第13話 古代遺跡の墨出し跡
遺跡の床に懐かしいものがあった。
タルクは膝をついて石の表面に指を這わせた。十三歳の指が震えていた。理由はわかっていた。三十五歳の桜井巧の脳が震えていた。これは見覚えのある印だった。
ヴェルナー教授の手配で派遣されたこの遺跡は王都の北方に位置する。歴代の発掘隊が調査し続けてきた古代神殿の地下層だった。一週間前にタルクが教授に頼んだ。〈原初の建設者〉の痕跡を直接見られる場所はないかと。教授はすぐに二つの候補地を挙げてくれた。中でもこの北方神殿は規模が大きい。タルクの一行は今朝そこに到着していた。
北方への旅は四日間に及んだ。
馬車で街道を進み。中継地で替え馬を借り。途中で野営もした。野営の夜にギルベルトが熟練の兵士の手際で焚き火を起こし。セシリアが教会の貯蔵庫から持参した堅パンを温めた。リエラは火の様子を眺めながら煙草に似た葉を吸っていた。タルクは焚き火の前で空を見上げた。光る管の大河が夜空を流れていた。それは星座の代わりに彼の指針となっていた。
遺跡の入り口は小さな石のアーチだった。地表に出ているのはアーチだけ。本体は地下に埋もれている。発掘隊が入れるように階段が彫り込まれていた。一行は松明を持って降りた。階段は螺旋を描いて深く沈んでいった。土と石の匂いが鼻を刺した。日本の地下の現場と同じ匂いだった。
地下層は石造りの大広間だった。
天井は崩れた箇所もあったが大半が残っている。広さはバスケットボールのコート二つ分ほど。床は石板が敷き詰められていて。中央には祭壇のような構造物がある。壁面には古代文字が刻まれている。文字は風化してほぼ読めない。それでも所々に紋様が残っていた。
タルクが膝をついた場所はその大広間の中央付近だった。
石板の上に。細い線が引かれていた。
線は色が薄く一見すると気づかない。しかしタルクの目は即座にそれを認識した。線は十字に交差している。一本は東西に。もう一本は南北に。交差点には小さな点が打たれている。
「これは。墨出し跡です」
タルクは呟いた。
ギルベルトが横でしゃがんで床を見た。
「スミダシ」
「日本の。あ。違う。俺の村の言葉で。建設のときに。図面通りの位置を床に書き写す。技法のことです」
「建設」
「家を建てるときに。柱の場所とか。壁の場所とか。床に印を打つんです。それが墨出し」
ギルベルトは怪訝な顔をした。タルクの説明を理解しきれない様子だった。
しかし頭上で。
「面白い」
ヴェルナー教授の声が降ってきた。教授も同行していた。階段を降りてきたところだった。タルクは立ち上がって場所を譲った。教授は床にしゃがみ込んで線を観察した。
「これは確かに。後世の調査隊の落書きにしては。規則的すぎる」
「先生。これは原本の。建設時の印です。〈原初の建設者〉が建物を建てるときに。位置決めのために打った印」
「タルク君。なぜそう断言できる」
「俺の村でも。同じ印を打ちます。あ。違う。先生。日本でも。あ。違う」
タルクは口を閉じた。深呼吸した。
今は誤魔化す場面ではないと判断した。十七年の現場を持つ自分だからこそわかる印だ。これは建設業の現場経験者が打つ印そのものだった。それを誤魔化すのは。むしろ研究の進展を妨げる。
「先生。秘密にしてもらえますか」
「もちろんだ」
「俺は。前世の記憶があります」
ヴェルナー教授の動きが止まった。
「前世」
「前の世界での記憶です。俺は前の世界で。配管工という職業をしてました。建物の中に水を流す管を組む職業です。三十五歳で死んで。今のタルクの体に転生しました」
教授は深く息を吐いた。それから頷いた。
「タルク君。私はそれをずっと疑っていた」
「先生」
「君の発想。君の言葉。君の仕草。十三歳の少年のものではない。何度も観察した。職人の目をしていた。長く現場に立った人間の目だ。私はそれを別の世界からの転生と仮定して考えていた。ある程度は」
「先生」
「驚かない。私の仮説は正しかったということだ」
