第18話 KY活動と作戦会議
翌朝の会議室で。タルクは黒板に「危険予知」と書いた。
ヴェルナー教授が眉を寄せた。リエラは机に肘をついて煙草の葉を口に咥えていた。ギルベルトは負傷した腕を吊ったまま壁際で立っていた。セシリアは羊皮紙を広げて記録の準備をしていた。学長と数名の魔導院の幹部も出席していた。
「キケンヨチ」
学長が老眼鏡を直して呟いた。学長は六十代の小柄な男だった。痩せていて声が低い。タルクとは入学試験以来の対面だった。
「日本の。あ。俺の前世の世界の。建設業の用語です」
タルクは黒板の前で説明した。
「現場で働く前に。今日の作業で起きうる事故を全員で話し合います。その上で対策を決めて。全員で確認してから作業を始めます」
「おもしろい」
学長は深く頷いた。
タルクの脳裏に前世の朝礼の光景が浮かんだ。早朝のまだ薄暗い現場。寒い冬の日には白い息が立ち上っていた。職長が前に立って黒板に作業内容を書く。続いて危険予知。今日の作業で。どんな事故が起きうるか。職人たちが順番に意見を出す。「高所作業で安全帯のフックを忘れる可能性」「資材搬入で他業者と接触する可能性」「溶接火花の引火」「酸欠」。意見はホワイトボードに書き出される。それぞれに対策を決める。最後に全員で「ご安全に」と声を合わせる。あの朝の光景が。十七年で何千回繰り返されたかわからない。
退屈な手順に思える人もいる。実際タルクも新人時代には。朝のKYを面倒に思った。しかし十七年経つと。あの手順が。何度も命を救ったことに気づく。あらかじめ事故を想像することで。実際の事故を回避できる。それは確率の問題ではなく。経験の蓄積だった。
今は世界規模の現場。
危険予知の対象も世界規模になる。
「これからの作戦は。残るインサート五つをすべて起動することです。場所はすべて帝国領内。一箇所目はすでにシュヴァルツ卿の塔で起動済み。残り四つは。地理的に分散してます。順を追って攻略する余裕はないです」
「なぜ余裕がない」
学長が尋ねた。
「シュヴァルツ卿は捕まえました。しかし背後にもう一人いる可能性があります」
タルクは深刻な顔で言った。
「もう一人」
「塔から撤退するときに。最上階の窓に別の人影が見えました。短時間でしたが」
「シュヴァルツ卿以外に。塔に潜む者か」
「あります」
ヴェルナー教授が深く頷いた。
「タルク君。それが本物なら。事態は厄介だ」
「先生。俺の予想では。シュヴァルツ卿は単独犯ではなく。共犯者がいた。その共犯者は。シュヴァルツ卿よりも上位の存在で。シュヴァルツ卿を表に立てて。自分は影で動いてた」
「上位の存在」
学長が眉を寄せた。
「黒幕。日本語の単語ですが。要するに。指揮命令系統の頂点にいる人物です」
全員が静まり返った。
タルクは黒板に図を描いた。シュヴァルツ卿を頂点とした帝国の魔導政策の組織図。その上に。点線で描かれた疑問符を一つ追加した。誰かが影で動いていた可能性。
「もう一人の転生者。の。可能性も」
タルクは続けた。
「〈原初の建設者〉の中にも。世界を破壊しようとする意志を持つ者がいたかもしれない。ヴェルナー先生の本にもそれを示唆する記述がありました。シュヴァルツ卿は黒幕の傀儡だった可能性があります」
「もしそうなら」
学長は腕を組んだ。
「我々は何と戦っているのか。本物の敵が何者なのか。それすらわかってない」
「そうです」
タルクは唇を引き結んだ。
心の中で前世の様々な「黒幕」の顔が浮かんだ。建設業界の上層には。現場には決して姿を見せず。書類の上だけで動く人間がいる。発注者の役員。元請けの本社の経営層。役所の上の方。彼らは現場に来ない。それでも現場の方向を決めている。事故が起きても顔を出さない。功績は自分の手柄にする。前世の桜井巧は。そういう人間に会うたびに胸の奥で疑念を抱いた。本当に動かしているのは誰だ。表に出てる現場代理人なのか。それとも見えない誰かなのか。
