第11話「英雄の日常」
バルダーはそのやりとりを見守りながら、黙ってスープの器をもうひとつ用意していた。
「お二人とも、座れよ。朝飯くらい、ゆっくり食ってけ」
「それ、持ってきてくれたの?料理のお裾分け?」
「あ、うん。昨日ちょっと張り切りすぎちゃって……」
「ふふ、わかるわ。私もたまにやるの、食材を盛りすぎちゃって」
「えっ……レオナさんも料理、するんだ?」
「王宮でね。たまに、こっそりね」
「なんか、ちょっと意外かも……」
「言ったでしょ。今日は、ただのレオナなのよ」
そんな他愛もないやりとりに、バルダーは呆れたように笑った。
(……よかったな、お前ら)
システィーンとレオナが顔を見合わせて微笑む。
その笑みはまるで歳の近い姉妹のように、柔らかく、どこか嬉しそうだった。
朝食を食べ終えた頃、バルダーは「ちょっと洗濯物を干してくる」と席を外した。
そして、残されたのは女性二人。ぽつんと静けさが降りたその瞬間、レオナはにっこりと笑った
「ねえ、システィーン」
「……はい」
「ちょっと聞いてもいい?」
「うん、なに?」
「……ブリシンガーさんとの暮らしって、どんな感じなの?」
システィーンは、少しだけ目を瞬かせてから、くすっと微笑んだ。
「……やっぱり、気になる?」
「当たり前でしょ!だって彼って、伝説の英雄なのよ?王城にいる騎士たちよりも、ずっと凛々しくて強くて、しかも顔まで整ってるんだもの……」
「あはは、確かに整ってるのは否定しないかな」
「でしょ?もう、ズルいくらい完璧よ。そんな彼と一緒に暮らしてるなんて、ねえ、どんな感じなの?怒ったり、嫉妬したりするの?家事とか、手伝ってくれるの?」
一気に矢継ぎ早に畳みかけるレオナ。システィーンが顔を赤らめながら話す。
「家事はむしろ率先してやってくれてるわ。うーん……怒るのは滅多にないよ。というか、怒らせる方が難しいかも。あの人、本当に優しくて……」
「えぇ、あの眼差し……優しいのはわかるけど、でも夫婦だもの。喧嘩とか、まったく無いわけじゃないでしょ?」
「滅多に喧嘩することなんてないけど……すぐに私も彼も謝る。私の話、ちゃんと最後まで聞いてくれるし」
「……尊っ……」
「えっ?」
「いや、ごめんなさい、いま心の声が漏れたわ」
レオナは頬を染めながらも、興味は尽きない。システィーンは遠くを見つめながら続ける。
「……ブリシンガーってね、本当に、村の人たちのことを大事にしてる。王からの褒賞金も、ほとんど村に寄付して、村の橋や道や、あの銭湯も……」
「バルダーから聞いたわ。そういうことをしそうな人だもんね」
「そうね……『守る』っていう責任を、ただの力じゃなくて、日々の選択で果たしてる」
システィーンの言葉にレオナは目を伏せる。それはまさに、彼女が誰より近くで見てきた「ブリシンガーの横顔」だった。
レオナが少したじろいだ後、恥ずかしそうに聞く。
「じゃあ……家ではどんなふうに過ごしてるの?」
「夜は一緒にお茶を飲んだり、本を読んだり……」
「夜……」
レオナが好奇心に負ける。
「えっ……」
「その、寝る時もずっと隣に?甘えてきたり……する?」
「……ん……うん。彼、夜になるとちょっと……寂しがり屋になる」
「ふ、ふああああっ!?ブリシンガーが!?」
レオナは小さく叫び声をあげて、テーブルに突っ伏す。
「嘘でしょ、ズルすぎる……。世界を救った英雄が、奥さんの膝を枕に寝るなんて……そんなの夢でしか聞いたことない……」
「うふふ、そんなこと言われると、ちょっと照れちゃうね」
レオナは身を起こして、じっとシスティーンを見つめた。
「でも……なんだか分かった気がする」
「なにが?」
「あなたが、あの人の光なんだってこと。システィーン、あなたがいるから……あの英雄は、ちゃんと人としてこの世界に立っていられるんだって、今はっきりわかった」
「……レオナさん……」
「だから、ちょっと嫉妬しちゃうけど……本当に、あなたでよかったと思う。ブリシンガーさんの隣にいるのが」
