聖女編.後半
つむぎがいなくなった後の聖女の話を従者は説明してくれた。
聖女はわざとあの場所にいたこと。
教会は関与していないこと。
聖女の目的は王家に取り入ること。
「全てを本人の口から直接お伺いしております」
従者はいうが、聖女の行動はつむぎにしてみれば謎に尽きた。
「教会でおとなしく待っていれば王子に会えたというのに?」
「ですが教会側は聖女を渡しはしないでしょう。元々、最近の教会は王家と対等といえるほどの権力を維持しきれていなかったのです。そこに加えて王子に聖獣が従い、辺境を制圧してしまった。バランスが崩れて焦っている教会が聖女の威光を知らしめるために王家を教会に呼んだといったところでしょう」
なるほど、それで聖女は教会に頼ることなく王子と会う算段を立てた。
「として、どうしてあの場所で会えると聖女は思ったの?」
結果として会えていたけれど、それはつむぎが猫を呼んだからだ。それがなければ出会えていないはずだった。
「それが、私にも理解しかねるところです。何度聞いても聖女は、あそこで待っていれば私に会えることを知っていた、というのです」
若干うんざりした顔で従者が言う。それが、本当なら聖女は大分頭がお花畑な子じゃないだろうか。
そしてその言い分がまかり通っている現状もおかしなことだと思う。
「従者。その言葉をまともに取り合ってるの?まさか」
従者の頭もお花畑なのか、とつむぎは疑う。
「つむぎ様。…聖女の力をご存知ですか?」
もってまわった言い方をする。
「もったいぶるね」
つむぎが揶揄うと従者はため息をついた。
「聖女の力は未来視と言われています。彼女はその力を教会に知らしめ、教会はその証明を持って聖女が降臨したと民に発表したのです……。どのような試練を受けたのかは分かりかねますが、彼女の力は本物だと教会が発表した以上、王族は聖女を軽んじることはできません」
不本意と顔に書いてある従者。
疲れきっている従者にどう声をかけたら良いかと迷っていると、扉がノックされた。
「聖女様、第二王子殿下がお越しです」
侍女の声がして扉が開かれる。私の返事は待たないらしい。
「………」
よい笑顔で王子が部屋に入ってくる。
どんどん近付いてくる王子を見守っていると、やがて王子の歩みはつむぎの目の前でピタリと止まった。
「…お前、ツムギだろ?」
「!」
随分と間を開けて、王子はつむぎに言った。
「すごいな、王子。よくわかったね」
驚いてつむぎは王子を見上げた。
王子はそうだろ、とでも言うように鼻を指で掬い上げた。
可愛い仕草だな。
「シャルル.アンリ.モンテワールが騒いでいるし、ヴィルヘイムが聖女にひっついているからな」
謎解きの答えにしてはつむぎには理解できないことを言う。
「お前は知らないだろうけど、聖女はすごい性格でな。シャルル.アンリ.モンテワールか怖いといって近寄らせないし、シャルル.アンリ.モンテワールも聖女の近くに寄りもしないんだぜ」
あんなに可愛い猫の何が怖いのだろうか。大きくなって可愛さも容量が増えただけだ。つまり可愛いが恐竜並み。
「そして俺とヴィルヘイムと、なんだったら兄上と更に宰相の息子と騎士団長の息子にすり寄って全員に相手にされていない」
なんと、それは良い性格のようだ。十四歳って、すごくおませさんなのかな?
