出張
車窓を流れる指定認可地区の景色。無機質なビル群が蜂の巣状に建ち並ぶ。そして、朝焼けの冷えた空気が当たり一面に充満している。
確かに、ここは光に満ちている。
それでも何故か、この風景は無味無臭のようにも思えた。この街へ訪れる度、いつも不思議な気分になる。多種多様な電磁波と空飛ぶネット回線、塵ひとつなく区画整理された街並み。監視員、清掃員、一般通行人、etc……
ありとあらゆる壁面に映し出される広告、生放送番組の雨露、乱反射を繰り返しては煌めくプリズム、機敏な動きで街を歩き回る人、人、人々の群れ。ニュース番組の中年男性アナウンサーのホログラムが、時計台のある中央広場に大きく飛び出しながら言う。まるで顕現かのように。
「──本日もトーキョーラマは平和でした。そして明日も、これからも。安心、安全の指定認可地区。提供は、有事通信社──」
次は容姿端麗な女性アナウンサー。おそらく二十代後半ぐらいだろうか。
「──提供は、有事通信社──」
また次は若い男性アナウンサー。
「──提供は、有事通信社──」
誰も彼も目に光がない。こちらを真っ直ぐに凝視し続ける、ふたつの漆黒の空洞が顔の上部に空いているだけに見える。
「──労働、生産、消費、繁殖──」
「──全てのサイクルは貴方の為に、貴方は全てのサイクルの為に──」
「──全ては、論理的な帰結の名の元に──」
またもや聞こえる全の音声。監視カメラと同時に、至る場所に設置された超小型スピーカーから鳴り響いている。
片側の全ての人間たちの労働力が、もう片側の人間たちの安寧な生活を支えている。
それがこの列島が誇る人工知能が選んだ「論理的な帰結」の道だった。
「──提供は、有事通信社──」
なんとなく、自分がかつて通信社の豚共に連れ去られた時の記憶、十四歳の頃の朧気な風景を思い起こそうとしてみた。あれは確か、どこかの路上で遊んでいた頃──
「(あの、いっつも思うんですけど。何で私らの梵は、車の運転はしてくれないんですかね?)」
「(知らん。あと運転中に思念はやめてくれ。気、散るんだよ)」
「(じゃあ、代わりましょうか? てか気散るなら、返答もしないでくださいよ。私、まだ死にたくないんで。ただでさえルカちゃん、運転荒いのに)」
「(何が、じゃあなんだよ。ライセンス偽造して運転覚えんのに、どんだけ苦労したか分かってんのかこっちが)」
「えー」
「(声、出すなよ)」
「別に大丈夫でしょ、個人車ん中なんだし」
チエが助手席から猫の視線を投げかけてくるが、今はそれどころではない。
指定認可地区の都市開発知能AIは、所謂「普通でない」人間の歩幅や恰幅というもの全く考慮していなかった無能だったのか、この手の道幅の狭い二車線だと難儀する。
路肩を走行車スレスレで早歩きしている、銃や砲を付けるなどして手足を自由気ままに改造した有象無象の人々の動きは、まさしくロボットのそれである。
我等がグループの備える技術は優秀だ。
非指定地区との主要な連結部であるレナード橋、そこから伸びる高速道路は偽造IDで楽々通過。それに気配断ちを加えれば鬼に金棒だ。
しかしこの、久々の運転は──
「あーイラつく! もっと道譲れやボケ! チンタラ法定速度守んなやカス! もっとアバウトにいけアバウトに! 車も歩行者も鷹揚な精神を持て! それに少しぐらい擦ったところで、お前ら死にはしねーだろうが金持ち鉄屑マン共が!」
「……まあまあルカさんや、ちょっと落ち着いて。ハンドル握ってキャラ変わるとかベタなの、今時ないっすよ……どれ、ここは私が人肌脱ぎましょうか……」
そして横から身を乗り出したこの生涯の伴侶は、ハンドルに手を掛けようとこちらに身を乗り出してきた──
「やめろ!」
大きく横道へと逸れては、私たちの車は危うくビル側面への立体広告へと衝突しそうになった。
「──というわけで、先月扇動した小規模ストのおかげで今、ここに監視の目はない。貸し切りだ。思う存分、羽を伸ばしてくれ給え。非指定地区の若き革命戦士よ」
大型ショッピングモールの二階にある喫茶店。
指定認可地区の有事通信社社員、そして総監視塔勤務のディアンジェロさんが、テーブルの上に大きなパンケーキとコーヒーを一組ずつ差し出す。肩まで伸びた長いドレッド・ヘアーが揺れる。精悍な顔付きで、私たち二人を見つめていた。
そしてその裏の顔は、ランボー先生を頭首とする私たちレジスタンスが放った諜報員である「金曜日」だった。
私たちの故郷、「本当の二一六〇年」──その多元宇宙へと繋がる門が存在しているのはタワーの最深部。
人体実験や演習などを執り行う訓練施設はちょうど麓に位置している。そこへと長年潜入し、国民総監視システムの打倒を推し進めている最重要人物。この辺りでは珍しい黒人であり、年齢はまだ二十代後半という凄腕のエージェント。
「門の予定に関しては問題ない。今冬に再び開く際に、予定通り大陸側の本拠地から高性能解除ウイルスを一斉放射する。君たちがあの頃、何度叩いても念じても無駄だったあの透明な壁は、我々が総力を挙げて仮想空間から打開してみせる。安心してくれ」
