第19話 世界中の現場へ
港町の桟橋に職人たちが集まり始めていた。
タルクが仲間たちと帝国に向けて出発した翌朝。王都の南の港町ハマーロにヴェルナー教授の召集状が届いた。冒険者ギルドと職人ギルドへの一斉送付。「世界の管路を直す技術者を募る」という内容だった。
最初の応答は鍛冶屋の親方だった。彼は港町ハマーロの鍛冶屋組合の長老。十数代続く鍛冶屋の家系。召集状を受け取って即座に組合員五十人を集めた。
「世界が壊れかけてるんだろ。ならばわしらの手が役に立つ」
親方は組合員の前で召集状を読み上げた。組合員たちは頷いた。質問もしなかった。世界が壊れる現場には。職人が手を貸す。それは説明の必要のない理屈だった。
二日後には港町に二百人の職人が集まっていた。鍛冶屋。木工。石工。陶工。各分野の職人組合の代表者たち。さらに冒険者ギルドからも数十人が参加した。彼らは戦闘員として。職人たちの護衛を担当する。
召集状にはタルクからの指示が書かれていた。
「皆様。世界の魔導管網が劣化しています。古代の管路を地中で直接見ることはできませんが。各地の井戸。湧水。湯沸かし機関。魔法照明。これらの異常を観察し。記録してください。私が世界を回って起動するインサートが完了したら。各地の管路に流れが戻ります。そのときに地元の異常箇所を補修してください。手順は別途送付の指示書を参照ください」
指示書は分厚い羊皮紙の束だった。前世の桜井巧が書いた配管工事の作業手順書を。タルクが古代語と現代語に翻訳して。各地の職人たちに配布したものだった。
手順書には漏水の見つけ方。詰まりの除去方法。継手の交換手順。試験の方法。すべてが詳細に記されていた。
港町の鍛冶屋の親方は手順書を読みながら唸った。
「これは。職人の手の動きを文字にしたもんだな」
彼は組合員たちに言った。
「読みやすい。要点が抜けてない。これを書いた者は本物の職人だ」
組合員たちは頷いた。職人が書いた手順書は。職人だけが見て分かる。装飾語は少なく。要点だけがあり。経験者にしかわからない注意事項が書き加えてある。タルクの手順書はそれだった。
手順書を作るのは。前世の桜井巧の習慣だった。十七年の現場で何度も新人の手順書を書いた。新人が事故を起こさないために。図面の見方。工具の使い方。安全帯の付け方。先輩から自分が教わった内容を。整理して文字にする。それが先輩から後輩への引き継ぎだった。あの習慣がタルクの体に染みついていた。
異世界に来てもその習慣は変わらなかった。世界中の職人に分かりやすい言葉で手順を伝える。それは前世で何百回もやってきた仕事だった。
ハマーロの親方は。手順書の最後のページに目を留めた。そこには筆者の署名があった。「セレシア村出身の修理屋。タルク」。短い署名だった。親方は唸った。
「セレシア村か。聞いたことのない村だ。修理屋とは謙虚な肩書だな」
組合員の一人が首をかしげた。
「親方。なんでただの修理屋がこんな手順書を書ける」
「それがわしには分からん」
親方は手順書を畳んだ。
「だが分かるのは。書いた者は手を動かす人間だ。手が動かない者には書けない手順書だ。それで充分だ。我々はこれに従って動く」
親方は組合員に号令を出した。
「組合員。各班に分かれろ。班ごとに担当区域を決める。手順書通りに行動。何か異常があれば即座に報告。これは新人の現場と同じだ。ベテランがリードしろ」
港町ハマーロの職人たちは即座に動き始めた。
同じことが世界中で起きていた。
北方の山村。中部の都市。西部の港。南部の島々。それぞれの地域で。職人組合と冒険者ギルドが連携を組み始めた。冒険者ギルドの幹部はタルクの指示に最初は懐疑的だった。しかし指示書の中に古代の管路の存在を解説する一項があった。「あなた方の地域の井戸が枯れたのは古代の管路の劣化が原因です。もし指示通りに動けば。井戸が再び水を出し始める可能性があります」。この一文に。冒険者ギルドの幹部たちは現実味を感じた。彼らは長く各地を旅していた。井戸が枯れる村。湯が出ない宿屋。動かなくなった照明。そういう異変は数十年前から少しずつ増えていた。原因不明だった。それが古代の管路の劣化。まさに辻褄が合っていた。
