青い空
鋼鉄の模造人間は活動を停止した──と思いきや、全身の蝶番から一斉に螺子が飛び出したかのように激しく痙攣し始めた。
先程までとは違う、か細い声が虚空を漂う。
「……元気デス。アリ……ガトウ……ドウイ、タシマ……シテ……」
「チエ、下がって!」
こちらが声を発する前に、彼女は既に後方数十メートルへと退避していた。やれやれ。私は踵を返して走り出した。
遠くで如何にも無骨な銃を構えている、私服の機動隊の面々の内、何人かと目が合った。
背後で鳴り響く轟音の中で、ふと視界の左端に除くビルの屋上を見やると、彼女が見下ろしていた。
あどけない、だがどこかで達観しているような、この世の全てに諦念を抱いているような、虚ろな表情をした黒髪の少女がいた。
琴音ナナ。
私は声にならない声、ただ肺から押し出されただけの空気の音を自ら聞いた。少女はこちらへと冷たい視線を落としたまま、爆発中のガン・クラッパーを一目見やると、次の瞬間には文字通りに姿を消した。
爆風と衝撃が背後から押し寄せてくる。私はそれに抗えない。梵もそれには抗えない。私はこの身を吹き飛ばされる。琴音ナナはどこかに消えた。それはもう、どうにもならなかった。
そして広場に、静止していた時間が戻った。
中央部の噴水近くに設置されていたベンチに、結界ごと埋め込まれていた。前後左右を見渡す。ガン・クラッパーが最後に放ったその一撃は、マウジッヒ・ストラッセの一画に甚大な被害をもたらしている。
自分が、如何に無力であるかを悟った。
無作為に拡散された弾丸と鉄塊──自爆する際にそれらがもたらした悲劇を、何ひとつ止めることが出来なかった。左手に違和感を覚え、掛けていたベンチの手摺を見ると肺と腸の露出した少女の上半身があった。
真っ赤に染まった、かつて憩いと交流の場──
吹き飛んだ左手を探して泣きながら歩き回っている少年、老若男女、大人たちの首、首、手足、内蔵……脳幹、脳漿……もういい。終わりだ。やめにしよう。私はもう、何も見たくない。私はもう、何も言いたくない。何も聞きたくない。
どうしたらいいのか、分からない。
戦争は海の向こうでなく、他でもないこの列島で起きている。秘密裏に、効率性という名目で。増えすぎた人口の間引きも兼ねての一石二鳥、論理的かつ合理的な、全の命令によって。
しばらくベンチに座っていた。
放心したまま、指定認可地区の青空を見上げる。その陽射しは突き刺すように鋭角だった。
私はいつまでもそれを眺めていた。
指定認可地区の青空。非指定地区と一体、何が違うのだろう。塵と埃、廃棄物を全て向こう側に流しているから、こんなに透き通る程に青いのだろうか。
本来、どこまでも空は繋がっていて、どこまでも青いはずなのに。
自由が、そこにはあっていいはずなのに。
何度か深い呼吸を繰り返す内に、周囲では待機していた私服の機動隊が担架と諸々の医療器具を持って、まだ辛うじて息のある人間を、そして躯を──糞の詰まった袋を回収してゆくのが見えた。極めて迅速に。通信社の追手が現れる前に。
そうだ。科学やガジェットは、このために使われるべきだ。散々こき使われるべきだ。権力の悪意に押されれば、一瞬で裂けてしまう人間というもろい容れ物を治して、一人でも多くの魂を、そこへ留めるために。
「ルカちゃん……」
肩に優しい感触。チエの手、私より少し小さくて、触れるといつでも温かい手があった。紛れもない生き物の手だ。私のよく知っている、私をよく知っている人の手だった。右手にはいつもの青いミサンガ。ふと自分のを見やる。まだ切れていない。私の願いは、まだ叶わないままだ。
私はチエに力強く抱き付いた。
頭がおかしくなりそうだった。何かに縋りたかった。助けてほしかった。あの頃、人体実験室から抜け出した時と同じく、私はまた誰も救うことが出来なかった。
