第18話「旧友との再会」
王宮の長い回廊に、二人分の足音が響いていた。
王都に戻ってきたレオナと、一緒に付いてきたバルダー。
高い天井。磨き上げられた大理石の床。壁には歴代の王や騎士たちを描いた絵画が並び、窓の向こうにはグランヘイム王都の街並みが広がっている。
バルダーは落ち着かない様子で、その豪奢な景色を見回していた。
「……やっぱ、でけぇな。前に来た時も思ったけどよ」
「王城なんだから当然でしょう?」
隣を歩くレオナが、どこか得意げに笑う。
ファルデン村で泥だらけになっていた時とは違い、今の彼女は王女としての装いに戻っていた。
毛は美しく整えられ、衣装も王族らしい気品に満ちている。
村で料理を作り、畑でミミズに悲鳴を上げていた女性と同じ人物とは、知らなければ思えないほどだった。
バルダーは横目で彼女を見て、小さく息を吐く。
「……王女っぽくなったな、お前」
「今さら何を言ってるのよ!」
「いや、村で四苦八苦してる所の印象が強くてな」
「忘れなさい!」
レオナが頬を赤くして睨む。
その時だった。回廊の奥から、こちらへ歩いてくる一人の男の姿が見えた。
濃色の外交官服。胸元には、ザラハート王国の紋章。数枚の書類を片手に抱え、その歩みには一切の無駄がない。
バルダーの足が止まった。
「……」
相手もまた、同じように立ち止まった。
一年。
最後に顔を合わせてから、それだけの時間が流れていた。
服装も違う。立場も違う。
旅をしていた頃のように、腰に武器を下げ、埃まみれになっているわけでもない。
それでも、その鋭い眼だけは、何も変わっていなかった。
「……カリス」
バルダーが呟く。
カリスは数秒、何も言わず彼を見つめていた。
やがて、ほんの少しだけ目を細める。
「……随分と遅かったな」
「は?」
一年ぶりに交わした最初の言葉がそれだった。
バルダーは眉をひそめる。
「なんだよ、久しぶりに会って一発目がそれかよ」
「一年ぶりに会う男に、他に何を言えばいい」
「お前は色々と忙しそうにしてるんだろ」
「俺は仕事をしていた」
「俺だって仕事してたわ!」
「畑仕事だろう」
「立派な仕事だ!」
即座に返すバルダーに、カリスの口元がほんの少しだけ緩んだ。
バルダーも、それを見て同じように笑う。
そして二人は、どちらからともなく歩み寄った。
拳と拳をお互いぶつけ合う。
それだけで、十分だった。
「……元気そうだな」
バルダーが言った。
「ああ」
カリスも短く答える。
「お前、少し太ったんじゃねえの?外交官になっていいもんばっか食ってるんじゃないのか」
「少なくともお前よりかはいいものを食ってるだろうな」
「なっ……!なんでお前知ってるんだよ!?」
「お前みたいな男が一人でまともに料理をしていないのは、想像に容易い」
「くっ……否定してぇけど、出来ねえ」
少し離れた場所で二人を見ていたレオナへ、カリスが彼女へ視線を向けた。
「レオナ王女殿下。ご無事の帰還、何よりです」
先ほどまでとは打って変わって、完璧な外交官の顔で一礼する。
レオナは目を丸くした。
「……切り替えがすごいわね」
「職務ですので」
「さっきまでバルダーと軽口を叩き合っていた人と同一人物には見えないわ」
「それは職務外です」
「おい」
バルダーが横から睨む。レオナは楽しそうに笑った。
「ふふっ。でも安心したわ。カリスさん、バルダーが会いたがっていたのよ」
「ちょ、お前!」
バルダーが慌てて振り向く。カリスの眉がわずかに上がる。
「……ほう」
「違ぇよ!いや、違わねぇけど!」
「どちらだ」
「久しぶりに顔くらい見てやろうと思っただけだ!」