ヴェルナー教授は静かに笑った。
「で。続けて」
「はい。前世の俺の世界では。建物を建てるときに。床や壁に位置決めの印を打つのが基本です。その印を。墨出しと呼びます。墨壺という道具を使って。墨で線を引きます。これと全く同じ手順を。〈原初の建設者〉も使ってたみたいです」
「同じ手順」
「同じです。十字の交差。中心点。これは典型的な墨出し跡です。位置決めの基準点。建物の中心軸を出すための印」
タルクは線を再び指差した。教授は線をなぞった。
「この線の年代測定が可能か」
「先生。それより重要なのは。この印の意味です」
「ふむ」
「〈原初の建設者〉は。前世の俺の世界の建設業の手順を持っていた。少なくとも墨出しに関しては。同じ手順を使ってた。これは偶然じゃない」
「同じ世界の出身。あるいは。同じ世界から技術が伝わった」
「いずれにせよ。俺と無関係ではないってことです」
ヴェルナー教授は深く頷いた。隣のギルベルトとセシリアは話を聞きながら困惑した顔をしていた。リエラだけが落ち着いた表情で壁にもたれて聞いていた。
「タルク君。我々は重要な手がかりを得た」
「先生。もう一つ確認したいことがあります」
タルクは祭壇の方へ歩いた。祭壇の足元の石板を観察した。
歩きながら頭の中で前世の作業手順を思い出していた。墨出しは新人時代に何度も叩き込まれた。基準点を決める。直角を出す。寸法を測る。線を引く。線を打ったら必ず指差し確認する。指を線の上で動かしながら。読み上げる。十七年で身体に染みついた手順だった。
今。
千年前の。
同業者の。
現場の。
手順が。
タルクの手の中で。
再演されていた。
タルクの足が止まった。祭壇の前で膝をついた。石板を見た。
あった。
タルクは膝をついて指で石を撫でた。
「先生。来てください」
ヴェルナー教授も近寄ってきた。
石の表面に小さな金属が埋め込まれていた。
円形の。直径三センチほどの。輪のような形。表面は黒く酸化しているが本体の金属は健在だった。中央には小さな穴があり。穴の内側には螺旋状の溝が切られていた。
「これは」
ヴェルナー教授の声が震えた。
「インサートです」
タルクは断言した。
「俺の前世の世界の。建設現場で。後で何か取り付けるための。受け側の金具。中央の穴は。雌ねじ。後からボルトをねじ込んで使う」
「これが」
教授は震える指で輪を触った。穴に指先を入れた。確かに螺旋状の溝が触れる。それは前世の桜井巧が現場で何百個も触ってきた感触だった。十三歳の指でも覚えていた。皮膚は変わっても感覚は残る。
「タルク君。この遺跡には。同じものがいくつあるかな」
「数えます」
タルクは立ち上がって周囲を見回した。光る管に意識を集中した。光る管の継手部分は光が強く溜まっていることが多い。インサートのような構造物は管との接続点である可能性が高い。
予想は当たった。
地下大広間の中。タルクの目には。光が集中する点が見えた。一つ。二つ。五つ。八つ。十二個。
「十二個。先生。この広間だけで十二個のインサートがあります」
「十二」
ヴェルナー教授は立ち上がった。手を震わせた。
「タルク君。〈原初の建設者〉は十二人だったとされている」
「一人につき一個」
「あるいは。十二個で一つの単位」
「先生。これを全部稼働させたら」
「世界の管路の何かが起きる」
二人は同時に頷いた。
タルクは胸の奥が熱くなった。これは現場が動き始める瞬間の感覚だった。十七年で何百回と味わった感覚。仮説が現実とつながる瞬間。図面の中の数字が現場の実物と合致する瞬間。手応えだった。
しかし。
タルクは慎重に頷いた。
「先生。今ここで稼働させるのは早すぎます」
「ん」
「インサートに何を取り付けるべきか。俺たちはまだ知らない。受け側の金具だけあっても。差し込むボルトに相当するものが必要です。それが何なのか。古代文献にヒントがあるはずです」
「タルク君。それは。私の研究領域だ」
