第15話 インサートを見つけろ
大神殿の柱に俺の左手は震えながら触れていた。
タルクが王都の中央大神殿の主柱に手を当てたのは三日後の早朝だった。誰もいない時間帯。司祭たちが朝の祈祷に向かう前。タルクとセシリアの二人だけが薄暗い大神殿の中央に立っていた。
主柱は直径二メートル。高さは天井まで二十メートル。石灰岩で削り出された巨大な円柱だった。表面には細かな彫刻が施されている。神話の場面を描いた浮き彫り。一見すると装飾の塊。しかしタルクの目には別のものが見えていた。
大神殿の中は外気よりも寒かった。石は熱を吸う。日本の古い寺の本堂と同じだった。タルクは肩をすぼめながら歩いた。空気には乳香に似た香の残り香がある。朝の祈祷の前に焚かれる香だろう。匂いは清潔だが冷たい。観光客向けの華やかさはなく。むしろ機能美に近かった。これは祈りの場であると同時に。〈原初の建設者〉の作業場でもあったのかもしれない。
主柱の足元には円形の石敷きがあり。その周囲に小さな祭壇が四つ配置されていた。東西南北。日本の建築でいえば四神の配置に相当する。ただし形は違う。それぞれの祭壇には燭台が置かれて。今は火が消えている。タルクは祭壇の配置を頭に焼き付けた。これは設計の意図がある配置だ。建設者は何かを意識して。この四つの位置を選んでいる。
「セシリアさん。ここの柱に。インサートがあります」
「タルクさん。お言葉ですが。神聖な大神殿の主柱に。そんな金具が埋め込まれているなんて」
セシリアは戸惑った顔をした。
彼女が本日同行したのは。彼女が大神殿の見習い聖女としての立場を持っていたからだった。本来なら一般人や見習いが朝の時間帯の主神殿に入るのは禁じられている。しかしセシリアの内部協力があれば話は別だった。タルクとリエラとギルベルトの三人は外で待機していた。タルク一人だけが特別に。神殿内に立ち入りを許された。それも内密に。
「俺の目に見えてます。柱の中。地面から五メートルほどの高さに。輪のような金具が一つ」
タルクは柱を仰いだ。
光る管が柱の中央を通っている。そしてその管は柱の中の一点で。小さな金属の輪と接続されていた。古代の北方神殿で見たものと同じ形状。インサート。
「ここまで触れません」
タルクは言った。柱は登れる構造ではない。手は届かない。
「タルクさん。あなたの目には見えても。我々には見えないものを。どう確認すれば」
「方法を考えてます」
タルクは床に膝をついて荷袋から道具を取り出した。
道具は前世の桜井巧が現場で使っていたものに似たものを。タルクはこの三日間で手作りしていた。鉄槌。ヤスリ。鋸。そして簡易の墨つぼ。この世界には墨壺は存在しなかったので。タルクは墨と糸を使って自作した。普通の村の修理屋には扱えない道具。しかし桜井巧の手は迷わず使う。
道具を作る三日間は楽しかった。タルクは魔導院の工房を借りて。一人で道具を作った。鋳物職人の助けを借りて鉄槌の頭を鋳造した。木工職人に柄を削ってもらった。墨壺の容器は陶工に焼いてもらった。糸は教会の織物工房に頼んで麻糸を縒ってもらった。一つ一つの工程で。タルクは前世の感覚を取り戻していった。十七年でいくつ工具を買い替えたかわからない。それぞれの工具に。それぞれの思い出があった。最初に親方から貰った銅切り鋏。新人時代に給料を半分使って買った電動工具。四十前の親方が引退するときに譲ってくれた古いラチェット。工具と思い出は不可分だった。それを今。異世界で。一から作り直している。
その工程の中で。タルクは何度も思った。
工具は職人の魂だ。
異世界に来ても。配管工の魂は。工具と一緒にある。
タルクは床に墨を打った。柱の中心から半径を計算して。インサートの位置を床に投影する。
「セシリアさん。ここに。柱の中のインサートと。同じ高さの位置に。床にもインサートがあります」
「ふたつ」