「あいつは十四歳なんじゃないぞ。お前と同じ匂いがする。この間は、俺を部屋に引き摺り込んで既成事実を作ろうとした」
聞き捨てならないことを王子がいう。
「失礼な。私はそんなことしない」
否定すると、そうじゃないと王子が話を続ける。
「十四歳の小娘が例え頭で分かっていても、できることなんてたかが知れてる。…あの度胸。狡猾さ。お前と同じで中身と外身が違うんじゃないか?」
お前という前例もいるしな、と王子が口の端を上げて仄暗く笑った。
「王子………何かされたの?」
言いにくそうにつむぎがと聞いた。
「何もされてないからな?」
王子は秒で否定した。
侍女さんにも聖女は陰でいじめの教唆をしているとのこと。
手を挙げたり怪我をさせることはないが、女のドロドロした狡猾さで人の苦しむ姿を楽しんでいるという報告を従者は受けている。
道理で侍女さんたちのつむぎを見る目が怯えていたわけだ。
「最悪じゃん。もう教会にお返ししようよ」
聖女の目論見は王宮に潜り込むこと。それはつむぎが叶えてしまった。
「そうしようぜ。俺、もう聖女に言い寄られるの面倒臭い」
王子が賛同する。
「そうですね。つむぎ様が帰りたいと願い、自ら教会に駆け込んだなら叶いますね。…ただ」
どうやら従者は賛同しかねるようだ。
「聖女の力は本物なのです。教会は偽の聖女を盾にするのがどれだけまずいことかわかっています。そこだけは疑う事はできません」
だから、ヴィルヘイムは下手に聖女を邪険にできず、王太子もやんわりとした態度しか取れないらしい。
「未来視だったよね、従者」
つむぎが聞くと「はい」と反射的に従者が答えた。
「……つむぎ様?」
「なんとかできるかもしれない」
つむぎには心当たりがあった。
つむぎはすぐに目覚めた。
いや、逆である。続けて同じ夢をみた。
目の前に王子と従者がいる。
「従者。紙とペン」
目の前にいる見慣れた従者に言うと、「え?」と戸惑いの声をあげられた。
時間差をそれほど感じなかったつむぎだが、もしかしてずいぶん時間が経ってしまったのかも知れない。
いや、違うな。何かおかしい。キョロキョロと辺りを見渡せば、他の見知らぬ側近らしき者も何人か控えている。
従者ばかりに目がいっていたが、目の端には騎士もいた。
あれ?これはどういう状況??
部屋が、聖女とは比較にならないくらい広くて立派な上に調度品が完全に男性のものである。
体を見下ろすと王子と似たような格好をしているが、王子は今つむぎの目の前にいる。
「???」
状況が読めなくてアンリ王子と見つめ合った。
「ツムギ、それ…兄上だから」
言いにくそうに王子が言う。
どうやらつむぎはあのイケメン王太子になってしまったらしい。
イケメン万歳。…ではなく。
「調度良いな。文官を呼んで」
兄上に成り代わって、そばの側近に話しかけた。
側近はすぐに礼をして部屋を出ていく。
「いや兄上、そんな喋り方しないし」
そうか、兄上になり変わるのは無理があるかも知れないな。
「聖女に代わって兄上に奇跡をおこしてもらおうかと思ったんだけど…」
つむぎがいうと、従者が小声で問うてくる。
「何をするつもりですか、つむぎ様」
心配そうな従者が顔を寄せてくる。
「未来視をね、しようと思う」
「つむぎ様が?」
「うん」
聖女よりもよほど正確に言い当てられるはずだ。何せ先ほどまで指南書を見ていたから。
本屋の片隅にあったカラフルな小説。表紙にはピンクの髪の少女とアンリ王子、ヴィルヘイムと未だ見知らぬ宰相の息子や騎士団長の息子も描かれている。
目覚めてからすぐに本屋へ直行したつむぎは、その本を購入して家で速攻読んだ。
内容は桃色の髪の庶民の少女が未来視をして、教会に聖女として引き取られるところから始まる。
街で偶然に王子と出会い恋に落ちること。王子の従兄弟、果ては次期宰相も次期騎士団長も聖女に惹かれ取り合いが始まるというラブロマンス小説は、まさしくつむぎの予想通り、この王宮が舞台だった。
だからこれから起こりうる全ても小説を読めばわかる。つむぎは今日一日で小説を三巡した。四巡目の途中で眠くなって布団に潜り込みながら読んだ。
