第8話 枯れた都市
オストハイムから来た伝令は血まみれだった。
タルクが魔導院の食堂で朝食を取っていたとき。広間に駆け込んできた青年は鎧の腹部から血を流していた。馬を乗り潰してきたらしい。倒れ込みながらも声を絞り出していた。
「ヴェルナー教授様はいらっしゃるか。緊急の伝令だ。オストハイムが」
食堂が一気に静まり返った。
タルクは即座に立ち上がった。十七年の現場で叩き込まれた反応。事故が起きたら考える前に動く。タルクは伝令に駆け寄り。傷口を確認した。腹部の刺し傷。深くはない。しかし出血量が多い。失血のリスクがある。
「誰か布を。あと水を」
タルクは叫んだ。食堂の使用人が慌てて持ってきた。タルクは手早く傷口を圧迫止血した。十七年で怪我はさんざん見てきた。応急処置の手順は体が覚えていた。伝令の青年は意識を取り戻しつつあった。
「ヴェルナー教授を呼んでください。あと医療を」
タルクの指示で別の使用人が走った。
数分後。ヴェルナー教授が走り込んできた。教授は伝令の顔を見て眉を寄せた。
「お前は。オストハイム魔法警備隊の」
「教授様。緊急です。オストハイムが」
伝令は呼吸を整えてから言った。
「魔力が枯渇しました」
「枯渇」
「街全体の魔法装置が動かなくなりました。給水装置も。照明も。換気装置も。すべて沈黙しました。三日前から徐々に弱まり。昨日完全に止まりました。市民は混乱して。一部は暴動を起こしています。市長は王都に支援を要請してます」
ヴェルナー教授は青ざめた顔でタルクを見た。タルクは即座に意味を理解した。光る管の系統が機能停止している。それは局所的な詰まりや漏水ではなく。供給そのものが断たれている可能性が高い。
「先生。俺。行きます」
タルクは立ち上がった。
「タルク君。お前はまだ入学したばかりで」
「行きます。ここで議論してても何も変わりません。現場見ないと。原因も特定できません」
ヴェルナー教授は深く頷いた。
「私もすぐに学長に話を通そう。少なくとも医療班と魔術師の派遣は手配する。タルク君は先発隊として行ってくれ。馬車を一台手配する」
「リエラさんも一緒に行ってもらえますか」
「リエラ」
「街で待ってる元宮廷魔術師です。火属性。戦闘もこなせます。緊急時に役立ちます」
ヴェルナー教授は迷ったが頷いた。
「彼女を呼びに行きなさい。私は学長に掛け合う。一刻も早く出発だ」
タルクは食堂を駆け出した。
街の宿屋でリエラを叩き起こしてから一時間後。タルクとリエラは魔導院の馬車に乗り込んでいた。御者は屈強な学院職員。馬は最速の伝令馬。馬車自体に魔法石が組み込まれた高速移動仕様だった。
「で。私たちは何しに行くの」
馬車が王都の門を出てから。リエラが眠そうな目で尋ねた。彼女は寝込みを叩き起こされた挙句に。半ば強引に同行を承諾させられていた。それでも従ってくれている。
「街の魔力供給が止まりました。原因不明。俺は光る管が見えるんで。原因特定に行きます。リエラさんは。俺の護衛と魔術支援」
「私が魔術支援」
「はい。専門家として」
「悪くないわね」
リエラは小さく笑った。彼女の目は半ば寝ぼけていたが。一度引き受けた仕事に対する真剣さは表情に滲んでいた。
「で。あんた。光る管見える話。教授に言ったの」
「言いました」
「ふーん。よかったの。そんな簡単に」
「ヴェルナー先生は信用できます」
「あんたが信用するんならいいけど。ただし他の連中には言わないほうがいい」
リエラは念を押した。タルクは頷いた。
馬車は街道を全速力で走った。普通なら五日かかる距離を二日で踏破する見込みだった。御者は頻繁に馬を交換した。街道沿いの駅で疲れた馬を置き。新しい馬を借り受け。再び全速力で進んだ。
二日目の夕方にオストハイムの城壁が見えてきた。
タルクは馬車の窓から街を見て目を見開いた。
光が完全に消えていた。
光る管の網は確かにそこにある。しかし流れが完全に止まっていた。死んだ管。動かない循環系。それは死体に似ていた。タルクの脳裏に。日本で見た廃墟ビルの光景が浮かんだ。配管が動いていないビル。生命の止まったインフラ。
しかしそれだけではなかった。
タルクは目を凝らした。
街の中央から。一本の管が外へと伸びていた。