冒険者たちは動いた。職人を護衛して。各地の井戸や祠を回り。観察し。記録した。タルクの手順書通りに行動した。
最初は半信半疑だった冒険者たちも。職人と組んで現場に出るうちに。徐々に手応えを感じ始めた。井戸の傍で何時間も観察を続けると。光る管の存在こそ見えなくとも。地下から微かに伝わる振動の変化が体感できた。職人と組んで作業する楽しさも。彼らにとって新鮮だった。冒険者ギルドの仕事は本来戦闘や護衛が主体で。長期的な共同作業の経験は乏しい。職人と組むことで。彼らは別の種類の充実感を覚え始めた。
西部のある村では。冒険者と石工が連携して。村の井戸の周囲を補強した。北部のある町では。鍛冶屋と冒険者が組んで。古い湯沸かし機関を清掃した。中部のある城では。木工と冒険者が古代の梁を点検した。各地で。新しい組み合わせが生まれていた。
ヴェルナー教授は王都の研究室で。各地から届く報告書を整理していた。机の上には世界地図が広げられて。報告のあった地域に印を打ち込んでいた。一日ごとに印は増えていった。
タルクの作戦は。
動き出していた。
タルクと仲間たちはその頃。フェルム帝国の領内を。馬車で疾駆していた。
「次の目的地は北部の岩礁神殿」
リエラが地図を見ながら言った。
「海岸沿いか」
ギルベルトが頷いた。
「帝国海軍の警戒区域。だが。シュヴァルツ卿が捕まったいま。帝国の指揮系統は混乱してるはず。警戒は緩いと予想」
「予想通りならいいけど」
リエラの皮肉な口調にタルクは小さく笑った。
馬車の中の空気は緊張していた。それぞれが残りの作戦を頭の中で組み立てている顔だった。セシリアは聖句の準備で目を閉じていた。ギルベルトは剣の手入れをしていた。リエラは地図に印を打ちながら帝国軍の動きを推測していた。タルクは光る管の流れを観察していた。誰一人喋らない時間が長く続いた。
しかしそれは気まずい沈黙ではなかった。
現場の前の沈黙。
前世の桜井巧が知っている沈黙。
大規模現場の前夜の朝礼直前に。皆がそれぞれ自分の道具と段取りを確認している沈黙。誰も無駄口を叩かない。なぜなら一人一人が真剣だから。あの沈黙が今の馬車の中にあった。タルクはそれを心地よく感じた。これは仲間と現場を共有した者だけが知る沈黙だった。
馬車は北部の岩肌の道を進んでいた。海風が窓から吹き込む。塩の匂い。タルクの脳裏に前世で出張した工事現場の港湾倉庫の記憶が浮かんだ。同じ匂い。配管材料を錆びさせる潮風。海辺の現場は配管工にとって難所だった。塩害でステンレス管でも錆びる。継手の劣化が早い。それを思い出した。
「リエラさん」
「ん」
「海辺のインサートは。塩害で劣化が早いと思います」
「劣化」
「金属が錆びるんです。塩のせいで。だから他の地域のインサートよりも。状態が悪い可能性があります」
「メモする」
リエラは羊皮紙に書き込んだ。
馬車は岩礁神殿に到着した。
神殿は岩壁に彫り込まれた小さな祠だった。古代の建設者がここに祠を作ったのは。海岸線を魔力で守護するためだったらしい。海から襲ってくる海賊や怪物を魔力の壁で防ぐ。そういう用途。今は管路が劣化して。ほぼ機能停止していた。しかしインサートだけは健在だった。
タルクは祠の中に入った。中は暗く湿っていた。海水がしみ込んでいて。床は塩の結晶で覆われていた。岩壁の継ぎ目から潮の音が漏れてくる。
タルクは光る管を確認した。
予想通りインサートは劣化していた。
他のインサートが直径十センチほどだったのに対し。この祠のインサートは直径七センチほどに痩せ細っていた。表面が腐食していた。それでもまだ機能はする。タルクは膝をついて意識を集中した。
