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第12話「バルダーの本音」

丘の上、村を見渡す場所にて。

村を回った一日が終わった。村の人たちの暖かさを肌で感じた時間だった。


ギリギリ王家の人間であることはバレなかった。派手さや裕福さは決してないが、それよりもっと大切な“心”がこの村にはある。

そんな庶民の生活を満喫したレオナは、満足そうにしていた。


そんな中、システィーンがハッと目を丸くした。


「いけない!もうこんな時間……家に戻らないと、ブリシンガーも待ってるわ」


それを聞いたレオナが微笑んだ。


「今日はとても楽しかったわシスティーン。王都では知り得ない人々の生活、とくと堪能しましたわ。また案内してね」


システィーンは微笑み、笑顔で頷いた。そして、ふわりと優しい笑顔でバルダーとレオナに手を振る。


「こちらこそありがとう、レオナさん。また、お話しようね」


「ええ、必ずまた」


レオナが小さく手を振り返すと、システィーンは夕暮れに染まる道を、家へと戻っていった。

小さな家の灯りがぽつりと灯り、バルダーとレオナは再び二人きりになった。


「……静かだな」


バルダーがぽつりと呟く。

二人は、村を見下ろせる小高い丘に腰を下ろしていた。そこからは、畑を歩く農夫の姿や、馬車で荷物を運ぶ商人、薪を運ぶ老夫婦の穏やかな影が見える。どこまでも平和な風景だった。


レオナは風に揺れる髪を手で押さえながら、微笑んだ。


「いい村ね。みんな優しくて、あたたかい……本当に平和」


バルダーは頷いたが、その表情には微かに陰りが差していた。


「……だろうな」


「バルダー?」


しばらく沈黙があった後、彼は静かに口を開いた。


「一つ、俺の過去について、お前に伝えないといけないことがある」


バルダーが俯く。


「お前が、俺を結婚相手として相応しいとか言ってくれたけどな、俺はそんなんじゃねえんだ」


「俺は……もともと、こんな村には似合わねぇ人間なんだ」


「……」


「俺は、元々ヴァルハイトの孤児だった。名も、家族も、何もなかった。拾われたのは、その武闘国家の訓練施設……いや、育成機関と呼ぶべきかもしれない。そこで教わったのは、どう殺すかだけだった」


彼の声は穏やかでありながら、どこか遠い過去を見つめるような色を帯びていた。


「感情なんてものは捨てろ、敵の顔に怯むな、命令に従え、痛みには慣れろ。そんな言葉ばかり浴びて育った」

「命令に背けば、鞭打ち等の体罰。初めて人を殺した日も、涙すら出なかった。むしろ、上官に褒められて、それが正解だと思ってたんだ」


レオナは言葉を挟まず、じっと彼の横顔を見つめていた。


「ヴァルハイトは一時期、グランヘイムへの侵攻も考えていた。俺もその兵として、最前線で戦うこととなってた。ブリシンガーのおかげで止まったけどな」


「……皮肉だな。今、こうしてその国の王女と肩を並べて村を見てるとはな」


自嘲気味に笑うバルダーの表情には、どこか痛みがにじんでいた。


「だけど、そんな俺を変えたのが、彼だった」


「コロセウムで会って、俺を圧倒して殺すこともできたのに、代わりに名前をくれた。仲間として迎え入れてくれた。“バルダー”って名は、あいつからもらったもんだ」


彼は拳を握る。


「それから旅をして、一緒に戦って、人のぬくもりを知って、命の重みを学んで……やっと、俺は人になれた気がした。でも、それでも俺の手は、血で濡れてる。拭っても、何度洗っても……俺が奪った命は、戻らない」


彼は静かにレオナを見た。目はまっすぐだった。


「だからお前みたいな、王家の生まれで、ずっと光の中を歩いてきたような人間とは、世界が違う。穢れた俺なんかじゃ、お前の隣には立てない」


「お前みたいな眩しい存在は、遠いところにいてくれた方がいいんだ。俺は、まともじゃない。学も無い、戦うことしか能のない獣だ」


静寂が訪れた。


その言葉の重みを、レオナはじっと胸に受け止めていた。彼女の瞳に、静かな揺らぎが宿る。やがて、レオナは優しく、しかしはっきりと声を発した。


「……貴方は、本当に……愚かだわ。けれど、美しい」


決して大声ではない。だが、そのひとつひとつの言葉に、魂の芯から震えるような、真実の熱が宿っていた。


「過去が消えないことくらい、私にも分かるわ。貴方が奪った命を、私が勝手に赦すこともできない。けれど、その過去を忘れず、同じことを繰り返さないために生きている貴方を、私は穢れているとは思わない」


「誰かの命を踏みにじっておいて、それを正義と呼ぶ者たちこそが、本当の怪物よ」


レオナの瞳に、剥き出しの感情があった。


「貴方は、痛みを知ってる。罪を知ってる。赦されないと思ってる」


彼女の手が、そっとバルダーの胸元に触れた。鼓動のリズムが、互いに感じられるほどの距離。


「その苦しみを抱え、それでも前に進もうとする。それが王都で、貴方を初めて見た時に感じたのよ。コロセウムでブリシンガーさんが、貴方を選んだ理由。今なら、少しだけわかる気がするわ」


レオナはふっと目を伏せる。


「……幼い頃の私は、王族という籠の中で、教育係からしきたりや礼儀作法だけを押し付けられて育ったわ。誰かの痛みも、命の重さも、わかっていなかった。だけど―」


彼女はゆっくりと顔を上げる。瞳には、誇り高い光が宿っていた。


「父レオニダス王の歩んだ背中と、彼の国民への想い。システィーンの優しさ、ブリシンガーさんのガウレムとの壮絶な最終決戦、貴方と過ごしたこの二日間で、ほんの少しだけ触れることができたの」