今頃は指南書片手につむぎは眠りについている事だろう。
「聖女じゃなくても奇跡を起こせたら、聖女を王宮に置いておかなくともよくなるでしょ?そして、私がいなくても何が起こるか書き溜めておけば後々困らないはず」
本は読み込んで、確かにこの世界とのすり合わせを何度もして間違いじゃないことを確認している。大丈夫だ。
「でしたら、つむぎ様。私はつむぎ様が未来視をしたら良いと思うのです」
従者が提案する。
「それは、…どういう事?」
「古来から、人々はいろんな方法で神との対話を試みていました。神の声を聞くのは聖職者。依代なら巫女。声を聞かせるなら聖女と」
「私に神を騙れと言うの?」
流石に恐れ多いわ。従者が神をも恐れぬ提案をしてくる。
「ならば狐憑きとでも」
それでは急に胡散臭くなる。
「それくらい語らなければ聖女は下せません。彼女には聖教会がついているのです」
「………」
言い返せずにつむぎが黙ると、側近らしき人が文官を連れて戻ってきた。
「神を騙る必要はありません。つむぎ様、いつも通りに」
従者が耳打ちする。
つむぎは静かに顔を上げた。
「文官、今から言うことを文章にまとめるように」
一仕事終えて、つむぎはため息をついた。喉がカラカラである。
「何か飲み物をくれる?」
従者に言うと、侍女に指示を出してくれた。そうだった。いたんだった、侍女。
「大丈夫か?お前」
王子が心配してくれる。
「うん」
喋り疲れただけだから大丈夫。
「あ、ごめん。ずっと王子、立ってたよね。座って。従者も」
「いや、それは…。俺はともかくヴィルヘイムは難しいな」
気軽に言ったけれど、そういえば今、つむぎは王太子だった。
「失礼いたします」
女性の声で入室の許可を求められる。
てっきり飲み物を持ってきた侍女かと思ったが、扉の先にいたのは聖女付きの侍女だった。
一緒にお菓子を食べた時に最初に声をかけた侍女である。
そういえば聖女はどうなったのだろう?あの後、つむぎは聖女の里帰りと称して教会に帰る手筈だけは整えた状態だった。馬車に乗り込むことまではできなかったけれど、まだ王宮内にいるのだろうか?
「聖女様からのお手紙をお持ちいたしました。王太子様に」
綺麗な封筒を騎士に渡すと、聖女付きの侍女は一礼して去っていった。
騎士から受け取った側近が、つむぎに手渡ししてくれる。
「王子。今って聖女はどうなってる?」
「ああ、あの後、ごねてなぁ…。結局三日たっても王宮にまだいるよ。帰りたくないってさ。お前、頑張って馬車まで乗っ取っててくれよ」
王子が愚痴る。
そうだね、ごめんね。目が覚めちゃったもんで。後、乗っ取るって言わない。
話しながら封筒を開けると、中から甘い香りが漂ってくる。
確かに、こんなおませなこと十四歳の庶民だった小娘は思いつかないな。
「王太子と話がしたいと書いてある。未来が視えたが、自信がないので私だけに聞かせたいのだと」
いや、あからさまだな?
「そうなんだよ。あいつ、庶民だったからかそういうとこ、あからさまなんだよな」
そのくせ、狡猾さは貴族並みだと王子が呟く。
「そうなんだ、王子。貴族風の言い回しに慣れてないけど、大人の狡猾さがあるのは、私も自覚のあるところなんだよ。王子の感は正しいよ」
「なんだよ、お前はもってまわった言い方だな?」
「聖女は多分、私と同じだ」
それだけで従者はつむぎの言いたいことがわかったのだろう、ポツリと「あちらは悪魔憑きですね」と宣った。
麗しの王太子の訪問とあって、聖女は浮き足立っていた。
しかも、第二王子と王弟の庶子ヴィルヘイムも同行するという。
何故か、原作通りに行かずヤキモキしていたが、ここにきて事態がやっと動き出してくれたらしい。
ある日、聖女は気がつくとアニメの世界に入り込んでいた。
貧しい庶民の娘が、教会に聖女と認められて王子たちに溺愛されていくアニメ。
ストレスなく手っ取り早く承認欲求を満たす作品は、聖女には現代のストレス社会の中で楽しく見られる娯楽だった。
それが、なんと気がつけば聖女としてその世界に入り込んでいるではないか。
ストレス社会からの脱出のみでなく、この世界では聖女の思い通りとなる。
