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世界の蛇口は俺が握る 〜転生配管工、異世界の血脈を繋ぎ直す〜  作者: もしものべりすと


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第12話 シュヴァルツ卿の正体

「黒田」


 タルクの声に。


 フードの下の男が一瞬硬直した。


 時間が止まった。


 ギルベルトが訝しげにタルクを見た。リエラがタルクの背中で息を呑んだ。セシリアが声にならない驚きの声を漏らした。タルクは馬の上で人影を見つめていた。誰にも気づかれないように。膝の上で拳を握りしめていた。


 ゆっくりと。


 人影が。フードを払った。


 現れたのは。


 異世界風の容貌の男だった。


 タルクの予想とは異なる。日本人の黒田の顔そのままではない。彫りの深い顔立ちで。茶色の長髪。白い肌。緑色の目。明らかに異世界の人間の容姿。年齢は四十前後。


 しかし。


 目つきだった。


 見下すような目。傲慢の中に焦りを隠した目。十七年でタルクが何百回と見た。あの目だった。


 顔の造作は別物。それでも目の動きが同じ。眉の上げ方が同じ。口の端の歪みが同じ。三十五歳の桜井巧が前世で何百回と観察したそのままの仕草が。異世界の貴族の顔の上に乗っていた。容姿が変わっても癖は残る。それは魂の刻印のようなものだった。タルクは確信した。これは黒田だ。間違いない。


 タルクの心臓が静かに鼓動を打った。怒りや憎しみよりも。冷静な確認の感覚だった。十七年の現場で危険な機械を扱う前に必ずやる確認作業。いま目の前にあるものが何であるかを把握する。間違えれば命取り。だから慎重に観察する。タルクの体が無意識にその姿勢を取っていた。


「桜井か」


 男は言った。


 その一言で確信に変わった。


 異世界の人間の容姿に。前世の黒田の声と目つきが宿っていた。これが転生という現象なのか。容姿は新しいが。中身は完全に同じ人間。


「黒田だな。やっぱり」


 タルクは静かに言った。


 ギルベルトが慌てて剣を構えた。


「タルクさん。お知り合いか」


「前世で世話になった人です」


 タルクの言葉にギルベルトは口を半開きにした。リエラが背後で深く息を吐いた。


「タルクさん。それは」


「前世の話。長くなるから後で」


 タルクはリエラを抑えた。今は黒田と話す方が先だ。


「桜井よ。お前。生きてたのか」


 黒田は薄く笑った。


「死んだろ。あの時。お前」


「死にました」


 タルクは答えた。


「コンクリの床に頭ぶつけて。意識失った瞬間にお前が労基に何って言うか聞いた。あれを思い出すと不愉快で」


「ふん。あれか。お前のことを覚えてる人間なんてもう日本にもいねえと思ってたよ」


 黒田は嘲笑した。前世そのままの嘲笑。


「俺はあの後すぐに転生した。気がついたらこの世界にいた。最初は混乱したが。すぐに馴染んだ。この世界は俺向きだ。馬鹿が多い。俺の方が遥かに優秀だから。あっという間に出世できた。日本では俺は中途半端な現場代理人だったが。ここでは帝国の最高位魔導技師だ。今や貴族の称号も持ってる」


「ご立派なことで」


「お前はどこの誰だよ。村のガキか。十三歳でその知能か。お前らしいな桜井。前世も今世もその程度の地位で終わるんだ」


「そうですね」


 タルクは静かに頷いた。


「黒田さん」


「シュヴァルツ卿だ。今は」


「黒田さん。一つだけ聞きたいことがあって」


「何だ」


「あの後。労基はどうなりました」


 黒田は一瞬黙った。


「労基」


「俺が落ちた現場の。事故処理。あれ。どうなりましたか」


「お前。死んだ後の話聞きてえのか」


「それだけ知りたい」


 黒田は乾いた笑いを漏らした。


「お前の死は事故扱いになった。安全帯を勝手に外したアホな作業員が脚立から落ちて死亡。それで終わり。会社も俺も無傷。お前の遺族には会社の見舞金が支払われた。微々たる額だがな」


