The Feeding Of The 5000
黒い作業着に身を包んだ老若男女の群れが、巨大エレベーターに詰め込まれてゆく。
妊婦と重度の病人以外は食いっぱぐれることのなくなった世界に、灰色がかった光が降り注ぐ。
指定認可地区のビル群から発せられる強力な電磁波が、陽光を屈折させるのだ。街全体に降り注ぐ小さな埃と灰も、少しだけ高地に位置する向こう側の世界の化学薬品工場や再生エネルギー処理場などで焼却された廃棄物が、煙突から立ち昇る雲となって間接的にこちらへ降り注いだものだった。こちら側の朝日は常に薄く濁っている。
この宇宙の真理──基本構造である梵の静謐なる深部へと交信し、完全なる気配断ちをしながら私たちは砂利道を歩いていた。十月半ばの少しだけ肌に噛み付くような冷気と粉塵に塗れた景色の中で、私とチエは彼らの働く強制労働施設へと向かう。
一昨日の罰ゲームに負けたチエは、物資のパンパンに詰まった袋を六つ、バランスよく両肩に乗せながら歩いている。 昨日は昼過ぎに起きて、さらに琴音ナナの脳内データの解析に時間を費やし、結局午前二時過ぎに床に就いた。ここ数年ずっと不規則な生活で、私の眠りは浅くなっていく一方だ。横にいるこの怪力女とは違って。
そして昨晩は、無理にせがまれたが断り切れなかった。 いや、別に嫌ではない──というか大好きだから構わないのだけれど。 しかしなるべく寝る時だけは、チエと同じベッドの中は避けたかった。その寝相の悪さには定評があるから。押入れから布団を引っ張り出してきて、和室の通信基地に敷くという選択肢もあったはずだった。
こうして日々、私の安眠は妨げられてゆく一方なのだ。
「あーダルいわ、マジで」
「うわっ! ルカちゃん! 息、まだコオロギ臭いです! しばらくの間キスはやめてくださいね!」
「はいはい。昨日はそんなこと言わなかったのにねー」
わずか数時間の眠りで日々全快出来るこいつは、私と一体どこが違うのだろう。身体と、精神の作りのどこらへんが。
「それに、コンソメのいい匂いだろ。今日、ラーメンに卵とかトッピング色々付けるから」
「え? それは話が違くないですか?」
「はいはい。違くないよー」
流石、相手がクローンなだけあって、琴音ナナの記憶データへの運転は心身共に異様な感触がした。まるで頭蓋を丸ごと入れ替えられたような神秘体験。通常、記憶映像の疑似体験はメタ思考が併走する俯瞰的なものだが、毎回毎回本当に琴音ナナの頭の中へと入り込んだかのような臨場感がある。 それが最近のこの、異常なまでの倦怠感へと繋がっているのかもしれなかった。
「まさかルカちゃん。今日から始まった──」
「ちげーよ」
「そうでしたよね。もっと先ですもんね」
「……そういうのは面と向かって言わないの! もう!」
街の外れに掘り返されている巨大な炭鉱と、併設された簡易宿泊施設。無作為に選出されたこの町の労働者の大多数が、ここで強制的に炭鉱夫の職を充てがわれている。
金曜の昼。
皆が血と汗の滲んだ作業着を身に纏い、それぞれが岩場などに腰掛けて休憩していた。束の間の自由。私は彼ら、彼女らの表情のひとつひとつを注視した。 この人たちが収穫した石炭は中華連邦・第三列島の鉄鋼業の要となる。先の大戦以降の国内炭業は我が列島唯一の資源であり、輸出産業だった。
近隣の自動工場からは鉄と鉄のぶつかりあうキンキンとした衝突音、そして残響音が微かに聞こえてくる。死神同士が鎌を擦り合わせているような、不快で悪夢的な摩擦音。思わず耳を塞ぎたくなる。
私はその小さな不協和音を掻き消すように、人々に向かって叫んだ。
「はーい皆さん! お疲れさまでーす!」
皆がこちらに気付き、少しずつ集まってきた。余所者である私たち二人は、次第に温かい声に迎え入れられた。
およそ五百人程の労働者たちが密集するこの炭鉱スポットB-2。今日、監視員が一時的に現場を離れるのはこの昼休憩のタイミングだけだ。 私たちは持ってきた袋を広げて、パンや果物などの物資を人々に分け与えてゆく。
「本当に申し訳ないねえ。ありがとう、ありがとうルカちゃん」
「いいえ、大丈夫。お礼は上の人らに言ってね……会えるかどうか分かんないけど。うちらなんか、ただのパシリだから。で、最近どう? どっか悪いとこある?」
「ああ、最近腰をやっちゃってね……」
「大丈夫? 無理しちゃ駄目よ、絶対。たまにはバレないようにサボっちゃえばいいんだから」
そう言うと、今年で六十九になるサキちゃんはニッコリと笑った。
「チエちゃんも、いつもありがとうね」
横を見やると、丁度チエは地平線の彼方へと逃走しているところだった。 私は全速力で地面を蹴りつけ、その首根っこを掴んでは元の場所へと引き摺り出す。
「いっつも思うけど、何でお前の方が人見知りなんだよ!」