「ねー。あれ、ほんっとに堅くて二人じゃどうにもならなかったんですよ。そもそも車の運転すら出来ないのに、暗号の解読なんて絶対無理だし」
「はいはい。出来れば向こうに帰ったら、君も運転お願いね……それにうちらみたいなマークされてる元被検体はそもそも至るところで認証求められるだろうし、異変を察知した向こうがあれを永遠に閉じでもしたら即アウトだからね。本当にこの三年間、WIN-WINの関係でありがとうございました!」
「……はい、ありがとうございました! いっぱい映画や音楽も教えて貰えましたし! あと、お菓子も!」
ディアンジェロさんは深々と頭を下げた後、ゆっくりと続けた。
「君たちは数か月後のタワー爆破計画の際、扉が開いた時に、隙を見てそこから逃げ出せばそれでいい。こちらでサポートする。後は我々でこっちのプロジェクトを完遂するだけだ」
「いや、私たちも手伝いますよ。有事通信社の連中、あいつら全員ぶっ殺すのに」
「舐められたもんだな。何も研鑽を積んできたのは君たちだけではないんだぞ。我々だってれっきとした革命戦士だ」
「……いや、大丈夫ですよ、色々任せてくださいよ。色々とね……」
私はコーヒーに口を付けると、窓の下に広がる「マウジッヒ・ストラッセ/七十二番街」を見下ろした。
生活雑貨屋や服飾店の建ち並ぶあの通りや、流行のスイーツ店に蟻のように群がる行列が見える。
コードネーム「金曜日」──ディアンジェロさんの黒い肌に西日が当たっている。優雅な手付きでフォークとナイフを操り、食べ物を口元へと運ぶ。正真正銘、指定認可地区育ちの作法だった。隣の席でガチャガチャと音を立てながら、必死に眼前の獲物に喰らいついているこの相棒とは違って。
「んー。悪くないですけど、やっぱ前に差し入れで貰ってた、和菓子の方がよかったですね!」
「……そんだけガッツいといてよく言うわ。奢りなのに」
「ハッハッハッ。チエちゃんの食べっぷりはいつ見ても気持ちいいねえ」
「その調子で、虫のフライも片付けてよ、ほんと」
「嫌です! 私は虫以外の甘いもの、そしてしょっぱいものを好みます! 極めて両面的に!」
パリっとした白いワンピース姿のチエを横目で見る。どうやら、この前の琴音ナナに影響されたようだ。ミーハー。仕事の日は、髪を巻いていつでもメイクばっちり。まあ、今日は私もしてもらってるけど。それに何だかここ最近、更に肉付きが良くなってきて──
いや、そうじゃない。そんなことは今、どうでもいい。
「その、革命戦士ってのやめてくださいよ」
ディアンジェロさんは不思議そうに小首を傾げた。
「何故だ?」
「最近思ったんですけど、革命ってのは古い世代の言葉なんですよ。ランボー先生もよく使うけど……いやあたしも使ってるか、まだ……」
「……じゃあ、何という言葉で代替出来る?」
「それは……」
私は二の句が継げなかった。
「向こうにはカフェはあるのか?」
「……昔はあったのかも」
「上の連中に潰されたか」
「多分そうですね、はい」
「ところで、今日は君らデート気分なのか?」
「え? 何でですか?」
「いや、傍から見て、凄いお似合いだったからさ」
私はいつもの赤いジャケットに黒のカーゴパンツを合わせているだけ。一体どこから仕入れているのか、頻繁に服装を変えるチエとは違う。
「あのーすみません! おかわりください!」
「ハッハッハ。よく噛んで食べろよ」
「で、そろそろ本題に……」
「あっ! ルカちゃん。食べないならください。気付きました? さっき少しもキョドらずに、凄い自然に、店員さんに声を掛けられました! やっぱりこういった食育は人を育む……」
「本題に入ってください!」
そして、我らが「金曜日」さんは静かに話し始めた。
「『デリンジャー』のマルコムと木下の件は残念だった。こちらとしても極秘裏に開拓したルートで助け舟を出したつもりだったが手遅れだった。彼等は今では非指定地区で唯一、仮想空間へのアクセスを許された通信企業勤めだった。いわば指定認可地区との外交官だな。こちらが現実と仮想空間を同時に探り、双方から立体的に調査と攻撃を進めている間に、向こうが開発した新たな通信傍受システムに掠め取られてしまった。助けられなくて、本当に申し訳ない」
するとディアンジェロさんは深々と頭を下げた。
「……彼らは、全の末端組織へとアクセスしようとしたところを、捕捉されたということでいいんですか?」
「そうだ」
私は目の前にあるコーヒーを飲み干した。
「現実と仮想空間の双方を、攻守共に固めようとしているのは向こうも同じだ。しかしこの現実世界には、どうしても軍勢の差が現れてしまう。そのために我々は、向こうの情報網を掻い潜っては長年掛けて、仮想空間への侵攻を着実に仕掛けてきた。耐え忍ぶ日々だよ。まるでセキュリティーの巨大な氷解を、ちっぽけなライターひとつで炙り出してゆくような牛歩の年月だった。だがそれも計画を着実に成功させるためだ。彼らの犠牲を、決して無駄になどしない。そして、今ではもうひとつの強力な味方もいる……」
「……慎重派の皆さんからしたら、随分と勝手気ままだと思いますけどね」
彼は静かな微笑みと共に、鋭い眼差しをこちらへと放った。