だから大嫌いなんだ、銃なんて。
「お見事でしたねー。じゃ、予定通りに当該模造人間駆逐を完遂出来ましたんで、後処理はこちらに任せてくださいー」
私服が一人、何か言っている。知らない奴。魚面の若い男。多分、「デリンジャー」から派遣された諜報員。私たちグループ直属のメンバーではない。
多分、顔を合わせるのはこの作戦一度きり。後はどこかへ姿をくらましてしまう存在。
「あ、自分、谷川マクロっす。宜しくですー。ま、もう会わないでしょーけど」
男は間髪入れずに滔々と喋り続けた。
「いやー強力な神通力……じゃねーわ、梵を持つルカ様と、それによって人間の身体能力の限界を超えたチエ様の……素晴らしき連携でしたねー」
「……うるせえよ。これのどこが『完遂』なんだよ。頭おかしいのかよ」
男は小さくモゴモゴと呟いて、やや斜め上の方向を向いて頭を振った。私は今になって急に、こんな連中に使われているのが恥ずかしくなってきた。
「さっきセコセコどっかにしまってたあの銃でな、出来れば自分たちだけで駆逐して欲しかったよ。超能力を持つ小娘に頼り切っきりじゃなくて。だって大人なんでしょ? 私らには無理だったよ、ほらこの通り」
「何がっすか? こうして、模造人間は倒せたじゃないすか。今回、上から御達しのミッションはそれなんでー」
「だから、イカれてんのかお前らはよ。この被害状況で、どこがミッション・コンプリートなのかって──」
「え? だって、指定認可地区の人間っすよ? 別によくないすか? いくら死んでも」
私は絶句した。
異次元を通り抜ける最新型の模造人間よりも、まず真っ先に駆逐せねばならないのは、この男だったような気さえした。
AIの言うことは絶対で運営される国家よりも、まず先に叩くべきだったのは──
「指定認可地区で数十年に一度、たまーに起こるのは、この手の突発的な事故だけ。非指定地区では日々、これ以上に粛清されて死んでます。知ってますよね? 『陸地のジェニー』っす。そもそも、この列島は人工過多だと全は考えているので、毎日どっかしらで無実の人々がバンバン殺されてんのが普通です。お二人みたいに特別な力を持たない俺なんか、もう明日と言わず今日中に、何かのきっかけでぶち殺されてもおかしくないっす。これは謂わば交通事故と同じ、逃れられない天災なんすよ。政府の御達しのとおりね」
私たちは何も言わず抱きあったまま、その男を見上げていた。
「まあ別にいいんすけどね、死ぬのは。端から覚悟の上なんで。でも、何も働かないまま取り敢えず娯楽でも何でも与えられてて、食うに困らない生活が保証されてる指定認可地区の人間より、毎日老人から子供まで過酷な肉体労働を強いられてて、お上からの引き締めのために今この瞬間にも、殆どが無実の罪で粛清されてる、非指定地区の人間の命の方が、どう考えたって優先されるべきじゃないすか? 片方が生産の全てを任されて、もう片方がその上に乗っかったままなんてどう考えてもおかしいし。その乗っかったままの人間なんてクズみたいなもんだし、別にどうなってもいいじゃないっすか。大体、優勢な遺伝子を持つ人間の方が頑丈だから、より労働力として搾取されるだなんて馬鹿げてますし。これがある意味でのバランスってことなんじゃないっすかね?」
もう疲れた。これ以上、何を話しても無駄だろう。
すると隣からチエが、冷たい声でそっと言い放つのが聞こえた。
「……あなた、もうあの通信社の人間や、模造人間と変わらないですよ」
男は静かに微笑んだ。
「そもそも血の通った人間は、諜報員になんかなんないっすよ。俺の血なんかもう、一滴残らず干上がりました。とうの昔にね。それじゃ、もしまた会う機会があればよろしくです。『元気です。ありがとう。どういたしまして』」
そして踵を返し、後処理をしている私服機動隊の中へと紛れ込んでいった。




