22話 フェイランの暴走
一瞬、彼が口にした言葉の意味が脳に届かなかった。
「記憶を……消す……!?」
「大丈夫です、痛みはありません。消したということ自体も忘れてしまえますから。ただ……フェイラン殿下と最初から他人になるだけです」
「……っ!?」
流れる血が氷のように冷たくなり、背筋も凍りつく。
ケヴィンはそれが冗談でも脅しでもないことを示すように、私に向かってゆっくりと指を伸ばしてきた。
「や……めて! こんなことをしたって……私はあなたを好きになんてならない……っ!」
「そうなってもらえるように、これから全力で努力します。……ジゼル先輩。僕にチャンスをください……!」
「い、嫌……嫌だ、だめ……っ!」
フェイランとの大切な思い出が、一つ残らず消されてしまう。
幼い頃に出会ったあの日のことも。
学園で彼が何度も私を助けてくれたことも。
抱きしめてくれたその温もりも、すべて。
「お願い……! 私からフェイランを奪わないで……っ!」
こぼれ落ちた涙が、乾いた地面に小さなしみを作った。
私の涙が頬を濡らし、ケヴィンの指先が私の額に触れる。
まさにその直前だった。
「……っ!?」
ケヴィンが弾かれたように顔を上げ、私に向けようとしていた手を演習場の入口へと向け直した。
――ズドンッ!!
激しい衝撃音が轟き、展開された守護魔法が、黒い魔力を間一髪で受け止める。
だが、桁違いの威力に耐えきれず障壁は砕け散り、その衝撃波がケヴィンの頬を切り裂いた。
「……ジゼルから離れろ、害虫」
「フェイ、ラン……っ!」
殺意の魔力を全身にまとい、姿を現したのはフェイランだった。
圧倒的な憎悪を正面から叩きつけられ、ケヴィンは青ざめて足元をふらつかせる。
「フェイラン……殿下……!」
「……俺の声が聞こえなかったのかな? 今すぐジゼルから離れて、その汚らしい指を自分自身で切り落とし、地面に這いつくばって命乞いをするなら……見逃してやらないこともないよ。さあ、どうする?」
視線を交わすだけで魂が刈り取られそうなほどの殺意をにじませ、フェイランが静かに歩み寄ってくる。
「引きません……! 僕は、ジゼル先輩が好きです! あなたよりも……ずっと!」
「……はは、俺よりも? ……面白い冗談を言うじゃないか」
フェイランは一切感情を宿さない瞳のまま、冷然と口元を歪めて足を止めた。
「まあ、お前ごときが知るはずもないか。俺がどれほど彼女を愛しているか……」
次の瞬間、フェイランの姿が何の予備動作もなく、かき消えるように視界から消えた。
刹那、私の眼前を疾風のごとき影が駆け抜ける。
「がっ……!?」
ケヴィンの体が、無理やり宙に浮かされた。
「俺はね……ジゼルのためなら何だってできるんだよ。どんな望みだって叶えるし、どんな脅威からも彼女を守り抜く」
一瞬で間合いを詰めたフェイランが、骨の軋む音が聞こえそうなほどの力で、ケヴィンの喉元を片手で締め上げていた。
「彼女のあの太陽のような笑顔は、胸を焦がすほど魅力的だったろう? ……それがお前ごときに向けられていたと思うだけで、不愉快すぎて頭がおかしくなりそうだよ」
「が……ぐ……っ!」
「彼女はどこまでも優しくて、一緒にいるだけで俺の凍りついた心を、柔らかく照らしてくれる。鳥のように自由で、嵐のように奔放だ。……そこがまた、狂おしいほど愛らしいのだけれどね」
吐き出される声音はどこまでも甘やかなのに、その表情には温度というものが存在しない。
ただ自身の指先で喘ぎ、苦悶に満ちた表情を浮かべるケヴィンを観察しているだけだ。
「極力、ジゼルを怖がらせるような真似はしたくない。けれど彼女を傷つけ、泣かせたお前が、この世界に存在していい理由がないんだよね。……どうやって殺してやろうかな?」
「フェイラン……! 待って、落ち着いて……!」
私が体の気だるさに抗い、精一杯の声を張り上げると、彼はほんの少しだけこちらに視線をくれた。
闇に染まりかけていた紅玉の瞳に、わずかだがいつもの色が戻る。
「ジゼル、怪我はないかい? この男に何された? ……ああ、言わなくてもいいよ。どちらにせよ、君に触れようとしたこの指は、一本残らず砕いて、切り落としてあげるからね」
私に向かってどこまでも優しく微笑みかける。
しかし、フェイランがケヴィンの首を絞める手に込められた力は一切緩まない。
「まだ何もされてないわ! だから……だからお願い、その手を離してあげて……!」
「ほら、ジゼルは優しいだろう? 自分を傷つけようとした奴のことすら庇って、何もなかったことにしようとする。……はは、残酷なほどに可愛いね」
「フェイラン! お願いだから、彼にひどいことをしないで!」
「ああ……でも、彼女が他の男を庇おうとする姿は、見ているだけで狂いそうになる。……ジゼルの自由を愛しているはずなのに、閉じ込めて束縛したくなるのは何でなんだろうね? お前なら頭が良いから分かったりするのかな?」
私の声が、今のフェイランには全く届かない。
冷静さをすべて失い、いつもの彼とは全く違っていた。
このままでは本当に、ケヴィンが息絶えてしまう。
「フェイラン……!」
私は体を引きずり、地面に爪を立てながら、彼に向けて全身全霊の叫びをぶつけた。
「言う事を聞いてくれないのなら……、ご褒美はなしにするから!」




