長い長いまやかしの終わりに
決行当日。
指導員の一人が、総監視塔へと戻ってゆく。
ダイスケ君とリョウ君は、死体安置所で予め製造しておいた人間爆弾を炸裂させた。
胸部から恥骨までを切り開き、実験室に置いてあった酸化鉄とアルミニウム粉末を詰めた後、マグネシム箔を導火線にして起動させた即席のテルミット爆弾を、D棟の至る所で爆破させたのだ。例の如何わしい黒魔術に使用する、冷凍保存された死体たち──ペイガニズム時代の人身御供や、蘇生実験などなど──単に解剖するだけでは飽き足らず、私たちの身体は死後も玩具そのものとして扱われていた。
そんなかつての仲間達を爆弾として再利用した私たちも、今ではあいつら豚共と同類に堕落してしまったのだろう。
それでもやるしかなかった。
ダイスケ君も、リョウ君も、私も、チエも、ユミも、カエデも──
ここから出て、自由になりたかったからだ。
混乱に乗じて、まずユミとカエデが演習中に銃をぶっ放した。
イツキちゃんとミドリちゃんを殺した指導員二人にだ。そいつらの後頭部に咲いた紅い花は、真っ赤なトマトみたいで綺麗だった。
私には、それが視えた。この時は、動き回りながらでもそれが確かに視えたのだ。最高にハイだった。
続いてあの痩せ細った骸骨のような顔をした男と、背の低い見た目の若い女も。ユミとカエデが、その人を殺すための鉄塊を発射してぶっ殺した。
私とチエは意思の疎通を取りながら、あちこちにある監視カメラの目を破壊しては走り続けた。
D棟の、あの金属扉へと向かって。
地下を通り抜けていずれは地上へと繋がる、あの希望の扉へと向かって。
先程、この肉眼で視認した人間爆弾の爆発。
そして、チエと何度も夜通しイメージした火薬と硝煙、閃光の炸裂。
だから、あの二人は実際に爆破したのだ。その光景で、私たちがいろんな場所を実際に爆破出来るように。
心に力強く、イメージ出来るように。
この鳥籠の何もかもをぶっ壊して、この豚共の誰も彼もをぶっ殺して──殺して、殺して、殺して、殺して回った。いつも檻の外側から私たちを偉そうに見下ろしていた見張り番も。偉そうに化学やオカルトの蘊蓄を並べていたヤク中も。その他諸々の豚共も。有象無象、烏合の衆。全員、爆破して回った。全員、頭が紅い花になった。全員、血と内臓に塗れた糞になった。全員、全員、全員が──
殺しても殺しても殺し足りない。
千切っても千切っても千切っても千切っても。
雨後の筍のように生えてくる。
ゴキブリのように湧いてくる。
私たちの敵──権力には実体がない。
姿形が見えなければ、匂いもしない。
権力権力権力権力権力権力。
ブリキの兵隊。
張り子の虎の群れ。
いくら殺しても、殺しても殺しても殺しても、足りない。
そういえば、あの黒人神父が見つからなかった。あいつだって、本当は殺してやりたいのに。
私たち四人は全てをぶっ壊しながら、D棟の金属扉へと急いだ。きっと今頃は、ダイスケ君とリョウ君が解錠してくれているはずだ。轟音が四方八方で鳴り響く中、血飛沫の散乱した通路を裸足で駆け抜けてゆく。
私は風になった。誰にも追いつけない風。
気が付けば周りに誰もいない。高鳴り続ける心臓の鐘と、冷たい空気に粟立ち続ける肌。やがて爆発音も、血飛沫も知覚に入らなくなる。
息が──出来ない。
次の瞬間、遮るものは何ひとつない、真っ白でだだっ広い空間にいた。
何処かは分からない。施設内ではないことは確かだ。
一体、何が起きたんだ?
そして目の前には、私を嬲り続けていたあの男が現れた。
私は考えるより先に、見えない巨大な手をイメージした。そしてその男の身体を左右から捻り上げ、勢いよく千切った。
ボトボトと地に落下する内臓たち、同時に空気に晒された鮮血のシャワーがそれらに降り注ぐ。苦痛に歪んだ口元から飛び出た舌、重力に引き摺られて眼窩から飛び出した白子のような目玉。まるで、私を恨めしげに直視するかのように、ゆっくりと垂れていった。
これが、殺しだ。自分の意志で、他人を殺めるということだ。
私は筆舌に尽くし難い昂揚感と快感に全身を打ち震わせ、カラカラに乾き切った口腔の中に湧き上がった一滴の生唾を飲んだ。
しかしその恍惚は、一瞬で消え失せた。
みんなは? チエは?
そして、ここはどこなんだ?
「鳥を見ただろ? それにやめておけと忠告したはずだ」
誰もいない白い空間に、先日聞いたばかりの声が木霊する。
「自らの手でその一歩を踏み出せば、もう戻れなくなるんだ」
「結局ルカちゃんって、人殺しを気持ちいいと思っちゃうような人間なんですよね」
チエの声が、どこからともなく聞こえてきた。
「こうやって、人を殺してるのが何よりも好きなんですよね? 私のことなんかより──」
声を張り上げた。
しかし喉から伝わる振動は、目の前の空気を震わすことなく胸の内で押し潰されていった。
違う! そんなことない!
