第14話 原初の建設者の正体
書庫の最奥の棚で見つけた本は隠されていた。
ヴェルナー教授がぽつりと言った。
「タルク君。これだ」
四十年研究してきた老教授の手が震えていた。
北方神殿から戻ってからの三週間。タルクは魔導院の禁書庫に籠もりきりだった。教授の特別許可で立ち入りが許された場所だった。歴代の学長と一部の専任教授だけが立ち入れる地下二階の書庫。古代の写本が眠る場所。
書庫は窓のない石造りの部屋だった。
壁に並ぶのは羊皮紙の本ばかりではない。粘土板もあった。木簡のようなものもあった。中には鉱物の上に文字を彫り込んだ石板もあった。古代の知識の堆積層。日本の図書館とは桁が違う多様性。タルクは入り口に立った瞬間に既に圧倒されていた。
教授が見つけたのは奥の棚の最下段にある布張りの薄い本だった。
「これは。第三十二代学長の私的蔵書だ。学長が引退するときに。学院に寄贈したものの中に紛れていた。誰も読まずに棚の奥に放置されていた。私は学長就任候補だった頃に一度読みかけたが。読み終わる前に学長選を辞退した」
「本のせいで」
「いや。本が私を辞退させた」
ヴェルナー教授は本を机に置いた。表紙は無地。題名はない。
「本の最後の章に書かれていたことが。あまりに常識を逸脱していたから。私はこの本の内容を信じれば。学長として失脚するだろうと判断した。学長になって権力を握っても。この本に基づく研究をすれば異端者として追放される」
「それで。辞退を」
「そう。代わりに私は無冠の研究者として。誰にも縛られずに。この本の検証を続けてきた」
タルクは本を覗き込んだ。古代文字が並んでいた。読めない。教授が翻訳を始めた。
「『十二の建設者の正体について』」
教授の声は震えていた。
「『十二の建設者は別の世界の職人であった。我らの世界が滅びの危機に瀕したとき。世界そのものが召喚した者たちであった。彼らは選ばれた者ではなく。むしろ無名の労働者であった。』」
タルクは唾を飲み込んだ。
無名の労働者。
その言葉が。
胸の奥で痺れた。
前世の桜井巧の三十五年の生涯がこの一語に収斂していた。誰にも称えられない。新聞にも雑誌にも載らない。ただ毎日現場に出て。図面通りに管を組んで。試験して。次の現場に向かう。それを十七年繰り返した。建てたビルの数は数十棟。マンションは何百戸。商業施設も病院も学校も。すべてに桜井の管が走っている。しかし建物が完成したときに。新聞に名前が載るのは設計士であり施工会社であり施主であった。桜井の名は誰の口にも上らなかった。
それでも。
桜井は誇りを失わなかった。
誇りを失わなかったから。今も配管工の意識を保てている。光る管が見えるのは。その誇りに対する。世界からの返礼かもしれない。
タルクは深く息を吐いた。十三歳の体の中で。三十五歳の意識が静かに何かを噛みしめていた。
「『建設者の名は失われている。しかし職能は記されている。第一の建設者は水を扱う者。給排水を担当した。第二の建設者は風を扱う者。換気と空調を担当した。第三の建設者は熱を扱う者。冷暖房と火気管理を担当した。第四の建設者は管を扱う者。あらゆる流体の経路を組んだ』」
タルクは息を呑んだ。
給排水。換気。空調。冷暖房。火気管理。配管。
これは現代日本の建設業の。設備工事の。職種そのものだった。
設備工事の職人たちが。十二人。
この世界に呼ばれていた。
「先生」
「タルク君」
「これは。俺の前世の世界の。設備工事の職種一覧です」
ヴェルナー教授は強く頷いた。
「『第五の建設者は石を扱う者。基礎と外壁を組んだ。第六の建設者は木を扱う者。内装と建具を担当した。第七の建設者は金属を扱う者。骨組みと部材を組んだ。第八の建設者は線を扱う者。光と力の流れを引いた』」
基礎工事。外壁。内装。建具。鉄骨。電気工事。
これも現代の建設業の職種だった。