「他にも死人いますか」


「他」


「あなたの現場で。俺以外に。同じような事故で死んだ人」


 黒田はしばらく黙った。それから肩をすくめた。


「三人かな。俺の現場代理人時代に死んだのは。お前を入れて四人。みんな安全帯を外した自己責任の事故ってことになってる」


 タルクは深く息を吐いた。


「四人」


「現場ってのは死人が出るもんだ。お前ら作業員が下手なんだ」


「そうですね」


 タルクは静かに頷いた。


 胸の奥で何かが冷たく沈んでいった。


 四人。


 自分以外に三人。同じやり方で。同じ理由で。死んでいた。


 名前を聞きたいとは思わなかった。聞いたところで自分が知っている人間とは限らない。十七年の現場で巧の周囲には何百人もの職人がいた。その中の三人が黒田の現場で死んでいる。下請けの作業員として。誰にも記憶されることなく。


 彼らもきっと家族がいた。家族のために働いていた。家賃を払い。子供を養い。親を介護していた。それぞれの生活を黒田の安全違反で奪われた。事故処理は「自己責任」で片付けられた。会社は無傷。黒田は次の現場で同じことを繰り返した。そして転生してまで同じことをしている。


 タルクは一瞬。怒りに任せて黒田に飛び掛かりたい衝動を覚えた。


 しかし押さえた。


 今ここで黒田を倒せる戦力はない。ギルベルトと騎士団五人とリエラとセシリアと自分。対する黒田一人。しかし黒田の魔力量はオストハイム一都市分の魔力を蓄積している規模だ。普通に戦えば全滅する。それは現場判断として明らかだった。


 だから。


 今は。


 退く。


 退いて。次に会うときに。


 倒す。


「桜井よ。お前は今もしぶといな。前世も今世も俺の前に現れる。運命みたいなもんかもしれん」


 黒田は両手を広げた。杖の先端の宝石が一段強く輝いた。


「で。お前。何しに来た」


「そっちが何してるか確認しに」


「魔力盗用の犯人捜しか」


「捜したら見つかった」


「お前にゃこれを止める力がねえぞ」


「あるか無いかは現場見て判断します」


 タルクは馬の上で答えた。


 黒田は笑い声を上げた。


「相変わらずだな桜井。現場現場現場。お前のその口癖な。前世でも嫌になるほど聞いた。あの言葉のせいでお前を遠ざけたんだぞ。生意気な作業員だと思ってな」


「俺も。あなたを嫌ってました」


「ふふ。お互い様だな」


「ええ」


 二人の会話に。第三者が誰一人として介入できなかった。ギルベルトもリエラもセシリアも。馬の上で固まっていた。何が起きているのかを把握しきれずに。それでもタルクと相手の男の間に流れる怒りの濃度を体で感じ取っていた。


 ギルベルトはタルクが今初めて見せる側面を目撃していた。十三歳の少年が。四十前後の魔導技師に対して。完全に対等な口調で対峙している。それも前世の知り合いとして。常識では理解できない場面だった。しかしギルベルトは黙って観察していた。実証主義の彼は。今目の前で起きている事実を否定するわけにはいかなかった。


 リエラは別の意味でタルクを見つめていた。彼女には少しだけ予感があった。タルクの中身が普通の少年でないことは最初から薄々感じていた。十三歳の口調にしては大人すぎる。村の修理屋にしては技術が深すぎる。それが今この場面で全て繋がった。リエラは小さく息を吐いた。納得の息だった。


 セシリアは胸の十字架を握りしめていた。教会の伝承に〈見える者〉はある。しかしタルクの正体はそれをさらに超えていた。前世から来た存在。聖典の記述外の存在。セシリアの心の中で信仰と現実が一瞬軋んだ。それでも彼女はタルクに不信を抱かなかった。タルクの目に宿る誠実さを。彼女は信じ続けることにした。