今度の異世界の事案も。同じ構造かもしれない。
黒田は表に出ていた現場代理人だった。
しかし。
黒田を動かしていた誰かが。きっといる。
「タルクさん」
セシリアが手を挙げた。
「もう一人の転生者というお話ですが。神聖典でも記録があります」
「記録」
「教会の禁書庫に。〈最後の建設者〉の伝承が記されてます。〈原初の建設者〉のうちの最後の一人。最も上位の者。彼だけは別格で。十二人の建設者を統率した立場にあったと」
「最後の建設者」
ヴェルナー教授が眉を上げた。
「私の研究にもその記述があった。職能は。『すべてを束ねる者』。労務管理ではなく。経営に近い役割。十二人を統率した上位の建設者」
「経営者」
タルクは呟いた。
十二人の建設者の上に。経営者がいた。
それが今世にも転生していて。シュヴァルツ卿を傀儡にして動かしている。だとすれば。
タルクは黒板に「危険」と書いた。
「だから危険予知活動が大事なんです。事前にあらゆる事故を想像して。対策を考える。今回の作戦には。複数の未知のリスクがあります。それを一つずつ洗い出します」
「やってみよう」
ヴェルナー教授が頷いた。
タルクは黒板に四つの項目を書いた。
「一。インサートが起動できないリスク。妨害が前回より強まる可能性」
「二。我々の中に裏切り者がいるリスク。情報漏洩の可能性」
「三。黒幕が直接介入してくるリスク。シュヴァルツ卿よりも強い相手の可能性」
「四。インサートを起動した結果。予測外の現象が起きるリスク。世界の管路の暴走の可能性」
会議室が再び沈黙した。
全員が黒板を凝視した。
タルクは順番に対策を提案していった。
「一。妨害強化への対策。リエラさんの炎の隔壁の他に。複数の魔術師による多重隔離を用意します。学長から人員提供をお願いします」
学長は頷いた。
「二。情報漏洩への対策。作戦の詳細は四人と先生と学長だけで共有。残りの実行部隊は当日まで目的地を知らせません」
全員が頷いた。
「三。黒幕への対策。これが一番難しい。タルクさんは一人ではなく。複数の戦闘員と一緒に行動します。離れて動いてはいけない。常に二人以上で」
ギルベルトが一礼した。
「四。世界の管路の暴走への対策。インサート起動後の流れを観察する人員を配置します。異常があれば即座に分岐遮断を試みます」
セシリアが頷いた。
タルクは黒板を一通り見渡した。
「以上の四つが。今回の作戦の主要なリスクです。実行部隊は十二人。リーダーは私。副リーダーはギルベルトさん。魔法支援はリエラさん。聖句支援はセシリアさん。残りは魔導院の精鋭から学長に選んでもらいます」
「了解した」
学長が深く頷いた。
「では作戦の名前をつけよう」
ヴェルナー教授が口を開いた。
「世界中の管を直す作戦。シンプルに。〈通水試験〉でどうかね」
「いい名前です」
タルクは小さく笑った。
「最終的な検査の名前です。配管工事が完了したら。最後に水を流して漏水がないかを確認する。それが通水試験。今回の作戦は世界規模の通水試験」
「いいでしょう」
学長は頷いた。
「では会議は閉会。各自準備に取りかかれ」
会議が解散した。
タルクは黒板の前に残った。チョークを置いて。書いた文字を眺めた。「危険予知」。「通水試験」。日本の現場用語が異世界の会議室の黒板に並んでいた。十七年の現場の知恵が。世界規模の作戦に流用されている。タルクは小さく笑った。
胸の奥に静かな感慨が広がった。
前世で誰にも目に止められなかった現場用語が。
今世で。
世界を救う作戦の名前になっている。
誰にも称えられない仕事だった配管工の知恵が。
ようやく。
日の目を見ようとしていた。
