夢幻‐恋の話‐
そのホルマリン漬けになった胎児は先の大戦の戦死者だという。
英雄であり、優秀な素材。その脳の記憶中枢を司る側頭葉の一部は別の個体へと移植され、また新たに再利用される仕組みだ。
一体この国は、この列島は、現在海の向こうにあるどの国と戦っているのだろう。
梵と呼ばれるこの力は、どうやらかなり諜報活動に向いているらしい。
D棟の死体安置所に潜入したナンバー1のダイスケ君と、ナンバー2のリョウ君。彼らの目を通して、私はその薄目を開いたホルマリン漬けの胎児を視たのだった。
この芸当は繊細な集中力を要するので、瞑想中にしか出来ない。それでも檻の中から外界を散策出来るのは、諜報活動としてはこの上ないアドバンテージだった。
中央広場横の踊り場、地下へと続く階段──そこから伸びる地下通路──金属扉の暗証番号──全て抜かりなく押さえある。
予定通りに明日の演習が化学関連であるのなら、決行出来る。ここよりも自由な世界が、目の前に立ち現れるはずだ。ダイスケ君とリョウ君はD棟を後にした。私は彼らの背中越しに、あの胎児の小さく開いた目の冷ややかな視線を感じていた。
隙を見つけて仲間たちとの最後の会合を終え、ダイスケ君、リョウ君、私、チエ、ナンバー8のユミ、ナンバー10のカエデの6人は、何時もどおり大人しくフロアーで床に就いた。
脱出作戦決行前夜。
いつもの鳥が、派手なオレンジ色の飾り羽を翻して、私の顔の真上を舞っていた。
私は手を伸ばした。
その手は虚しく空を切った。
「(……あのさ)」
「(何ですか……?)」
「(……いや、その……)」
「(ああ、告白ですか。その感じは)」
「(……は? なに? なんで? なに? マジで)」
「(いやだって、ルカちゃんの頭をジーっと見つめてたら、私に微かな好意を持ってるのが分かったんで。友情とかじゃなくて、ちゃんと恋愛として好きなんだって)」
「(──なっ)」
「(だからまあ、その、雰囲気的に告白するのかなーって)」
「(ちょっと、何言ってるか分かんない)」
「(……何がです?)」
「(いつの間に、そんな、とんでもないスキルを)」
「(ルカちゃんも、あの『視るやつ』内緒にしてたでしょ)」
「(……いや、それはさ……)」
「(おあいこですよ。いやー何だか、最近マジで暴走してますね、私たちの力)」
「(……まあ、言いたいことは色々あんだけどさ……百歩譲って、そうだったとしてもさ……先制して言うなよ!)」
「(うん、まあ……その点については、ごめんなさい)」
「(……はい、まあ……それともうひとつ強調しておきたいのは、別に告白をしようとしていた訳ではないということと……)」
「(……はい)」
「(……あたしはまだこれが、明確に『好き』って感情なのかどうなのか、よく分からないってこと)」
「(……はい)」
「(……それともうひとつ! 仮にそんな力があったとしても、私の頭を覗いていたとしても、この状況では……)」
「(言わないでってことですか? デリカシー的な意味で? さっきと同じこと言ってません?)」
「(……うん。てかそこまで分かってんのかよ! じゃあ、そうしろよ! 頭おかしいのかよ!)」
「(うーん。ルカちゃん、無茶苦茶乙女なんですね)」
「(……ごめんね)」
「(……何がです?)」
「(いや、そのさ……こういう大事な時に、こんな気持ちになるのは、というかそれただの吊り橋効果かもしれないし……なんていうか、不謹慎というか)」
「(……不謹慎? 何が不謹慎なんですか?)」
「(いや、だからさ……)」
「(ちょっと、何言ってるか分かんないです)」
「(……パクんなよ)」
「(端的に言ってくださいよ、端的に)」
「(……君に言われたくないよ)」
「(で、何なんですか?)」
「(いや……まず、女同士だし……)」
「(なーんだ。そんなのどうでもいいでしょ。私たちの宇宙では、同性婚ってアリになってたとこ多かったですし)」
「(……うん、まあそうだけど……)」
「(それに同性同士の恋愛って、何より本気なものなんですよ。だって友情と恋愛という二つの選択肢の中で、自ら恋愛の方を選び取ってる訳だから)」
「(……それは別に、男女でもそうじゃないの?)」
「(男女よりも、より『選び取った感』が出るんですよ)」
「(……むっちゃ感覚の話じゃん、それ)」
「(で、話逸らしてないで早く言って下さい)」
「(……何だよそれ……あのね、今さ、私たち……明日死ぬかもしれなくって、なんか……もういっぱいいっぱいじゃんか?)」
「(はい)」
「(うん……だから、そのさあ……)」
「(だから、今だけはこの感情を……この相手を好きになれるかもしれないという、自分の中にある感情の萌芽を……今は大切にしておきたい……人間としての感情を……君ともっと仲良くなりたい……明日は必ず、生きて外に出よう……みたいな感じですか?)」
「(だから何で! 先に全部言っちゃうんだよそれを! 馬鹿! 今使ってんのかその力!)」
「(いや、今は無理ですけど)」
「(……まあ、そういうことだよ。怒鳴ってごめん。頭ガンガンした?)」
「(いいですよ……私もルカちゃんのこと好きですし)」
「(……え?)」
「(付き合いましょうよ)」
「(え……)」
「(ほら私たち、お互いこんな目に合ってて、要は空白だらけじゃないですか? ルカちゃんとなら、その空白を埋められる気がするんですよ)」
「(でも、この国じゃバレたら死罪だよ?)」
「(知らないですよ。てか何もしなくても私ら、明日死ぬかもしれないのに)」
「(……でもこれって、もしかしたら、一時の気の迷いとかだったりするかもよ?)」
「(うーん。だったら、もう少し時間を置いて様子をみましょう! そんでやっぱりガチで好きってなったら、付き合いましょう! そんでそんで、もっと好きになっちゃったら! その時は……結婚しましょう!)」
「(……うん、ありがとう)」
「(じゃ! これからよろしくお願いします! ルカちゃん! まあ、明日シクったら死んじゃいますけど!)」
「(……うん、よろしくね。うん……取り敢えず明日、絶対にここを出ようね)」
「(はい! じゃあ、おやすみなさい。ルカちゃん……)」
「(……うん、おやすみ……)」
この時は、ろくに言葉に出来なかった。
暗闇の中で、必死に声を押し殺して泣きじゃくっていたから。
向こうもきっと、気付いていたことだろう。
初めてだった。この地獄の檻の中で、誰かに直に触れたいと思ったのは。
私は確かにこの瞬間、この宇宙で一番幸福な存在だった。
この全てがトチ狂ったゴミ溜めの地獄で、唯一間違っていないのは、私たちだけだった。