するとまた、あの神父の声が聞こえてくる。頭の中で、両耳の鼓膜の側で、静かに反響し続ける音の波。
「引き金に添えた指先と、銃そのもの──それらの一体、どちら側が人を殺すのか? お前たちは確かに世界の殻を破ったが、自ら手にしたその銃について、未だに何も知らないでいる。握り締めたその手を、見ようともしないでいる──」
目の内側がグラついた。
思わず地面に膝を付いた。その地面も、同様に揺れていた。こめかみの奥に鋭利な痛みの閃光が走り抜けた。耳元で交互に鳴り響くあの男と、チエの声。全身の毛穴から汗が吹き出す。何なんだ? これは? 全ての現実感が飲み込まれる。手を振り回しても、誰にも触れられない。声を上げても、誰にも届かない。ただ、瞬間だけがある。今という絶対的な瞬間。まるで一コマごとに匍匐前進を続ける巨大な軟体生物になった気分だ。瞬間、瞬間、瞬間が今、ここにはあるだけ。その絶え間ない連続こそが、私の過去と現在と未来になる。
私は本来、ここにいないはずなのだ。
私の本当の居場所は、きっとここではないどこかにある。
気が付けば身体の異常な震えは止み、目の前の白い空間も定常を取り戻していた。
目の前には、黒い扉があった。
絶対的な質量を誰かに誇るように、その場に鎮座している巨大で堅牢な扉。
私はドアノブに手を掛けて、向こう側の世界へと飛び込んだ。
そうする以外には、選択肢がないかのように。
絶対的な何かに、そっと導かれるように。
向こう側の世界は青空の下だった。
地面には、ダイスケ君とリョウ君の身体があった。
お互いに十以上は細かく引き裂かれていた。それぞれの肉片はまるで星座のように、トロトロとした粘着質の紅い線で結ばれていた。夏の陽射しが眩く視界に映り込む。熱に浮かれた蒸気が全身をくすぐる感触。
向こう側の世界には、晴れやかな草原が広がっていた。
そして、何百人もの重武装した有事通信社の傭兵たち。地平線に沿って規律正しく立ち並び、私にありとあらゆる重火器類の口々を向けていた。
だから、銃は嫌いなんだ。
「……ルカちゃん」
私はすぐ横に現れたチエを地面に押し倒し、身体の周りに防護壁を強くイメージした。その想いは結界となり、私たちの身は銃弾の嵐から守られた。この宇宙に入り込んだ非合理な不浄から、私たちは護られた。
すると、ユミとカエデの首が前方に転がってきた。
もう、嫌だ。
ふざけるな。
何もかもだ。
何もかもふざけるな。
この世界は、この宇宙は不浄でしかない。非合理的でしかない。見せかけの論理的な統治を建前に、全ての不浄と非合理がまかり通っている。
暴力だ。暴力しかない。
体制に立ち向かうには暴力しかない。この悪徳都市に、世界に、クソったれな宇宙に鉄槌を下すために──
もっともっと巨大な、「力」が要る。
私はこの宇宙の暴力を、自らの意志で肯定しようと思った。
目を開く。胸を張って前を向く。
横にいた相棒も同じだ。
私たちは、未来を視ている。
「──髪の色が──何だあれは──まさか、繋がったのか──神の御子が──」
遠く向こうで、豚共が何か喚いているのが鮮明に聞こえる。
私はそいつらに向かって軽く右腕を振りかざす。
そこにあった数々の擦り傷、打擲、切開の跡などは、全てまっさらに洗い流されたように消え失せていた。
私たちはまさにこの瞬間から、新しい命に、生まれ変わったのだった。
前方に振り下ろした右腕と同時に、豚共の身体が次々と破裂してゆく。
断末魔の雨霰。
地平線上に、真っ赤なトマトたちの花が次々と咲いてゆく。
次の瞬間、見覚えのあるオレンジの飾り羽をした鳥が、目の前の中空にその姿を現した。
何が起きたのかを脳が処理しようと試みる刹那に、鳥は私に向かって一人でに歌い出した。
──逃げ出したいなら銀河しかないよ──
──私がリズムに乗せてあげるから──
──ドキドキが止まらない 未来への予感が──
──音楽を止めないで 誰も知らない場所へ──
──夜空の煌めきを 瞳に映しながら──
──好きなだけ散りばめて 最高のタイミングで──
──今夜 あなたと出会えたのは──
──奇跡なんかじゃない──
──天の川を渡る 私のシュガー・ベイブ──
──永遠を手にする 愛の言葉が浮かんで──
──あなたは私のムーンライト──
──せめて今夜だけ──
──この宇宙を漂っていたい──
──彼方に輝くスターライト──
──せめてこの瞬間だけ──
──この宇宙を漂っていたい──
限りなく薄く引き伸ばされた時空間の中で、鳥はホルマリン漬けの胎児へと形を変えた。
そしてその胎児は、私の目前で一人の裸の少女の姿へと変身を遂げた。
「長えんだよ」
「これからお前らが大陸側に渡って、ランボーさんとこで色々修行したり、色々映画やら音楽やらに触れたりしてーってのをちまちまリプレイしてる暇はねーぞ。言っとくけど」
「まあ、とにかくな、次の日曜の午後三時……中央広場で新市長の就任式がある。知ってるよな。ちゃんと観とけよ。そしたら多分、あーしに会いたくなっから」
「そんで会いたくなったら……会いに来い。非指定地区のレナード橋な! 来たら何時でも飛んでくよ。すぐ察知出来るから」
「じゃ。連れも呼んでるみたいだから、そろそろ現実に帰んな……」
…………
…………
「……! ……!」
懐かしい声がする。
ちゃんと血の通った声。本当にこの世界に、実在する声。
「……ルカちゃん! ルカちゃん!」
何時もの隠れ家。
目を開けると、チエの顔がこちらを覗き込んでいた。
私は、現実の世界へと舞い戻った。




