25話(フェイラン視点)闇と恋に落ちた過去
(そうだ。こんな世界、すべて壊してしまおう)
世界を滅ぼそうと最初に決意したのは、母が毒殺された日だ。
自分の息子を王座に就かせようとする第二王妃の仕業なのは明白だった。
だが、事無かれ主義で日和見を決め込む父は、それを咎めることなく静観を決め込んだ。
それからの日々は、常に刺客の影、裏切りと隣合わせの地獄だった。
心が休まる瞬間などなく、信じられる者などこの世にただの一人も存在しない。
(……まずは隣国から滅ぼしてしまおうか。俺の中に眠る闇の魔力なら、あんな国、簡単に更地にできる)
黒く濁っていく胸の内で、俺はただ世界を破壊することだけを考え続けていた。
その絶望に終わりを告げたのは、彼女がこの国へ来訪したその瞬間だ。
「フェイラン王太子殿下、お初にお目にかかります。私は隣国より武を学びに参りました、侯爵家のジゼルと申します」
俺の国の作法に則って一礼し、顔を上げた彼女の笑顔。
それはまるで、暗闇の世界に降り注ぐ太陽のようにまぶしく、宝石のごとくまばゆい輝きを放っていた。
「フェイラン王太子殿下は、この国随一の剣の腕をお持ちだと伺っております。よろしければ……私にご指導をいただけないでしょうか?」
何もしなければ無惨に殺されるから、身を守るために強くなるしかなかっただけだ。
けれど、俺はこの時ばかりは、自身の強さに心の底から感謝した。
「……俺で良ければ」
「ありがとうございます! これからしばらくの間、よろしくお願いいたしますね!」
屈託のない無垢な笑み。
裏表を一切感じさせない清らかな声。
自覚など全くなかったが、俺はきっと、出会ったその一瞬でジゼルに恋に落ちていたのだろう。
彼女と過ごす訓練の時間は、荒んだ俺の人生の中で最も充実した時間だった。
彼女の声を聞けば心が満たされ、肌に触れれば闇が優しく溶け落ちていく。
わずか数日を共にしただけで、俺は彼女の存在のすべてに囚われていた。
「ジゼル、もっと重心を前にかけるんだ。その方が踏み込みの速度が上がる」
「わかりました!」
ジゼルは他の同年代と比べて、圧倒的に強かった。
とてもこの年齢の貴族令嬢とは思えないほど、その太刀筋は磨かれている。
だがそれが、血のにじむような鍛錬の果てにつちかわれた努力の結晶なのだと、すぐに理解できた。
「ジゼルは……どうしてそんなに強くなりたいんだい?」
「えーっと、その……弱いより強い方が、万が一何かあった時に対処しやすいではありませんか!」
「一国の侯爵家の令嬢なら、護衛が守ってくれるだろう?」
「それではダメなんです! 私自身が強くならないと意味がないんです……!」
それとなく理由を探ってもはぐらかされ、俺は少し、かなり不満だった。
彼女のすべてが知りたくてたまらないのに。
何を考えて、何が好きで、何が嫌いなのか。
瞳の揺らめきも、楽しげに弾む声音も、心の機微も、すべてをこの手で感じ取りたい。
「ねえ、ジゼル。俺のことはフェイランと呼んでくれないか?」
「でも、さすがに一国の王太子殿下を呼び捨てなんて……」
「それなら王太子命令だよ。敬称も敬語も一切不要だ。……拒否することは許さないからね?」
「う……、フェイラン……?」
彼女の口から、俺の名前が紡ぎ出された。
たったそれだけのことなのに、胸の奥で熱が弾け飛び、心が舞い上がるほどに踊ってしまう。
「ジゼル、これからもこの国へ来てくれないかい?」
「え……? でも、私なんかが何度も押しかけたらご迷惑じゃないかしら?」
「君ともっと話がしたいんだ。今以上に、親しくなりたい」
「今よりも……?」
さすがに、俺の好意に気づかれただろうか。
あまりに欲望が見えすいたせいで引かれてしまったのかと、ほんの少し焦りが生じる。
「ああ、なるほど! フェイランの立場じゃ、同年代の友達なんてなかなかできないものね。もちろん、これからも仲良くしましょう!」
思わず、その場で崩れ落ちそうになった。
ジゼルの鈍感さは、天下一級品だ。
何年もアプローチし続けても、彼女はいつも無邪気に微笑むだけだった。
「……もう、手段を選んでいる時間はないな」
自室で夜空を見上げながら、俺は重いため息をついた。
彼女はどこまでも破天荒だが、格式高い侯爵家の令嬢だ。
いつ縁談が持ち込まれてもおかしくはない。
「……ジゼルが他の男のものになるなんて……そんなこと、絶対に許せるはずがない」
想像しただけで吐き気が込み上げ、その男を八つ裂きにして殺してしまいたくなる。
ジゼルの隣を手にするには、俺自身が彼女のいる国へ乗り込むしかないだろう。
手をこまねいて奪われるのを待つなんて、愚の骨頂だ。
「ジゼル、今すぐ君の元へ行くからね。君の隣に立つ男は、俺だけでいい。……どんな危険からも、誰の手からも、俺が君を守り抜いてみせるよ」
彼女に捧げる誓いは、永遠に、未来永劫変わらない。
この時の俺は、愚かにもそう信じ切っていたのだった。




