ランボー先生と二人のテロリスト
「ルカちゃん、実験施設でのあの地獄の日々をもう忘れたんじゃないんですか?」
「うっさいな。寒いからはよ開けて」
「嫌です。開けて欲しかったら誠意を見せてください」
ノーメイクのチエはくすんだ黒のジャージを上下に着ていた。相変わらず口をあまり開かずに、舌っ足らずな調子でモゴモゴと喋る子だ。その癖、声はやたらと大きい。まるであの古びた「歴史的資料集」にみられるマンブル・ラッパーだ。
黒子のような格好とは対象的な、ピンク色の長髪が腰の辺りまで垂れている。
一六〇センチの私より少し背が低い、ややふくよかな体格。
長い睫毛の先で、いつでも私をやっかいな魔法にかける。潤んだ青い瞳は母親からの授かり物。少しだけ吊り上がった猫のような三白眼が、私を見つめている。非指定地区では特に珍しい、第三列島とアメリカーナとのダブルというやつだ。
最も、今や私たちに両親の記憶は殆どないのだけれど。有事通信社の豚共が、大脳皮質を弄くり回しやがったのだ。私にとっての唯一の家族は、この山田・キートン・チエだけだった。
それも世界で一番尊い、文字通りの最愛なる家族だ。率直に言って、ただの美少女。麗しい子猫のような眼の端っこが、嚙み殺している欠伸に釣られて涙を溜めている。何から何まで地味な造形をした、私の顔とは大違いだった。
「何に対してのよ」
口元に右手を添えながら欠伸を嚙み殺しているチエに私は言う。その手首には、お揃いの青のミサンガ。
「昨晩、愛しのフィアンセである私を一人寂しく、このボロ小屋に残したことに対してです。この寂れ切った、荒廃した世界の果てにある、まるでチベタンマリーの修道僧がこの宇宙の真理の淵に初めてその手を触れた後に、小屋を建てて人里離れて暮らしている高原の──」
「……おい、また何かスピ系の変な映画観ただろ」
「淡い紫と黄色のフラワームーンが静かに風に吹かれている場所のような、この誰も存在しない寂寞の世界で──」
「知らねえよ。あんたが任務ダルいって言ったからだろ。家で他にやることあるって。大体暇なら、また隣の部屋のチンピラ叩き起こして徹マンでもやりゃいいじゃん。そんで一緒に指定認可地区まで行ってさ、ああ、徹夜明けに食べる牛丼は最高だ! つって……」
「ルカちゃん! 今は厳戒態勢を取ってて、そうホイホイと向こうまでいけません。そして彼らはチンピラなどではなく、この国古来の妖刀使い、誰もが憧れる正義の味方、歴史と伝統あるYAKUZAの末端の末端の末端の末端の末端なのであり……」
「分かってるよ! 冗談よ冗談。それに多分、映画で仕入れたその知識も間違ってるよ!」
まあ、現実はこんなものだ。
所詮、表向きからみれば、私たちはこの社会をコソコソと這い回るネズミでしかない。
築四十二年、ボロの一軒家。木造の軋みが足元から全身に伝わる。チエは今にも蝶番が弾けて飛んでいきそうな扉の向こう側で、顔を半分だけ見せていつものように微笑んでいた。
私は片手に持っていたビニール袋を差し出した。
「はい。買ってきたよ豆乳」
「わー、ありがとうございます! ああそうだ、納豆ごはん食べます?」
「食べないよ! なんで腐った豆をご飯に乗せるの! 頭おかしいのかよ! 早く開けて!」
「駄目です! 合言葉をちゃんと言ってください!」
「開けゴマ!」
「違います! それは前のやつです。しかも、正しくは『開け✕✕』です!」
「……うわっ! 最悪! 今絶対、下ネタくると思ったもん、この流れ」
「えへへ」
「えへへじゃねえーよ、はよ開けろ!」
チエは目の下まで伸びた長めの前髪を指先でいじりながら、悪戯っぽく笑っている。夜風に小さく揺られる艶やかな髪。こんな生活では毎日ろくに日光にも当たっていないだろうに、何故こんなにもキラキラした髪質をしているのだろうか。私は肩の辺りを漂う、少しだけパサついた赤い襟足を触り、諦念のこもった深い溜め息をついた。ナチュラルというか、無造作というか。精一杯、良いように言えばだけど。
私の髪は、死に絶えたドス黒い静脈の赤。
あなたの髪は、生命力に満ち溢れた煌めく動脈のピンク。
同じ人体実験を受けた人間でも、何故そこまで違いが出てしまったのか。「歴史的資料集」の中にみられる約一世紀半前の太古のファッション雑誌、チエは未だにそこから様々な情報を取り入れているのだった。確か、ベースメイクがどうとか、イエベ? ブルベがどうとか。骨格がどうたらこうたらとか。外に出るときはいつも、不思議な香りの香水を手首や首元に振っていたり。顔に白粉を塗ったり、アイラインを引いたり。
しかし、変なところで律儀な奴だ。先生の教えを未だ忠実に守っている。まだこの場所がバレている気配はない上に、私が偽物であるかどうかは、時間はかかるが脳を透視すれば良いだけだというのに。
