ガン・クラッパー二号討伐作戦
窓の下では道に等間隔で植えられた針葉樹が、十一月の枯れた風に揺られているのが見えた。よく目を凝らすと、道行く人々の吐く息が微かに白いのが伺える。
非指定地区と違って週に最低限度の労働で、揺り籠から老後までその生活が保証されている人々。諸々のプロパガンダが散りばめられた、無味無臭な娯楽も過剰なほどに供給される。死んで灰になるまで。安定した消費活動を繰り返す養分としての価値がなくなるまでの、長い長い暇つぶしのお供に。
片方で築かれたインフラや外貨が、もう片方の安定した生活を支える。
どちらに属すのか遺伝子によって振り分けられる。
屈強な身体を持つ者は非指定地区へ。
普通の身体を持つ者は指定認可地区へ。
そして脆弱な身体を持つ者は──無縁墓地へ。
「……ぶっちゃけ、自分でまだよく分かってないんですよね、これ」
チエの声でふと我に返った。
「そうだ。かつて連中が行っていた人体実験の数々は……反吐が出るような鬼畜の所業そのものだったが、ひとつだけ極めて幻惑的なものがあった。それは──」
「古代インディアーラの秘術、なんですよね。かつて外宇宙との交信を試みた、とある大魔道士が残したとされる黒魔術」
「そうだ。それを発現させるエーテルは、君たちのいた次元に特に顕著に存在していたとされる──こうしてたとえ他の宇宙にいたとしてもそれらを自在に操ることが出来る、まるで魔法使いのような十代の子供たちもな」
「とても信じられないですけど、ガチなら凄いっすよねー! 私らのいた宇宙。超能力を使える子供でいっぱいだったなんて。ルカちゃんだったら、今頃向こうでどんな力をブイブイいわせてたと思います?」
「……食事中に喋っても、食べ物を口からこぼさないようにする魔法かな」
ディアンジェロさんは更に続ける。
「その実態については未だ解明されていないが、ひとつだけ言えることがある」
どこかの窓の隙間から差し込んだ一陣の風が、少しだけ私たちの髪を揺らした。
「そもそもこの宇宙は、陰と陽の力、それらの相互作用として神から発せられた、ありとあらゆる場所に時間と空間を生み出し続ける、謂わば巨大過ぎるエネルギーの波形そのものだ。それは常に完璧で、調和的な釣り合いを形成している。そして重要なのは──それは常に、流動している。まるで隆起しては時間の経過と共に崩れ去る、移ろいゆく砂のように。この宇宙は絶えず膨張していると同時に、星々を動かし続けている」
またいつものよく分からない禅問答の迷路に入り込んでいこうとしている。私たちは確かに梵の修行をした。しかしそれは手段として、大宇宙がもたらす神秘の力をあくまで一時的に借りているだけに過ぎない。
それそのものや、宇宙の成り立ちについて究明するのは私たちの役割ではない。というか正直、私は全く興味がなかった。
なのに周りの人たちはいつもこうして、その謎の正体に迫ろうとしている。
私はその神秘とやらには興味がないのに。
とにかく目の前の物をぶっ壊せさえすれば、たとえそれがどんなに呪われた力だろうと構いやしないのだ。
「しかし、その完璧といえる調和の中にも、ごく稀に僅かな綻びが生じることがある。大仰にいえば、『非合理的な存在』というべきものが、均衡の取れた調和のハーモニーの中へと混入し、紛れ込むのだ。それを──」
うんざりだった。私は窓の外を見ながら、適当に相槌を打つ。
「その『不浄』を正す。意のままに、この宇宙の物理法則とかを操って。要は、ある程度は何でも出来ちゃう。心で念じれば」
「何でもじゃないですよ、ルカちゃん。例えば今すぐに、このビルをぶっ潰せるかといわれても……」
「無理だね。てか、そもそもそんなことやろうとしないでね。一般人巻き込むのは厳禁よ」
「はーい」
それが、梵。
奇跡の超能力。
