第20話 現場の連帯
帝国首都の入り口で。鍛冶屋の親方が手を振っていた。
タルクは馬車の窓から見下ろした。前掛けの男だった。両手は煤で汚れている。指は太く節くれ立っている。長年槌を振った職人の指だった。年齢は六十前後。タルクの後ろ姿を呼び止めるように手を振っていた。
「タルク殿でいらっしゃいますね」
親方は馬車に近づいて深く頭を下げた。
タルクは戸惑った。帝国首都の入り口で。なぜ知らない職人が自分の名を知っているのか。
「私は帝国鍛冶屋組合のフェルディと申します。北方の親方の手紙が回ってきました。タルク殿が首都に向かうと。我々の協力が必要だと」
「親方。あなたは。帝国の人間ですよね」
タルクは尋ねた。
「そうです」
「俺は王国側の人間で。今は帝国に対する作戦を実行中です。あなた方の協力を求めるのは無理があります」
フェルディはゆっくりと頭を振った。
「タルク殿。我々は王国でも帝国でもありません。鍛冶屋です。世界の管が壊れることに国境はありません。手順書を読みました。あれは本物の職人が書いた手順書です。それで充分です」
タルクは言葉を失った。
馬車の中でリエラが頷いた。ギルベルトも頷いた。セシリアは涙ぐんでいた。
「タルク殿。皇帝陛下の宮殿に入るのは難しいですが。我々が裏方を準備します。地下水道の入り口は鍛冶屋組合の倉庫の下にあります。そこから侵入できます。我々は組合の倉庫を提供します」
「親方。それは。あなた方が罰せられるかもしれない」
「世界が滅びるよりはましです」
フェルディは笑った。
「タルク殿。我々の組合員の中にも井戸が枯れた村の出身者が多くいます。皆さんが王国側の村を救ったように。我々の故郷も救ってもらえれば。それで十分」
タルクは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
タルクの胸の中に温かいものが広がった。前世の現場でも同じ感覚があった。違う会社の職人同士でも。仕事の話になれば打ち解ける。元請けと下請けの壁を越えて。職人と職人の連帯が生まれることがあった。地震の被災地で。県境を越えて職人たちが集まったのを覚えている。誰の指示でもなく。自発的に。互いの工具を貸し合い。互いの段取りを助け合った。あの時に感じた連帯。それが今この異世界で。国境を越えて再現されていた。
国家の対立の上に。
職人の連帯がある。
それは前世も今世も同じだった。
フェルディは馬車を組合の倉庫まで案内した。倉庫は首都の外縁部にあった。古い石造りの大きな建物で。中には鍛造のための炉と。多くの工具が並んでいた。床の隅に石の蓋があった。フェルディは蓋を開けた。下に階段があった。
「ここから地下水道に入れます。地下水道は古代の管路の通路で。皇帝の宮殿の地下まで通じています。普段は使われませんが。我々の組合員が。世代を超えて。秘密に維持してます」
「世代を超えて」
フェルディは静かに頷いた。
「タルク殿。実は。我々鍛冶屋組合は。〈原初の建設者〉の伝承を口承で受け継いでます。世界の管路が劣化していることも。承知してました。しかし。我々には光る管が見えない。だから直す手段がない。ただ世代を超えて。設備を維持してきた。いつか直せる者が現れたときのために」
タルクは胸を打たれた。
千年の間。
名もなき職人組合が。
光る管が見えないのに。
いずれ直せる者が現れることを信じて。
地下水道を維持してきた。
それは〈原初の建設者〉の精神を受け継ぐ。後世の同業者の仕事だった。
「親方」
「はい」
「あなた方の祖先は。立派です」
「タルク殿の出現は。我々の長年の希望でした。世代を超えて。やっと出会えた職人」
フェルディは深く頷いた。組合員の若手数人が入ってきた。皆ジョガリと呼ばれる若い見習いたち。タルクとほぼ同年代の少年たちだった。彼らはタルクを見て目を輝かせた。
「タルクさん。本当に」
「世界の管を直す職人」
「俺たちも。手伝います」
タルクはしゃがんで彼らと目線を合わせた。
「ありがとう。でも危ないから。地下水道の入り口で待っててほしい」
「いえ。俺たち。修行中です」
一人の少年が真剣な目で言った。
「親方が言ってました。職人は現場で育つって。タルクさんの仕事を見たい」
