琴音ナナ
…………
十二歳で、外は戦場だった
頭が上手く回らない。身体が硬直して動かない。ありとあらゆる光景が、目の内側を高速で駆け抜けてゆく。何処かの異国の土地でまた──
銃声。暴発。跫音。悲鳴。
やがてその回転は止まり、ぼやけた風景の中に微かな輪郭が浮かび上がる。そこは捕虜たちが収容されていた屠殺場だった。轟音が過ぎ去っているのに気付く。辺りは既に暮れかけていた。
──太陽は跳躍を止めて、切ない引力に引き摺られてゆく。やがてあの地平線の向こう側へと──
…………
「いや! ちょっと待って! 何だよこれ!」
ヘッドギアを外し、卓袱台の上へと投げた。銀色のニットキャップのような形をした文明の利器が、カタカタという音を立てながら小刻みに振動している。
チエは机上の左側に大きく展開された、ホログラムのタッチパネルをカタカタと叩くのを止めて、私を睨みつけた。
「もう! だから途中で強制ログアウトはやめてくださいよ! 機器がバグるんですよ。それやるとたまに!」
私は肩で息をしながら、頬を膨らませているパートナーに詰め寄った。
「何でこんな! いきなり戦場の記憶から始まるんだよ! 聞いてないよ!」
チエは大きな溜め息をついて、ランボー先生のお弟子さんたちが差し入れた煎餅の残りに手を伸ばした。
「あれ? 言いましたよ? 始める前に。大分、前の頃まで遡って始まる記憶だって」
「言ってなかったよ!」
「そうでしたっけ?」
チエは頬をのまんまるに脹らませながら、バリバリと煎餅の咀嚼に勤しんでいる。そして魅惑の猫の目でこちらを見つめてきた。
「何だよ。自分には耐性がないからってさあ……」
「……怖いんですか?」
「そりゃあ怖いよ。だって、ここの人たちはみんな、嫌な思いしたんでしょ? 先の大戦は。まさか徴兵されてたなんて……今では軍事拡張の名目で、ヤラセで続けてるだけらしいけど」
「……はい、まあ」
「大体、なんか描写がキモいんだよ。『太陽は跳躍を止めて』とか、『切ない引力に引き摺られて』とかさあ。なんか無理して詩的ぶってるみたいなさあ……」
チエは眼下のホログラム表示を見やりながら、頬杖を付いて思案に耽るような素振りを見せた。いや、単なる素振りだけだ。いつも、こいつの場合は。
「……うーん。まあ、そういう心象風景──つまり心の声は当然、ある程度はルカちゃんのものと被るのが必然ってな訳で……要は同族嫌悪ってことですか?」
「ええ! あたし、客観的にみたらいっつもこんな気取った感じで思考してんの? 最悪!」
「自分じゃ中々気付かないもんですよ。じゃあ、もう一回お願いします」
「……チエちゃん……ねえ、あたし怖いの。だから……ね。お願い?」
精一杯作り上げた、渾身の猫撫で声。チエが、ゆっくりとこちらへ寄ってきた。どうやら奏功したようだ。私はまた、その胸の中に抱かれる準備をした。
「……はいはい」
するとチエは、私の両肩を思い切りに鷲掴みにして、まっすぐにこちらを見て言った。口元には先程の煎餅の欠片が付着している。
「仕事なんで! 今日中にチャチャっとやっちゃいましょう! てか先に言い出したのルカちゃんでしょーが!」
そして元の定位置へ戻り、再度机上にタッチパネルを展開し始める。
ああ──この子のと違って私のこれは、未だかつて成功したことがないのだった。
「……なんだよもう。分かったよ」
なんでここまで急にドライになれるのだろう。それも有能である証か。再び、前頭葉に当たる箇所にメモリースティックが差し込まれた銀色のニットキャップを装着し直した。
それは各種媒体の出演者たちに提出が強制されている記憶情報。
指定認可地区第一等管理局にある保管部署から、先程私がダウンロードしては盗み出したものだ。
「大体、自分の記憶をデータ化するのも、他人の記憶に侵入するのも、そもそもあたしは嫌いなの! 後で頭痛くなるから!」
すると婚約者であり仕事の相棒は、機敏なタイピング作業を指先で反復しながらこちらも見ずにボソッと呟く。
「こうして闇でやってる分、民間企業より荒っぽくて負担の掛かるやり方になるのはしょうがないんですけど……私は知ってますから。ルカちゃんは、これぐらいの事でへこたれるような子じゃないって」
私は相棒に目線で合図を送り、再びターゲットの脳内へと記憶旅行の旅を始めた。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
地下アイドルグループ、「KATSURAGI DOLLS」の不動のセンターだった琴音ナナは最近、待望のソロメジャーデビューを果たし、人類初の超能力アイドルとして日夜メディアに多数出演し、指定認可地区の産業を賑わせていた。