現実の世界の自分がどうなったのかなど、もはやどうでも良かった。
何故か感動の出会いの記憶は曖昧だったが、上手く王宮に潜り込めた。
第二王子に見初められたのだ。
だというのに、その後はサッパリで聖女が何をしても誰もが相手にしてくれない。
どこかよそよそしく線引きをされて、とても溺愛どころではなかった。
そして極め付けは聖女がいつの間にか教会に返される事となってしまっていた。
里帰りなどと最もらしく名分が立っていたが、冗談ではない。教会などに帰ってしまったら、もう二度と王宮に足を踏み入れる機会などなくなるだろう。
それだけは嫌だ。
そう思っていたのだが
ここに来て事態は好転したのだ。突然の王子たちの訪問。このさい誰でも、いや、やはり全員が良い。聖女と恋仲となって欲しい。
「聖女様。王太子ならびに第二王子がお越しです」
侍女が声をかけながら部屋の扉を開く。
入り口にきらきらしい王太子が笑顔で立っている。
ああ、しばらく見ていなかったそのご尊顔。麗しすぎる。
王太子はハーレム要員ではなかったけれど、ファンブックにはちゃんと名前も出てきて、聖女はしっかりチェック済みである。
だって何故か王太子と王位継承権を争っているはずの第二王子なのに、継承権を辞退している上婚約解消までしているのだ。そんな第二王子より後々王になる地位ある王太子の方が良いに決まっている。
「お待ちしておりました。フィリップ様」
付け焼き刃の挨拶をすると、王太子の笑顔が固まっている。
そばのヴィルヘイムが王太子に何事か耳打ちしていた。
この二人は特に仲が良いとかの設定はどこにもなかったように思うのだけど。
もしかしたらアニメの続きでそんな場面も出ているのかもしれない。
まあ、麗しい二人の絡みは見ていて気分が良いのでいいか。
「聖女様、どうか私の事は王太子とお呼びください」
王太子が笑顔でつれない事をいう。何故か、アンリ王子がぷっと吹き出した。
珍しい。アンリ王子は気難しいのに。
「フィリップ様、そのように他人行儀は寂しいです」
腕を絡めようと手を伸ばすと、ヴィルヘイムに止められる。
「それで、聖女様は私に話があったのでは?」
王太子が聖女に話を促す。
聖女は戸惑った。手紙の内容を忘れてしまっていたからだ。
呼び出しが成功すればなんでも良かったので、王太子だけでなく第二王子、ヴィルヘイム、宰相の息子、騎士団長の息子とそれぞれにでたらめに送っていたのだ。
「あ、おひとりで…、こんなに人が多くてはお話しできません」
遠慮がちに聖女は申したが、王太子は許してはくれなかった。
「それはいけないな。教会から預かり受けている尊き聖女様と二人きりになることはできない。理解してほしい」
近寄りもできず、遠目から話すだけ。なんてもどかしい。
「…聖女の力とは不安定なのです。私の、心が安定していないと正確には視れません」
思い切って言ってみる。そんな設定などないのだけど
「つまり、何が言いたい?」
冷たく突き放すように、突然王太子が聖女に尋ねる。
「あ、…ですから、フィリップ様。手を、手を握っていただきたいのです」
聖女は言い放った。
周りがギョッとする中、王太子だけが笑顔で聖女を見ている。
「手を握ると未来が視えると?」
「そ、そうです。フィリップ様。手を握っていただけたら私の心も安定して、力も安定するのです」
フィリップ王太子が近寄ってくる。
これはいけそう。王太子が手を握ったら、よろめいて腕にもたれかかろう。
後一歩、というところで王太子がピタリと止まった。
「そんな事、どこにも書かれてなかったけど?」
聖女が伸ばした手を空中で止めた。
書かれていなかった、とフィリップ王太子は言った。
「え?」
聞き間違いかと聖女は戸惑う。
「だから、そんな事小説に書かれていなかったよね?」
まさか、と聖女は浮き足だった。
もしかして麗しの王太子が私と同じように、この物語の外からきた人間なのだろうか。
「まさか、フィリップ様。私と同じように前世の記憶があるのですか?」
聖女が言うと、王太子は怪訝な顔をした。
「前世…?」
違うのだろうか?
