第21話 最終決戦:魔力盗用塔
最後のインサートに指が触れた瞬間。
遠くで何かが咆哮した。
タルクは咄嗟に手を引いた。光る管の流れが激しく振動していた。普通の流量変動ではない。何かが意図的に大量の魔力を吸い上げている。それも今この瞬間に。
「リエラさん」
「分かってる。誰かが大規模な魔法を発動した」
リエラの目が窓の外に向いた。窓のない地下室なのに。彼女は壁を貫いて遠くの異常を察知していた。元宮廷魔術師の感覚だった。
「シュヴァルツ卿の塔。あれが動き出した」
「動き出した」
老人がため息を吐いた。
「あれは普通の塔ではない。シュヴァルツ卿が建設した魔力盗用塔。世界中の管から魔力を吸い上げる装置。普段は彼が直接制御していたが」
「彼が捕まったから。誰かが代わりに発動させた」
「いや」
老人は首を横に振った。
「あの塔は自律稼働の機能を持ってる。シュヴァルツ卿が事前に仕込んだ自爆装置。彼が捕まれば。塔は自動で最大出力で発動。世界の管を一気に吸い上げて自滅する」
「自滅」
タルクの背筋が冷えた。
自滅でも構わない。問題は塔が世界中の管路から魔力を吸い上げる過程で。古代の管路を破壊する可能性があることだった。
「タルク殿。最後のインサートを起動するのが先か。塔を止めるのが先か」
老人がタルクに尋ねた。
「両方です」
タルクは即答した。
「両方」
「最後のインサートを起動すれば。世界の管路が完全に統合されます。統合された管路は塔の吸い上げに対抗する力を持ちます。同時に。誰かが塔を物理的に止める必要があります」
「俺が行く」
ギルベルトが即答した。
「私も」
リエラが頷いた。
「セシリアさん。残ってください。タルクの起動を補助してもらえますか」
「はい」
タルクは頷いた。
「ギルベルトさん。リエラさん。塔の中央の。魔石を破壊してください。光る管が集中する場所が魔石の位置です。俺が遠隔で誘導します」
「了解」
「老人さんは」
タルクは老人に振り返った。
「俺はここに残る。最後のインサートの起動には。私の力も必要だから」
老人は微笑んだ。
ギルベルトとリエラが地上へ走った。地下水道を駆け上がっていく音が響いた。
タルクはインサートに手を戻した。
光る管の動きが激しさを増していた。シュヴァルツ卿の塔が世界中から魔力を吸い始めていた。各地の井戸の水位が再び下がる。各地の照明が消える。各地の温泉が冷える。タルクの目には世界中の管路の流れが弱まっていくのが見えた。
「急ぎます」
タルクは集中した。
最後のインサートに鍵を込める。建設者の技能を込める。配管工の十七年の経験を込める。さらに今までに起動したインサートとの連携を意識する。十一個のインサートが既に動いている。最後の一つで完全な統合になる。
光る管が応えた。
地下室の壁が震えた。
ボッと音がした。
しかし起動しなかった。
「タルク。何かが」
老人が言った。
「妨害が強い。塔の吸引力が想像以上です」
「私が補助する」
老人はタルクの肩に手を置いた。彼の手から細い光が流れ込んだ。最後の建設者の魔力。千年分の。残された最後の力。
タルクは集中を深めた。
地上では同時に。リエラとギルベルトがシュヴァルツ卿の塔に到着していた。塔は明らかに通常の状態ではなかった。窓という窓から青白い光が漏れていた。塔全体が魔力の渦に包まれていた。
「リエラ。あんた残れ」
ギルベルトが言った。
「俺が中に入る」
「危険すぎる」
「俺は剣しか取り柄がない。リエラの魔法は外で塔を抑えるべき。中で魔石を破壊するのは俺の仕事だ」
リエラは唇を噛んだ。
彼女は反論したかった。ギルベルトを単独で塔の中に行かせるのは無謀すぎた。塔の中の魔力濃度はリエラの感覚でも異常だった。あの中に入った人間は。まず生きて出られない。
しかし。
ギルベルトの目を見て。
リエラは反論を呑み込んだ。