タルクは少年の目を見つめた。
そこには十六年前の桜井巧と同じ目があった。新人時代に親方の現場を見て学んだ。あの時の自分の目と同じ。職人を育てるのは現場だった。本物の職人を間近で見ることが。何よりの修行だった。
「分かった。一緒に来てください。ただし。俺の指示には絶対に従ってください」
「はい」
少年たちは即座に頷いた。
タルクとリエラとギルベルトとセシリア。そして帝国の見習い少年三人。合計七人で地下水道に降りた。
地下水道は思ったより整備されていた。石造りの太い水道管が縦横に走っていた。古代の職人が組んだ管。それが千年以上経った今も健在だった。タルクは光る管を見て驚いた。地下水道全体に光る管が密集していた。これは古代の管路網の中でも。最も重要な区画だった。皇帝の宮殿の地下に向かって。光る管の太い幹線が伸びていた。
「先頭は俺が行きます。次にリエラさん。次にセシリアさん。次に少年たち。最後尾はギルベルトさん」
タルクは隊列を組んだ。
「進みます」
地下水道を進む間。タルクは前世の現場で何度も歩いた地下ピットの感覚を思い出した。空気は冷たく。湿度は高く。足元はしばしば水たまりがある。それでも秩序がある空間。古代の職人の設計の確かさが。歩くだけで伝わってきた。
歩き続けて一時間。
地下水道の終着点に着いた。そこには大きな扉があった。鋼鉄の扉。錠前は古びていたが頑丈だった。
「これが宮殿の地下の入り口」
ギルベルトが扉を観察した。
「鍵がない」
「俺が開けます」
タルクは扉に手を当てた。光る管が扉の周囲にも張り巡らされていた。これは魔導扉。普通の物理的な扉ではない。タルクは光る管の流れを読んで。扉を制御している魔導陣を見つけた。陣の核には小さな魔石があった。それを意識で押した。
ガコッ。
扉が開いた。
内部からは深い闇が広がっていた。
ギルベルトが剣を構えて先に入った。タルクが続いた。リエラとセシリアが続いた。最後尾の少年たちは慎重に入った。
暗い廊下を進んだ先に。
小さな部屋があった。
部屋の中央に。
最後のインサートが埋め込まれていた。
タルクは部屋に入って光る管を確認した。
最後のインサートだった。これを起動すれば世界の管路は完全に復旧する。
しかし。
部屋の壁の影に。
誰かが立っていた。
フードを被った人影。シュヴァルツ卿よりも背が高い。痩せ型。声が低い。
「お待ちしておりました。タルク殿」
声が落ち着いていた。シュヴァルツ卿の傲慢さとは違う。むしろ穏やかな声だった。
「あなたが。黒幕ですか」
タルクは尋ねた。
「黒幕。面白い表現ですね」
人影はゆっくり歩み寄った。
「私はあなたの想像とは少し違うかもしれません」
フードが取られた。
現れたのは。
タルクの予想とはまったく異なる。
白髪の老人だった。
穏やかな目。優しげな顔立ち。職人らしい節くれ立った指。タルクの脳裏に違和感が走った。これは黒幕とは思えない顔だった。むしろ。
「あんた」
「私は」
老人は微笑んだ。
「最後の建設者です」
タルクの心臓が一度跳ねた。
「あなたは。〈原初の建設者〉の。最後の一人」
「そうです。千年前から。この世界に居続けてます」
「居続けて」
「私は元の世界に帰らなかった。残ることを選んだ。世界の管路を維持するために」
タルクは目を見開いた。
もう一人の建設者。
しかし。
千年前から残っていた。
それなら。
なぜ。
なぜ管路は劣化してしまったのか。
「あんたは。世界の管路を守ってたんじゃないんですか」
「守ってました。可能な限り。しかし一人の力には限界がある」
老人は深く息を吐いた。
「タルク殿。私はあなたを呼びました。シュヴァルツ卿も呼びました。世界が一人では支えきれなくなったから。新しい建設者を呼ばなければならなかった」
タルクは唇を噛んだ。
黒幕は黒幕ではなかった。
彼は。
絶望しかけた職人だった。
千年間。
世界中の管を一人で支え続けて。
ついに限界に達した職人。
タルクは老人の前に立った。
光る管を見つめた。
老人の体の中にも。光る管が走っていた。それは異常に細く。脆くなっていた。彼は自分の体の魔力すら使い果たしていた。
「あんたは。一人で。千年。世界を支えてきたんですね」
タルクの声が震えた。