「『第九の建設者は地を扱う者。土木と造園を担当した。第十の建設者は道具を扱う者。あらゆる工具を製作した。第十一の建設者は図を扱う者。設計と図面を担当した。第十二の建設者は人を扱う者。労務管理と段取りを担当した』」
土木。造園。工具職人。設計士。施工管理。
完全に揃っていた。
現代日本の建設業の職種が。十二人の建設者として。一人ずつ役割を分担して。この世界の建設に従事していた。
タルクは深く息を吐いた。
〈原初の建設者〉とは。
建設業者たちだった。
それも普通の職人たち。技能集団。地球の現代社会で。地味に働いてきた人々。
その人たちが。何らかの形でこの世界に呼ばれて。世界規模のインフラを敷設した。それが〈原初の建設者〉の正体。
タルクの脳裏に前世の現場の風景が浮かんだ。朝の朝礼で並ぶ多種の業者たち。鳶の親方。鉄筋屋の若衆。コンクリート屋。型枠屋。電気屋。設備屋。塗装屋。内装屋。ガラス屋。各業者が自分の領分の仕事を持って。一つの建物のために集まってくる。互いに干渉しながら。互いに譲り合いながら。最終的には一つの建物を完成させる。
あの。
ありふれた朝の。
現場の。
風景が。
千年前の異世界で。
世界規模で。
行われていたことになる。
それぞれの職人が。それぞれの専門技術で。世界の管路を敷き。基礎を組み。構造を立て。仕上げをした。〈原初の建設者〉とは特別な英雄ではなかった。普通の建設業の現場が。世界規模に拡大されただけだった。
タルクは静かに笑いそうになった。神話と思われていた〈原初の建設者〉の正体は。要するに地球のどこかの建設会社の。普段の現場体制と同じだった。それを聞かされたら。前世の桜井巧の同僚たちは。きっと嫌な顔をしただろう。世界を救った英雄が俺たちと同じ職人なのかと。逆に。世界を救うのが俺たちなのかと。誇らしく感じる職人もいるかもしれない。
「先生。続きは」
「『十二の建設者は仕事を終えると元の世界に帰った。あるいは死んだ。しかし彼らの仕事は世界に残った。以後我らの世界は彼らの遺産の上で営まれている』」
「帰った。あるいは死んだ」
「『建設者の魂は世界の管路の中に取り込まれたとも。また別の説では。建設者は元の世界に帰り。後世に転生して再び呼ばれることがあるとも。これは未確認である』」
「再び呼ばれる」
「タルク君。君がそうだ」
ヴェルナー教授はタルクの肩に手を置いた。
「君は。第四の建設者の。再来かもしれない」
タルクは黙って本を見つめた。
第四の建設者は管を扱う者。
配管工。
タルクは思わず小さく笑った。前世の桜井巧は配管工。それが現世のタルクの能力に対応している。理屈が合っていた。あまりに綺麗に合っていた。
「先生。残りの十一人は」
「タルク君。それが問題だ」
ヴェルナー教授は本を捲った。
「『再召喚は十二人すべてを呼び戻すことを目指す。世界が再び危機に瀕したとき。世界は十二人を呼ぶ。しかし召喚は完璧ではなく。志の異なる者を呼ぶこともある。世界の管路を直すべき建設者の中に。世界の管路を破壊する者が紛れることもある』」
「黒田」
「シュヴァルツ卿は。第何の建設者か」
「先生。前世の黒田は。現場代理人でした」
「現場代理人」
「日本の建設業で。現場の管理を担当する人間です。施工管理。十二の建設者でいうと。第十二の。人を扱う者。労務管理と段取り」
「第十二の。建設者」
「人を管理する立場ですが。実際には。指示を出して。書類を作るだけの仕事も多いです。手は動かさない。彼らの中には現場を知らない人間もいて。それが事故を引き起こします。前世の俺を死なせたのも。そういう代理人でした」
ヴェルナー教授は深く頷いた。
「再召喚は完璧ではない。本に書かれた通りだ。建設者の魂を呼び戻したつもりが。実は世界を破壊する者を呼んでしまうこともある」
「先生。今この世界に呼ばれている転生者は。何人いると思いますか」
