第13話「姫様、農家になる」
翌朝、ファルデン村の小道。
朝露がまだ残る小道を、ブリシンガーは鍬を肩に担ぎ、畑へ向かって歩いていた。
空気は澄んでいて、朝日の光が家々の屋根を黄金色に染めている。
そんな中、道の向こうから、つば広帽子に布マントで顔をすっぽり隠した、いかにも怪しい人物がきょろきょろと辺りを見回しながら歩いてくるのが見えた。
ブリシンガーはその人物に一瞥をくれると、ほんの数歩すれ違いざまに、静かに言った。
「……レオナ王女、変装のつもりか?」
人物はぴたりと足を止め、ぎこちなく振り返ってマントを握りしめる。
「な、なぜわかったのですか!?完璧に変装したはずなのに!」
ブリシンガーは肩をすくめて、小さくため息をついた。
「その帽子、王都の宮廷仕立てだろう。生地の質と縫い目で一発だ」
「……っ!」
さらに、彼は小声で続ける。
「あと、背筋が伸びすぎている。足運びも妙に整っている。王宮で礼儀作法を叩き込まれた歩き方だ」
「ぐぬぬぬ……」
レオナは頬を赤くして、帽子を深くかぶり直す。
「これでも必死で練習してきましてよ!村娘になりきるために、夜遅くまでバルダーに教わって……!」
ブリシンガーはふっと笑いを漏らした。
「ああ、なるほどな。……じゃあ、バルダーが『村娘らしく、腰をもう少し落として歩け』って言ったら、それをそのまま信じたんだな?」
「えっ!?な、なぜそこまで知ってるのですか!?」
ブリシンガーは微妙にニヤリとした笑みを浮かべ、まるで全てを見透かしたように視線を送る。
「……バルダーの指導の癖くらい、長く一緒にいればわかる」
レオナはますます顔を赤くし、とうとうマントの端をきゅっと握って小声でぼやく。昨日のブリシンガーのドジっぷりを見た彼女からすれば、少しだけ悔しかった。
「……もう。何故あなたは、こういうとこだけ鋭いのですか……」
少しだけ拗ねたような声に、ブリシンガーは肩を揺らして笑った。
「王族の変装は、もう少し泥臭くしたほうがいい。例えば……帽子の代わりに麦わら、マントより麻布の肩掛け、そして笑顔だ」
「……笑顔?」
「そうだ。隠そうとするより、溶け込むことを意識しろ。村人は顔を隠した怪しい奴より、笑っている顔のほうを信じる」
レオナはぽかんとしたあと、ふっと微笑んで、帽子を少し持ち上げた。
「……なるほど。さすが村人代表ってわけですね」
「代表じゃない。ただ、長居してるだけだ。あと、敬語はやめてくれ。ロズベルグ王にも言ったが聞いてくれなくてな……ただの村人である俺に、王族が敬語を使うのも変な話だろう」
それを聞いたレオナが少し驚く。世界を幾度となく救った英雄が、自分のことをただの村人と称するのがあまりにもかけ離れていたのと同時に、そんな人物にいつも通りの自分を出すのは少し気が引けた。
だが、それが彼なんだとすぐに自分の中で納得した。
「わかったわ……ブリシンガー」
二人は視線を交わし、ふと吹き抜けた朝風に、緊張が解けるように笑った。
レオナは、ふと口を開いた。
「……ねぇ、ブリシンガー」
「ん?」
少しためらいながらも、どこか言い出しにくそうに指先で髪を弄りつつ、視線を外してから言う。
「……あの、ね。……ちょっと、言いにくいんだけど……」
また口を閉じる。だが今度は、すぐに続けた。彼女は顔を上げ、勇気を振り絞って、目を合わせた。
「……ブリシンガー。……その、もし……よかったら……わ、私も……その……畑を、耕してみたいのだけれど……」
その一言に、ブリシンガーの足が止まった。肩に担いだ鍬が、わずかに傾く。
「……は?」
彼が硬直したように固まり、眉を片方だけ少し上げている。まるで時が止まったかのような空気。
