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世界の蛇口は俺が握る 〜転生配管工、異世界の血脈を繋ぎ直す〜  作者: もしものべりすと


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22/22

第22話 通水試験、開始

半年後の朝。タルクは旅装で村の門に立っていた。


 セレシア村。タルクが転生した最初の村。世界中の管路が復旧してから三ヶ月。タルクは王都での祝賀から逃れて。久しぶりに故郷に戻っていた。


 村は変わっていた。


 タルクが村を出たときには。井戸は枯れかけ。畑は痩せ。村人たちは老いを早めていた。それが今では。井戸は溢れんばかりに水を湛え。畑は緑に覆われ。村人たちの顔は以前より明るかった。世界中の管路の復旧が。地方の小さな村にも届いていた。


 村の世話役だった老婆は。すでに他界していた。タルクが村を出てしばらく後だった。タルクは老婆の墓に手を合わせた。墓は村の外の丘にあった。素朴な石の塚。タルクが村にいた頃に毎朝水汲みに通った道のすぐ脇。


「ばあちゃん。井戸の水。出るようになったよ」


 タルクは声を出して言った。墓は答えなかった。それでもタルクは老婆が頷いてくれた気がした。十三年間世話になった人だった。前世の母とは違うが。それでも母に近い存在だった。


 タルクは墓の前にしゃがみ込んだ。


 老婆の声が脳裏に蘇った。


 「タルクや。あんたは特別な子だね」


 あの時タルクは否定した。今でも否定する。それでも老婆はタルクの中の何かに気づいていたのかもしれない。十三歳の少年の体に宿る三十五歳の意識。それを言葉にはできずとも。気配として感じていたのかもしれない。


 タルクは墓石を撫でた。冷たい石の感触が指に残った。墓石の表面には素朴な文字が刻まれていた。「我らが世話人。安らかに」。村の子供たちが彫ったらしい。下手な字だが温かみがあった。タルクは指でその文字をなぞった。


「ばあちゃん。あんたが俺を村で受け入れてくれたから。今の俺がある。ありがとう」


 声は風に運ばれていった。


 風が吹いた。


 春の風。


 タルクの黒髪を揺らした。


 タルクは十四歳になっていた。背は少し伸びた。声も低くなり始めていた。それでも前世の桜井巧から見れば。まだ少年と言える年齢だった。


 半年前の祝賀のことが脳裏に蘇った。


 最後のインサートを起動して。世界が復旧した翌日。タルクと仲間たちは王都に凱旋した。王宮で盛大な祝賀が開かれた。皇帝陛下と国王陛下の双方が列席する歴史的な祝賀だった。長年敵対関係にあった両国が。世界の救世主のために。共に席を並べた。


 その席で。皇帝も国王も。タルクに対して様々な栄誉を授けようとした。爵位。土地。勲章。称号。


 タルクはすべて辞退した。


「俺は配管工です」


 皇帝の前で。タルクは深々と頭を下げて言った。


「爵位も土地も勲章も。俺には不要です。仕事を続けるための工具と。修理代と。仲間がいれば。それで十分です」


 皇帝は驚いた顔をした。国王も呆れた顔をした。それでもタルクの目が固いことを見て取って。両者は笑顔で頷いた。


「タルク殿の仕事ぶりは。世界の管を直すような立派な仕事だ。それを栄誉なしで続けるとは。職人魂と申すべきか」


 皇帝は感心していた。


「では。タルク殿。一つだけ受け取っていただこう」


 国王が言った。


「世界中で。タルク殿が修理を必要とする現場には。両国の協力で支援を提供する。あなたが現場に立つときは。資材も人員も。両国が用意する。それは栄誉ではなく。職人としての作業環境の保証である」


 タルクは深く頷いた。


「ありがとうございます」


 仲間たちには栄誉が授けられた。リエラには宮廷魔術師の地位への復帰が提示された。彼女はそれを断った。「私は流浪が好き」と肩をすくめた。代わりに彼女は冒険者ギルドの相談役という肩書を引き受けた。各地の管路の異常情報を集約する役。彼女の流浪は仕事になった。


 ギルベルトには騎士団長の地位が用意された。彼はそれを「重すぎる」と断った。代わりに「タルクの専属護衛」という非公式の肩書を選んだ。彼は王立騎士団の中では一介の騎士のままだった。しかし給金はタルクの仕事の付添いとして両国から支給されていた。