「うう……やっぱりなんか、他者との交流コミュニケーションって、動的でありながら、どこか静的な感じもするというか……」
「はいはい……」
チエをサキちゃんの目の前へと連れ出す。挨拶、他愛の無い世間話、そして情報交換を次々と交わしてゆく。炭鉱の人々と話す機会はそれほど多くない。私は彼ら、彼女らの普段の日常生活や悩みの種について、どんな小さな事でもいいから教えてくれと言いながら、調査を進めていった。
「近頃はやっぱり、労働時間が増えたのと、税金のやりくりが……」
「ご飯、いっぱい、食べたい。虫じゃなくて」
「テレビ、面白くない。もっと違う映画や、音楽が聞きたい」
「町中でただ歩いてただけなのに、有事通信社の人間に拘束されて……」
「昔、ネット上に書いてた普通の日記が、通信社への謀反にあたるとかで親戚が……」
「……この前、公園に……『デリンジャー』の人が……」
「知ってる。怖かったよね、ごめんね」
「……ルカちゃんが謝ることじゃないよ」
私はユウスケとケンイチの兄弟を抱きしめた。 彼らの父親は数ヶ月前、通信社によって粛清されたらしい。チエは母親の手を取って、何か言葉を掛けている。辿々しい調子で、顔を赤らめながら。
「あ、あの……こんな時に、何の慰めにもならないかもしれないけど、私の好きな昔の詩人が言ってました……彼はフューチャーって言って、同時代のケンドリックとかと比べて良い意味で適当で、ラフなバイブスとリリックが持ち味で……」
「おいやめろ。酒だの金だの女だの、ろくなリリックがねーぞフューチャーは。一体どんなパンチラインを投げかける気だ」
「あっ……あの、ボブ・マーリーっていうジャム・ファーミリアの伝説的なレゲエ・シンガーが、『きっと、全て良くなるさ』って歌ってました!」
すると彼らの母親は、静かに微笑んだ。
「うん、それなら知ってる。うちのお爺ちゃんが好きだったよ。本当に大昔の……英雄だよ」
「本当に、いつもありがとうございます。僕は今月いっぱいでここを脱けるんですけど、次のチーフに引き継いでおきます。また向こうの動きが分かったら、その都度、情報を送りますので……」
短く髪を刈り上げた、精悍な顔付きの青年。チーフのマサフミさんがそう言うと、人々は食べ残した物資を衣類等に隠して、それぞれの持ち場へと帰ってゆく。もうすぐ休憩も終わりだ。私はマサフミさんの作業着──その両腕に付着している血の赤を一瞥した。
私とチエの髪の色と同じ赤。赤は濃淡も含めて、結局は血の色でしかない。人間の身体に流れる赤。精神と精神を繋ぐ赤。そして暗黒の世界を、最も鮮烈に切り裂くことの出来る色。それが赤色という魔法。黒い作業着の上にポツンと浮かんでいる。
私は束の間、今まで殺してきた有事通信社の人間たちが流していた血の赤を思い出していた。
殺しても殺しても殺し足りない。
千切っても千切っても千切っても千切っても。
雨後の筍のように生えてくる。
ゴキブリのように湧いてくる。
私たちの敵──権力には実体がない。
姿形が見えなければ、匂いもしない。
権力権力権力権力権力権力。
ブリキの兵隊、張り子の虎の群れ。
いくら殺しても、殺しても殺しても殺しても、足りない。
「それで、最近少し気掛かりなことがあるんですけど……」
「何ですか? 何でも言って下さい」
「近頃、この辺りに変な人が見回りに来てて。いつもの監視員以外の人で、炭鉱入口の通行データを見るに、多分通信社直属の人間ではないと思うんですけど……」
恐らく奴等が開発した、新型の模造人間だろう。それであれば所属部署の登録も容易に偽造が可能になる。私はマサフミさんの両肩に手を掛けた。
「分かりました。とにかくここを出たら、真っ先にランボー先生のグループと合流して下さい」
「はい。今後も警戒を怠らずにいきます」
帰り際、ユウスケとケンイチがこちらへと走ってきた。二人は少しモジモジしながら、照れくさそうに笑い掛けた。
「ねー。この前聞いたんだけど、おねーちゃんたち、付き合ってんの?」
少しだけ、周囲に緊張が走った。
静寂。
ピンと張り詰めた空気の中で、まず先陣を切ったのはチエの方だった。
「そうだよー!」
笑っていた。
その声を聞いて、思わず目が少しだけ潤んでしまった。二人の兄弟は不思議そうに問いかけた。
「それって、確か犯罪じゃないの? 女同士で。なんか養子……なんとかとか、体外じゅせいとかも禁止されてるから、せいさん性? がないとかで……」
チエは彼らに、ゆっくりと優しく微笑んだ。
「犯罪じゃないよ。私たちはずっと、昔からこうだから」
皆に手を振りながら、炭鉱を後にした。
そして私はチエの手を強く、強く握り締めながら言う。
「じゃ、他の隠れ家で食料受け取って、次は隣町。早く行くよ!」