他のすべての管は死んでいるのに。その一本だけは。生きていた。光が走っていた。しかし光の方向が変だった。流れが街の中から外へと向かっていた。
「リエラさん。これおかしいです」
「ん」
「街の魔力。盗まれてます」
「は」
「街の中央から。一本の管が外に伸びてて。光がそっちに流れてます。街の魔力が外に持ち出されてる」
リエラは瞬時に表情を引き締めた。
「方向は」
「東。街の外。森の方」
「東は。フェルム帝国の領土と国境を接してる。距離は数日かかるけど」
「国境を越える可能性も」
「ありうる」
リエラは舌打ちした。
「これが本当なら。事故じゃない。意図的な攻撃」
タルクは唇を噛んだ。
単純な漏水や詰まりではなかった。誰かが街の魔力を盗んでいる。光る管に意図的に分岐を作って。流れを外に持ち出している。これは現代日本でいえば。電気の盗電か。あるいはガスの盗難。インフラに不正分岐を作る犯罪行為。
馬車はオストハイムの正門に到着した。
城門は半開きになっていた。衛兵が疲弊しきった顔で立っていた。馬車を見て一瞬反応が遅れた。
「魔導院から救援です」
御者が叫んだ。衛兵はようやく顔を上げて頷き。城門を完全に開けた。
街の中はひどい有様だった。
道のあちこちに人が座り込んでいた。子供を抱えた母親。倒れた老人。途方に暮れた商人。建物のすべてが暗かった。魔法照明が動かないため。蝋燭で凌いでいる家もあったが。多くは闇に沈んでいた。空気は淀んでいた。換気装置が止まったために臭気が逃げない。井戸も止まっていた。給水装置の故障で水汲みが追いつかない。
タルクは馬車の窓から街の様子を眺めながら胸の中で計算していた。
日本の現代都市が三日間水道とガスと電気をすべて失えば。同じ状態になるだろう。インフラというものは平時に意識されない。しかし失われた瞬間に。生活のすべてが瓦解する。配管工として十七年やってきて。タルクはそれを骨身で知っていた。台風や地震の被害現場で。住民が水道の復旧を待ちかねる目を何度も見てきた。蛇口の前で泣く老人。トイレが使えなくて困窮する家族。当たり前を奪われた人間の表情。それがこの街の人間にも刻まれていた。
しかしこの街の場合は天災ではない。
人災だ。
誰かが意図的に起こした人災。その事実がタルクの胸に重く沈んでいた。怒りに変わる前の。重い圧迫感だった。
タルクは馬車から降りて市庁舎へ向かった。
市長は四十代の女性だった。憔悴しきった顔で対応に出てきた。
「魔導院の皆さん。本当によく来てくださった」
「市長様。状況の説明を」
「三日前。突然魔法装置がすべて弱り始めました。最初は気のせいかと思ったが。次の日にはほぼ動かなくなった。昨日の朝には完全停止。市民は水も光も失って。混乱の中にあります」
「魔術師の調査は」
「町お抱えの魔術師三名がそれぞれ調べたが。原因がわからない。供給魔石の異常もない。装置の故障でもない。なぜ動かないのかが不明」
タルクは市長の話を聞きながら頷いた。
「市長様。一つお願いがあります」
「何でも」
「街の中央。最も大きな魔法装置がある場所に。連れて行ってください」
「中央広場の。大公塔のことかしら」
「そこです」
市長はすぐに案内を手配した。タルクとリエラは護衛の兵士に連れられ。中央広場へ向かった。
大公塔は街の中央に聳える高さ五十メートルほどの石塔だった。基部に祭壇のような場所があり。そこに巨大な魔法石が安置されていた。これが街全体の魔力供給源だ。
タルクは塔の周りを一周した。
光る管の流れを目で追った。
あった。
塔の地下から。一本の太い管が南東方向に伸びている。その管は他の管よりも明らかに不自然だった。古代の管路は地中深くを走り。地表からは見えない深さにある。しかしこの一本だけは。比較的浅い場所を走り。そして街の城壁の下を貫いて。外へと伸びていた。
明らかに後付けの管だった。
誰かが意図的に。古代の主管路から。新しい分岐を作っていた。日本でいえば不正配管。共同住宅の上水道に勝手に枝管を繋いで。水道料金を払わずに使うのと同じ手口。
ただし規模が桁違いだ。
街全体の魔力供給を盗むほどの分岐工事。