 セシリアには教会の枢機卿の地位が提示された。彼女はこれも断った。「人を救うには。地位より直接支援が必要」と言って。各地の医療支援団体の代表となった。タルクが直す管と並行して。彼女が地元の住民の医療を担当する。これも非公式の役だが。両国から支援を受けていた。


 四人それぞれが。栄誉を辞退して。仕事を続ける道を選んだ。


 ヴェルナー教授は王立魔導院の名誉学長に任じられた。彼は四十年の研究の成果を後進に教える役割を引き受けた。彼の研究室には毎日学生が集まり。〈原初の建設者〉の伝承を学んでいた。教授は引退から最も遠い場所にいた。タルクの作戦が彼の研究人生を再始動させていた。


 黒田は両国の合議で裁かれた。彼の魔力盗用は重罪だったが。皇帝陛下は彼の処刑には同意しなかった。代わりに彼は帝国の地下牢に長期収監されることになった。タルクは判決の日に。一度だけ黒田に会いに行った。


 黒田は痩せていた。地下牢の暗がりの中で。彼は黙って座っていた。タルクが訪れたとき。彼は顔を上げた。


「桜井。来たか」


「来ましたよ」


「俺を笑いに来たのか」


「いえ」


 タルクは深く息を吐いた。


「黒田さん。あなたから後輩を育てる仕事を始めてください」


「は」


「最後の建設者が言ってました。あなたを罰するだけでなく。あなたの経験を次の世代に渡してほしいって。あなたは前世も今世も。経営者として失敗しました。その失敗の経験は。後輩を育てるのに役立ちます。同じ過ちを繰り返さないように」


 黒田は呆然とタルクを見つめた。


「桜井。お前は」


「俺は。あなたの行動は許してません。それでも。あなたが地下牢で腐るのは。世界の損失だと思います。あなたの経験を活用してください。それが俺の。前世の借りを返す意味でもあります」


 黒田は何も答えなかった。


 タルクは深く頭を下げて。地下牢を後にした。


 その後。黒田は地下牢の中で。若い帝国の魔導見習いたちに講義を始めたという。「俺の失敗から学べ」と前置きして。経営者の心得や現場との関係について語ったらしい。それが彼の余生の仕事になった。


 最後の建設者の遺言は。間接的に黒田を変えていた。


 タルクは老婆の墓を後にした。


 村の門に戻った。


 仲間たちが待っていた。


「次の現場は」


 ギルベルトが地図を広げた。


「東部の港町。塩害の影響で管路の劣化が早い地域。地元の鍛冶屋からヘルプが入った」


「了解」


 タルクは荷袋を担いだ。


 荷袋には前世の桜井巧から続く工具一式が詰まっていた。鉄槌。ヤスリ。鋸。墨つぼ。最後のインサートを起動してから。タルクは新しい工具を増やしていた。前世の現場で使った工具を一つずつ。この世界の鍛冶屋に依頼して再現していった。地球の建設業の工具が。少しずつ。この異世界に根付いていた。


