第17話 黒田、再会
帝国の塔の最上階に。男が一人立っていた。
タルクは塔の頂上の扉を開けた瞬間にその姿を確認した。シュヴァルツ卿。前世の黒田。窓辺に立って腕を組み外を眺めていた。タルクの侵入を察知していた。慌てる気配もなく。むしろ待っていた様子だった。
「桜井。来たか」
「来ましたよ。黒田さん」
タルクは扉を背にして立った。
ここに至るまでが長かった。三日前。タルクと仲間たちは王国側のインサートをすべて起動し終えた。残り六つは帝国側。中でも最も重要なのが。帝国の首都にあるシュヴァルツの私塔。私塔の地下にインサートが一つ。そして塔の頂上にシュヴァルツが居を構えている。タルクは最後のインサートを起動するために。塔に潜入した。リエラとセシリアは地下の魔導陣の解析。ギルベルトは塔の入り口を抑えていた。タルク一人だけが頂上まで上がってきた。
潜入は深夜の闇に乗じて行われた。リエラの幻惑魔法と。セシリアの聖句で。塔の警備魔法を一時的に無効化した。タルクは前世の現場で身につけた潜入の感覚を活用した。建設現場では夜間警備員の巡回時間を予測して。資材搬入の段取りを組むことがある。あれと同じ要領だった。警備の死角と巡回間隔を読んで。最短経路で塔の中に入る。
塔の中は不自然に静かだった。本来なら多数の魔導技師や見習いが詰めているはずの建物が。今夜は無人に近かった。タルクの脳裏に違和感が走った。これは罠か。あるいは黒田が他の人員を意図的に外したか。後者の可能性が高い。タルクは扉ごとに光る管を確認しながら最上階まで上がった。光る管に異常な集中点があった。黒田自身が大量の魔力を握りしめていた。最上階の戦闘準備。
階段の最上段で。タルクは深く息を吐いた。
ここから先は。前世から続く決着の場。
扉に手をかけた。
「桜井。お前は変わらないな」
黒田は振り返らず言った。
「俺は変わったかもしれませんよ」
「いいや。お前は前世も今世も同じだ。手を動かすことしか知らない。出世も知らず。要領も悪く。ただ図面通りに動く。それを今世でも続けている」
「俺はそれが仕事だと思ってます」
「だから死ぬんだ」
黒田は振り返った。
異世界風の容貌。彫りの深い顔立ち。茶色の長髪。緑の瞳。それでも目つきは変わらない。傲慢で卑屈で焦りを隠した。前世の黒田の目だった。
「桜井。俺はこの世界で名乗りを上げた。シュヴァルツ卿。フェルム帝国の最高位魔導技師だ。三十路を過ぎた頃には皇帝の信任を得て。今では帝国の魔導政策を一手に握っている。前世の俺がいくつのときに本社の役員になれていた。なれていなかった。万年現場代理人で終わるところだった」
「お元気そうで何より」
「お前は」
「俺は十三歳の村の修理屋ですよ。出世とは無縁です」
「変わらないな」
黒田はため息を吐いた。
「桜井。お前にも昇進の機会をやろう。今からでも遅くない。フェルム帝国に降れ。お前の能力を高く買う。前世の借りはチャラにしてやる。お前は宮廷魔導技師の地位を約束する。俺の右腕としてだ」
「お断りします」
タルクは即答した。
「即答か」
「即答です」
「なぜ」
「俺は管を直したい。盗みたくない。あなたは管を盗んでる。一緒に仕事はできない」
黒田の顔が硬くなった。
「桜井。お前は理想主義者か」
「いえ。職人です」
「職人」
「俺は配管工です。配管工の仕事は管を直すこと。配管工は管を盗まない。それが職人としての矜持です」
「桜井」
黒田は深く息を吐いた。
「お前は前世で死んだとき。俺を恨んだか」
「恨みました」
「今も」
「今は別物です」
「別物」
「黒田さん。あなたが俺を殺したのは事実です。それは恨んでます。でもそれと別に。あなたが世界を壊そうとしてるのは別件です。職人として。あなたを止めなければなりません。前世の恨みではなく。今世の務めとして」
「公私の区別か」
「現場と感情は分けるのが鉄則です。これも前世の親方の教えです」
黒田は声を出して笑った。
「お前は本当に変わらない。職人気質。それが原因でお前は死んだのにな」