あの目は前世の桜井巧と同じ目だった。誰かを助けるためなら自分の命を擲つ覚悟。ギルベルトはタルクと出会ってから。少しずつタルクの精神に染まっていた。職人気質。仲間を守る覚悟。それを今この瞬間に。彼は実行しようとしていた。
リエラはそれを止める権利はないと判断した。
ギルベルトは剣を抜いた。塔の入り口へ走った。
リエラは唇を噛んだ。彼女は両手を上げて巨大な火球を空中に展開した。塔の周囲に魔法の壁を作る。塔の暴走を周囲の街に広げないため。
ギルベルトは塔の階段を駆け上がった。塔は無人だった。シュヴァルツ卿の警備兵たちは皆。皇帝の親衛隊によって連行されていた。誰もいない塔の中で。魔石だけが青白く光り続けていた。
最上階に到達した。
塔の中央に。巨大な魔石が浮いていた。直径一メートル。青白い光を放ち。周囲の空気を歪めていた。これが世界中の魔力を吸い上げている核。
ギルベルトは剣を構えた。汗が背中を伝った。塔の中の空気は薄かった。魔石が周囲の魔力を吸い上げているせいで。普通の空気まで巻き込んでいた。呼吸が苦しい。手足が痺れ始めていた。それでも彼は剣を握り続けた。前世のタルクが脚立の上で銅管を握り続けたのと同じだった。仕事は完了するまで離さない。
タルクの声が耳の中に響いた。
「ギルベルトさん。聞こえますか」
「聞こえる」
「魔石の南側の。下部に。亀裂があります。そこを刺してください」
「了解」
ギルベルトは魔石の周囲を回って南側を確認した。確かに小さな亀裂があった。彼は剣を構えて。突進した。剣を全力で亀裂に突き刺した。
ガコッ。
魔石が破裂した。
爆風がギルベルトを吹き飛ばした。
爆風の衝撃でギルベルトは塔の壁に叩きつけられた。鎧が完全に砕けた。剣も折れた。彼の口から血が溢れた。それでも目は開いていた。仕事を完遂した職人の目だった。剣の先端で魔石の亀裂を正確に突き刺した。一撃で塔の核を破壊した。並みの剣士には不可能な仕事だった。彼の十年の修行が今この一撃に集約されていた。
ギルベルトは床を転がりながらも生きていた。魔石の破壊で塔の吸引力が消えた。世界中の管の魔力が逆流し始めた。
地下室では。タルクの最後のインサートが応え始めていた。
「来てます」
タルクは老人に頷いた。老人も頷いた。二人の意識が一つになって。インサートに鍵を込めた。
ボッ。
最後のインサートが起動した。
地下室全体が光に包まれた。
タルクの目には世界中の光る管が見えた。十二個のインサートが連携を完成させた瞬間。世界中の管路が一斉に再起動した。流れが回復した。漏水箇所が次々に塞がっていった。詰まりが消えた。継手が締まった。世界規模の魔導管網が。完全に蘇った。
その瞬間。
タルクの脳裏に。世界中の現場の光景が走った。
港町ハマーロの井戸が再び水を出し始めた。鍛冶屋の親方が組合員と共に喜びの声を上げていた。
北方の山村で。枯れていた湧水が音を立てて流れ始めた。子供たちが手を叩いて駆け回っていた。
中部の都市で。長年動かなかった照明が一斉に点灯した。市民たちが空を仰いで歓声を上げていた。
南部の温泉地で。冷たくなっていた湯が再び熱を帯びた。湯気が立ち上る源泉に老人たちが手を合わせていた。
西部の聖泉で。忘れられかけていた泉が銀色の光を取り戻していた。
東部の遺跡で。古代の魔法装置が千年ぶりに目を覚ました。
すべての地で。職人と冒険者が連携して。地元の管路の最終調整に取り掛かっていた。世界規模の通水試験が。今この瞬間に始まっていた。
タルクの目から。涙が静かに流れた。
千年前の同業者の仕事が。
今夜。
完全に。
復元された。
「やった」
タルクは膝をついた。
全身から力が抜けた。十三歳の体は限界を超えていた。意識が遠のきそうになった。
「タルク殿」
老人がタルクの肩を抱いた。
「お疲れ様でした」
「老人さん。あなたは」
タルクは老人を見た。
老人の体が薄くなっていた。