「タルク。魔力の流れが弱いわよ」
「リエラさん。塩害が予想以上に進行してます。インサートの溝が摩耗してて。鍵の意識を込めにくい状態です」
「どうする」
「強引に起動します」
タルクは集中を深めた。
通常の倍以上の魔力を投入する必要があった。前世の現場でも同じ経験があった。錆びついたねじを締める作業。普通のトルクでは回らない。通常の二倍三倍の力で回すしかない。タルクは鍵となる意識を強引に。インサートに流し込んだ。
インサートが反応した。
しかし途中で詰まった。
錆が完全に塞いでいる箇所がある。
タルクは別の手段を試みた。前世の現場で錆びついたねじを外すときに使う技。インサートの溝を一度逆方向に回す。それから戻す。逆回しを繰り返して。錆を砕いていく。
光る管がぐらりと揺れた。
ボッと音がして。
インサートが完全に起動した。
神殿全体が光に包まれた。
外の海風が一瞬鎮まり。次の瞬間にはむしろ穏やかになった。
タルクは膝をついたまま深呼吸した。錆びついたインサートの起動は予想以上に消耗が激しかった。手のひらが汗で濡れていた。十三歳の体には限界に近い消耗だった。それでもタルクは立ち上がった。仲間たちの前で疲れた様子を見せたくなかった。職人の見栄だった。
「タルクさん。お疲れ様でした」
セシリアが頷いた。
「あと三つ」
ギルベルトが指を折って数えた。
「次は南部の温泉地」
リエラが言った。
「行きましょう」
タルクは荷物を担ぎ直した。
馬車は南へ向かった。途中で峠を越え。森を抜け。温泉地に到着した。温泉地のインサートも無事に起動した。次は東部の遺跡。次は西部の聖泉。
すべてのインサートが起動するたびに。世界全体の光る管の流れが強化されていった。タルクの目には世界中の管路がほぼ完全に動作するようになっていた。
しかし。
タルクの胸の中には違和感が残っていた。
黒幕。
まだ姿を見せない。
最後のインサートを起動するときに。何かが起きる予感があった。
最後のインサート。
それは。
帝国の首都。
シュヴァルツ卿の塔から目と鼻の先にある。
帝国皇帝の宮殿の地下。
最深部。
「皇帝の宮殿」
タルクは地図を見て呟いた。
「最後の現場が。世界で最も警備が厳しい場所」
「そりゃそうよね」
リエラは肩をすくめた。
「黒幕がいるとしたら。皇帝の側近にいる可能性が高い」
「もしかすると。皇帝本人」
ギルベルトが厳しい顔で言った。
「皇帝陛下が転生者の可能性も否定できない」
全員が静まり返った。
もしそうなら。これは魔法の戦いではなく。国家規模の戦いになる。タルクと仲間たちだけでは到底太刀打ちできない。
「それでも行きます」
タルクは断言した。
「現場を完成させない選択肢はありません」
仲間たちは深く頷いた。
馬車は帝国首都に向かって走り始めた。
夕日が彼らの背中を照らしていた。
世界中の現場で。
職人たちが連携して。
管を直していた。
その動きの先端で。
タルクと仲間たちが。
最後の現場へと向かっていた。
地球の建設業の連携が。
異世界の規模で。
展開されていた。
タルクは馬車の窓から振り返った。
通り過ぎてきた村々の窓に。一つずつ灯りが戻り始めていた。光る管の流れが回復したことで。古代の魔法照明が再び動き始めている。それは星の灯りに似た。柔らかな光だった。何百年も眠っていた光が。今夜から再び目覚めようとしていた。
タルクの目から。一筋の涙が頬を伝った。
今度は喜びの涙だった。
千年前の同業者が組んだ管が。
今夜。
千年ぶりに。
動き始めている。
それを後輩の俺が再起動した。
そして次は世代から世代へ。誰かが受け継いでいく。それが配管工の仕事だった。世代を超えた現場の引き継ぎ。今この瞬間。それが行われていた。
タルクは涙を拭った。
馬車は前進を続けた。
夕日が地平線の向こうへ消えていった。