「そうです。柱の中だけでなく。床の中にも。同じものがあります」
タルクは墨の打った床の点に。指を当てた。
光が反応した。
その瞬間。
床の石板が。微かに振動した。
セシリアが息を呑んだ。
「タルクさん。床が」
「はい。動いてます」
タルクは指を強く押し込んだ。床の石板がずれた。下から空洞が現れた。空洞の底に。金属の輪が埋め込まれていた。古代神殿で見たものと全く同じ形状。
「これがインサートです」
タルクはしゃがんで穴の底を覗き込んだ。直径十センチほどの金属の輪。中央には螺旋状の溝が切られている。後からボルトを締めるための。受け側の。雌ねじ。
「セシリアさん。こちらへ」
セシリアは恐る恐る覗き込んだ。
「これが。古代の」
「そうです。〈原初の建設者〉が。後の世代のために。仕込んでおいた金具です」
「これに。何を取り付けるのですか」
「鍵を取り付けます。鍵が見つかれば」
タルクは穴を再び石板で塞いだ。聖堂の床の他の部分には変化はない。誰にも気づかれない印。
タルクとセシリアは大神殿を後にした。外で待っていたリエラとギルベルトに合流した。
「あった」
「インサートがね」
「鍵はまだ」
「これからね」
リエラは頷いた。
「ヴェルナー教授からの指示は。各地の聖地にあるインサートを確認すること。確認したらヴェルナー教授と並行して鍵の正体を調査する」
「鍵」
ギルベルトが眉を寄せた。
「何の鍵だろう」
「それを探すんです」
タルクは答えた。
その日の午後。タルクとセシリアはヴェルナー教授の研究室にいた。古代の本のページを再度開き。鍵に関する記述を読み返していた。
「『鍵は建設者の血統に宿るとも。建設者の魂に宿るとも記される』」
ヴェルナー教授が読み上げた。
「先生。鍵がもし俺の魂に宿ってるなら。どうやって取り出すんでしょう」
「タルク君。それは私もわからない」
タルクは机に頬杖をついて考えた。
鍵が魂に宿る。
日本語で言えば。
形のないもの。
見えないもの。
それを取り出す方法はない。むしろ考え方が違うはずだ。鍵というのは。目に見えない要素である可能性が高い。例えば。
タルクの脳裏に前世の現場の風景が次々と浮かんだ。配管を組む手順。ねじの締め込み具合。トルクの感覚。漏水試験の方法。継手の選定基準。十七年で身体に染みついた手順。それが文字には書けない。図面にも描けない。手と頭の中にしか存在しない知識。
あれだ。
タルクは小さく頷いた。
鍵というのは。
手順の知識そのもの。
建設者が体得した。技能の総体。
道具の使い方。図面の読み方。現場の段取り。それらを身体に持つこと。それ自体が鍵。だからインサートに意識を集中するとき。実は意識ではなく。技能を込めることになる。建設者の技能を持っていない者がインサートに触れても何も起きない。建設者の技能を持つ者が触れて初めて。インサートが応える。
「先生。もしかして。インサートを起動するには。意識を込めるだけかもしれません」
「意識」
「俺は光る管に意識を集中することで。詰まりを取ったり。漏水を直したり。できます。同じ要領で。インサートに意識を集中したら」
「試してみる価値はある」
ヴェルナー教授は深く頷いた。
「ただし。タルク君。一つだけ忠告だ」
「はい」
「インサートを起動した結果。何が起きるかは未知数だ。世界の管路が回復するかもしれない。あるいは。世界の管路の何かが変質するかもしれない。記録には『起動の結末は人智を超える』と書かれている」
「起動して。後悔するかもしれない」
「ありうる」
タルクは深く息を吐いた。
しかし起動しなければ。世界の管路は劣化し続け。最終的に世界そのものが機能不全に陥る。それは確実な滅び。起動して何かが変わる可能性に賭けるしかない。
「先生。もう一つ。確認したいことがあります」
「何でも」