「黒田さん。一つ聞いて」


「何だ」


「あなた。この世界で何やってるか分かってますか」


「魔力盗用と呼ぶか兵器開発と呼ぶか。お前次第だ」


「世界の管路を。私的に。改竄してます」


「改竄だと」


「元々ある古代の管路を。後から不正分岐させて。流量を抜き取ってます。それは私的な工事です。世界全体に影響します」


「世界がどうなろうと知ったこっちゃねえ」


「黒田さん」


「俺は俺の地位を維持するためにやってる。それ以上の理由は要らねえ」


 タルクは長く息を吐いた。


「あなたは。前世と全く同じことを今世でもやってるんですね」


「何」


「人を踏み台にして自分が上に登る。事故が起きても他人のせい。世界が壊れても自分の地位が守れればいい。前世と同じです。場所が変わっただけで。本質は変わらない」


「桜井よ」


 黒田の目が一瞬鋭くなった。


「お前は俺の何を知ってる」


「俺はあなたの下で十年働きました。あなたの本性は知ってます」


「俺だってあの後ずっと考えたんだよ。お前が死んだ意味を」


「そうですか」


「結論。お前が下手だっただけ」


 黒田は冷たく笑った。


 タルクは。それでも。怒らなかった。


 怒りは前世で何度も湧いた。今は別の感情だった。それは。一種の。哀れみだった。


 この男は。死んでも変わらなかった。


 死んだ瞬間に転生という機会を得て。やり直しが効くはずの生を与えられて。それでも前世と全く同じ生き方を選んだ。それが彼の本質だった。本質は死を超えて連続する。前世の桜井巧の哲学が。今も生きていた。


「黒田さん。あなたを止めにきました」


 タルクは静かに言った。


「ガキの言葉とは思えねえな。ただし。ここで止めるのは無理だ。俺はお前の十倍の魔力を持ってる」


「そうでしょうね」


「逃げるなら今のうちだ。俺は今日のところは見逃してやる。前世の縁ってやつだ」


「逃げます」


「いい判断だ」


「ただし。次に会うときは」


 タルクは黒田を見つめた。


「あなたを倒します」


「桜井よ」


 黒田は嘲笑した。


「お前が俺を倒せる日は来ねえよ。俺は今や帝国の最高位魔導技師。お前は田舎のガキの修理屋。地位が違う。器が違う」


「現場じゃ。地位は関係ない」


 タルクは静かに言った。


「地位は紙の上の話。現場は技術の話。技術なら俺が勝ちます」


「ふん」


「ご機嫌よう」


 タルクは馬を反転させた。


「全員。撤退」


 ギルベルトが指示を出した。馬たちは一斉に走り出した。


 黒田は追わなかった。


 遠ざかる馬車を。冷たい目で見送っていた。その目には今日の勝敗を超えた何かが宿っていた。タルクには見えなかったが。リエラには見えていた。リエラは振り返り際に黒田の表情を一瞬捉えていた。あれは追手を出さなかった余裕の表情ではなかった。むしろ。ある種の。困惑の表情。前世の関係者がここで現れたことを。彼自身も処理しきれずにいる表情。リエラはそれを記憶に刻んだ。後でタルクに伝えるかどうかは保留した。


 森を抜けて街道に出るまで。誰も口を開かなかった。タルクは馬の手綱を握ったまま。前を見つめていた。


 タルクは冷静に走らせていたが。心の中はざわついていた。前世で死んだ瞬間に黒田は救急車を呼ぶ前に労基への弁明を口にしていた。あの場面が脳裏に蘇る。視覚も嗅覚も触覚も鮮明だった。コンクリートの硬さ。後頭部に走る痛み。視界の白い光。あの全てが。今この異世界の馬の上で。再び湧き上がっていた。


 しかしタルクは唇を引き結んで前を見続けた。


 あの場面に固執するのは無意味だ。前世の死は事実であり。それを受け入れた上で異世界に来た。今は異世界での仕事に集中するべきだ。前世の死は記憶として残るが。それに支配されてはいけない。十七年の現場で身につけた感覚だった。怒りに支配された人間は事故を起こす。冷静さこそが現場の命綱。


 タルクは深呼吸を繰り返した。


 馬の蹄の音が。森の中の土を踏む音が。リズミカルに耳に届いた。同行者たちの馬の音もそれに重なっていた。それは生きている音。仲間の音。タルクは少しずつ落ち着いていった。


 ようやく馬が止まったとき。リエラが背後から肩を叩いた。


「タルク」


「すみません。混乱させて」


「いいけど。詳しい話聞かせて」


「魔導院に戻ったら。全部話します」


 タルクの声は乾いていた。


 遠くで日が傾き始めていた。


 二つの太陽の長い影が。馬車の上に伸びていた。


 タルクの胸の中に。一つの確信が刻まれていた。


 黒田は止めなければならない。


 前世の縁ではなく。


 今世の使命として。


 あの男の歪んだ生き方を。世界規模で野放しにしてはいけない。


 タルクの左手が無意識に顎を撫でた。三十五歳の桜井巧の癖だった。


 それは静かな決意の動きだった。

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