受け入れられず、かといって王位継承権も捨てられず、一時期双方の女性に不義理を働いていた。
そのクララベルは現在、兄の婚約者候補の一人となっている。
「私がさ、入り込む人物って何かしらあるよね?」
王太子の婚約者候補だっけ?とつむぎは気軽に聞いてくれるが、王子は背後のヴィルヘイムが怖い。
その話は鬼門なので、今すぐにやめてもらいたい。
「つむぎ様。そちらは日差しが強いのでどうぞこちらへ」
ヴィルヘイムがさも当然のことのように手を差し出している。
つむぎはそんな事はつゆ知らず、その手を取ると向かいのソファへ移動した。
「深層の令嬢が私のせいで日焼けしてしまったら可哀想だもんね」
などとつむぎはいっているが、むしろ王太子の婚約者候補でありながら、王太子の従兄弟と手を繋ぐふしだらな女性として名を馳せる不名誉の方が可哀想だ。
ヴィルヘイムの、例え幼女だろうが大柄な女性だろうが、ましてや兄上であろうがその一貫した態度に王子は感動を覚える。
王弟の息子と公爵令嬢であればそれほど不自然ではないだけに恐ろしい。
そしてヴィルヘイムはきっとなんとかするだろう未来もうっすらと王子には見えた。
問題はつむぎが何にも知らないことにある。
最近、ヴィルヘイムが怪しげな歴史書や魔法書を読みあさっている。聖書から黒魔法まで様々だ。
そしてその事実を隠そうともしない。
仕事部屋に堂々と持ち込み書類が片付くと王子の監視がてら本を読んでいるのだ。
この国には子供の頃から読み聞かせる童話の中に精霊の話がある。
精霊は国を救った勇者と恋に落ち人間になる、と要約するとそんな内容の童話だ。その精霊が初代この国の王の伴侶であると締めくくられ、ちなみに王も救国の勇者だよと言っているのだが、まあ、何が言いたいかというと、王族を神のごとく敬うように、という意識を子供の頃から英才教育で植え付けていくために作られた物語である。
が、ヴィルヘイムにも王子にもこの国に生まれた全ての人間はその英才教育が魂に刷り込まれている。
精霊などこの方会ったこともないが、もしかしてもしなくともそれはつむぎの事を言うんじゃないかと王子は思っている。聖獣や聖女がいるくらいだ。何も荒唐無稽な話でもない。
つむぎは話すと気さくで普通だが、あいつには未来視もある。
最近、陰でヴィルヘイムはつむぎの事を「精霊様」と王や王太子に吹聴し始めている。
王子はこれがヴィルヘイムの根回しだと正しく理解していた。
勇者と恋に落ちて精霊は人間になる。
果たして、つむぎは?
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