「戦うということの意味を。守るということの重さを。命を賭けるという言葉が、ただの綺麗事じゃないことを」


そして彼女は、決意に満ちた声で告げる。


「痛みも、後悔も、全部引き受けて、それでもなお、前に進もうとするその姿を、私はこの世界の誰よりも、尊いと思ってる」


風が、そっと吹いた。

レオナの髪が、バルダーの肩にふわりとかかる。


「貴方のその手は、確かにたくさんの命を奪ったかもしれない。でも今、その手は畑を耕し、子どもたちに剣を教え、この村の人たちを守っている。過去だけが、貴方のすべてじゃない。穢れてるなんて、二度と言わないで」


彼女は微笑んだ。それは王族の仮面を脱いだ、一人の女性としての笑みだった。


「現に、貴方はこの村の人達からとても好かれているじゃない。畑で汗を流す貴方は、戦うことしか知らない獣なんかじゃない。私は……そんな貴方だからこそ好きになったのよ」


言った直後、レオナはふと目を逸らした。頬が淡く染まっていた。

だが、すぐにもう一度、まっすぐにバルダーを見つめる。


「それにブリシンガーさんも、きっとそうだったと思うの。貴方の過去や傷をすべて察知した上で、それでも仲間として迎えたはずよ」

「そんな彼に選ばれたからこそ、もっと自分誇りに思っていい」


バルダーは言葉を失ったまま、レオナの瞳を見つめ返す。その瞳には、王女としての威厳ではなく、等身大のひとりの女の、確かな想いが宿っていた。


「……レオナ、お前……」


「私の名を呼ぶときは、“お前”じゃなくて、“君”って言って」


「……は?」


「それが、ルールよ♪」


思わず笑ってしまいそうになるその言葉に、バルダーは数秒間の硬直の後、肩を落として苦笑した。


「……勝てねぇな、君には」


その笑顔は、少しだけ涙に濡れていた。

バルダーが、照れ隠しのように小さく笑みを浮かべた。


「……もし、例えば、だけど。俺が……君のところへ婿入りしたら、やっぱりこの村は離れないといけなくなるのか?」


その言葉は、軽口のように装っていたが、どこか真剣な響きを持っていた。

言ってしまってから、バルダー自身が少しだけ視線を逸らす。その横顔には、過去の影と、現在の静かな幸せと、未来へのわずかな不安が滲んでいた。


レオナは、バルダーの顔をじっと見つめていた。丘の上に吹く風が、彼女の赤い外套をはためかせ、髪を揺らす。

そして、彼女は、ふっと柔らかく笑った。


「それは……正式なプロポーズとして、受け取っていいのかしら?」


バルダーは目を見開いて、慌てて手を振った。


「ち、違う!たとえば、の話だ、たとえば!」


「ふふっ……そうね、でもたとえばでも、その問いは嬉しいわ」


レオナは少しだけ空を仰ぎ、続けた。


「王族に生まれた以上、私には義務や責任がある。……でも、同時に、選ぶ権利もあると、私は信じてるの」


彼女の瞳が、真っ直ぐにバルダーを見つめる。


「あなたがこの村を大切に思っていることも、私、今日よく分かったわ。こんなにも温かく、穏やかな場所を、簡単に捨てられるわけがないって」


「だから、私が来ることもできる。王城にいるべき理由もあるけど、私は、あなたの傍にいたいという理由を選ぶこともできるわ」


バルダーは、思わず息を呑んだ。

その言葉は、静かで、けれど確かな意志を持った声だった。


「……強いな」


「当然よ、でないと一国の王女なんてやってられないわ」


バルダーは、レオナの言葉に一拍の沈黙を置き、そして不意に、少しだけ口元をゆるめた。


「……君がいたらさ。王都に行くのも……王族入りするのも、案外悪くないのかもな」


まるで冗談のように、でもどこか照れたように言った。

レオナは一瞬ぽかんとして、そしてぷっと吹き出す。


「何それ、今さら王族に憧れたの?」


「違うって。そんなんじゃねぇよ」


バルダーは慌てて手を振るが、その仕草もどこかぎこちない。

彼の耳の先が、ほんのり赤くなっていた。


「君がいるなら、あの場所にだって笑える日常があるのかもしれないって」


その言葉に、レオナはしばし何も言わなかった。

やがて、彼女はそっと微笑み、静かに答えた。


「ふふっ。もし本当に王族入りするなら、覚悟しておいた方がいいわよ?学ぶこと、たくさんあるもの」


冗談めかして言いながらも、その声音にはどこか現実味と、優しい気遣いがあった。


「礼儀作法に、歴史に、政治に……あと、晩餐会の時のナイフとフォークの順番も」


「げ……」


バルダーは目を伏せ、ため息をついた。


「やっぱやめとこうかな。俺、ナイフで肉切るより、鍬の方が性に合ってるかもな」


レオナはくすっと笑い、そんな彼の肩にそっと寄り添った。


「大丈夫。私は、あなたがあなたのままでいられる場所を一緒に作りたいだけ。無理に変わってなんて、思ってないわ。でも、次は“たとえば”じゃなくて、本気で言ってね」


バルダーは、静かに彼女を見つめた。


「……ありがとな」


彼らの前には、まだ答えの出ない道が広がっていた。けれどその隣に立つ相手だけは、確かにそこにいた。


「礼は不要よ。私は私のできることをしているだけ。さ、遅くなってきたわ。家に戻りましょう、バルダー」


「俺の家なんだけどな」


「細かいことは気にしないっ!」


二人は笑い合いながら、灯りの灯る村へと戻っていった。

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