彼女はランボーさんたちレジスタンスが、古代インディアーラの思想に基づいて長年に渡って信仰してきた梵の力を、初めて衆目の元へと晒したのだ。
最初に披露していたのはあくまで初級の技術──単なる子供騙しでしかなかったのだが、最近の「実技」を見るに、こちら側としては早急に調査を進めない訳にはいかなかった。
「すごーい! ナナちゃん! 本当にスプーンが曲がってますよ!」
「ありがとうございます! でもこんなのは全然序の口で、他にもとっておきがあるんですよー」
「ええー? 本当に? 是非見てみたいですー!」
スタジオで中年の女性アナウンサーが、わざとらしく応対している。
過去に違法受信したテレビ電波のリプレイ。画面の中で、白いワンピース姿の少女が笑っていた。
黒く艶々としたキューティクルが短く波打つショート・ボブ。輪郭のやや丸い、幼い顔立ちにカチっと合致している。まるで最後のパズルのピースみたいに。
溌剌とした表情。宝石のように輝いて、クリクリとした丸い目。血色の良い頬と薄紅の乗った唇が、またハキハキと喋り出した。
「それは今日の新曲で披露します! お楽しみにー!」
絵に描いたような偶像の結晶。
まるで宝石みたいだった。チヤホヤと持て囃されるのは当然だろう。あの愛嬌の良さと、圧倒的かつ完璧な魅力の前では、誰だって惚れ込んでしまうはずだ。資本主義の豚共、傀儡政権の兵隊共、そして無辜の一般市民、ティーンエイジャーたちも。指定認可地区の打ち出す商品としては、珍しくまともな代物であった。それは認めざるを得ない。
ただ一点の、とてもじゃないが看過出来ない、個人的には絶大なる意味を持つ不安要素を除いては──
「いやーでも、本当に可愛いですよねー。ナナちゃん」
「……はあ?」
「え、だって。うぶな感じがいいじゃないですか。昔のルカちゃんみたいで。今みたいに仏頂面になる前の。まあ私は、今の格好いい感じのも好きですけど」
「うっせーわ、どこがだよ」
「顔が。てかクローンなんだから当たり前でしょ」
「……違うよ! まだ九十九・九パーなだけ! 確定はしてないから!」
「画像解析で、ホクロとシワの数、網膜タンパク質濃度、その他の詳細が全部一致してるのに?」
「……うう、でも……やっぱりなんつーかこう……」
「ああ、そりゃ向こうの方が顔はいいですよ。プロがイジってるんですから」
「……皆まで言うなよ」
「いやー、解析すればこんなもんすぐ分かるのによくやりますね。整形顔とはよくいったもんで」
モニターにフルスペクトル透視された彼女の顔がアップで映し出される。至る箇所にセラミックとシリコン、縫合糸の跡。
女の子は本当に、ここまでするべきなのだろうか?
私は──正直まだ、よく分からないけれど。
「おい! やめろ! 悪趣味な……でも今の諸々の発言、割と傷付いたかも……」
「え? どれがです?」
「……もういいっす」
「だったら、こっちも向こうに負けないように、メイクとか服とか頑張ればいいじゃないですか。いっつもあのおんなじ服着てないで」
「……だから、あたしはそういうの、向こうに戻るまで敢えて我慢してるの! 願掛けだよ願掛け!」
「冗談ですよ。まあでも、私面食いじゃないんで、そこは安心してください」
「……本当かなあ?」
「まあ、でも、単純にいいなーと思います。私ももしこの次元で生まれ変わったら、指定認可地区のアイドルになりたいです。あんな風に、飛びながら歌って」
「……あっそう」
「てか凄くないですか? あんな風に飛べるの。どうやってんだろ」
「さあ……きっとイメージの力が強いのかな。あたしたちよりさ、もしかしたら」
「ルカちゃんも、飛びたくないですか? あんな風に」
「うん、まあ……出来れば……それより準備終わった? 次の運転の」
「もうちょいです。最後はもっと深い原生記憶まで、長い時間潜れると思います」
恐らく私たちのような「事故」とは関係なく、梵と繋がった指定認可地区の産業アイドル。
今後の政府側の動向を掴むには、確実に摘んでおかねばならないファクターだ。
しばらくしてチエが、私に微笑みかけてきた。
「次は、アイドルになってからの楽しい記憶ですよ……多分」
ヘッドギアを装着し、束の間の記憶旅行を再開する。
他人の思い出を覗き見する、とても卑しい夜の果てへの旅へ。
…………
目が、開かない。
痛い程に、眩しい。
光。
それは、無数の照明が放つ光だった。
思わず下を向き目を細める。いつもの黒のストレッチ・パンツ。昔は膝上丈の短いスカートを強制的に穿かされていたのを思い出して、急に吐き気を催した。
あのクソジジイ共の顔……この力を得た今では、簡単に吹き飛ばせるというのに。
「それでナナちゃんは、その超能力が使えるようになってどれぐらいなんだっけ?」
