夢幻‐映画の話‐
「(ねえ、バレずに人を殺す方法があるって、知ってる?)」
私がそう言うと、遠い向こう側の檻の中にいた例の女の子は、不思議そうにこちらを見つめ返した。暗闇の中でもその表情は、目を凝らさずともしっかりと感じることが出来た。
水洗トイレと簡易ベッド付きの、四方を取り囲む子供一人用の檻の中から覗く外の世界は、たまに行われる昼間の演習や人体実験の時に見るのとは違って、なんだかとても小さく、無機質なものに思えた。
ついこないだまで被検体ナンバー3という名前しか知らなかったその少女は、やや大きめのサイズの灰色の患者衣の袖を振り、黒い長髪の天辺を掻いた。その腕には大小含めてありとあらゆる殴打と切り傷、そして手術痕がある。
「(そんなのあるわけないじゃないですか、ナンバー7ちゃん)」
「(だからルカだって、玉依ルカ。ちゃんと名前で呼んでよ。せっかく私ら、まだ辛うじてこれだけは記憶あんだからさ。そっちは? 名前ぐらい覚えてるでしょ?)」
「(変な名前ですね)」
「(うっさいな。チエちゃん、君はダブルでしょ? フルネームは何ていうの?)」
「(山田・キートン・チエです)」
「(……何それ)」
私は思わず吹き出した。
この小柄で猫目の可愛らしい女の子にはとても似つかない、なんだか間の抜けた名前だ。どこか伝説の喜劇役者か有名ナレーターのような響きがする。
「(うーん。そんな可笑しいですか? 山田でいいですよ、山田で)」
「(いやチエちゃんだろ。山田なんてこの国じゃ、腐るほどいんだからさ)」
「(腐ってるのはこの施設ですよ。さっきから、匂いエグくないですか? なんで清掃の人まだ来ないんですかね?)」
「(んなことどうでもよくて! いやどうでもよくはないけど……バレずに人を殺す方法!)」
こうやって頭の中だけで会話出来るのは、何とも便利なものだ。およそ百坪ほどの被検体保管フロアーの人口密度は、こうして今やスカスカになってきたけれど、それでも用心しないといけない。奴等はすぐに、何だって嗅ぎ付けてくるのだ。
「(うーん、正直見当も付かないですね。私たちが打たれた血清は関係ないんですか?)」
チエちゃんは、横目で隣の檻に横たわっている男の子を見やった。
初めてここに連れてこられたナンバー1。その更に隣にはナンバー2。奴等の開発しているそれは、何故だか男の子には適正がなかったようだ。
三度目の正直に選ばれたのがこの子だった。本当は、そんな奇跡は誰も必要としていなかったけれど。
「(大有りだよ。ほら! 見てて)」
暗い闇が色濃くかかった、数十メートル向こうの灰色の壁を凝視した。凹め、と頭の中で念じただけで、その堅牢な冷たい壁は、静かに小さな窪みを作り出した。
私は得意気に、チエちゃんに向かって微笑みかける。
「(どう? どうよ?)」
するとチエちゃんは、灰色の患者衣のズボンの裾を少しだけめくり、スッと伸びた裸足の親指を檻の鉄格子にあてがい、そのままそれを難なく曲げてしまった。そして上目遣いで、こちらを見つめてくる。
その頬は赤らんでいて、少しだけ息も弾んでいるのが、ここからでも感じられた。それを見て何故だか、私の胸はドキドキと脈打っていた。
「(凄い……)」
「(ふん! 確かに今日の昼間に駆り出された演習中、こっそり見せてもらいましけど、確かにナンバー7……いや、ルカちゃんのその超能力は凄いですよ。でもですね、やはり政府が欲している戦闘マシーン、真のスーパー・パワーを備えた人間というのは、こういう単純シンプルな力こそがパワーであって……)」
「(ねえ! でもそれ、元に戻しといてよ? 計画の日までにバレたら台無しじゃん!)」
「(ああ、そっか)」
「(壊さないように! ゆっくりね!)」
チエちゃんはいそいそと目の前の檻を紙粘土のように曲げて、器用に細工を始めた。やがて、曲がり切っていた鉄格子は元通りになった。
「(あーあ、この調子で自由に空でも飛べたら、楽勝でこんなとこ、脱出出来るですけどねー。スーパーマンみたいに」
「(え……それって、なんかの映画? 名前、聞いたことあるよ。覚えてる)」
チエちゃんはだだっ広いフロアーの、どこまでも果てしない宇宙が広がっているかのような天井を見上げた。そこでは大きなファンが二つ、私たちに風を送り込むために回転している。もうすぐ七月が来るらしい。ナンバー2が昨日、確かそんなことを言っていた。
「(そうです! 私たちの宇宙の映画です!)」
天井は今夜もささやかな風の音を立てている以外は、冷たく静まり返っていた。虚空を司る天蓋だ。あれを突き破れば、もしかしたら自由があるのかもしれないと思った。
「(んー、なんか親が多分、海外の映画会社勤務だったんだと思います。もう殆ど記憶ないけど、これだけは覚えてるんです。一緒にソファーに座って、ヒーローの映画を観ているような、ぼんやりとした記憶。お父さんと、お母さんと……もしかしたらただの妄想なのかもしれないですけど。もしかしたら、だからアメリカーナとのダブルだったのかもしれないですね、私)」
私は彼女の声を聞きながら、頭上高くで廻り続ける二つのファンを見ていた。
「(でも、ヒーローなんかいないですよね。現にこんなことになっても、私たちを助けに来てくれないし)」
私は立ち上がった。
すると、景色は一変した。
この小さな世界を変えたのだ。
紛れもなく、自分自身の力で。
「(チエちゃん、さっきは名前、笑ってごめんね。素敵な名前だと思う、本当に)」
私は、この子のためのヒーローになりたいと思った。
「(これから皆でここを出て、今は政府が禁止している色んな映画を観て、色んな音楽を聴こうよ。そんで色んな美味しいものを食べよう。これから、どんな手でも使って、必ず! この力は、神様から私たちへ送られた祝福なんだから)」
闇の向こう側で、チエちゃんが静かに微笑んでいるのが見えた。
広いフロアーの四方八方には、手術台や拘束器具、様々な鋼鉄の機械の周辺に、昼間の実験で弾け飛んだナンバー4、ナンバー9、ナンバー12の女の子たちの血と肉と皮が散乱していた。