「わからない。十二人全員かもしれないし。数人だけかもしれない」
タルクは唇を噛んだ。
他の転生者を探す。
味方になる者を見つける。
そして黒田を止める。
タルクの胸の中で。新しい現場の段取りが組み立てられていく感覚があった。十七年で身につけた現場の手順。最初に全体を把握。次に必要な人員を集める。それから工程を組む。そして実行。
一人で世界を直すのは無理だ。
他の建設者の魂を持つ転生者を。一人ずつ見つけて。仲間に引き入れる。それが現実的な手順。
「先生。一つお願いがあります」
「何でも」
「他の転生者を探す手段はありますか」
「直接の手段はない。しかし。彼らも何らかの形で世界に痕跡を残しているはずだ。突然腕を上げた職人。説明できない技術を持つ若者。出自不明の発明家。そういう情報を集めれば。候補者は絞れる」
「冒険者ギルドにも頼めるかもしれません」
リエラの声が背後でした。タルクは振り返った。リエラはいつの間にか書庫に入ってきていた。
「ギルドに依頼を出せば。各地の異常な人物の情報が集まる。私の伝手で安く引き受けてもらえる」
「お願いします」
「うん。任せて」
リエラは肩をすくめた。
「で。あんた。ヴェルナー教授に全部話したのね」
「はい」
「思い切ったわね」
「先生は信用できます」
ヴェルナー教授は微笑んでリエラを見た。
「リエラ。久しぶりだ。元気そうだな」
「先生。お変わりなく」
二人は短く言葉を交わした。リエラの顔に少しの和みが浮かんだ。それから彼女は本を覗き込んだ。
「で。これが古代の職人たちの記録ね」
「そうだ」
「興味深い」
リエラは本のページをめくった。古代文字を読んでいるらしい。タルクは驚いた。
「リエラさん。古代文字読めるんですか」
「魔術師の必修科目。あんたも入学したから。三年生になったら習う。たぶん」
「俺は三年生まで残れるかな」
「世界が三年もったらね」
リエラは皮肉な笑みを浮かべた。
タルクは小さく笑った。
ふと気づけばリエラの指先が震えていた。タルクは見て見ぬふりをした。彼女は古代の本を読みながら何かに動揺している。元宮廷魔術師の彼女が読み解ける情報の中には。タルクの想像を超えるものが含まれているのだろう。それが何であるか。今すぐ問いただすのは無粋だ。十七年の現場で身につけた感覚だった。仲間の動揺を察したら。すぐには触れない。落ち着いてから。本人が話したいと思ったときに聞く。それが現場の流儀。
「リエラさん。ありがとうございます」
「うん」
「俺たちで。この世界を直しましょう」
リエラは少しだけタルクを見た。それから視線を本に戻した。彼女の口元に微かな笑みが浮かんでいた。皮肉ではなく。久しぶりに見せる素直な笑みだった。
書庫の薄暗がりの中。
三人は古代の本を覗き込んでいた。
その姿は。
千年前の十二人の建設者が。
現場の図面を覗き込んでいた姿に。
似ていたかもしれない。
時を超えて。
現場の引き継ぎが行われていた。
タルクは本のページから顔を上げて。書庫の天井を見上げた。
高い天井の梁の隙間に。淡い光の管が走っているのが見えた。書庫もこの世界の管路の上に建てられていた。当然と言えば当然だった。〈原初の建設者〉が築いた管路の上に。後の世代が建物を重ねている。それは日本でも同じだった。古代ローマの上下水道の上に。中世の都市が建ち。現代の都市が重なっている。文明とはそういう積層だった。
タルクは静かに思った。
俺たち建設者は。
目立たない仕事をする。
しかし俺たちの仕事の上に。次の世代の暮らしが。次の世代の文明が。次の世代の現場が。積み重なっていく。
この世界も同じだった。〈原初の建設者〉が敷いた管の上に。千年の文明が重なっている。
俺の番だ。
タルクは机の本をそっと閉じた。
次に開くのは。世界中の現場だ。
タルクの胸の中で。新しい段取りの始まりが。静かに音を立てていた。