分かっている。くだらないオカルトそのものだ。だが、確かに私たちに宿っている。私たちはそれを、心身で感じることが出来る。
その後もディアンジェロさんの梵への崇拝トークは続いたが、それらの神秘性は全て、チエの無粋な一言によって雲散霧消した。
「まあ、要は『スター・ウォーズ』のフォースですね!」
我々レジスタンス誰もが一番最初に思いついて、心の奥底に仕舞い込むような、とても人前でするには憚れるような発言。
でもそれを臆面もなく言えるのは、きっとこの子の良いところなのだろう。
「うむ……確かにそうだな。しかしそこまでメジャーかつ偉大なる過去の娯楽作の中で、単純化された概念と比べてしまうのは……」
「しかしディアンジェロさん! 『スター・ウォーズ』は今でこそ大ヒットシリーズとして記録されていますが、かつては監督ジョージ・ルーカスが自ら立ち上げた会社で独自に制作された、極めてインディペンデントで作家性の強い、謂わばカルト映画と呼んでも差し支えない作品であり……」
「はいはい。もういいから。あっすみません。いちごパフェふたつ下さい。ほら、チエも食べて食べて。長時間のドライブでお腹空いてるでしょ」
「いちごパフェ? やったー! しかもルカちゃん! 私の代わりに注文してくれたんですね! 流石、最高!」
「いや、誰も頼んでいいなんて言ってないぞ……というか君たちは既に挙式済みなのかね?」
「いいえ、勝手に言ってるだけです。事実婚事実婚」
「そうか、それでいい。今じゃ同性婚は、こっちでは即死罪になり得るからな。まあ、とにかくだ!」
私たちの諜報員は右手に、有事通信社社員専用の赤色のスマートフォンを掲げながら笑った。
ふと、待受画面には細君らしき黒人女性の姿が見えた。ディアンジェロさんと仲睦まじく肩を組んでいる、青いドレス姿の女性。多分、同年代ぐらいだろうか。サラサラに梳かれたロングヘアーがよく似合っていた。
「こういう、全てが物理科学等のロジックで解明されるものは味気ないと思っているだけだ。私は」
そしてウェイターがいちごパフェをふたつ、テーブルに運んできた。
私は無言のまま、自分の右手首に巻かれた青のミサンガを見やった。そのまま、料理にがっついている恋人の手元にも。
分かってる。早く帰ろう。
あの日、約束したように。
早く、二人で自由になろう。
「琴音ナナに関してはどうだ? 何か進展はあったか?」
「何も。バグだらけでろくに読み込めないままです」
「そうか……しかしふと気になったんだが、一ヶ月程前ぐらいだな、ちょうど非指定地区の頭上を通る、例の侵入が多発する高速道路の所でな──」
「はい! それはルカちゃんがぶっ壊したやつです! はい!」
「……いやだって、あの時は大量の車爆弾が……」
「……まあ、後始末はこっちで何とか済ませてあるから大丈夫だ。それで今日は、デート気分で指定認可地区へやって来たという訳か……」
ディアンジェロさんは首を左右交互に傾けてはポキポキと鳴らした。
「……すみません。以後、気を付けますので……」
「……まあいい。その程度ならあくまで自動探知だろうからな。まだ全本体には届いていない。本気であいつの怒りを買ったなら、即時君たちに向かって核ミサイルでも何でも落とすだろうからな。これからも彼女の調査は続けるのか?」
私はパフェをつつきながら、胸の奥底のつっかえを取るように息を吐き出した。
「直感で感じることはあります。それこそ、深淵なる梵のお告げでね。きっと琴音ナナには何かあります。これ以上にね」
「そうか。では、また連絡する。既に援軍は用意してある。この後は予定通りに頼む。『元気です。ありがとう。どういたしまして』」
──元気です。ありがとう。どういたしまして──
指定認可地区の人間は、一通りの会話の終わりにいつも決まってこう言う。軽い挨拶みたいなものだ。まさか、これを言い忘れた時には罰則がある訳ではないだろうが……