「黒田さんも変わらない」
「俺が変わらないのは何だ」
「他人を見下す目つき。前世も今世も同じです。それを治さない限り。あなたは何度転生しても部下を殺します」
黒田の目が一瞬だけ揺らいだ。
しかし即座に冷たい笑みに戻った。
タルクはその一瞬の揺らぎを見逃さなかった。十七年の現場で人の表情を読み続けた目だった。黒田の中にも僅かな自覚がある。自分が他人を見下していること。それが過去にも現在にも問題を引き起こしていること。彼は気づいているのだ。気づいた上で。それを認めることを拒んでいる。それが黒田という人間だった。前世も今世も同じ。
タルクの心の中に意外な感情が湧いた。
哀れみだった。
黒田を哀れむ自分に。タルクは戸惑った。前世で殺された相手を哀れむのは奇妙だった。それでも哀れだった。黒田は転生してまで。同じ生き方を繰り返している。技術の本物を学ばず。手を動かさず。ただ人を見下すことで自尊心を保つ生き方。前世で何十年それを続けて。今世でも続けている。それは一種の地獄だ。本人が気づいていない地獄。
「黒田さん。話は終わりだ。お前を生かして帰すわけにはいかない。塔の最深部のインサートを止めに来たんだろうが。残念だが。俺はそれを許さない」
黒田は両手を上げた。
彼の周囲に巨大な魔法陣が展開した。
タルクは構えた。腰から手作りの鉄槌を抜いた。前世から馴染んだ重量感が手に戻った。
しかしタルクは戦闘の素人だった。
黒田の魔法に対抗するすべはない。
その瞬間。
塔の床がガクッと揺れた。
黒田の表情が一変した。
「何だ」
タルクは即座に光る管を見た。
地下のインサートが動き出していた。
リエラとセシリアが起動に成功したのだ。
「黒田さん。残念ですが。地下のインサートはすでに起動されました。タルクの仕事ではなく。仲間が」
「貴様」
黒田の魔法陣が激しく明滅した。
黒田が築き上げた魔導陣の制御が乱れていた。地下のインサートが起動したことで。黒田の盗み取った管路の流れが急激に元の方向に戻り始めていた。塔全体が震動していた。
「貴様。何をした」
「俺じゃありません。仲間がやりました」
タルクは静かに言った。
「黒田さん。一人で動くのは効率が悪いんです。前世の現場でも同じでした。一人の現場代理人が威張っても。職人と事務所と他業者の連携がなければ何も完成しません。あなたは前世でそれを学ばなかった。だから今世でも一人で動こうとして。失敗してます」
「貴様」
黒田は魔法陣を全力で展開した。タルクに向けて巨大な雷撃が放たれた。
タルクは反射的に床に伏せた。
しかし雷は届かなかった。
黒田の魔法陣そのものが。地下のインサートの起動による魔力の流れの変化で。出力を失っていた。雷は途中で霧散した。黒田は呆然とした。
「魔法が」
「黒田さん。あなたの魔法は。世界中から盗んできた魔力で動いてました。でも今。世界の管路が再起動して。流れが正常化されました。あなたの取り分はなくなりました」
タルクは立ち上がった。
「電源喪失です」
「貴様」
「現場で電源喪失が起きると。何もできなくなります。前世の現場でも同じでした。あなたが前世でやった仕事の多くは。電気と水道が来てる前提で動いてました。インフラがなければ何もできない。職人の手と頭がなければ何もできない。あなたはそれを忘れてました」
黒田は床に膝をついた。
彼の周囲の魔法陣はすべて消えていた。
塔の振動が落ち着いていった。地下からリエラの声が聞こえた。
「タルク。終わった」
「ありがとうございます」
タルクは黒田を見下ろした。
「黒田さん。前世の借りは。これでチャラです」
「チャラ」
「あなたは俺の前世を奪った。俺は今世であなたの計画を止めた。プラスマイナスでゼロです」
「桜井」
「俺はあなたを殺しません。それは現場の仕事ではない。あなたは帝国の法で裁かれてください」
タルクは扉に向かった。
黒田は床にうずくまっていた。彼の体は震えていた。怒りか恐怖か。あるいは両方か。タルクには判別できなかった。判別する必要もなかった。
