23話 何とか収まった怒り、ねだられるご褒美
その言葉が響いた瞬間、フェイランの肩がピクリと跳ね上がった。
彼の手から目に見えて力が抜け落ち、拘束を解かれたケヴィンの体が、地面へとドサリと落下する。
「……ご褒美?」
「そうよ! もう一生、フェイランにあげないんだから!」
フェイランは呆気に取られたように目を瞬かせた後。
息を吹き出し、口元を抑えながら笑い声を上げた。
「くっ……はは! この状況で、まさかご褒美を盾にするとわね。はは、ジゼルは相変わらず最高に面白いなあ」
冷や汗を頬に伝わせながら、私は地べたからフェイランを見上げる。
肩を揺らして楽しそうに笑う彼の瞳からは、先ほどまでの殺気がぬぐい去られていた。
「ごめんね、ジゼル。あまりの怒りに少し我を忘れてしまったよ。……こんなのを痛めつけるよりも、真っ先に君の元へ駆け寄って抱きしめるべきだった」
フェイランは歩み寄ると、私の目線に合わせるようにその場に優しく膝をついた。
そして、いつもの愛おしさに満ちた甘い笑みを向けてくれる。
「……無事で良かった。もし君に何かあれば、俺はこの世界ごと全てを滅ぼしていたかもしれない」
「フェイラン……。心配をかけて、ごめんなさい」
「まったくだよ。少しは俺の身にもなって、もう少し静かに過ごしてほしいな。……まあ、大人しすぎるジゼルなんて、それはそれでジゼルらしくないけれどね」
どこか諦めたように、彼は屈託のない微笑みを向けてくれる。
ほっと胸を撫で下ろした直後、フェイランの後方から激しい咳き込み声が響いた。
「ゴホッ、ガハッ……!」
視線を向けると、ケヴィンが地面に伏せたまま喉を押さえ、苦しそうに体を震わせていた。
「ケヴィン……大丈夫!?」
「……ジゼ、ル先輩……っ」
顔から血の気が引き、かすれた声を絞り出すケヴィンは、誰が見ても深刻な痛手を負っていた。
彼の元へ駆け寄ろうとするものの、精神干渉の残滓でまだまともに立ち上がることすら難しい。
「フェイラン、お願い。……肩を貸してくれないかしら?」
「ジゼル、まさかあんな奴とまだ話をする気かい? 君を害しようとした相手だよ?」
「それでも、ちゃんと話がしたいの。これからの彼のためにも……!」
「はぁ……。わかった、それがジゼルの頼みならね」
フェイランは盛大なため息を一つ吐くと、渋々といった様子で私の腰に手を回し、ゆっくりと立ち上がるのを支えてくれた。
ふらつく足取りとかすむ意識をどうにか抑え込みながら、私はケヴィンに向き直る。
「ケヴィン。あなたの気持ちは分かったわ。……でも、記憶を消そうなんて、どうしてそんな恐ろしいことをしようと思ったの?」
「……初めて、好きになったのが、あなただったからです。……僕は、偉大な大魔導士の血を引きながら、何の成果も出せない落ちこぼれの凡人でした。家族も、周りの人間も……誰もが僕に失望し、がっかりした目を向けてきました」
ケヴィンは地面の上にどうにか上体を起こすと、寂しげに茜色に染まる空を見上げた。
その大きな紫色の瞳の奥に宿る光は、ゲームでも見たことがないほど悲痛な孤独に染まっていた。
「周囲の期待ではなく、僕自身を初めて認めて、心の底から褒めてくれたのはジゼル先輩だったんです。それなのに……勇気を出して手を伸ばそうとした瞬間には、あなたはすでに他の誰かのものだった。その時、思ってしまったんです。もし僕が最初に出会えていたら、この未来は変わっていたんじゃないかって……!」
「……ケヴィンは、本当はとても優しい子なのね」
「え……?」
「記憶を消せるほどの強力な精神干渉ができるのなら……最初から私の気持ち自体を、自分に向くように操作することだってできたはず。でも、あなたはそれをしなかった。あくまで自分の力で、私の気持ちを振り向かせようとしていたでしょう?」
「そ、それは……っ」
ゲームの中の彼を深く知っているからこそ、根がどこまでも純粋で優しい子なのだと分かっている。
この過ちにたどり着くまでに、どれほど一人で苦しみ、傷ついてきたことだろう。
「今回のあなたの行いは、決して許されることではないわ。けれど、そこまで追い詰めてしまった私にも責任があるの。……ごめんなさい」
「そんな……! ジゼル先輩が謝ることなんて一つもありません! 全部、全部僕が悪いんです……!」
「そうだよ、ジゼル。君がきっかけを作ったとはいえ、こんな卑劣な手段を取る奴が全面的に悪い。……それに、禁じられた精神干渉魔法を使った以上、国の法に従って然るべき裁きを受けるべきだ」
「私はそこまでの処罰は望んでいないわ。……ケヴィン、もしこの先、心から惹かれる大切な人ができたら……絶対にこんな哀しいことをしてはダメよ」
「ジゼル……先輩……」
「自分と、その人の心を信じてあげて。それを約束してくれるなら、私はもうあなたに何も言うことはないわ」
私はできる限りの温もりを込めて、ケヴィンに優しく微笑みかけた。
ケヴィンは弾かれたように顔を上げると、その紫色の瞳から一筋の涙をこぼした。
「ジゼル先輩……やっぱりあなたは、僕が思った通りの素敵な人だ。……あなたを好きになれて、本当に良かったです」
「私も……好きになってくれて、ありがとう……ケヴィン」
彼の恋心に応えることはできないけれど、好意を向けられたこと自体は素直に誇らしかった。
私が穏やかに心をほころばせていると、隣から重い吐息が聞こえた。
「……もう満足かい? 行くよ、ジゼル」
「え? あ……!?」
フェイランが痺れを切らしたように、私の身体を軽々と横抱きにし、迷いなくきびすを返した。
一度もケヴィンを振り返ることなく、大股で演習場の外へと歩み進めていく。
「まったく、ジゼルはどこまでもお人好しなんだから。君と一緒にいると、どれだけ理性があっても足りないよ」
「……フェイラン。助けに来てくれて、ありがとう。あなたがいなかったら……私……」
「記憶を消されていたかもしれないって? ……それ自体には今でもはらわたが煮えくり返りそうになるけれど、大丈夫だよ」
フェイランは、腕の中に収まる私を愛おしそうに見つめ、甘くささやいた。
「たとえ君の記憶が全て消されたとしても、俺は何度だって君の心を奪い直してみせるさ。……どんな手段を使ってでもね」
「フェイラン……」
「さて……ここなら静かで良いかな」
演習場を抜け出し、木漏れ日が柔らかく差し込む木立の合間。
そこにぽつんと置かれた白いベンチの前で、フェイランは足を止めた。
私をゆっくりとベンチへ降ろすと、自身も隣に腰かけ、まるでどこへも逃がさないように私の顔をのぞき込んできた。
「約束のご褒美……いい加減、いただいても良いかな?」