しかも工事の手際が良すぎた。タルクの目には継手の処理の精度が見えていた。日本の不法配管なら継手部分から水漏れが起きるが。この管の継手は一切の漏れがない。流量制御も繊細だ。一気に魔力を抜くと街側の異常が即座に察知される。それを避けるために徐々に流量を増やしていった形跡があった。素人の犯行ではない。一級の魔導工学技術者の仕事だった。
タルクは管の継手を見ながら胸の奥が冷えていくのを感じた。十七年やってきて。技術は嘘をつかない。職人の手の癖は仕事に必ず出る。この管を組んだ人間は。明らかに大規模建築物の設備工事を経験している。それも複数の現場で。経歴のある技術者だ。
「リエラさん。このタイプの分岐工事って。誰が出来そうですか」
「魔導工学の。最高峰の技術者じゃないと無理。しかも一人ではなく。複数人。組織立った工事」
「組織」
「うん。これは個人の犯罪じゃない。国家規模の。インフラ攻撃」
リエラの言葉は重かった。タルクは唇を噛んだ。
誰かが。組織的に。世界規模の魔導管網を。利用している。
あの〈原初の建設者〉が築いた管路を。後世の何者かが私的に転用している。
タルクは胸の中で。前世の感覚と異世界の現状を結びつけた。
黒田。
ふとそんな名前が浮かんだ。
馬鹿げた連想だ。前世の元上司が異世界にいるはずがない。しかし。あのタイプの人間ならば。世界のインフラを盗んででも自分の利益を優先する。そういう連中が組織立って動いていれば。十分にこの規模の事件は起こせる。
タルクは首を振った。考えすぎだ。
今はまず。
目の前の街を救うのが先だ。
「リエラさん。応急処置します。手伝ってください」
タルクは塔の地下に向かって歩き出した。リエラがついてきた。
タルクは塔の祭壇の前に立った。手を伸ばして光る管に意識を集中した。不正分岐を一時的に塞ぎ。流れを街全体に戻す。それが応急処置の手順だった。
しかし。
予想以上に大きな抵抗があった。
管の中で何かが押し戻してきた。タルクの意識を弾く力。これは自然な詰まりや漏水ではない。能動的な抵抗。誰かがこちらの作業を妨害している。
遠隔から圧力をかけられている。十七年の現場でいえば。バルブを閉めようとしているところに。反対側からポンプで水圧をかけてくるような感覚。物理的な感覚として伝わってくる。誰かが向こう側にいる。誰かが意図的に分岐を維持しようとしている。タルクは奥歯を噛んだ。これはタダの工事ではない。これはタダの怠慢でもない。
現場で例えるならば。元請けが下請けの止水栓を遠隔操作で開けっ放しにして。漏水を続けさせている状態。誰かが利益のために。この街の枯渇を歓迎している。
「リエラさん。火」
「了解」
リエラは状況を理解した。両手を翳して炎を生み出した。タルクの周囲に炎の防御壁を作った。タルクは集中を深めた。十七年の現場で身につけた粘り強さ。締まらないボルトを締めるときの。あの根気。
じわじわと。不正分岐の流れが弱まっていった。タルクは脳が燃えるような感覚を覚えた。それでも手を緩めなかった。
数分後。
不正分岐が完全に塞がった。
街全体の光る管に流れが戻った。
ボッと音がして塔の魔法石が再び輝き始めた。同時に街全体で照明が灯り始めた。換気装置が動き出した。井戸の水が流れ始めた。
市庁舎の方から歓声が聞こえた。
タルクは膝をついた。汗だくだった。脳の奥が焼けたように痛んだ。意識を保つのがやっとだった。
「タルク。大丈夫」
リエラがしゃがんで支えてくれた。
「応急処置だけです。本当の修理は。盗んでる側の。元を絶たないと」
「うん。でも。これでこの街は救った。いい仕事」
リエラは微笑んだ。
タルクは深く息を吐いた。
「次の現場は。森の中。あるいは。国境の向こう」
「大規模なやつね」
「はい」
タルクは塔の祭壇を見上げた。
光る管が再び動いていた。それでも管の太さに比して流量はまだ細い。本来の供給量の半分にも満たないだろう。応急処置の典型的な状態だった。日本の現場でいえば仮配管で凌いでいるのと同じ。本配管を組み直すまでは安心できない。タルクは唇を噛んだ。
しかし。
タルクの胸の中には。冷たい確信が芽生えていた。
これは始まりだ。
本当の戦いは。これから始まる。