全が指定認可地区中に常にばら撒いている電磁波のプリズムと、端末を通して毎日数十分間の履修を強制させている「思考制度法」は、論理的帰結の名の元に全ての「?」を排斥してしまう。
全ての「?」に関連する単語は人々の言語野から綺麗さっぱり洗い流されてゆく。
御上の言うことには、「どうして?」と言ってはならない。
あなたは常に、「どのように?」と訊ねなければならないのだ。
政府、そして通信社の施行する政策に、何人たりとも疑問を抱いてはならない。
ディアンジェロさんは完全な洗脳からは辛うじて免れている。双眸に常に装着している、私たちレジスタンスが開発したコンタクトレンズのおかげだ。極微量の18ヘルツ帯域の脳波同期信号を眼球内の水分に共振させることにより、街中を飛び交うプリズムからの影響を遮断する。
しかし、彼は今でもこの挨拶を使う。
それを聞くたびに、私は密かに背筋が凍る思いがする。
そして、およそ約一時間後。
私たちはスリーパー・セルの重要人物との短い会合(久々のスイーツをついつい食べ過ぎてしまったので、予定をかなり超過してしまったが)を極秘裏に終えた後、手筈通りミッションの現場へと急行した。
「マウジッヒ・ストラッセ/一一〇番街」の大広場。
私たちの街とはまるで別世界だ。
どこまでも鮮やかできめ細やかな光の乱反射の中に、最新鋭の情報が洪水のように流れ出てゆく。見渡す限りの人、人、人、恐らくは模造人間……模造犬、模造猫たち……
この人々を守らなければならないのは、至極当然のことだ。いくら安寧を享受しているからといって、真に叩くべきはこの悪徳都市そのものであるからだ。
「(……で、どの辺に現れるんです? その新型の模造人間は)」
チエが普段と違った、明瞭で鋭い声を思念に乗せて飛ばしてくる。この子はいざとなったら、いつだって頼もしい。
「(それだけは分かんない。時空間転送の実験らしいから。本当は転送元まで分かればよかったけど、ディアンジェロさんは今は『タワー』勤務だからそこまでは分かんなかったって。何ならそのまま失敗して、何も起きてくれないのが一番いい。当たり前だけど)」
「(……マサフミさんのところを嗅ぎ回ってたのも、こいつなんですかね?)」
「(……多分ね)」
午後の陽射しが視界の隅にちらついた。広場には続々と人が集まってくる。中央部に設置された大きな噴水がサラサラとした音を立てている。
有事通信社が数十年おきに実施する、新兵器の「抜き打ち実技演習」──謂わば逃れられない天災だ。
如何なる状況下においてもその場の人命の救助は優先されず、全ては事故死や自然死として事後処理に回される。この国の人間全てが知っている常識。
何故なら全の下す論理的な判断は、何時でも論理的で正しいのだから。
しかし今回の、ここまで露骨で大量の死者数が予測される卑劣な計画は初めてだった。
今回実施されるのは新型時空間転送装置搭載模造人間──通称「ガン・クラッパー二号」の転送能力と、その機体と全搭載火器類の射程距離、破壊力の実施テストだ。
本当に何もかも無茶苦茶で、トチ狂ったクソみたいな話だ。
今回、指定認可地区の人々が狙われるのは、その奇襲の威力を計測する対象としてより幅広い年齢層、そして種々多様な模造人間や模造ペットたちが出歩いているから。
「論理」と「効率」を突き詰めれば、機械も人間も悪魔になれるということだった。
ある意味では、今や指定認可地区も非指定地区も関係ないのだ。私に言わせれば、既に全はバグり散らかしていた。
現に今の「人口削減」という名目の元に、かつて禁じられていた同性婚の制度などが再び解禁されることはなかったのだから。
禁止、禁止、禁止に次ぐ禁止──全は既に、「帰納的かつ可逆的思考法」というものを放棄してしまった。
そして、転送能力。
