第10話「"レオナさん"」
朝靄が村を包み込む頃、鳥のさえずりが微かに聞こえ始めた。
陽の光はまだ柔らかく、薄いカーテンを透かして部屋の中へと射し込む。
レオナは静かに目を覚ました。
慣れない簡素な布団ではあったが、昨夜の湯と村の穏やかな空気に癒やされ、心地よく眠れた。
ふと、すぐ傍に気配を感じて、彼女はゆっくりと顔を傾けた。
そこには、干草の上に丸くなって眠るバルダーの姿があった。
彼の寝息は深く、安心しきった子供のよう。
額にかかる黒髪、長いまつ毛が伏せられたその顔は、かつて激しい戦場を戦い抜いてきた戦士とは思えないほど穏やかだった。
レオナはそっと、彼のそばに膝をついた。
その寝顔をじっと見つめ、声にならないほど静かな想いを胸に抱く。
「ほんとに、あなたって……誠実すぎるのね」
呟くようにそう言って、小さく微笑む。
王女として、男の家に泊まるなど、本来ならあり得ないことだった。
王都で堅い家臣にそんなことが知られれば、大騒ぎになるのは間違いない。
けれど、レオナには確信があった。バルダーなら大丈夫。彼は、どこまでもまっすぐで、優しくて、誠実な男だと。
そして実際その通りだった。
夜、彼が一緒に寝ようとしなかったこと。干草の上で文句も言わず眠ったこと。
王族だからといって彼女に特別な扱いをせず、自然に接してくれたこと。
これは、彼本人の性格でもあり、ブリシンガーという英雄の隣にずっと居たという経験もあるのだろう。
レオナの瞳は安心したように細められる。しばらくその場に佇んでいたが、やがてバルダーがもぞもぞと動き、寝返りを打った。
「ん……ふぁ……」
彼が目を覚ます直前、レオナは慌てて立ち上がった。寝顔を見ていたなんて、知られるのは少しだけ恥ずかしい。
「……おはよう、バルダー。よく眠れた?」
「う、うおっ!?お、おはよう……!あ、あれ、もう朝か!?」
「ふふっ。寝癖ついてるわよ」
レオナはそう言って、彼の頭に手を伸ばした。
「じっとして。まだ跳ねているわ」
「い、いいって、自分で直す!」
「鏡もないのに?」
「……そういや、ねぇな」
その仕草には、王女という立場を超えた優しさと親しみがこもっていた。
「さて、朝ごはん、どうしましょうか」
「えっ……また作ってくれるのか?」
「当然よ♪私のレパートリーを舐めちゃだめよ?」
レオナが微笑むと、バルダーは思わず頬を赤らめる。
手際よく簡素な食材を組み合わせ、パンと野菜のスープ、そして香ばしく焼いたハーブ卵が並べられていく。どれも素朴だが、美しく整えられ、まるで宮廷の料理のように洗練されていた。
「……ほんとに、やっぱすげぇなあんたは……」
「ふふん♪もっと褒めてもいいのよ?」
食卓に手を伸ばそうとしたその時、「コン、コン」と木の扉を叩く音が響いた。
「はいよ、今開ける」
バルダーが扉を開けると、そこには麦わら帽子をかぶり、布に包まれた籠を手にしたシスティーンの姿があった。
朝日を受け、優しい風に金髪が美しく靡く。
「おはようバルダー、朝からごめんね。昨晩、料理を作りすぎちゃって……お裾分けを……」
一人暮らしで料理をあまりしないバルダーに対し、システィーンがこうやってたまに料理のお裾分けをしに来ることがあるのだ。
システィーンがバルダーの後ろにいるレオナに視線を向ける。
珍しくバルダーの家に来客者がいると挨拶をしようとした瞬間、システィーンが息を呑んだ。
「レ……レオナ様……っ!?い、いえ、失礼いたしました。おはようございます……っ!」
気高き王女が、バルダーの朝食を共にしている。その予想外の光景に、彼女の心臓が跳ねた。システィーンは慌てて膝を折りかけるが、それを見たレオナは笑顔で手を上げて制した。
「ごきげんよう、システィーン。そんなに畏まらないで。ここでは、ただのレオナよ」
バルダーは困ったように頭をかきながら二人を見比べた。
「そういや、お前らがちゃんと顔合わせるのは……あの“結婚しなさい”発言以来か」
「それ言わなくていいのよ、バルダー!」
すっかり蚊帳の外に置かれたバルダーを横目に、レオナがシスティーンに優しい笑顔を向ける。
「こうしてきちんと話すのは初めてだけれど……私たち、きっと年齢も近いでしょう?」
システィーンは目を瞬かせる。
「……はい。私は、今年で二十二歳に……」
「私は二十歳よ。だったら敬語なんてやめて普通に話さない?立場こそ違えど、女性同士。仲良くしましょう」
その声音は柔らかく、けれど王族としての威圧感ではなく、親しみに満ちていた。
システィーンは一瞬だけ戸惑い、けれど微笑みを返すと、そっと頷いた。
「……はい。光栄です、レオナ様……いえ、レオナさん」
「ふふ、ありがとう。そう呼ばれるのも新鮮だわ」
彼女たちは、形式と立場を超え、向き合う瞬間を得たのだった。
「ちょうど朝食なの。一緒にどう?」
「..….いいの?」
「もちろん。私が作ったのよ」
システィーンは料理を見て、素直に感心した。
「すごい……とてもおいしそう」
レオナは得意げに胸を張った。
「……俺の家なんだけどな」
バルダーの小さな呟きは、二人には聞こえていなかった。