「行きましょう」


 タルクは仲間たちに頷いた。


 馬車が動き出した。


 タルクは振り返って村を見た。


 井戸の傍で。村の子供たちが水汲みをしていた。その姿が。十三歳のタルクが井戸を直したときの記憶と重なった。あの時水を出した井戸が。今も子供たちの生活を支えていた。


 タルクの仕事は。


 世代を超えて。


 使われ続ける。


 それが配管工の誇り。


 誰の名前にもならず。


 誰の記録にも残らず。


 ただ水が出る。


 それで充分だった。


 馬車は街道を進んでいった。


 半月後。


 東部の港町に到着した。地元の鍛冶屋たちが待っていた。タルクが馬車から降りると。鍛冶屋の親方たちが深く頭を下げた。


「タルク殿。お待ちしてました」


「呼んでいただいてありがとうございます」


「世界の管路を救った大恩人を。我々ごとき港町に呼び出して」


「いえ」


 タルクは首を振った。


「俺は配管工です。配管工は呼ばれた現場に行きます。それだけです」


 鍛冶屋の親方は涙ぐんだ。


「タルク殿。我々の港町の。井戸の塩害がひどく。管路が劣化してます。お力をお借りしたいです」


「分かりました」


 タルクは荷袋を担ぎ直した。


「現場見せてください。それから手順を組みます」


「現場見せて」


 親方は不思議そうに首をかしげた。


「タルク殿。あなたは光る管が見える。書類だけで原因がわかるはずでは」


「現場見ろ。です」


 タルクは小さく笑った。


「これは前世の親方の教えです。書類だけで判断するな。必ず現場を見ろ。現場には書類に書かれてないことがある。それを見落とすと事故が起きる」


「現場見ろ」


 親方は深く頷いた。


「いい教えですね」


 タルクは仲間たちと共に港町の井戸に向かった。井戸は街の中央にあった。周辺の住民が集まっていた。タルクが到着したことが噂になり。皆が見物に来ていた。


 タルクは井戸の縁に膝をついた。光る管を確認した。鍛冶屋の親方が言った通り。塩害で管路が劣化していた。継手が腐食。複数箇所で漏水。流量低下。


 タルクは荷袋から工具を取り出した。


 仕事を始めた。


 子供の頃に村の井戸を直したのと同じ手順。三十五歳の桜井巧が前世で何百回もやった作業。十四歳の異世界の少年タルクが今この港町でやっている作業。本質は変わらない。配管工の仕事は世代を超えて変わらない。


 住民たちが見守る中。タルクは黙々と作業した。


 数時間後。


 井戸から澄んだ水が流れ始めた。


 住民たちから歓声が上がった。


 タルクは汗を拭った。空を見上げた。光の大河が空全体に流れていた。世界の管路は完全に回復していた。それでも各地に小さな漏水や詰まりが残る。それを一つずつ。タルクと仲間たちが直して回る。終わりはない。それが配管工の仕事。


 村の老婆が生前タルクに言った言葉が。脳裏に蘇った。


「タルクや。あんたは特別な子だね」


 あの時タルクは否定した。


 今も否定する。


 俺は特別じゃない。


 ただの配管工。


 しかし。


 ただの配管工が。


 世代を超えて。


 世界を支える。


 それが。


 地味な職業の。


 誰にも称えられない誇り。


「タルクさん」


 セシリアが歩み寄った。


「水。出ました」


「はい」


「次は」


 タルクは小さく笑った。


「通水試験です」


 タルクは井戸の桶を引き上げた。澄んだ水を汲み上げた。一杯の水を住民たちに分けた。住民の老人が一口飲んで。涙を流した。


「こんなに澄んだ水を飲むのは。何十年ぶりだろう」


「そうですね」


 タルクは深く頷いた。


「これが通水試験です。漏水なし。流量適正。水質良好。試験。合格」


 タルクは小さく笑った。


 仲間たちも笑った。


 住民たちは笑顔で頷いた。


 次の現場が呼んでいた。


 いつものように。


 馬車に乗って。次の街へ。次の村へ。次の現場へ。


 タルクは荷袋を担いだ。


 左手で顎を撫でた。三十五歳の桜井巧の癖だった。


 胸の中で穏やかな満足感が広がっていた。


 現場が動いている。


 仲間が一緒にいる。


 明日も次の現場がある。


 配管工にとって。


 それ以上の幸福はなかった。


 太陽が二つ。空に並んでいた。


 光の大河が。


 空全体を貫いていた。


 その下で。


 タルクは。


 次の現場へと。


 歩き出した。


 通水試験。


 開始。


 世界の蛇口は。


 今夜も。


 誰かのために。


 水を出していた。


 桜井巧の前世の親方が。新人時代に酒の席で言った言葉が。タルクの耳の奥でふと響いた。


 「いいか。配管工はな。誰にも褒められん。誰にも気づかれん。それで腐るな。お前が組んだ管に。明日も水が流れる。それを誰かが使う。それが俺たちの誇りだ」


 あの言葉を。新人時代のタルクは半分しか理解していなかった。三十五歳で死ぬ直前にも。完全には理解していなかった。今ようやく。十四歳の異世界の少年の体の中で。完全に理解できた気がした。


 誇りは結果として残るのではない。誇りは仕事の中に既にある。


 タルクは馬車の窓から手を振った。村の子供たちが手を振り返した。


 次の現場の港町は。馬車で五日。


 馬の蹄の音が。乾いた街道に響いていた。


 その音は。


 千年前の同業者が。同じ街道を歩いていたときの音と。きっと変わらなかった。

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