「一年ぶりにわざわざ王都まで?」
「ついでだ、ついで!」
「なるほど」
カリスは頷いた。
「王女殿下との旅行の“ついで”に、会いに来たと」
「言い方!」
レオナがついに堪えきれず、声を上げて笑った。
カリスもわずかに肩を揺らしている。
「……お前、外交官になって性格悪くなったな」
「お前が分かりやすすぎるだけだ」
「昔はもうちょい無口だったろ」
「お前の相手を一年しなかったから、口が軽くなったのかもしれない」
「俺のせいかよ!」
二人の声が、格式高い王宮の回廊に響いた。
通りかかった侍従が一瞬だけこちらを見る。
カリスは小さく咳払いをして、再び姿勢を整えた。
「……少し静かにしろ。ここは王宮だ」
「先に煽ったのお前だろ!」
「声が大きい」
「誰のせいだ!」
「バルダー」
「なんだよ!」
カリスはそこで、ほんの少しだけ笑った。
「……来てくれて、嬉しい」
あまりにも唐突だった。
バルダーの口が止まる。
「……」
カリスは視線を少し逸らした。
「一年だからな」
その声は、先ほどまでよりずっと小さかった。
「時折、昔のことを思い出す。ブリシンガー、システィーン、ドゥガル……お前のことも」
バルダーも、少しだけ表情を緩める。
「……俺もだよ」
一年前。世界を巡り、命を懸けて戦った仲間たちは、それぞれ別々の道を歩き始めた。
それは喜ぶべきことだった。
戦う必要がなくなったからこそ、別々の人生を選ぶことができた。
けれど、離れてみて初めて気づくものもあった。
「外交官、大変そうだな」
バルダーが言った。
カリスは少しだけ目を伏せる。
「楽ではない」
「だろうな」
「だが、悪くもない」
その答えに、バルダーは笑った。
「そっか」
「ああ」
「なら、よかった」
短い言葉だったが、カリスには十分だった。
彼は軽く息を吐くと、再びいつもの冷静な顔へ戻る。
「それで?」
「ん?」
カリスの視線が、バルダーからレオナへ移る。
そして、またバルダーへ戻った。
「……どういうことだ?」
「何が」
「なぜお前が、レオナ王女殿下と二人で王都へ戻ってきた」
「……」
バルダーの頬が、わずかに引きつる。レオナは、それとは対照的に堂々と胸を張った。
「聞きたい?」
「殿下」
カリスの声が低くなる。
「非常に嫌な予感がします」
「実はね―」
「言うな!」
バルダーが慌ててレオナの言葉を遮る。しかし、遅かった。
レオナは満面の笑みを浮かべた。
「私、バルダーに結婚を申し込んだの♪」
「お前ぇぇぇぇ!!」
王宮にバルダーの絶叫が響き渡った。
カリスは数秒の間、無言だったが、ゆっくりとバルダーを見る。
「……一年」
「言うな」
「たった一年会わなかっただけで」
「だから言うなって」
「お前は王女の婿候補になったのか」
「まだなってねぇ!!!」
カリスは額に手を当てた。
「俺だってこうなるとは思ってなかったんだよ!」
「説明しろ」
「長くなるぞ」
「構わない」
カリスは近くの応接室を指差した。バルダーは呆れたように息を吐いた。
だが、その口元には笑みがあった。
「外交官様は忙しいんじゃねぇのか?」
「旧友の人生が一年でどう狂ったのか確認する程度の時間はある」
「狂ったって言うな!」
「失礼ね!」
今度はレオナまで声を上げる。
その光景を見て、カリスはほんの少しだけ、昔と同じ顔で笑った。
一年ぶりだった。
けれどニ人の間に、その一年を埋めるための時間など必要なかった。
かつて世界を共に駆けた仲間同士の距離は、ほんの数言の軽口だけで、あっという間に昔の場所へと戻っていた。