「桜井」
「はい」
タルクは扉の前で振り返った。
「お前は」
「はい」
「強くなったな」
タルクは小さく笑った。
「黒田さん。俺は強くなったんじゃない。仲間ができたんです。一人だと俺もあなたも同じです。差をつけたのは仲間の有無です」
黒田は何も答えなかった。
タルクは扉を開けた。
階段を降り始めた。
階段の途中でタルクは無意識に止まった。胸の中で何かが波打っていた。怒りでも憎しみでも喜びでもなかった。前世から十六年越しの。区切りの感覚だった。
前世の死の瞬間に。タルクは黒田を確実に憎んでいた。最後の意識は黒田への憎悪で塗りつぶされていた。それを今世まで持ち越していた。十三年間の少年の体の中で。三十五歳の桜井巧の意識は。ずっと黒田の死に方を想像し続けていた。
しかし今。
黒田を倒し終えた瞬間に。
憎悪が蒸発した。
残ったのは奇妙な静けさだった。タルクは黒田を殺さなかった。殺す必要を感じなかった。仕事の上で邪魔だから止めた。それだけだった。前世の憎悪の重さに対して。今世の決着はあまりに軽い。それでも軽いことが正しいと感じた。
復讐は。仕事ではない。
現場の仕事だけが。職人の領分。
タルクは深く息を吐いた。
階段を降り続けた。
地下では。リエラとセシリアが祭壇の前で待っていた。インサートが起動していた。塔全体に光が戻っていた。
「タルク。あんた。最上階で何があったの」
「黒田と話しました」
「殺してきた」
「殺してません」
「ふーん」
リエラは肩をすくめた。
「あんたらしいわね」
「現場で人は殺さない。俺の鉄則です」
「うん。それでいい」
リエラは小さく笑った。
セシリアが歩み寄った。
「タルクさん。お疲れ様でした」
「セシリアさん。インサートの起動。お見事です」
「リエラさんの魔法解析と。私の聖句の組み合わせで。うまくいきました」
「皆さんのおかげです」
タルクは深く頭を下げた。
塔の入り口から声が聞こえた。ギルベルトだった。
「タルクたち。降りてこい。帝国軍が押し寄せてきてる。撤退の時間だ」
「了解」
四人は塔を後にした。
外には夕日が沈み始めていた。
西の空が赤かった。
タルクの胸の中で。一つの章が閉じていた。
前世の縁の。決着。
しかし世界の現場は。まだ続いている。
残るインサートはあと五つ。
次の現場へ。
歩きながらタルクは仲間たちの顔を一人ずつ見た。リエラは疲れた様子で煙草に似た葉を吸い始めていた。彼女の魔法解析は塔の魔導陣を完全に解いた仕事だった。並みの宮廷魔術師には不可能な仕事だ。セシリアは聖句の連続詠唱で疲弊していて。リエラに肩を借りて歩いていた。それでも目はしっかりしていた。彼女の聖句がリエラの解析の精度を支えていた。ギルベルトは塔の入り口で帝国軍の精鋭部隊を一人で食い止めていた。鎧の各所が破損していて。今は剣を杖代わりに歩いていた。
四人それぞれが。
自分の専門で。
仕事をやり切った。
現場の連携の典型的な形だった。前世の桜井巧が一番気持ちよく現場を回せるパターンだった。各業者がそれぞれの専門で動き。互いに足を引っ張らず。互いに頼り合う。そういう現場が一番速く一番安全に終わる。
タルクは仲間たちに小さく頭を下げた。
「皆さん。お疲れ様でした」
「あんたもね」
「タルクさん」
「タルク殿」
三人がそれぞれの言葉で応えた。
夕日の中で。馬車が彼らを迎えに来ていた。
タルクは馬車に乗り込みながら西の空を見た。光る管の大河は今や明確に流量を増していた。世界の魔導管網は確実に回復し始めていた。あと五つのインサートを起動すれば。世界の管路は完全に復旧する見込みだった。
しかし黒田は捕まえた。彼は牢屋に入る。それだけで終わるのか。タルクの胸の中には微かな違和感が残っていた。十七年の現場の勘が。何かを警告していた。これで終わりではない気がした。
馬車が動き出した。
タルクは窓越しに塔を振り返った。
塔の最上階の窓に。一瞬だけ。何か別の影が見えた気がした。
しかし馬車の振動で視界が揺れて。確認できなかった。