光になりかけていた。
「私の役目は終わりました。世界の管路は復旧した。私の千年の仕事も完了しました」
「老人さん」
「タルク殿。後を頼みます。十二の建設者の最後の一人として。あなたを後継に指名します」
「俺は。建設者の一人ですよ」
「あなたは第四の建設者として呼ばれた。しかし今や。十二人すべてを統べる立場になります。それが世界の意志でもある」
老人の体はさらに薄くなった。
「タルク殿。仲間と共に。世界の管を守ってください。地球の建設業の知恵で。この世界を立て直してください。職人として。手を動かす者として。後の世代に引き継いでください」
「分かりました」
タルクは深く頷いた。
老人の体は完全に光になり。地下室の天井に向かって流れていった。やがて消えた。後には穏やかな空気だけが残った。
タルクは消えていく光を見送った。胸の奥に重いものがあった。涙ではない。それより重いもの。千年の孤独を抱えて世界を守ってきた職人の。最後の安らぎを見届けた重み。
千年だ。
千年間。
誰にも見られず。
誰にも称えられず。
誰にも理解されず。
ただ管を守り続けた。
それは前世の桜井巧の十七年とは。比較にならない時間だった。それでも同じ職業の精神があった。誰にも見られなくても。やるべきことをやる。それが職人の本分。あの老人も同じ精神で千年を生きた。
タルクは天井を見上げた。
もう光はなかった。
それでも見上げ続けた。
「老人さん。あなたの仕事は。立派でした」
タルクは小さく呟いた。
誰にも届かない呟き。それで充分だった。職人同士の挨拶は。この世界では声には出さないものだった。
地下室は静かだった。
最後のインサートが青白く光っていた。
「タルクさん」
セシリアがタルクに歩み寄った。
「セシリアさん」
「お疲れ様でした」
セシリアはタルクの手を握った。タルクは深く息を吐いた。
地上ではギルベルトとリエラが塔から戻ってきていた。塔は崩壊していた。シュヴァルツ卿の作った魔力盗用装置は完全に消滅した。世界中の管路は完全に動き始めていた。
タルクは仲間たちに支えられて地下室を出た。地上に出ると。空が朝になり始めていた。二つの太陽が昇り始めていた。光る管の大河が空全体に張り巡らされて。星座のように輝いていた。
世界が。
息を取り戻していた。
「終わった」
タルクは呟いた。
「終わったわね」
リエラが頷いた。
「いえ」
タルクは小さく笑った。
「まだ通水試験が残ってます」
タルクの言葉に。リエラは肩をすくめた。ギルベルトとセシリアは笑った。
最後のインサートを起動したのは始まりに過ぎなかった。世界中の管路が再起動したいま。各地で漏水箇所の最終確認と補修。詰まりの最終除去。流量の最終調整。それらを一つ一つこなしていく必要があった。それが通水試験の本番だった。
しかしそれは絶望ではなかった。
むしろ希望だった。
現場の仕事はまだ続く。それは職人にとって何よりの幸福。手を動かし続けられる。仲間と一緒に動ける。明日の朝も現場がある。それが配管工の喜び。
タルクは仲間たちに支えられて朝の街に出た。帝国の首都の街並みは。徐々に灯りを取り戻していた。光る管の流れが回復した影響で。長年動かなかった魔法照明が一斉に点灯し始めていた。街の住民たちが寝床から飛び起きて。窓を開けて空を見上げていた。空には光の大河が流れていた。
歓声が街全体から上がっていた。
民衆は事情を知らなかった。それでも何かが起きていることは肌で感じていた。長年閉じていた井戸が再び水を出し。長年動かなかった魔法装置が再び動き出していた。それは奇跡として受け止められていた。
奇跡ではなかった。
千年前の同業者の仕事を。後輩が引き継いだだけだった。
タルクは仲間たちと一緒に空を見上げた。
二つの太陽が昇り始めていた。
光の大河が空全体を貫いていた。
その下で。世界が再び動き始めていた。