番組ホストの男は大昔のスパイ映画に出てくる悪役のようだ。朗らかな様子で話しているが、黒いサングラスの下の目は全く笑っていない。私と同様に、日々今の仕事を仕方なくこなしているだけなのだろう。
自ら永遠の命を買いに出た、模造人間の富裕層。今では指定認可地区のテレビタレントたちは模造人間だらけだ。彼等の目の奥が、本当に笑うことは決してない。
「えっと……四年ぐらいです。最初は何も分からなくて、ていうか今も原理はよく分かってないんですけど、何か外宇宙の力? というか意識? みたいなのと繋がっちゃったらしいです……はい。えっと、まあ東洋思想とかそういう、昔大陸側の、偉い人とか哲学者の人たちが研究していたようなやつで、昔だとオカルト扱いされてきた──」
「哲学としては、宇宙の根本原理。科学としては、最近発見された時空間を構成する要素のひとつとも言われてるよね。確か特殊なエーテルを通して発現させるとか何とか」
「はい。まあ、詳しいことはまだ分かんないんですけど……」
スパイ映画の悪役ホストはまた、興味深そうに話を続けた。
こうやって特異な存在がメディアに出演するようになった今、この業界を長年生きてきた彼にとって新たな刺激や興味の対象が出てきたことに関しては、きっと本当なのかもしれなかった。
少し踏み込んで話しすぎたような気がする。いや、この程度であれば大丈夫か。衆目の向いている先はその原理などではなく、あくまで目の前のド派手な見世物でしかないからだ。
最新のファッションに身を包み、余所行きの化粧を施された、世のティーン・エイジャーから絶大な支持を受ける女の子。
琴音ナナ、十六歳──それが今、私が付けている仮面だ。
そして恵まれていたのは容姿やスタイル、流行を先取りするセンスだけでなく、梵に選ばれし才能、世間一般でいうところのこの超能力に関してもだった。
「生まれはトーキョーラマなんだよね? 両親は?」
悪役ホストがまた尋ねてきた。私はカメラを多少意識しながら受け答えを続ける。そんなものは指先で検索すればすぐに分かることだ。私は早く仕事を切り上げて家に帰りたくなった。
「そんで徴兵には行ったの?」
少しだけ間が空いた。
一瞬の沈黙の中、私はスタジオ奥にいたマネージャーの志摩にアイコンタクトを送った。彼女は両手で✕印を作っている。
「行ってないです。精神異常鑑定で免除されたので。丁度この力が発現した時期だったので、検査に引っ掛かったんですよー」
「あっ……そうなんだ。じゃあ、時間なんで。スタンバイお願いしまーす」
そして私は、綺羅びやかなステージへと歩を進めた。
金色のオーラを、確かにこの身にまといながら。
「今週の第三位は! 初登場! 今! 話題沸騰中のこの子だ! 琴音ナナ! 曲は『流星』! それではどうぞ!」
私はぎゅうぎゅうに敷き詰められた観客の前で、身体を浮遊させながら、手元のマイクに向かって口を動かし始めた。
「──流星──」
──逃げ出したいなら銀河しかないよ──
──私がリズムに乗せてあげるから──
──ドキドキが止まらない 未来への予感が──
──音楽を止めないで 誰も知らない場所へ──
──夜空の煌めきを 瞳に映しながら──
──好きなだけ散りばめて 最高のタイミングで──
──今夜 あなたと出会えたのは──
──奇跡なんかじゃない──
──天の川を渡る 私のシュガー・ベイブ──
──永遠を手にする 愛の言葉が浮かんで──
──あなたは私のムーンライト──
──せめて今夜だけ──
──この宇宙を漂っていたい──
──彼方に輝くスターライト──
──せめてこの瞬間だけ──
──この宇宙を漂っていたい──
実際に歌ってなどいない。声紋を修得したAIが自動生成する歌声が流れているだけである。
私のいた次元で大昔に流行った、デュア・リパという歌手の模倣らしい。こんな曲がヒットチャート上位へ上がっている時点で、この国の芸術分野の脆弱さが伺い知れる。
最も、極秘裏にはこの超能力開発事業で他国をリードしているため、そんなカルチャーなどは犬に食わせろ──というのが、今のこの国の方針ではあるらしいのだが。
「ナナちゃーん! こっち来てー!」
女性客からの歓声が聞こえる。男性客もいるのだが女性よりは少ない。
私は曲のイメージを象徴した青いロングコートを翻して、彼女たちの上空まで飛んでいった。
彼女たちの目は歓喜の表情に煌めいていて、沢山の顔が眩い程の笑顔で彩られていた。
そうだ、どれだけ人工知能の技術が発展しても、結局最後に人の心を捉えるのは、同じく人の心でしかないのだ。
それにやはり、同性からの支持は嬉しかった。この退屈な仕事で唯一の収穫だった。
男なんて生き物は全員、この地上から死に絶えれば良いのだ。
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