「やっぱり、暗号とかあった方がテロリストっぽくて格好いいじゃないですか!」
「……だったらそれを、わざわざ口に出して言わんでくれ……」
「あとこういう、登場人物が無駄話ばっかしてる映画もこないだ一緒に観たし……えっと、タイトルなんでしたっけ?」
「いいから早く!」
チエはまたまた悪戯っぽく笑っている。リスのように頬に空気を溜めて膨らませて、私を少しだけ見上げていた。
やばい、しつこい。ちょっと本気で腹が立ってきた。いつもなら指先でプニプニした後、何度も何度もチューしてるところだったけど。マジで早くしてくれ。こっちは疲労困憊だと言うのに。
「ちょっとルカちゃん、顔怖いんですけど!」
「分かった! 分かったから早くして!」
「はい。それじゃ第一問……」
「第一問? 何問あんの? てかそれ合言葉じゃなくてクイズじゃん!」
「いいから、いいから! えっと……第一問!」
「何問あるの! 寒い!」
「一問だけ! えっと……あの六〇年代のレア作品、セルジオ・コルブッチの『続・荒野の用心棒』で、窮地に追い詰められた主人公ジャンゴがラストシーンで言い放った……」
「『土に還るべし』!」
「え? 凄い! 何で分かったんです?」
「前、話してたそれ! あの台詞格好いいって! 本当に早く入れて! 誰かに見られたらヤバいじゃん!」
「はい、おかえりなさい! 我が同志、玉依ルカちゃん!」
チエの手が私の手首を引いた。その感触は確かに温かく、彼女の首筋からは確かに生き物の匂いがした。
伽藍洞になっていた私の胸の内に、何気ない小さな灯が点った。
私は、クスクス笑い続けるチエによって中へと迎え入れられた。
部屋の中では何時ものように、爆音でフューチャーがかかっていた。曲は「ギャングランド」だ。
確かに約一世紀半前の素晴らしい詩人だと思う。だがここまで大音量でプレイさせる必要はない。我が親愛なる同士の技術者が開発した、特殊な逆位相音を放ち続けるノイズキャンセリング・フィールド装置付き防音壁が四方八方に展開されていなければ、一瞬でこのアパートごと瓦解してしまいそうな程の振動だ。
特徴的なサイレン・エフェクトを多用したメトロ・ブーミング作曲のビート。高音を強調したハイハットとスネアの連打が鼓膜に突き刺さって離れない。
「やっぱりなんか獰猛でありながら、どこか繊細な感じもするというか、この両面性が良いというか……」
「両面性ねえ……」
「ルカちゃんも、夜はもっと両面的になってもいい──」
「はい──そこまでだ」
お喋り破廉恥娘の頭上にチョップを喰らわせた後、キッチンで手洗いとうがいを済ませた。指定認可地区と違って、非指定地区じゃ疫病だって流行っているのだ。
およそ十畳程の、1LDKの部屋。大きめの箪笥、トイレ、小さな洗濯機とシャワールーム付き。訳あって、リビングの片隅に無理矢理ベッドを置いている雑多な部屋。回転し続けるレコード・プレーヤーが、四隅に立て掛けられたスピーカーから巨大な音の塊を放出している。
この家賃にしては上出来だろう。ランボー先生お得意のDIYの趣向が凝らされた部屋の中央には、シンプルかつ如何にも大仰なデスクがあり、壁には大小異なる色んな形のラックやフックなどが取り付けられている。
そしてそれらの中には、種々多様な音楽CDやレコード、書籍、映画のディスクやそれらのための再生装置などが収納されている。
「歴史的資料集」──「革命的考古学者」である私たちグループによって蒐集された宝の山。
政府の検閲を逃れて流れ着いた、マニア垂涎の金銀財宝。どれもこれもボロボロだけれど、確かに私たちレジスタンスの心の糧だった。
私たちの宇宙、私たちの故郷が誇る文化だ。全体的に点々と発掘、修復されており、大体一九七〇年代から八〇年代のものが多い。六〇年代以前、そして九〇年代以降は中々にレアだ。先生によると、この辺りの時代から、今のような全体主義社会への萌芽がみられるようになったとのことだ──ことさら「この宇宙」においては。
奥の四畳半の和室には、襖を取り払って設置された本部直通の通話モニターや最新型のPC、スクリーンモニターが所狭しと並んでいる。これでも厳戒態勢という訳だ。
そしてさっきからリビングの中央でデスクの上に立ったり座ったりなどしながら、壊れたゼンマイ仕掛けの人形のように一心不乱に首を振り続ける、私と同い年である少女、そして婚約者である山田・キートン・チエ十七歳は、普段ろくに動かしもしていない四肢を懸命に震わせながら踊っているのだった。
それは今まで映像で確認してきた本来のヒップホップのノリとは程遠い、まるでかつてのニューウェーブ・ダンスのような目に見えてカクカクとした不整脈的ヴァイブスを想起させる代物であり、はっきり言って、我が最愛なるパートナーながら率直に言って、とてもじゃないが見ていられなかった。