空間に空間を開けてしまう科学技術。
恐らくはあの「ドーナッツの穴」と同じ原理。
私たちのいた宇宙に、存在していたエーテル。梵を発現させる媒介となるもの。私たちがこの二一六〇年にいても、操ることの出来る故郷の宇宙の残滓。
奴等はもしかしたら私たちよりも先に、この宇宙の真理とやらに到達してしまうかもしれない。
その前に、早く──
広場中央の椅子に座っている私たちを包囲するように、ディアンジェロさんの用意した五十人ほどの私服の機動部隊が置かれている。必要とあれば、私たち諸共ぶっ放してくれて構わなかった。銃に撃たれたことなど、生まれて一度もなかったから。
いつでも弾丸は、私たちを避けてくれたから。
「(ねえ、久々に『レベルガール』、一緒に聴こうよ)」
「(えー。パンクはもう飽きましたよ)」
「(あれ聴いてると気分上がるし、より深く繋がるんだよね。ね! お願い!)」
「(……オッケーです! 分かりました!)」
実施時間である十四時が迫る。
カウント・ダウン。
三、二、一……
広場に面した一番巨大なビルの壁面に、時計を模した子供向けアニメのキャラクターのホログラムが現れ、その現在時刻を告げた。そして、そのキャラクターを背後から笑顔で抱き抱える、容姿端麗な少女が広場に大きく投射された。
琴音ナナだった。彼女が、私に向かって笑い掛けていた。
その刹那、私はこめかみの奥に疼痛が走るのを感じ、思わず地面にうずくまってしまいそうなほどの不快感に襲われた。
「(ルカちゃん!)」
チエに肩を抱かれて、辛うじて留まった。
周囲を見渡す。
何も起こらない。
実験の失敗か、中止か──
数秒後、約二十メートル先の通行人の一人、三十代男性の首から下が消失しているのに気が付いた。
緩やかな歩行速度に合わせて、血の赤が滝のようにコンクリートの地面の上に落下し、ビチャビチャとした不快な音を立てている。
「(あれだ)」
やがてその首は、ひとりでに地面へと落ちた。五キロほどある成人男性の頭部は、コンクリートの上で鈍い破裂音と共に、鼻先から目元に至るまでの小さなヒビ割れを起こした。左側の眼窩から白い組織が勢いよく飛び出して、地面の上をビチャビチャとした音を立てて鈍く滑り抜けていった。
「(クソッ、向こう側から出てくるんじゃなくて、向こう側へと引き摺り込んでる──)」
とある年配の女性から始まり、やがて広場全体へと伝播してゆく、甲高い悲鳴。
「(こうなったら、全力で向こう側へ抑え付けるよ! 被害を抑えるために!)」
「(はい!)」
そして数秒後。
逃げ惑う人々やロボットの中に、一瞬だけこの空間の中に混入した異物──「非合理的な存在」を、私たちの梵が感知した。
後方約四十メートル、現実空間の中空に時空の穴が開き、一人の中年の模造人間──ガン・クラッパー二号の右腕がそこから出現した。
その手は走り回る少年の首を狙っている。
「(抑えろ! 今──)」
私たちは目の前に両手を翳し、想いを念じる。それを捕捉する。
機械の指先は目標地点を失って静止。
しばし中空をユラユラと漂った。
危機を感じ取った少年は一目散にその場を駆け出す。
しかし、その機械人間の機動力はあまりに大きかった。
私たちの制御を破って、異次元の簡易ゲートを潜り抜けて、「マウジッヒ・ストラッセ」の大広場へとその全身が飛び出してくる。
グレーのスーツを着込んだ、でっぷりと太った中年男性。真っ黒で大きなサングラスを掛けている以外は、どこにでもいるような風体。
まさに、この宇宙へと紛れ込んできた不条理そのもの。
「(……もし私が先にあれ倒したら、ステーキ奢ってくださいね!)」
「(……何枚でも奢ってやるよ。今度は高級スイートルームでも押さえてもらってね!)」
私たちは走り出した。
頭の中で、ビキニ・キルの「レベルガール」が爆音で鳴り始める。