「インサートは世界中の聖地にあるとのことですが。具体的にどこにあるか。把握できますか」
「私の四十年の研究で。候補地は十二箇所に絞り込んでいる。ただしすべてが正解とは限らない。実地調査が必要だ」
「十二箇所。十二人の建設者と同じ数ですね」
「偶然ではないだろう」
タルクは机に置かれた地図を覗き込んだ。世界地図だった。十二の点が描かれていた。それぞれに教授の手書きで「候補地」と書かれている。
点の位置を見て。タルクは唇を噛んだ。
十二箇所のうち。六箇所が。フェルム帝国の領内にあった。
「先生。これは」
「ああ。半数が帝国側だ」
「黒田が。シュヴァルツ卿が。先に手を出してくる可能性は」
「高い」
ヴェルナー教授は深刻な顔で頷いた。
「シュヴァルツは古代研究にも手を出していると聞く。もしかすると。彼はすでにインサートの存在に気づいているかもしれない。そして帝国領内のインサートを。すでに掌握している可能性がある」
「先に動かないと」
タルクは立ち上がった。
「ヴェルナー先生。十二箇所の中で。最も近くて行きやすい場所はどこですか」
「王都から二日で行ける。北方の神殿。すでに調査した場所だ」
「そこから始めます」
「タルク君。一つの聖地のインサートを起動するのに。何が必要かを。まず確かめよう」
「はい。試験運転です」
タルクは深く頷いた。
「まず一箇所で実験。手応えを確認。そこから順次拡大」
「現場の手順だな」
「現場の手順です」
タルクは荷物を整え始めた。
その夜。タルクはリエラとギルベルトとセシリアを集めて作戦会議を開いた。
「明日。北方神殿に向かいます。一箇所のインサートを起動して。何が起きるかを確認します。そして帝国側の動きを警戒しながら。残り十一箇所のインサート起動を計画します」
「私は同行する」
ギルベルトが即答した。
「私も」
セシリアも頷いた。
「私はあんたの保護者みたいなもんだから」
リエラは肩をすくめた。
「異論なし。明日朝出発」
タルクは安堵した。
「皆さん。一つだけお願いがあります」
「何」
「現場では。俺の指示に従ってください。途中で何が起きても。冷静に。手順通りに動いてください。これは前世の現場で叩き込まれたことです。手順を破る人間は。事故を起こします」
ギルベルトが姿勢を正した。
「了解した。タルク殿の指示に従う」
「殿は要りません」
「タルクの指示に従う」
「ありがとうございます」
タルクは小さく頭を下げた。
窓の外で二つの月が昇り始めていた。
明日からの世界規模の現場が。本格的に始まろうとしていた。
タルクは左手で顎を撫でた。三十五歳の桜井巧の癖だった。
胸の奥には期待よりも緊張があった。十七年の現場で何百回と感じた。新しい現場の前夜の。あの感覚。
明日の朝。
タルクは前世の同業者から託された仕事を。ようやく本格的に。引き継ぐことになる。
タルクは荷袋に道具を詰め込んだ。鉄槌。ヤスリ。鋸。墨つぼ。それらを一つ一つ手で確かめながら。配置を整えていった。荷袋の口を縛りながら無意識に呟いた。
「段取り八分」
その言葉は前世の親方から教わった。何度繰り返したかわからない。新人時代に染みついた言葉。現場の合言葉。事前準備が八割。当日の作業は二割。その通りだった。十七年でその言葉を破ったときは必ず事故が起きた。守ったときは必ず仕事が締まった。
今夜は段取りの夜。
明日は仕事の朝。
タルクは窓辺に立って空を見上げた。光る管の大河が夜空を流れていた。明日からは。あの大河に。手をつけることになる。一千年前の同業者が敷いた管路。それを後輩の俺が。修繕する番だ。
タルクの胸の中で。三十五歳の桜井巧と。十三歳のタルクの意識が。完全に重なっていた。
この感覚は。
現場の前夜の。
心地よい緊張。
配管工の朝は早い。
タルクは寝台に潜り込んだ。
明日の朝までに。十分眠る。これも段取りのうち。