そもそも、聖女はアニメしか見ていない。小説があるなんて知らなかった。
「そんな事は、まあどうでも良いよね?大切なのは聖女様と私が同じ立場だとすれば、貴女はどうなるのだろうかと言う事だよね?」
「それは…」
同郷なんて素晴らしい事だと聖女は思っているのだけど、でもそれにしては王太子の目は全然笑っていなかった。
「貴女が良い子なら私もあるいは力にもなっただろう。けれど、聖女様はずいぶん王宮で嫌われてしまっているようだね?」
同郷だと思って浮かれていた聖女は冷や水を浴びせられた気分だった。
誰が、いや!どの侍女がそんな告げ口を?
「まさか、フィリップ様、そんな事、お信じになられるの?」
言っていることが信じられない。
それはまさか聖女はいらないといっているのだろうか?
まさか、嘘でしょう?
同じ前世の記憶があるもの同士、仲良くしていけると、むしろ二人だけの秘密ができたと聖女は思った。
麗しい見目の王太子が自分と特別な記憶を共有し合えるなんて、そんな甘美な話が目の前に転がり込んできた、はずだった。
「あの、私は未来視ができる特別な聖女なのですよ?」
「知っているよ。私も実は特別だったんだ。…つまり、特別は二人も王宮にいるかな?」
今や、麗しの王太子は聖女のライバルだった。
王太子が聖女の手を取る。
「ありがとう。おかげで確証を得たよ。…もしかしたら本当に特別な力のある聖女かもと思っていたのだけれど、これで同郷だと確信が持てた」
エスコートをするように聖女は、部屋の外へと連れ出された。
まずい、このままでは王宮を追い出されてしまう。
しかも聖女は「実は特別な力を持つ前世など知らない聖女」になる事はもうできない。
振り解きたい手を、王太子は決して離してはくれなかった。
ぐんぐんと廊下を進む。
もはや聖女は半分引きずられていた。
「フィリップ様!離してください!私には、…」
小説はどこまで進んでいるの?アニメの方が早い?どちらが先に世に出たの?
下手な言葉を発せれば弱味となってしまう。
聖女にはもう後がなかった。
これは賭けだ。王太子の知識の方が先をいっているのか。自分の方が先を知っているのか。
「フィリップ様はこの物語のどこまでご存知だと言うの?」
ぴたっと王太子の歩みが止まる。
「私、…ファンブックも読み込んでいるわ…。細かい設定も言えるもの」
聖女からは横顔を見上げるばかりでその表情は読めない。
もう夕暮れに差し掛かっていて、西日の当たる廊下は陰影の濃さを増していた。
「フィリップ様、私だったら…」
王太子は聖女に振り向くと、その麗しのご尊顔でそれはそれは美しく微笑んだ。
「なるほど、それで前世…」と王太子は呟く。
聞き漏らさず聖女ははっきりと聞こえた。
「聖女様、貴女はもうあちらに戻れないのだね?では、私が貴女よりも特別である事は伏せよう。貴女が教会でこの先も健やかに生きていけるように」
聖女には美しい王太子の微笑みが悪魔のように見えた。
王太子はもう歩みを止めなかった。
最後には馬車に放り込むように聖女を詰め込んだ。
使用人たちの手によって、ドサドサと聖女のために荷造りされた鞄が馬車の後ろに積み込まれていく。
「残念です、聖女様。王宮は貴女にとって安らげる場所ではなかったとは」
王太子は悲しげにため息をつく。
「フィリップさ…」
「聖女様が、…侍女たちでは慰めにならずにいた事は聞き及んでいます」
侍女たちで遊んでいた事を暗に仄めかされる。
聖女は口をつぐんだ。
「教会では健やかに在らん事を願うばかりです」
王太子は教会では王宮でしていた悪さはするな、と念押しをしてきている。
言っている王太子が現代人だからか、持って回った言い回しは聖女にもわかった。つまり、嫌味だと理解した。
「もし、聖女様の心が安らかでないと聞き及んだならば、私が必ず力になりましょう」
馬車の横でこの会話を聞いていたなら、人々はなんと聖女を大切にする王太子なのかと感動したに違いない。
この王太子が始めた舞台を、馬車の御者、使用人、騎士などの大勢が聞いている。
聖女だけに聞こえる「特別な力で」という王太子の呟きは、聖女を絶望させるに充分だった。
聖女はファンブックを読むのが精一杯。