「ありがとう。そう言ってもらえると、すごく嬉しい」
ふたりの視線が交わり、微笑みが生まれる。
そんな時、ドアがギィ……と軋みを上げて開いた。
「……盛り上がってるな」
バルダーだった。
目をぱちぱちと瞬かせる彼に、レオナとシスティーンは顔を見合わせ、くすっと笑った。
「あ……お邪魔してごめんなさい。そろそろ、私は失礼するね」
システィーンが椅子から立ち上がると、レオナは慌てて手を伸ばす。
「えっ、もう?でも……せっかくだし、村を少し案内してもらえないかしら」
「……村を?」
システィーンが目を丸くすると、バルダーが苦笑混じりに口を挟む。
「おい、レオナ。あんた、ただでさえ目立つんだ。王女が堂々と歩いてたら村の騒ぎになるぞ。……ちゃんと変装しろよ」
「むっ……分かってるわよ、それくらい。ちょっとした旅行客ってことにしておけばいいんでしょ?」
「それが簡単じゃないから言ってるんだって」
「じゃあ……システィーン、あなたの服、貸してくれない?」
「え? あっ、うん。私のだったら、いくつか似合いそうなのあるかも……」
レオナは楽しげに立ち上がり、手を叩いた。
「よし、じゃあ“普通の村娘”レオナに変身して、小さな旅に出るとしましょうか♪」
バルダーが苦笑する。
「……全然“普通”になってる気がしねぇ」
システィーンはそんなやり取りにくすっと笑いながら、レオナの腕を軽く取った。
「じゃあ、お気に入りの場所、案内するね」
「ありがとう、システィーン!」
それから一度システィーンの家へ立ち寄り、着替えを済ませた三人は、村の小道を歩いていた。
朝の光が窓辺を照らす中、王女と英雄のふたりの特別な女性が、そっと日常の中へと歩み出す。
小道を歩く三人。レオナは素朴な布の帽子と、村娘のようなシンプルなワンピース姿に変装していた。
バルダーがため息をつく。
「……ったく。顔立ちが目立つんだから、帽子深く被れって。ほら、もっとこう」
システィーンはくすくすと笑いながら「でも、レオナさんの目元って印象的なものね。帽子を被っても目立つね」と言う。
「ふふっ、こうして普通の格好をして、村を歩くのって、ちょっとワクワクするわ」
「目立ちすぎるなよ。王女が村で騒ぎになったら……」
「バルダー、あなた心配性ね。でも……うん、なんだか空気がやわらかくて好きだわ、この村。見渡す限り緑、風の音が澄んでて。王都じゃ味わえない」
「ここは戦争も何もないからね。空気も人も、穏やかなんだ」
そう答えるシスティーンの声には、どこか自慢げな響きがあった。
そんな会話を交わしながら、畑の裏手にさしかかると、見慣れた銀髪の背を見つける。
「……あれって……」
「ブリシンガーだよ」
広い畑の中央、粗末なシャツを腕まくりし、土まみれの手で鍬を振るうブリシンガーの姿があった。伝説の戦士が、いまは一本一本苗を植えながら、たまに土に足を取られてふらついている。
「……ちょっと、今……転びかけたよ?」
レオナが思わず口元を押さえて吹き出した。
「あはは、あれでも結構ドジだから」
システィーンも苦笑しながら言う。
そのとき、ブリシンガーが雑草を引き抜いた瞬間、勢い余って後ろに倒れる。
「……ぶふっ」
システィーンは咄嗟にブリシンガー駆け寄ろうとするが、途中でレオナが袖を掴んだ。
「待って、ちょっと……そのまま見ていたい気がするわ」
「え?」
「だって、なんか……可愛い」
彼女はそっと、微笑んだ。
照れくさそうに後頭部を掻きながら立ち上がるブリシンガー。その仕草は、世界を救った伝説の英雄とは思えないほど、素朴で、不器用で、温かみがあった。
「……ふふ、なるほど。貴女が惚れ込むわけだわ」
「えっ、え、な、なにを……」
システィーンの顔がボッと赤くなる。
「いずれにせよ、あのような姿を見たら、確かに庶民の暮らしにも憧れてしまうわね」
その言葉には、少しだけ本音が滲んでいた。王族として、いつも装われた世界に生きているレオナにとって、畑で転ぶブリシンガーのような人間らしい英雄像は、まるで別世界の輝きに思えたのだ。