タルクは指でチョークの粉を拭った。チョークの粉は前世の現場の墨汁の匂いに似ていた。何度も指先を黒くした粉。塗装屋に笑われ。事務員に嫌な顔をされた粉。それが今この異世界の会議室の机にも落ちている。世界が変わっても粉は同じ粉だった。タルクは粉を払い落としながら静かに笑った。
部屋に残ったのはタルクとヴェルナー教授だけだった。
「タルク君」
「先生」
「君は本当にこの作戦を遂行できるのか」
「やります」
「もし黒幕が予想以上の存在だったら」
「対策を立てて。それでも駄目なら撤退します。前世の親方の教えで。手に負えない現場は無理せず一旦引く。それが現場の鉄則です」
ヴェルナー教授は微笑んだ。
「タルク君。君に会えてよかった」
「先生」
「私の四十年の研究が。今ここで実を結ぼうとしている。これは光栄だ」
タルクは深く頭を下げた。
「先生のご指導があったからです。先生の本がなければ。インサートの存在も。〈原初の建設者〉の正体も。何もわからないままでした」
「いやいや」
ヴェルナー教授は頭を振った。
「私が学んだことを伝えただけだ。それを実用に移したのは君だ。職人とはそういうものだろう。理論だけでは何も動かない。手を動かす者が現実を変える」
タルクは深く頷いた。
「先生。一つお願いがあります」
「何だ」
「俺たちが帝国に向かっている間に。世界中の。技術者を。集めてください」
「技術者」
「冒険者ギルドや。職人ギルドや。各地の修理屋に。声をかけてください。世界の管路は。俺一人では直せません。インサートの起動は俺の役目ですが。起動後の管路の調整は。世界中の技術者が。それぞれの地元で。実施しないと完了しません」
「タルク君。それは大規模な動員になるが」
「先生。これは世界の通水試験です。試験は局所的にもできますが。完全な通水試験は。全配管を同時に検査するものです。世界中の技術者が。それぞれの地元の管路を観察し。漏水と詰まりを報告し。修理する。それを並行で進めないと。最終的な復旧はできません」
「壮大な計画だな」
「現場の常識です」
ヴェルナー教授は深く頷いた。
「わかった。冒険者ギルドと職人ギルドに連絡を取ろう。有志の参加を募る。タルク君の名前を出すぞ」
「いえ。先生の名前で」
「私の名前」
「ヴェルナー教授の名前は学術界で通ってます。俺の名前はまだ無名です。先生の名前で呼びかける方が動員力があります」
「タルク君」
「先生。これは現場の段取りです。一番効果が出る方法を選びます」
ヴェルナー教授は声を出して笑った。
「君は本当に。前世が職人だった人間だな」
「ただの配管工です」
タルクも小さく笑った。
窓の外で日が高くなっていた。
明日の朝。
帝国へ向けて出発する。
残り四つのインサートと。隠れた黒幕との対決。
そして世界中の技術者を動員した。
通水試験。
タルクは深く息を吐いた。
タルクの胸の中には。緊張と同時に。久しぶりの感覚が湧いていた。
現場の楽しさだった。
大規模な現場ほど。配管工にとっては腕の振るいどころ。十七年でいくつか大規模現場を経験した。その度にタルクは興奮していた。今が。前世も今世も含めて。最大の現場だった。
配管工の魂が。久しぶりに。深く満たされていた。
タルクは黒板を消さずに会議室を出た。
次の会議のために。あの言葉を残しておく。「危険予知」「通水試験」。後で誰かが見て。意味を考える。それでいい。日本の現場用語が異世界に残っていく。それは小さな足跡だった。配管工の足跡。
廊下を歩きながらタルクは考えていた。
明日の朝。
四人で帝国に向かう。
そして黒幕を見つける。
黒幕の正体が誰であれ。手順は同じだ。
現場を確認。
原因を特定。
対策を実行。
検証。
配管工の作業手順は。
黒幕が誰であろうと。
変わらない。
タルクの足取りは軽かった。三十五歳の桜井巧の前世も。十三歳のタルクの今世も。一つの目的に向かって同じ方向を向いていた。明日の現場。それだけで。今日のタルクは充分だった。