私はまた溜め息を吐くと同時にスピーカーの電源を落とした。そしてその防音壁の機能をオフにし、この室内にある唯一の大窓を開け放つ。
「ああ! 何で切るんですか!」
「はいはい。節電節電。あと脳で聴け、脳で」
チエは肩をすくめながら言った。
「でもやっぱり、空気の振動って大事じゃないですか? 脳で聴いたら味わえませんもんね。やっぱりどんだけメディアやガジェットが進化して、配信サービスが発達し、人々はワイヤレス・イヤホンを使うようになり、超能力者は頭で音楽を聴くようになったとしても、やはり音楽の本来の聴き方、楽しみ方としては、こうして古来よりレコードに溝を彫ることで連綿と受け継がれてきたこの至上の録音技術を用いるのが……」
「はいはい、そうだね」
「てか、皆音楽はそうやって聴いてるじゃないですか。映画やドラマ、アニメの中のキャラクターたちは。こうやって、皆で踊りながら。なんで私たちは駄目なんですか?」
「……まあ、そりゃそうなんだけど……」
私は脱いだジャケットをその辺のフックにかけた。そして狭い脱衣所に入ってはあの指定認可地区のビル群を頭に思い描きながら服を脱ぎ、シャワールームの扉を開める。蛇口を捻ると、頭上のシャワーヘッドから温かい恵みの雨が降り注いだ。
利権と思惑に塗れた有事通信社の豚共の本拠地であり、非指定地区の何の罪もない人々から重い年貢を締め上げながら自らは奢侈を尽くし、あまつさえ彼等を監視し、支配までしようとする。
全体で約二五〇〇平方キロメートルの領土の内、七割の土地が残り三割の特権階級のために日々、奉仕する。
基本的人権は、基本的に問われない。
これが全知全能の人工知能が導き出した、安定した消費社会の様式。
悪徳都市。
私はこの腐り切った世界を変えたい。
この残酷な運命に抗いたい思いをまた新たにした。
「え? どうしたんですか? ルカちゃん? え? なんかお疲れ気味ですか? え? え?」
部屋着のスウェットに着替えた後、リビングに戻ると背後にはチエがいた。
ニタニタと笑っている。不覚にも、それは全く以て知覚出来なかった。
なんで戦闘中でもないのに、こんなタイミングで本気を出してくるんだ、畜生。チエは何時もの怪力で私を羽交い締めにし、振り回し、引き摺り、リビングの片隅にあるベッドへと強制的に連行した。これだけの膂力があるなら、普段からもっと柔軟をしておいてくれ。
「ほら! ゆっくり休んでくださいね! そんで……」
そして、私を押し倒した。
「……ルカちゃん、しよ? ね?」
腹の辺りに、その豊穣な二房の塊が……愛おしい官能の触感に溢れた肉が、ギュウギュウと押し付けられる──ムカつく。
でも、いつだって、どうしても──大好きだ。安心してしまう。
私はチエの、ピンク色をした薄い唇にキスをした。
生温かい生き物の感触と、微かに漏れ出る鼻息の音。両手を優しくその両頬にあてがって、さらに激しく求めてゆく。互いに摺り寄せあった部屋着の衣擦れが重なってゆく度に、私の胸は更なる早鐘を打ち鳴らしてゆく。
薄く、目を開ける。
きっと、チエも同じ気持ちだろう。緩い力で閉じられた瞼から飛び出した、細く長い睫毛の先が視界にちらつく。
次第にくちづけは深くなり、どこからか甘ったるいオレンジジュースの味がしてくる。きっと、この前私が買ってきたやつだ。いや、勝手に飲んでんじゃねえよ……まあ、いいか。
私たちの息は更に荒くなり、互いの指先がシンクロしたかのようにほぼ同時に、胸元、腰回りを弄り合う。思わす変な声が出てしまう。いや、無茶苦茶恥ずい……まあ、いいか。するとチエの細く美しい、冷たい指先が、私の着ていたスウェットの下へと伸びてきて──
「──ちょっと待って! 待って! ストップ! マジで!」
チエは息を弾ませながら、薄い赤色に染まった顔をこちらへと近付けてくる。
「……えっ? なんでですか?」
「し・ご・と! だから今夜中にやんなきゃって、前から言ってたじゃん! もう! 後にしよ! 後!」
私は左手に梵の光を集めては、ラックに掛けてあった赤いミリタリージャケットの中からメモリー・スティックを呼び出した。その銀色の長方形型の小型端末は、安定した弧をユラユラと中空に描きながら、ベッドの上にいる私の手元へと静かにゆっくり飛んでくる。
「うーん。まあ、しゃーないっすね。防音なしだと、ルカちゃんいつも、すっごいおっきい声出しちゃうし──」
「はい──そこまでだ」
お喋り破廉恥ドS娘の頭上にチョップを喰らわせた後、私は種々多様なガジェットの立ち並ぶ和室へと赴いた。指定認可地区の第一当管理局にて厳重管理されていた、この代物を指先で軽々と弄びながら。
「さあ、先生への報告を先に済ませたら、こいつで目一杯、遊ぶよ。朝になるまでね」