「そうです」
「もう一人にしません」
タルクは深く頭を下げた。
「俺たちが引き継ぎます。あんたは。休んでください」
老人は静かにタルクを見つめた。彼の目に長い時間の堆積があった。千年間。誰にも理解されず。誰にも称えられず。ただ世界の管を守り続けてきた孤独な職人の目。それを今初めて。同じ職人に見られている。老人の頬がわずかに緩んだ。
「タルク殿。あなたが来てくれたとき。私は心の底で安堵しました。シュヴァルツ卿の暴走も。私の責任の一部です。私は人を選び誤った。経営者の素質ではなく。野心の強さで彼を呼んだ。それが彼を世界の管路の盗用に走らせた」
「あなたは。シュヴァルツ卿を呼んだんですか」
「世界が呼んだのですが。私が選別をしました。私は十二人の建設者の上位の存在として。新しい建設者の招集に関わる権限を持ってます。シュヴァルツ卿の前世は経営者の一族の者でした。それで彼を選んだ。しかし彼の前世での仕事ぶりは。残念な結果に繋がった」
「あなたは。次に俺を呼んだ」
「あなたを呼んだのは私ではない。世界が直接呼んだ」
老人は静かに笑った。
「世界はシュヴァルツ卿の暴走を察知して。即座に対抗できる職人を呼んだ。それがあなた。私の選別ではない。世界の判断」
「世界が直接」
「そうです。世界そのものに意志がある。古代の管路網が世界の意識を担っている。あなたはその直接の選択でした」
タルクは深く息を吐いた。
「だから。あなたが来たとき。私は確信した。これで世界は救われると」
老人は深く頷いた。
「タルク殿。最後のインサートを起動してください。それで世界の管路は完全に復旧します。私の役目も。それで終わります」
「終わる」
「私はもう。元の世界には戻れない。千年生きすぎました。しかしあなたが管路を復旧してくれたら。私は静かに眠れる。それが私の願いです」
タルクは老人の前に膝をついた。
「分かりました。最後のインサートを起動します。あなたの千年の仕事を。今ここで引き継ぎます」
老人は微かに微笑んだ。
「タルク殿。一つだけ伝えたいことがあります」
「はい」
「シュヴァルツ卿は。確かに過ちを犯した。しかし彼を罰するだけではいけない。彼の中にも。何か残せるものがあったはず。彼を完全に否定せず。彼が育てるべきだった部下や仲間に。彼の経験から学ばせてあげてください。建設業の経営者は本来。人を育てるのが本職。彼はその本職を見失った。次の世代には同じ過ちを繰り返さないでほしい」
「分かりました」
タルクは深く頷いた。
老人の言葉は職人の遺言だった。前世の親方が引退するときに残した言葉に似ていた。タルクは胸に刻んだ。
「では起動します」
タルクは部屋の中央のインサートに手を当てた。
しかし。
その瞬間。
部屋の入り口から。
大きな足音がした。
帝国の近衛兵だった。
十数人の鎧の兵士たち。剣を抜いて。タルクたちを取り囲む構えで突入してきた。先頭には長身の指揮官。皇帝直属の親衛隊長らしい。
「賊どもめ。動くな。神聖なる宮殿に侵入したな」
ギルベルトが即座に剣を構えた。リエラが両手に炎を生み出した。
タルクの背後で老人がため息を吐いた。
「最後の現場まで。邪魔が入りますね」
老人はゆっくりと前に出た。フードを取った姿のまま。指揮官の前に立った。
「親衛隊長殿。下がりなさい」
指揮官は老人を見て一瞬怯んだ。
「あなたは。陛下のご相談役の」
「そうです。これはタルク殿に任せている世界の修復作業です。皇帝陛下にも事前に承諾を得ています」
「事前に」
「皇帝陛下は世界の管路の劣化を懸念しておられた。シュヴァルツ卿の暴走も陛下のご懸念の一つでした。私はタルク殿の到着を陛下に報告し。手配を整えていました」
指揮官は呆然としていた。
「下がりなさい。皇帝陛下のご意向です」
指揮官と兵士たちは驚いた顔で。それでも命令には従い。一礼して下がっていった。タルクは振り返って老人を見た。
「皇帝。承諾済み。だったんですか」
「いえ。これから事後説明します」
老人は悪戯っぽく笑った。
「とにかく。起動を急いでください。これ以上の邪魔は私が止めます」
タルクは小さく笑った。
「ありがとうございます」
タルクは再びインサートに手を当てた。最後の起動の準備に入った。




