第20話「故郷に灯る火」
時は少し遡り、グランヘイム王都から遠く離れた山岳地帯。
切り立った岩山の谷間に、古くからドワーフたちが暮らす小さな里があった。
かつては鉱石と鍛冶で栄えた場所だった。
だが時代とともに鉱脈は細り、若いドワーフたちは仕事を求めて大きな街へ移っていった。
人影の減った通りには、金槌の音よりも風の音の方がよく響いたが、そんな時代も今では、昔の話になりつつあった。
「どけどけ! 荷馬車が通るぞ!」
朝の大通りを、大量の鉄鉱石を積んだ荷車が走っていく。
その横では商人たちが声を張り上げ、開いたばかりの宿屋からは旅人たちが次々と姿を現していた。
「ドゥガル親方の工房はどっちだ?」
「この道を真っ直ぐだ! だが今日はもう順番待ちが二十組はいるぞ!」
「二十!?」
「昨日より少ないくらいだ!」
通りの両側には、新しい店も増えていた。
食堂、道具屋、革職人の工房、荷馬車の修理所。
一度は閉じられた酒場にも再び灯りがともり、朝だというのに中から威勢のいい笑い声が聞こえてくる。
その活気の中心にあるのが、一軒の鍛冶場だった。
ガァン!
ガァン!
ガァン!
重い金属音が里中へ響き渡る、巨大な炉の前。
上半身を汗で濡らし、分厚い革の前掛けを身につけたドゥガルが、真っ赤に焼けた鋼へ槌を振り下ろしていた。
火花が散る、迷いのない正確な槌打ち。
そのたびに、赤熱した鋼の形が少しずつ整っていく。
「親方ー!」
工房の入口から、若いドワーフが顔を出した。
「次のお客さんです!」
「まだおるのか!?」
「まだっていうか……増えてます!」
「何人だ!」
若者は手元の紙を見る。
「えーっと……王都の騎士が十二人、北方の冒険者が八人、エルフの使いが二人。それからグランヘイム王国から正式な発注書が一件」
「帰せ!」
「どれをです!?」
「全部だ!」
「無理ですよ!」
ドゥガルは舌打ちしながら、再び槌を振り下ろした。
「まったく……世界が平和になったと思ったら、前より忙しくなっとるではないか!」
「親方が有名になりすぎたんですよ!」
「知らん!」
「銀の英雄たちと共に旅した伝説の鍛冶師ですからね!」
「誰がそんな大層な呼び名を広めた!」
「たぶん世界中です!」
「迷惑な話だ!」
そう吐き捨てながらも、ドゥガルの槌は止まらない。
工房の壁には、依頼書が何十枚も貼り付けられていた。
騎士団の剣、冒険者の斧、農具、鉱山用のつるはし、王族から贈答品として注文された装飾剣。
今日も一枚の依頼書を掴んだ。
「……またか」
「何です?」
若い弟子が覗き込む。
ドゥガルは紙を読み上げる。
「世界を救った銀の英雄ブリシンガー殿が使用した剣と、寸分違わぬものを」
紙を丸める。
「知らんわ!」
ぽいっと捨てる。
「親方!一応、王都の貴族からの依頼ですよ!」
「ミスリルで出来てるし、何より俺が命がけて作った一振りだぞあれは!素材も技術も、何より持ち主が異常だったんだ!形だけ真似て同じになるなら、鍛冶屋など要らん!」
「でも高額ですよ?」
「金の話じゃねぇ!」
一拍。
「……いくらだ?」
「気になるんじゃないですか」
「確認しただけだ!」
弟子が笑う。
ドゥガルは鼻を鳴らし、出来上がった刃を水へ沈めた。
ジュウウウウッと白い蒸気が立ち上る。
その向こうで、工房の外から声が聞こえてきた。
「親方ー!農具の修理お願いできるかー!」
ドゥガルが振り返る。
入口には、年老いたドワーフが鍬を一本抱えて立っていた。
刃は大きく欠け、柄も古びている。
弟子が申し訳なさそうに言う。
「親方、今は王都の発注が―」
「貸せ」
ドゥガルは老人から鍬を受け取った。
「昼までに直す」
「いいのか? 忙しいんだろ?」
「農具が使えん方が困るだろう」
「だが、王様からの仕事もあるって―」
「王様は今日一日剣がなくても死なん。畑は今日耕さなければ困る」
老人は目を丸くしたあと、豪快に笑った。
「変わらんな、お前は!」
「変わる必要があるか」
ドゥガルも笑う。
そのやり取りを見ていた若い弟子が、呆れたように肩を竦めた。
外へ出ると、里は昼を前にさらに賑わいを増していた。
昔は閉まっていた工房からも、金槌の音が聞こえる。
ドゥガルの評判を聞き、他の土地から修業に来る若者が増えたのだ。
最初は、彼の工房だけだった。
やがて注文が捌ききれなくなり、別の鍛冶屋にも仕事が回った。
鍛冶屋が増えれば鉱石が必要になる。
鉱夫が戻った。
鉱夫が戻れば、彼らが食事をする場所が必要になる。
食堂が開いた。
旅人が増えれば宿が必要になる。
宿屋が再開した。
商人が来た。
馬車が走るようになった。
そして、村を出ていた若者たちも少しずつ帰り始めた。
昔は、この道には人がいなかった。
幼い頃に知っていた店も閉じられ、火の消えた炉だけが並んでいた。
自分もいつか、この里を離れるのだろうと思っていた。
「親方ー!」
「ドゥガルさん!」
「注文した短剣はまだか!」
「俺の斧も頼むぞ!」
「親方!昼飯食ってくれ!」
「うるせぇ!!」
怒鳴り声が谷間へ響き、周囲から笑いが起きた。
ドゥガルは頭を掻きながら工房へ戻ろうとしたその途中、里の入口に立つ古い看板が目に入る。
かつて文字が剥げ落ち、半ば朽ちていた看板だったが、今は新しく補修されていた。
その下を、旅人たちが次々と通り抜けていく。
世界を救った英雄の一人。
神の戦士ブリシンガーと旅をしたドワーフ。
伝説の武具を鍛えた名工。
世間は好き勝手にドゥガルをそう呼んだ。
だが本人にとって、そんな肩書はどうでもよかった。
炉に火が灯る。
槌の音がする。
若者が笑う。
酒場が騒がしい。
それで十分だった。
「……ふん」
ドゥガルは小さく鼻を鳴らした。
「少しは、昔の里らしくなってきたではないか」
「親方、何か言いました?」
後ろから弟子が聞く。
「何も言っとらん!」
「絶対言いましたよね?」
「仕事に戻れ!」
「はいはい」
弟子は笑いながら工房へ戻っていく。
ドゥガルも、その背を追った。
だが入口の直前で、一度だけ振り返る。
煙突から上がる煙。
行き交う荷車。
昔は聞こえなかった子どもたちの声。
遠くでは、新しい鍛冶場を建てるために木材を運ぶ者たちの姿も見えた。
ドゥガルは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
世界を救った実感など、今でもあまりなかった。
ブリシンガーたちと共にやるべきことをやった。
ただ、それだけだ。
だが、こうして故郷に火が戻ったのなら、あの旅にも少しくらい意味があったのかもしれない。
「親方ー!また注文です!」
「またかぁぁぁぁぁ!!」
怒号と笑い声。
そして金槌の音が、活気を取り戻したドワーフの里へいつまでも響いていた。