ヴェルナー教授は深く頷いた。それから立ち上がってリュックから一冊の本を取り出した。羊皮紙の本だった。表紙はもうほぼ黒く変色していた。
「これは。私が四十年前に最初に手に入れた写本だ。〈原初の建設者〉の伝承を最も詳細に記している。このページに。差し込み座と。それに対応する鍵について書かれている」
教授は本を開いて指を当てた。タルクは横から覗き込んだ。古代文字で書かれていて読めなかった。教授は通訳した。
「『差し込み座は世界の十二の聖地に埋め込まれた。それぞれの座に対応する鍵は。建設者の手に委ねられた。建設者が去るとき。鍵は世界の各所に散らばった。鍵は建設者の血統に宿るとも。建設者の魂に宿るとも記される』」
「血統。あるいは。魂」
タルクは呟いた。
「先生。その鍵が。例えば。建設者の魂に宿るとして。建設者が転生したら。鍵も一緒に転生する可能性は」
ヴェルナー教授はタルクを凝視した。
「タルク君。もしかすると」
「俺がその鍵かもしれない」
「あるいはその一部」
「俺一人ではないかもしれません。十二人の建設者の魂が世界中に転生していて。それぞれが鍵の一部を持ってる可能性もあります」
「タルク君」
ヴェルナー教授は深く頷いた。
「我々の探すべきは。インサートだけではなく。同じ転生者だ」
タルクは深く息を吐いた。
「黒田もそうなんですよね」
「ん」
「シュヴァルツ卿。前世の俺を殺した男も。転生者でした。確認しました」
ヴェルナー教授の目が見開かれた。
「タルク君。それは大変なことだ。なぜ前世の知り合いがほぼ同じタイミングで同じ世界に転生する」
「偶然じゃないですね」
「むしろ。誰かが意図的に集めている」
ヴェルナー教授の声は深刻だった。
「世界の管路を動かすために。建設者の魂を再び呼び寄せている。何者かの意図によって」
タルクは唇を噛んだ。
「先生。誰の意図か。心当たりは」
「ない。しかし。ある可能性として。世界そのものの自衛機能かもしれない」
「自衛」
「世界の魔導管網が劣化を始めたとき。それを直せる者を呼び寄せる。建設者を再召喚する。世界そのものが。我々を呼んだ」
「俺たちを」
「君を呼び寄せたのも。シュヴァルツを呼び寄せたのも。世界そのものかもしれない」
タルクはしばらく沈黙した。それから小さく頷いた。
「もしそうなら。世界も。下手な召喚をしましたね」
「ん」
「黒田は管を直さない。盗むだけです。世界が彼を呼んだとしたら。世界の判断ミスです」
ヴェルナー教授は声を出して笑った。
「タルク君。君のような職人が呼ばれた以上。判断ミスばかりでもないだろう」
「先生」
タルクも小さく笑った。
遺跡の天井から細い光が差し込んでいた。
その光が。床の墨出し跡を照らしていた。
千年も前に。誰かが打った墨の線。
それを今。同じ業界の後輩が指でなぞっていた。
タルクは膝をついて。線を改めて見た。
線の交差点に。小さな点が打たれていた。
これは。
日本の現場の墨出し屋が。誇りをもって打つ印そのものだった。
タルクの目から。一筋の涙が頬を伝った。
それは桜井巧の涙だった。
前世の同業者の。
千年越しの。
仕事の引き継ぎを。
今ここで受け取った。
その実感の涙だった。
タルクは涙を拭わなかった。涙は冷たい石の上に落ちた。墨の線の交差点のすぐ脇で。小さな染みになって消えていった。
千年前の建設者は。この場所に立って。墨を打ったはずだ。図面を読み上げる相棒がいたかもしれない。新人を叱る親方だったかもしれない。あるいは。たった一人で。世界の片隅でこつこつと印を打ち続けた職人だったかもしれない。誰にも称えられず。誰にも見られず。それでも図面通りの位置に印を打つ。それが職人の務め。それが千年の時を経て今ここに残っている。
名前は残らなくても。仕事は残る。
タルクは無意識に。線の脇に小さな印を一つ追加した。
点を一つ打つだけの動作だった。
千年前の同業者へ。
次の現場は俺が引き継ぐ。
そういう意味の点だった。




