20話 リリアとケヴィンの喧嘩、深淵から伸ばされる手
「え? 私の好きなもの?」
翌日、そしてそのまた翌日の放課後も、私たちは演習場に集まって魔法の特訓を重ねていた。
一通りの練習を終え、演習場の隅にある芝生で三人並んで座り、穏やかに雑談に花を咲かせていた時のことだ。
「はい! 僕……ジゼル先輩のこと、もっと色々と知りたいんです」
「私の……? うーん……」
突然のケヴィンの問いかけに、私は首をひねりながら考える。
(私の好きなもの……)
その瞬間、真っ先に脳裏に浮かんだのは、あの美しい紺色の髪を風になびかせた、フェイランの姿だった。
いつも意地悪に微笑みながらも、いざとなれば私を優しく守ってくれる。
あの甘く熱を帯びた紅玉の瞳が蘇った。
(って、違う違う違う! 今はそういう話をしているんじゃなくて……!)
顔が熱くなり、慌てて頭をぶんぶんと振って雑念を払う。
「……ジゼル先輩?」
「え、えっと……! そうね、食べ物ならお肉全般が好きよ! やっぱり毎日の体力づくりには欠かせないもの!」
「お肉……! それなら、王都で今すごく話題になっている肉専門のレストランに行きませんか!?」
「レストラン? 良いわね! 今度のお休みにでも、三人で出かけてみましょうか」
「……あ、あの、その……三人じゃなくて……っ」
ケヴィンがなぜか顔を真っ赤にしてうつむき、指先をモジモジとさせながら言いよどんでいる。
その乙女のように恥ずかしがる様子を観察していた私は、ハッとして気づいてしまった。
(まさか……これって『休日デートイベント』の兆候!? ケヴィンはリリアと二人っきりでデートに行きたいってことじゃない!)
すでに二人きりで出かける提案ができるほど、彼の好感度が上がっているということだ。
さすがは、一気に距離を縮められる後輩キャラ。
そうと分かれば、私が野暮な邪魔者として残るわけにはいかない。
笑顔で二人をサポートしようと口を開きかけた、その直後だった。
「ダメですっ!」
芝生を舞い上げるように突然立ち上がったのは、なんとリリアだった。
彼女は見たこともないような険しい眼差しで、ケヴィンを仁王立ちで見下ろしている。
「いくら魔法をご指導いただいたケヴィンさんでも……それだけは絶対にいけません!」
「リ、リリア……!?」
「ジゼル様には、すでにフェイラン様という素敵なご婚約者がいらっしゃるのです! それを横からデートに誘うなんて……不誠実ですし、絶対にダメです!」
「は、え……!?」
ケヴィンの横に座ったまま、私はパチパチと瞬きを繰り返した。
なぜかリリアの中で、私とケヴィンがデートするという構図にすり替わっている。
とんでもない勘違いを正すため、私は慌てて立ち上がってリリアへ歩み寄る。
「リリア、落ち着いて! 彼はきっと私じゃなくて、あなたのことを――」
「ジゼル様はお優しくて、私のような者にまで気を配ってくださる素晴らしい女性です! ケヴィンさんが惹かれてしまうお気持ちは痛いほど分かります!」
「ちょっと待ってリリア! 彼は一言も私を好きだなんて言ってないでしょ!?」
だが、リリアには私の声など一切耳届いていない様子で、猛然とケヴィンへ詰め寄っていく。
「ですが! お二人にお世話になった私が……ジゼル様とフェイラン様の尊い恋路を妨げることを許しません! ケヴィンさん、どうか諦めてください……!」
「ジゼル先輩に……婚約者……? しかも、あのフェイラン殿下と……」
リリアの凄まじい圧に打ちのめされたのか、ケヴィンはショックのあまり顔面を蒼白にさせて震えている。
二人の間には殺伐とした空気が漂い、どう見ても好感度の高まる気配がない。
「……光魔法のご指導、本当にありがとうございました。ジゼル様、行きましょう」
「え、ちょっと待って、リリア!?」
私の返事も待たず、リリアはガシッと私の手を掴むと、急ぎ足で演習場の出口へと歩き出した。
一度も振り返ることなく、一刻も早くこの場から私を引き離したいかのように、ぐんぐんと足を早めていく。
(なんで二人の仲がこんな険悪になっちゃってるの!? まさか私、また余計なことを……!?)
腕を引かれるままに振り返ると、芝生の上に取り残されたケヴィンが、目に見えて意気消沈している。
私は何も手を打てないまま、リリアに引きずられて演習場を後にするしかなかった。
◇
王都の裏通り、そのさらに奥深くに潜む暗い路地。
目の前で、動かなくなった物体が力なく倒れ込んだ。
広がる赤黒い液だまりの中に転がる塊を、興味なく見下ろす。
「……俺を殺したいのなら、もう少しマシな手練れを用意することだね」
わざと形作った嘲笑を浮かべ、ここにはいない刺客の主へと吐き捨てるようにささやく。
その直後、まるで影そのものが蠢くようにして、黒マントを羽織った男が忍び寄ってきた。
「殿下、ご報告がございます」
ちらりと視線を流すと、それはジゼルの監視を命じていた隠密だった。
侯爵令嬢、ジゼル。
この世界で唯一、俺が『命ある人間』として認識し、世界で最も愛している女性だ。
「……また、ジゼルが何かやらかしたのかな?」
供物のように捧げられた報告書の文字を目で追う。
彼女はいつだって自由奔放で、予想外の騒動を巻き起こす天才だ。
そこに何が記されていようと、今更驚きはしない。
「……はは、なるほど」
――グシャッ。
読み終えた瞬間、報告書を握り潰していた。
「まあ、予想はできていたけれどね。ジゼルは美しくて、可愛らしくて……一度その魅力に気づいてしまえば、誰もが目を離せなくなるほど蠱惑的だ」
ルドルフ、そして今度はケヴィン。
本来ならリリアと惹かれ合うはずの男たちが、次々と彼女の恐ろしいほどの魅力にほだされ、溺れていく。
「ああ……鬱陶しい。実に不快だ。彼女に手を出そうとする害虫どもは、全員目をえぐり出して、四肢をもぎ取ってしまおうか」
俺の力なら、あんな連中など一瞬で痕跡もなく消し去ることができる。
「……そんなことをしたら、ジゼルに嫌われて、怖がられてしまうね」
けれど、わずかに残った理性と、彼女への狂おしいほどの愛情がギリギリのところでそれを踏みとどまらせた。
「俺は彼女にとって『優しくて、頼りがいのある男』だそうだからさ。……はは、お前はどう思う? 俺はきちんと、彼女の言う通りの存在に見えているかい?」
かたわらで膝をつく隠密に視線を投げる。
だが、男は応える言葉すら失い、ただ恐怖に震えているだけだった。
「ジゼル……」
名前を口にするだけで、胸の奥から湧き上がる熱が、凍てついた心を溶かしていく。
「ジゼル……っ、ジゼル……ジゼル!」
俺の心をかき乱し、憎らしいほど無邪気で、どこまでも自由な彼女のことが愛しくてたまらない。
「今すぐに会いに行くよ。……約束のご褒美、早く貰いに行かないとね」