その直後、後ろから追いついてきたシスティーンが、軽く息を弾ませながら現れる。
「あ!レオナさん!おはよう!」
だが、その元気さはすぐに驚きに変わる。
「え……今……なんて……?」
レオナは一瞬だけ目を泳がせるが、すぐに顔を赤くして、少し強めに言い直す。
「だ、だから!畑を……!耕してみたいって言ったのよっ!」
システィーンも完全に戸惑いを隠せず、ブリシンガーと視線を交わす。
「……王女が畑仕事……?」
ブリシンガーがようやく口を開き、困惑と半信半疑の入り混じった声を漏らす。
レオナは唇を軽く噛み、腕を組みながら視線を逸らした。
「べ、別におかしくないでしょ……!私だって王族の一人として、見聞を広めたいの。……それに、ああいう仕事って、なんというか……すごく地に足がついてて……興味、あるのよ」
言い終えると同時に、彼女の耳がほんのりと赤く染まる。システィーンはそんなレオナを見て、小さく微笑んだ。
「……でも……泥だらけになるよ?」
「そ、それは覚悟してるって言ってるでしょっ!」
レオナは慌てて言い返しながらも、どこか気恥ずかしそうに眉を寄せた。その様子に、ブリシンガーはようやく肩の力を抜き、ゆるくため息をついた。
「……ま、止める理由もないが。ただ、王城に戻ったときに爪の中が土で真っ黒でも、俺のせいじゃないからな」
その一言に、レオナの頬がふたたび赤くなり、システィーンは口元を押さえて、くすりと笑う。
ブリシンガーは鍬を肩に担ぎ、やれやれといった顔で言う。
「……じゃあ、手伝ってもらうか。まずは、スコップを握ってもらおう」
「ふふっ……心得てるわよ、先生?」
レオナが軽くウインクしながら言うと、システィーンが横からぽそり。
「……筋肉痛で泣かないでね?」
「う、うるさいっ!」
笑い声が朝の村に響き渡った。それからしばらくしてシスティーンから借りた作業着に着替えたレオナは、畑の中央で得意げにスコップを構えていた。
「ふふん、見てなさい。王族の本気を!」
と言いながら、思いっきり土に突き立てる。
ガキィンッ!と硬い石に直撃。スコップが跳ね返り、レオナはその場で「ひゃんっ!」とよろめいて尻もちをつく。
「そこは石だ」
「最初は明らかに柔らかいところから耕した方がいいよ?」
顔を真っ赤にしたレオナは、慌てて立ち上がる。
「べ、べつに、最初は誰だって失敗するものよっ!」
次は草むしり。
しゃがみ込んで勢いよく草を引き抜いた瞬間だった。
「……きゃあああああ!!!」
土に潜んでいたミミズがにゅるっと現れ、レオナは飛び上がった。
「な、なによこれぇぇ!!!」
「ただのミミズだ」
ブリシンガーがすました顔で答える。それを見たシスティーンが微笑む。
「土の栄養を作ってくれる大事な子だよ」
「だ、大事でも気持ち悪いのよっ!!」
それでも王女の意地か、再びスコップを握り直し、今度は慎重に土を掘り返す。
だが力の入れ方を間違えた。
「……あっ」
土が飛び散り、システィーンのワンピースの裾に泥がべっちゃり。
「ご、ごめんなさいっ!!!」
システィーンはにっこり微笑む。
「大丈夫だよ、洗えば落ちるから」
数時間後。
額に汗を光らせ、頬を赤らめ、泥だらけになったレオナがそこにいた。
スコップに体重を預け、肩で息をしていた。
「……はぁ……はぁ……ど、どう?これが……王女の本気……!」
その姿に、ブリシンガーとシスティーンは顔を見合わせ、同時に小さく吹き出した。
「……悪くない。形は不格好でも、ちゃんと畑になってる」
「うふふ。王女様じゃなくて……もうすっかり、村の女の子だね」
レオナは一瞬きょとんとした後、耳まで真っ赤に染めてそっぽを向いた。
「まだまだこれからなんだから!」




